投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月15日(火)14時22分50秒
『保立道久の研究雑記』、2012年5月16日 (水)の「網野善彦氏の『日本中世に何が起きたか』が再刊」を読んでみましたが、誤解がありますね。
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たしかに、いま日本列島の自然と社会は、これまで経験したことのない時空に入ろうとしている。二〇一二年三月一一日の東日本太平洋岸地震は、地震による福島第一原発の爆発をともなう大震災となった。この事態の本質は、同年八月、福島県二本松市のゴルフ場が東京電力に対して放射能の除染を求めた訴訟に対して、東電側が「放射性物質は、そもそも無主物であったと考える」として拒否したことに象徴されている。「無主・無縁の自然」にあいた「穴」から様々な「物」がみえる時代になったのである。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-6e33.html
二か月前に「『ヴェニスの商人』と物権的請求権」で赤坂憲雄氏の誤解を指摘しましたが、保立道久氏も全く同じ勘違いをしていますね。
「所有権」や「無主物」は民法学において非常に厳密に議論されており、「所有」「無主」という表現が共通するからといって、網野善彦氏の無縁論といきなり結びつけることはできません。
赤坂憲雄氏は東日本大震災復興構想会議委員という特別な役職にまで就いた著名な民俗学者であり、また、保立道久氏も東京大学教授・史料編纂所元所長・歴史学研究会元事務局長という立派な肩書・経歴を誇る著名な歴史学者ですが、こうした方々に共通の誤解が生ずるのは何故なのか。
私は法学部出身で、まあ、およそ勉強熱心とは言い難い学生生活を送っていたのですが、それでも「概念の相対性」というのは何度も耳にしていたので、別に法学部でなくても、それなりの大学を出ている人ならみんな「概念の相対性」は当然理解しているのではないかと思っていました。
別にそんな難しい話ではなくて、同じ言葉を使っていても、学問分野が違うと意味合いが違うことはあるよね、程度の話です。
赤坂憲雄氏だけだったら単に無知な人、で済むのですが、保立道久氏も全く同じ勘違いをしていることを見ると、歴史学者や民俗学者の場合、「概念の相対性」という発想はあまりないんですかね。
まあ、保立道久氏の場合、内容の問題以前に、そそっかしいところが多すぎる変な文章ではあるのですが。
「東日本太平洋岸地震」という特異な表現には何かこだわりがあるのかもしれませんが、少なくとも「二〇一二年三月一一日」じゃなく、2011年3月11日ですね。
また、「地震による福島第一原発の爆発」とありますが、地震だけだったら何も起こらず、津波で全ての電源が機能を喪失したから大事故になった訳で、正確には「津波による」でしょうね。
充満した水素が爆発しただけですから、「福島第一原発の爆発」も何だかなあという感じがします。
更に「放射能の除染」も変で、正しくは「放射性物質の除去」ですね。
有体物でない「放射能」では、「物」の問題に結びつきません。
保立道久氏も若い頃はそれなりに秀才だったのだろうけど、歴史学の狭い分野で「穴」を掘る作業を数十年続けた結果、耄碌した保立道久氏自身の脳内に変な「穴」が空いて、様々な「物」が見えなくなってしまったのかもしれないですね。
比較の便宜のため、以前書いた文章を再掲しておきます。
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『ヴェニスの商人』と物権的請求権」 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月19日(月)10時47分57秒
>筆綾丸さん
私も新聞記事を通してしか事実関係を知らないのですが、物権法の範囲では、東京電力の弁護団の主張は特におかしくはないと思っています。
所有権は「物」を排他的・独占的に使用・収益・処分できる権利ですが、あまりに小さすぎて、実際上、排他的・独占的支配の対象とはなりえない物は所有権の対象外、と考えるのは筋が通っています。
所有権の対象であれば、円満な排他的・独占的な支配ができない場合、所有権者には返還請求権・妨害排除請求権等の物権的請求権が認められ、国家(裁判所)はその実現に協力しなければなりません。
所有者Aの物が他人Bの土地に存在する場合、AはBにその物を返還しろと請求でき(物権的返還請求権)、他方、その物が存在することによりBの円満な土地支配が妨げられている場合、BはAに対して、その物をどかせ、と請求できます(物権的妨害排除請求権)。
ゴルフ場の仮処分の事件では、ゴルフ場の円満な土地支配が害されたとして、妨害排除請求権が問題となりましたが、仮に原発から出た放射性物質が東京電力の所有権の対象とすると、逆に所有者である東京電力は放射性物質が付着した土地・建物などの不動産の所有者、自動車その他の様々な動産の所有者、更に人体に取り込まれた場合にはその人に対してまで、放射性物質の返還請求権を有することになってしまいます。
即ち、東京電力が放射性物質の回収を求めたら、放射性物質の付着する不動産・動産の所有者は、回収を受忍しなければなりません。
人体の場合、放射性物質の分離・回収要求を認めたら殺人行為の肯定になりますから、東京電力の弁護団の主張は、東京電力はシャイロックではない、という穏当で常識的な主張ですね。
放射性物質以外でも、例えばある人Cが咳をしてインフルエンザのウイルスを他人Dに移した場合、当該ウイルスの所有権がCにあるとして、CがDにウイルスの返還請求権を持つ、という結論は異常です。
あまりに微小な物については、そもそも所有権の対象外であり、無主物だと考えるのは、決しておかしなことではありません。
民法242条・243条の「附合」も物権法上の概念であって、ある人の所有物と他の人の所有物が結合し、両者を切り離すのに多額の費用がかかる場合には、社会経済的観点から無駄なことはせず、一方の所有にして他方には「償金」(民法248条)を与えることにしましょう、というだけの話で、所有権のぶつかり合いを調整しているにすぎず、もともと思想や哲学の問題ではないんですね。
そして、「無主物」や「附合」はあくまで物権法の問題であって、「最終的な責任」を決定している訳ではありません。
ある人が変な物質を排出した結果、離れた場所にいた人が損害を蒙った、というのは多数の判例が蓄積されている公害の場合と同じ状況であり、公害は「不法行為」(民法709条)の問題として扱われてきました。
工場の煙突から吐き出された個々の物質の所有権が誰に帰属するのか、などと争った人はいません。
不法行為の枠組みでの解決が一番素直であり、その場合、金銭賠償が原則ですが、原状回復などの特定的救済もありうるので、放射性物質を除去しろ、という請求が認められる可能性もあると思いますね。
ゴルフ場のケースは金銭賠償も否定したそうで、新聞記事から得られる限りの情報だと、その理由が若干弱いように感じるのですが、仮処分事案であることも考慮する必要がありそうです。
物権的請求権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E6%A8%A9%E7%9A%84%E8%AB%8B%E6%B1%82%E6%A8%A9
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6292
また、次の二つの投稿にも関連することを書いています。
「無主物」はオーソドックスな論理
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6293
『週刊現代』と小出裕章助教
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6295