学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

0145 亀田俊和氏「足利尊氏・直義の「二頭政治論」を再検討する」(その5)

2024-08-18 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第145回配信です。


一、前回配信の補足

p58以下
-------
 しかし、「主従制的支配権」「統治権的支配権」という支配原理そのものに対する批判は、ほとんどなされていない。新田一郎と秋山哲雄が言い換えを試みた程度である。そもそも、なぜ異なる支配原理が二つ存在しなければならないのだろうか。一つ、あるいは三つ以上ではいけないのか。
 その理由について、権力の二元性は古くから政治学や社会学で議論されてきたからだと筆者は説明されたことがある。不勉強なのは申し訳ないが、それは答えになっていないと思う。権力の本質は二元的であるかもしれないが、少なくとも草創期の室町幕府の統治体制を主従制と統治権の論理で説明するのには、無理がありすぎると言わざるを得ない。
 袋小路に陥っているとしか形容しようがない逼塞的な状況下、呉座勇一が尊氏・直義兄弟の「二頭政治論」に初めて疑義を唱えた(呉座:二〇一四)。
 呉座は、「直義が実質的に尊氏の全権限を代行してい」たとし、「「二頭政治」という表現は厳密には正しくない」と述べた。管見の限りで、これが二頭政治を明確に否定した初見である。確かに権限も残存文書数も直義が圧倒的に多く、これを「二頭政治」と形容するのは無理がある。
 これも踏まえて、近年筆者が当該期の幕府体制について新たな試案を提示した。結論を要約すれば、初期の室町幕府は、直義が実質的な最高権力者"三条殿"として、幕府のほぼすべての権限を行使する体制であった。
-------

『足利直義 下知、件のごとし』(ミネルヴァ書房、2016)
https://www.minervashobo.co.jp/book/b244221.html

p71以下
-------
 佐藤氏は日本中世政治史において数多くの定説を打ち立てたが、それらの中で「二頭政治論」は最も批判が多かったと思われる。しかし、かと言ってこれを超える枠組みを打ち出した研究者は皆無である。そのため、現在なお不動の定説の地位を占めている。構図も明快であるので、多くの研究者が内心疑問に思いながらも佐藤説を踏襲してきた。実は筆者もそうであった。
 しかし、さすがにその呪縛から解放されるべき研究段階に来ているように思う。以下、つたないながらも私見を開陳してみたい。
 「二頭政治」と表現すると、尊氏と直義が権限を均等に二分して行使していたイメージをどうしても抱いてしまう。しかし、右に見たように、両者の権限は著しく不均等で、直義に大きく偏っている。文書の残存比率を見ても、上島有氏によれば暦応二年(一三四一)は直義文書の比率が九割にせまり、尊氏はわずか六通しか文書を発給していない。こうした状況を、「二頭政治」と形容してしまうことが問題なのではなかろうか。
 繰り返すように、『梅松論』は尊氏が直義に政務のすべてを譲り、その後一切介入しなかったと述べている。多くの論者がこれに言及しながらも、重視していないように見受けられる。しかし『梅松論』がまさに述べるとおりで、初期室町幕府の体制は直義が事実上の首長として主導する体制だったのである。事実、直義その人を幕府そのものを意味する「武家」と称した事例が存在する(『東宝記』など)。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6b791d02e92f7d0def9dcdce06749c3

(私見)
「二頭政治」はあくまで「イメージ」の問題であって、「主従制的支配権」「統治権的支配権」とは次元の異なる問題。
直義が「実質的な最高権力者"三条殿"」だとしても、その背後に尊氏が控えているとの「イメージ」はぬぐえない。
例えば「天龍寺造営記」には「柳営〔尊氏〕・武衛〔直義〕両将軍、哀傷・恐怖甚だ深きなり」などとある。


二、呉座勇一『戦争の日本中世史』

呉座勇一(1980生、国際日本文化研究センター助教)
https://www.nichibun.ac.jp/ja/research/staff/s377/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E5%BA%A7%E5%8B%87%E4%B8%80

『戦争の日本中世史―「下剋上」は本当にあったのか―』(新潮選書、2014)
https://www.shinchosha.co.jp/book/603739/

p117
-------
 尊氏と直義の関係に関しては、世人は尊氏を「弓矢の将軍」、直義を「政道」の担当者とみなしていたという『難太平記』(二〇五頁)の記述が著名で、両者が権限を分割していたことが強調されてきた。しかし右の論評は、二人の仲がギクシャクするようになって、どちらに与すべきか人々が迷うというエピソードの中に見えるものである。それ以前の、両者の関係が良好な時期には直義が実質的に尊氏の全権限を代行しているのであり、概説書などでしばしば説かれる尊氏と直義の「二頭政治」という表現は厳密には正しくない。
-------

呉座勇一氏『戦争の日本中世史』〔2014-02-23〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6660880a5d0731690b574fc2291a245
「歴史学研究会幕府」〔2014-04-26〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/42750aab1ea3f4ab74dcc230fe099987
「さすがにその呪縛から解放されるべき研究段階」(by 亀田俊和氏)〔2017-12-18〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c6b791d02e92f7d0def9dcdce06749c3
「皮肉なことに、研究が進めば進むほど、それらの仮説が成り立たないことが明らかになっていき…」(by 呉座勇一氏)〔2020-09-02〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dd09d6f406b181672282d558241a563c
「そう、これらの学説は「階級闘争史観」のバリエーションでしかない」(by 呉座勇一氏)〔2020-09-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e47fb1aa07b926849bc8edb8a5f6cf6e
「ひとまず「鎌倉幕府の滅亡は必然だった」という暗黙の前提を取り払ってみてはどうだろうか」(by 呉座勇一氏)〔2020-09-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/19d0088a22e01a33551e189060f38b94
呉座説も「結局、人々の専制支配への怒りが体制を崩壊させた式の議論」〔2020-09-09〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3a05fda1f50c2afc2ca40b7feee442db
ちょっと仕切り直しします。〔2020-09-14〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d86e6a94ca234b007dbadd4a68da5891
四月初めの中間整理(その1)〔2021-04-02〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/58a9690364e67cd32698c73544e024b9
「もっとも、尊氏が敗走している段階では院宣にもさしたる効果はなく」(by 呉座勇一氏)〔2021-04-23〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4edce2afbc11e7f6cb0975992e43863e
山家著(その6)「尊氏を頼朝後継者に擬する演出」〔2021-04-27〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/66f6f0e3ed51507efa651209c9ccc9f1
0070 「幕府滅亡は偶然の産物であるという回答も十分ありうる」(by 木下竜馬氏)〔2024-04-24〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/47b4b88a5c177c4de31fa86f008f6a0a
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする