学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

谷川小学校とその周辺

2012-05-31 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月31日(木)12時46分7秒

石巻市大谷川浜の谷川(やがわ)小学校とその周辺についてまとめておきます。
最初は今年の3月20日訪問時の様子です。

「大谷川浜・谷川小学校」
http://chingokokka.sblo.jp/article/56166948.html
「大谷川浜・二渡神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/56167812.html
「大谷川浜・大谷川漁港」
http://chingokokka.sblo.jp/article/56174204.html

比較のために2011年8月3日時点での様子も載せておきます。

「大谷川浜・谷川小学校」
http://chingokokka.sblo.jp/article/56180454.html

更に閉校後の2012年5月19日の様子。

「初夏の谷川小学校跡」
http://chingokokka.sblo.jp/article/56185355.html



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川俣町山木屋・浪江町津島

2012-05-30 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月30日(水)10時42分55秒

久々の更新は5月1日に訪問した川俣町と浪江町の様子です。
国道399号線は大体月に一回程度の割合で通行しているのですが、津島稲荷神社に参拝したのは去年の4月29日以来、一年ぶりでした。

「山木屋の二宮金次郎像」
http://chingokokka.sblo.jp/article/56143470.html
「下津島・津島稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/56144630.html


参考:一年前の津島稲荷神社
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5849



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「震災と在日韓国人」

2012-05-30 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月30日(水)06時52分31秒

『河北新報』のコラム「河北春秋」より引用。(2012年5月30日)

------------
東日本大震災では何が起き、あるいは起きなかったのか。発生した事実は写真や動画、体験談などで記録されつつある。一方で、起こらなかったことに目を凝らすのは難しい▼福島県立博物館長で学習院大教授の赤坂憲雄さんは「震災と在日韓国人」というテーマに関心を寄せる。1923年の関東大震災では、多くの朝鮮人が暴行・虐殺されたとされる。「朝鮮人が放火している」などの流言飛語が不幸な歴史を生んだ▼悲劇を繰り返さないでほしい。赤坂さんは震災直後から、祈るような気持ちだったという。「東北では今回、在日の人たちへの差別はなかったと思う。それは、なぜか」と問う▼まず本人たちから話を聞こう。被災地で、在日韓国人から聞き書きするプロジェクトを始めた。目標は100人。大学の研究者やライター、作家らが協力する
▼大震災では混乱時にも争わず、店の前に整然と並ぶ人々の姿が称賛された。だが、表面からは見えにくい場で、何が起きていたのか。在日韓国人の視点から見直すことで、新たな問題が浮上するかもしれない▼「起きなかったこと」を透視する作業は、想像力と根気が要る。だが、気付かなかった震災の姿を探ることにもつながるはず。成果は来年3月にも出版される。
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20120530_01.htm

赤坂憲雄氏って、やっぱりちょっとずれていますね。
「悲劇を繰り返さないでほしい。赤坂さんは震災直後から、祈るような気持ちだったという」とありますが、関東大震災後の朝鮮人虐殺は、その時点での特有の歴史的背景・社会情勢があったから発生したのであって、同様の事態が2011年3月の東北で起きるはずがありません。
そういう頓珍漢な心配をするのは単に赤坂氏の頭が悪いからですね。
差別による悲劇は別の形で現に発生しているのだから、関心はそちらに集中しろ、と私は思います。
もちろん「在日韓国人の視点から見直すこと」自体は意味があるでしょうね。
なんで「韓国人」に限定するのかはよく分かりませんが。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開沼博『「フクシマ」論─原子力ムラはなぜ生まれたのか』

2012-05-29 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月29日(火)09時26分28秒

暫く新ブログの更新をサボっていましたが、今夜から鬼のように更新する決意です。
ツイッターの要領もだいぶつかめてきたので、今後は原発事故関係は原則としてツイッターの方で書くことにしようと思っています。

https://twitter.com/#!/IichiroJingu

>筆綾丸さん
>それは言い過ぎです
私もオウムにおける中沢新一の役割をそれほど知らなかった、というか、あまり直視したくなかったので情報を集めなかったのですが、言い過ぎじゃなかったのかもしれないですね。

>「東日本大震災が原発事故という人災を引き起こし」
この部分は歴史学研究会の執行部の方々としては絶対に譲れないところなんでしょうね。
「被害が集中する確率の高い地域を生み出すメカニズムの解明」なんていうのも、おそらく開沼博氏の『「フクシマ」論─原子力ムラはなぜ生まれたのか』のような議論になったのでしょうが、性急な結論を出さずにじっくり考えようという態度に変化しただけでも去年よりはずいぶんマシになったと思います。

http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A1%D6%A5%D5%A5%AF%A5%B7%A5%DE%A1%D7%CF%C0

開沼博氏の顔を初めて見たときは40代くらいの人かと思いましたが、1984年生まれで、まだ28歳なんですね。
人類というよりは牛に近いような容貌で、一種独特の迫力がある人です。
同書購入前に「あとがき」を眺めたら、学部時代には上野千鶴子ゼミにいて、吉見俊哉・姜尚中等にも指導を受けていたとのことなので、「カルチュラルスタディーズ」や「ポストコロニアルスタディーズ」などが好きではない私にはあまり参考にはならないのだろうと思って読み始めたところ、実際、あまり参考にはならなかったのですが、福島に多数の原発が設置されるようになった歴史的経緯を簡単に眺めるのには良い本ですね。

(追記)
開沼氏のご尊顔。
ファッションセンスは東大だから、まあ、仕方ないですね。

http://suzuisi.blog.so-net.ne.jp/2012-03-21-1
http://1994-4991.at.webry.info/201108/article_1.html
http://takaokad.exblog.jp/17299774/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年の歴史学研究会総会決議案

2012-05-26 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月26日(土)09時14分58秒

一年後に読み直すと、かなり妙なものですね。

----------
東電福島第一原発で発生した事故はチェルノブイリに匹敵する破局的事態であるにもかかわらず、その実態に関する情報提供は極端に遅れ、放射能の影響等に関する客観的データや指標が体系的に発表されることもないという状況が続いた。政府・東電による情報提供の不適切さは、インターネット上等における様々な不安の声や、時として不確実な情報の氾濫を招いた。これは情報公開の遅れや不十分さが引き起こした事態であるにもかかわらず、このようなさまざまな声を、「風評」「デマ」等のレッテルを貼ることにより、封殺しようとする動きが観察される。また、一部マスコミ・報道機関や研究者の間には、現状を客観的に分析し、将来を予測し、公表することを控える動きが広がっている。
こうした情報統制、情報発信の自主規制のもとでは、現在の危機をどう収拾すべきかをめぐる、冷静・客観的な議論は不可能となってしまう。災害がきっかけとなって、社会の統制の強化やファシズム化が進行し、異論を封じ、「他者」を排除する傾向が強まる場合があることは関東大震災の際の苦い教訓が示す通りであるが、こうした現象が繰り返されることがあってはならない。我々は、今回の原発事故をめぐる情報が迅速かつ体系的に公表されること、すべての記録が保存・公開されて事故の全容が明らかにされ、国民の英知を民主的・科学的に広く結集することを通じて、解決の道が見出されることを強く求める。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5873


「社会の統制の強化やファシズム化が進行」するなどと考える人は、完全に時代遅れになっていますね。
この一年間で実際に発生したのは「情報統制、情報発信の自主規制」ではなく、武田邦彦・早川由紀夫等、放射能の恐怖をひたすら煽る悪質な情報発信者の完全な自由、「風評」「デマ」の野放し状態でした。
その結果、きちんとした研究実績を持つまともな医学・生物学研究者の間では「現状を客観的に分析し、将来を予測し、公表することを控える動き」が広がりましたね。
そして、「異論を封じ『他者』を排除する傾向」が国家権力側ではなく、インターネットを駆使する「国民」の手によって主導され、強化されました。
京都の大文字騒動、河内長野市の橋桁騒動、愛知県日進市の花火騒動等、各地の非科学的な「国民」による悪質な差別事件が相次ぎ、今も被災地の瓦礫をめぐって全国各地で凄まじい差別が続いていますね。
恐怖に満ちた噂を作り出す人、その噂を安易に信じて周辺にまき散らす人が続出し、ちょうど関東大震災後の朝鮮人虐殺と同じような状況です。
「関東大震災の際の苦い教訓」はどうなったのか。
歴史研究者が考えなければならない課題は多いですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑のたぬき・中沢新一

2012-05-26 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月26日(土)08時21分55秒

>筆綾丸さん
私は一時期、中沢新一にけっこうはまっていまして、オウム事件前の作品は全部読んでいます。
『悪党的思考』の後醍醐天皇論など傍線を引いて熱心に読み込んだのですが、後深草院二条のホームページを始めて間もない頃、本郷和人氏と話す機会があって、『悪党的思考』をどう思うかを聞いてみたところ、下らない本だと吐き捨てるように言われていましたね。
ま、私も今はそう思っているのですが。
中沢新一の文章は芸術・芸能の世界にいる人には良い刺激になり、その範囲にとどまってくれるのであれば別に社会に迷惑はかけませんが、現実政治に関わってはいけない人ですね。
今年の一月、中沢新一が「緑の日本」という政党をつくると発表しましたが、その後どうなったのか、あまり動きがありません。
この政党がそれなりに目立つようになったら、私はささやかな抵抗として中沢新一批判の新ブログを作ろうと思っていまして、そのタイトルは「緑のたぬき・中沢新一」です。
私の中沢新一批判の眼目は、中沢新一は家系がダメ、という無茶苦茶なもので、中沢一族を四代前まで遡って、この一族からは非常に頭の良い人が輩出しているけど、現実政治に関わるとトンチンカンなことばかりやっていて、全然ダメな人たち、ということを示そうと思っています。
ゴールデンウィークに笛吹市に行こうと思ったのも、中沢一族に関係する場所の風景を撮影するためでした。
ま、「緑の日本」が社会に根付かず、あっさり枯れてくれれば私も手間がはぶけて一番良いのですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史学研究会大会

2012-05-26 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月26日(土)06時18分4秒

今日・明日と歴史学研究会大会なんですね。
「特設部会」の「災害の「いま」を生きることと歴史を学ぶこと-3・11以降の歴史学はいかにあるべきか-」は興味深いテーマです。

-------------
(前略)
 災害が大規模化し,複合化するにつれ,被災地の復興は長く,複雑な経緯をたどらざるをえない。それは,甚大な物的損害だけでなく,肉親や知人の死と向きあうことから生じる心理的喪失感を伴う非日常性からの回復でもある。この道のりに歴史研究者はどう関わることができるのか。災害史研究の立場からは,歴史上,復興に際して人びとがいかなる障害に直面し,それらをどのように解決したのかを比較したうえで,今回だけでなく将来の災害からの復興のための帰納的モデルを提示することが考えられる。日本中世における災害と復興を研究してきた西谷地晴美氏の報告は「災害における所有と依存」と題されている。災害は地域社会を崩壊の危機に直面させ,非日常的な依存関係を発現させる。既存の秩序はそこから再構築され,日常性を回復する。報告では,従来の所有論にこの「依存」という視点を加味することで,災害と復興に関する理論的な考察を展開していただく。
 これらの道が災害史研究者にのみ開かれているからといって,すべての歴史研究者が災害史に転向するのは現実的ではないし,望ましくもない。では,どういう道が可能なのか。災害史研究の成果が広く社会に浸透しなかった理由の一つは,災害と復興という要因を組み込んだ歴史像をつくってこなかった歴史学のあり方に求められる。戦争と平和と比べれば,それは明らかだろう。これからの歴史学は,災害と復興という問題系を組み込んだ新たな歴史像を構築し,通史や歴史教科書の形で発信することで,災害史研究の成果を社会の知的共有財産にすることを,集団的課題の一つとすべきではないか。
 他方で,研究者個人が災害のいまに関わる形で研究を展開する可能性も探らねばならない。災害を天災と人災の複合体として捉えるとき,特定の地域に被害が集中するのは偶然でなくなる。災害が起きる以前に,それぞれの地域社会がどのように構造化されてきたのか,自然環境との関わりでいえばいかなる開発の産物であるのかという歴史的・人為的な要因が,被害のあり方を規定するのだから。研究蓄積のある地域社会論に,外部環境の改変とそれがもたらす潜在的な災害リスクの増大という次元を取り込むならば,被害が集中する確率の高い地域を生み出すメカニズムの解明につながるだろう。中嶋久人氏には「原発災害に対する不安・批判の鎮静化と地方利益──電源交付金制度の創設をめぐって──」と題し,原発立地という特殊な開発モデルの導入が,今次の複合災害による被害の福島県浜通りへの集中を招くこととなった経緯を検討していただく。原発事故という災害リスクに対する地域住民の意識を抑圧する地方政治システムが,結果として災害リスクへの対処能力を低下させた側面に焦点をあてることは,原発依存という開発モデル──私たちの多くがその受益者だったことを忘れてはならない── からの脱却を構想するための第一歩となりえよう。
 日常性の回復への道のりに歴史学が寄与しうるとはいっても,災害に終息の見通しがつかない現状では,帰納的な手法に依拠する歴史研究者に荷が重いのは否めない。そこで環境社会学の原口弥生氏には「災害回復(レジリエンス)の再検討──自然・社会・技術──」と題し,自然災害と技術災害の比較という観点から,まず2005年8月末に米国南部を襲ったハリケーン・カトリーナによる複合災害に即し,災害までの不均等な開発の経緯,災害の実態,そして災害からの復興という三つの局面を包括的に考察するための参照枠組みを提示していただく。報告の後半では,この枠組みに依拠しながら福島第一原発事故を検討される。原口報告は,社会学と歴史学の間での災害や環境という問題系をめぐる対話のためのきっかけとなりうると考えている。
 生存維持の条件の変化が歴史学に課している課題を,これら4本の報告でカバーすることはできない。けれども,ここでの報告と討論を通じ,参加者一人ひとりが,災害のいまを生きる歴史研究者として何ができるのかを考えるためのヒントを得るならば,そしてそれが災害と生存維持を組み込んだ歴史学の持続的な展開につながるならば,本部会はその目的を達成したといえよう。(
http://rekiken.jp/annual_meetings/index.html#tokusetu


去年は執行部が非常に程度の低い総会決議案を提出したために混乱が生じたようですが、一年経って、さすがに研究者の姿勢にも変化が生じたのでしょうね。

「歴史学研究会の研究」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5873
「提案の責任者」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5875
「決議案と決議の異同(その1)」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5876
「決議案と決議の異同(その2)」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5880
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山木屋の二宮金次郎

2012-05-24 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月24日(木)20時48分38秒

本格的な更新ができないので、少しだけ写真の紹介を。
5月1日に行った川俣町山木屋地区で二宮金次郎像を見つけました。
東北の小学校には今でも二宮金次郎像がけっこう残っていますが、これは高台にある小学校に向かう坂道の下、山木屋地区唯一の商店街の一画にあるもので、建立は実に平成21年3月ですね。
もしかしたら日本で一番新しい二宮金次郎像かもしれません。
このくらい素朴な土地柄なんですね。
山木屋関連での最近の話題というとリンク先のニュースになってしまいますが、気の毒な話です。

---------
川俣の遺族、東電提訴「心的負担でうつに」 原発避難者自殺

 福島第1原発事故で避難し、自殺した福島県川俣町山木屋の養鶏場従業員渡辺はま子さん=当時(58)=の夫で無職幹夫さん(62)ら遺族4人が18日、東京電力に約9100万円の損害賠償を求める訴えを福島地裁に起こした。福島原発被害弁護団によると、原発事故の自殺をめぐる訴訟は初めて。
 訴えによると、はま子さんは昨年7月1日早朝、自宅近くのごみ焼き場でガソリンをかぶり、火を付けて自殺した。
 はま子さんは原発事故で福島市や福島県磐梯町に避難。その後、自宅に戻ったが、山木屋地区が計画的避難区域に指定され、昨年6月12日に新たな避難先として福島市のアパートに引っ越した。
 避難生活は気詰まりがして心的負担が増した。2人の息子と別居せざるを得ず、養鶏場も閉鎖されて職も失った。睡眠障害に陥り、うつの症状がみられた。原発事故に伴う避難生活が自殺を招き、相当因果関係があるとしている。東電は「訴状を受け取っておらず、回答を差し控えたい」との談話を出した。(後略)
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/05/20120519t63029.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6403

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近況

2012-05-22 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月22日(火)21時26分50秒

19日(土)は牡鹿半島、20日(日)は飯舘村と南相馬市に行って、写真はかなり撮ってきたのですが、週が明けたら雑用続きでなかなかアップできません。
明後日あたりから、また少しずつアップしたいと思っています。

>筆綾丸さん
既に読了されているのかもしれませんが、分量的にも第5章のオウム自体の分析は僅かですね。
オウムには理論家の名に値する存在はおらず、知的な面での分析には限界がありますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カルトの臭い

2012-05-18 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月18日(金)23時00分53秒

『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』、途中までは面白かったのですが、読後感は今一つでした。
内容については大田俊寛氏本人のサイトに載っている立花隆氏の書評がよく整理されていて、オウムに流れ込んで行った様々な思想の全体像は確かに綺麗に把握できます。
しかし、オウムは各種思想をバラバラに寄せ集めただけで、独創的な深い思想を構築した訳ではないので、その思想を分析しても大したものは出てこないですね。
大田俊寛氏はグノーシス主義の研究を重ねてきた人だそうで、深く思想を分析する能力がありますが、対象に独自の深い思想があまりないから、しょうがないといえばしょうがないですね。
ま、というようなミもフタもない感想を抱いて読了しました。

http://gnosticthinking.nobody.jp/book02.html

私がこの本を読んだのは、保立道久氏の文章にカルトの臭いを感じて、何か参考になることが書かれていないかと思ったからです。
「世界史のすべてが人間個々人の神経と肉体の組織に食い込む形で決算を求めつつある」などという部分は、カルト的な終末論と言っていいんじゃないですかね。
で、更に保立氏の見解を分析する必要があるかどうかですが、保立氏が深い科学的素養の持ち主ならともかく、明らかに放射線医学・生物学の基礎的な知識を欠いている人なので、オウムの思想同様、分析しても意味はなさそうです。
保立氏自身は「ご自身ヒバクシャである肥田先生から、DNA、突然変異、活性酸素、細胞膜などという高校時代にならった生物学の基礎と関わって説明をうけると、そういうことが徐々にわかってくる」と肥田舜太郎教祖に帰依する信者のような独白をされるのですが、「高校時代にならった生物学の基礎」と学界から孤立した特異な研究者である肥田舜太郎氏の「学説」の中間を埋めるものがないのでは話になりません。
そもそも肥田氏は1917年生まれで現在95歳という非常に高齢の方で、医者といっても学歴は日本大学専門部医学科、陸軍軍医学校卒業程度の人ですね。
「原爆ぶらぶら病」(肥田氏独自の命名)の研究を長年続けてきたそうですが、別に何か有効な治療法を生み出した訳ではなく、患者の話を聞く以外に実際上何もやっていない人ですね。
また、この人は純粋な研究者ではなく、被爆者の症状を研究するのだったら一番重要な戦争直後から相当長い期間、埼玉県あたりで共産党の政治活動に奔走していた人です。
今のように穏やかな議会政党となった共産党ではなく、六全協前の暴力革命を志向していた時期の活動家ですから、医者としての仕事がどこまでできたのか。
「内部被爆」に関する独自研究はあるでしょうが、歳も歳ですので、マスコミの世界はともかく、専門研究者の世界では全く相手にされていないようですね。
まあ、そういう人が書いた『内部被曝の脅威』は、例えて言えば「竹内文書」みたいなものじゃないですかね。
そして、竹内文書に刺激を受けて書かれた保立氏の独自研究もまた、相手にしても仕方ないように感じます。

肥田舜太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%A5%E7%94%B0%E8%88%9C%E5%A4%AA%E9%83%8E

竹内文書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%86%85%E6%96%87%E6%9B%B8
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保立道久氏の認識の推移(資料)

2012-05-16 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月16日(水)09時54分33秒

保立道久氏の原発事故に関する認識の推移が興味深いので、少し検討してみたいと思います。
とりあえず資料として関係すると思われる投稿を整理しておきます。
なお、2012年2月24日の投稿は原発とは直接の関係ありませんが、保立氏が参加している「東京大学原発災害支援フォーラム」(TGF)の「関連団体」である「ヒューマンライツ・ナウ」に関するものです。

------------
2011年6月19日 (日)
福島第一原発の状況がたいへん心配である。

福島第一原発の状況がたいへん心配である。このままでは汚染水がさらにあふれる可能性がきわめて高いと思う。
以下は、金融ファクシミリ新聞のTOPインビュー「情報を開示し子供と妊産婦を守れ」という松本市長菅谷昭氏の談話である。私は余震・大雨その他の状況によってきわめて深刻な事態が導かれる可能性は依然として強いと思う。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-14c0.html

2011年8月31日 (水)
肥田舜太郎氏の談話、原発事故にどう対処するか。

ブログ「院長の独り言」(東電元社員で、今は熊本のお医者さんという人のブログ)より引用。鎌仲ひとみ氏との共著『内部被ばくの脅威』(ちくま新書)は買ったが、まだ読んでいない。来週の出張にもっていっていそいで読む積もり。
http://onodekita.sblo.jp/article/46361502.html


2011年9月 4日 (日)
内部被爆と世界史ー歴史家の考え方(1)

いま肥田舜太郎氏と鎌仲ひとみさんの『内部被爆の脅威』(ちくま新書、2005)を読んでいるが、これはまさに核時代の本である。
放射線の内部被爆は怖い。私たちの世代だと相当に多数の人が読んでいるはずの、大江健三郎氏の『広島ノート』には内容的には同じことが書いてあるのではある。しかし、それをご自身ヒバクシャである肥田先生から、DNA、突然変異、活性酸素、細胞膜などという高校時代にならった生物学の基礎と関わって説明をうけると、そういう知識が人類と自己の生命や健康に直結する時代がきたということを実感する。
身体内部に入った放射能粒子は、活性酸素を作りだし、通常では突破できない細胞膜にアナをあけ、細胞内部に侵入してDNAを切断する。しかもその粒子は少数であればあるほど、排出されずに最近距離のDNAや細胞組織を攪乱しつづけ、癌その他の発症の原因になる。そのような内部被爆は、身体の内部を半殺しにするか、殺すか、別の生物組織を作り出すことであるから、治療手段はない。ということである。
内部被爆の存在、原爆病の存在をアメリカが一貫してみとめようとしなかったこと、これに日本の政府が追従してきて、今でも追従していることは、大江の『広島ノート』にも書いてあり、我々の世代にとっては常識的な知識である。そしてDNAの切断その他も多くの人が知っていることである。しかし、それを内部被爆の仕組みとの関係で正確に知ってはいなかった。
「内部被爆」については、いまでも新聞やテレビでは正確な説明がタブーになっているだけに、ぜひお読みになることを御勧めする。ということをさっき、妹との電話でもはなす。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/1-5079.html

2011年9月 5日 (月)
内部被爆と世界史(2)

PCが人間のコミニュケーション過程で、あたかも細胞膜を破壊する極端な活性をもった活性酸素のようにして、個々人の精神の保護膜を突き破り、神経組織をいためる、脳の物質過程を攪乱する状況を惹起する様子は、放射性粒子が身体組織の中で、細胞の微細構造を破壊する様子とそっくりである。
世界史のすべてが人間個々人の神経と肉体の組織に食い込む形で決算を求めつつある。「核時代」というのはそういうことなのだと思う。
『内部被爆の脅威』を読んで、ご自身ヒバクシャである肥田先生から、DNA、突然変異、活性酸素、細胞膜などという高校時代にならった生物学の基礎と関わって説明をうけると、そういうことが徐々にわかってくる。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/2-1ec3.html

2011年9月12日 (月)
内部被曝、核時代と世界史(3)

先日、やっと肥田俊太郎・鎌仲ひとみ氏の『内部被曝の脅威』を読み終わる。前回のエントリーで「内部被爆」と書いたが、被曝でなければならない。この本を最後まで読んで前回のワープロミスに気がついた。この本では「被爆」「被曝」「被ばく」が使い分けられている。ヒバクは被爆でもあり、被曝でもあるというのは、「ヒバクシャ」という言葉が国際的な反核運動で広まったことと深く関係している事柄だが、うかつなことに、これを文字レヴェルではじめて認識したことになる。
(中略)
 しかし、最後に、以上にみてきたような議論からすると、「核時代」がどうみえてくるかということを若干述べておきたい。
 すでに述べたように、世界史の波動の実態をなす物質代謝の典型的形態の転形という点から見た場合、それは量子力学的なレヴェルにおける自然の階層にまで、人間の所有の力が及んだということであると思う。
 すでにこの地上には、「無所有」というべき空間領域が消失しつつあることは、すでに網野さんの無縁論の検討の中で論じたことであるが、しかし、この質的な領域、あるいは下階層の物質の領域には、まだまだ無所有の領域が広がっている。そして、「核時代」の開始とは、文字通り、この原子核の世界への人間の所有の力が及ぶ時代、しかも、そのバックラッシュによって、通常の社会=人間領域が重大な変化をうける時代の開始ということである。
 そして、この領域が、網野さんのいう無縁の領域・境界的領域と同様に、一方で無法の領域であり、他方で、自由の領域であるということになる。その典型がコンピュータネットワークにおける無法・退廃と自由の二律背反であることはいうまでもない。しかも、この領域は、日常意識にはみえない領域である。そして、「核時代」とは、この領域を人類が熟視して、そこでの重大な間違いをしないように、生きて行かねばならない時代の開始ということを意味しているのである。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-cedb.html

2011年12月 3日 (土)
ドイツ放射線防護協会の会長のフクシマ事故に関しての談話

以下は、宗教学の島薗進さんのtwitterからのリンクで取ったものです。転載させていただきます。私はこの記事は重要と考えます。
 Eisbergの日記より(http://d.hatena.ne.jp/eisberg)
ドイツ放射線防護協会によるフクシマ事故に関する報道発表
先日のベルリンの講演会会場には主催団体および参加団体のパンフレットやチラシなどが置いてあった。その中にはドイツ放射線防護協会の会長によるフクシマ事故に関しての新しい報道発表もあったので貰って来た。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-a8d7.html

2012年1月26日 (木)
twitterと下部意識
東大に宗教学の島薗先生などの呼びかけで、原発問題フォーラム(TGF)ができたので、その関係のメーリングリストに、以前、このブログに書いた「安全神話」という言葉はおかしいという私見を、新しいHPをみましたというご報告がわりに送った。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/twitter-8454.html

2012年2月 1日 (水)
自然の「無縁」の力と原発事故

右の『歴史学研究』の特集号に書いた小論「小地震・原発と歴史環境学ーー九世紀史研究の立場から」のラストは次のようなもの。

 「原発が「解放・開発」した放射能が、この列島の自然をどう変化させるのか、さらに太平洋と東アジアの自然はどうなるのか、状況は予断を許さない。そして、網野の言い方をかりれば、東日本太平洋岸地震と福島第一の原発震災の中で、自然の「無縁」の力は、この列島に棲む人々に対して人間の共同性、平等性とは何かと問いかけている。こういう状況に対して、歴史学は何ができるのか」。

網野さんが生きておられたら何をおっしゃるかと思う。藤原・長井両氏とも、もう十年、生きていていただければと話した。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-609c.html

2012年2月24日 (金)
3,11から1年、「生存」が脅かされる仮設住民たち

ヒューマンライツ・ナウからメルマガで声明が届いた。以下に紹介する。復興予算を使えてないというのが今日の朝日のトップ。何ということか。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1-6578.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「概念の相対性」と保立道久氏

2012-05-15 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月15日(火)14時22分50秒

『保立道久の研究雑記』、2012年5月16日 (水)の「網野善彦氏の『日本中世に何が起きたか』が再刊」を読んでみましたが、誤解がありますね。

------------
 たしかに、いま日本列島の自然と社会は、これまで経験したことのない時空に入ろうとしている。二〇一二年三月一一日の東日本太平洋岸地震は、地震による福島第一原発の爆発をともなう大震災となった。この事態の本質は、同年八月、福島県二本松市のゴルフ場が東京電力に対して放射能の除染を求めた訴訟に対して、東電側が「放射性物質は、そもそも無主物であったと考える」として拒否したことに象徴されている。「無主・無縁の自然」にあいた「穴」から様々な「物」がみえる時代になったのである。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-6e33.html

二か月前に「『ヴェニスの商人』と物権的請求権」で赤坂憲雄氏の誤解を指摘しましたが、保立道久氏も全く同じ勘違いをしていますね。
「所有権」や「無主物」は民法学において非常に厳密に議論されており、「所有」「無主」という表現が共通するからといって、網野善彦氏の無縁論といきなり結びつけることはできません。
赤坂憲雄氏は東日本大震災復興構想会議委員という特別な役職にまで就いた著名な民俗学者であり、また、保立道久氏も東京大学教授・史料編纂所元所長・歴史学研究会元事務局長という立派な肩書・経歴を誇る著名な歴史学者ですが、こうした方々に共通の誤解が生ずるのは何故なのか。
私は法学部出身で、まあ、およそ勉強熱心とは言い難い学生生活を送っていたのですが、それでも「概念の相対性」というのは何度も耳にしていたので、別に法学部でなくても、それなりの大学を出ている人ならみんな「概念の相対性」は当然理解しているのではないかと思っていました。
別にそんな難しい話ではなくて、同じ言葉を使っていても、学問分野が違うと意味合いが違うことはあるよね、程度の話です。
赤坂憲雄氏だけだったら単に無知な人、で済むのですが、保立道久氏も全く同じ勘違いをしていることを見ると、歴史学者や民俗学者の場合、「概念の相対性」という発想はあまりないんですかね。

まあ、保立道久氏の場合、内容の問題以前に、そそっかしいところが多すぎる変な文章ではあるのですが。
「東日本太平洋岸地震」という特異な表現には何かこだわりがあるのかもしれませんが、少なくとも「二〇一二年三月一一日」じゃなく、2011年3月11日ですね。
また、「地震による福島第一原発の爆発」とありますが、地震だけだったら何も起こらず、津波で全ての電源が機能を喪失したから大事故になった訳で、正確には「津波による」でしょうね。
充満した水素が爆発しただけですから、「福島第一原発の爆発」も何だかなあという感じがします。
更に「放射能の除染」も変で、正しくは「放射性物質の除去」ですね。
有体物でない「放射能」では、「物」の問題に結びつきません。
保立道久氏も若い頃はそれなりに秀才だったのだろうけど、歴史学の狭い分野で「穴」を掘る作業を数十年続けた結果、耄碌した保立道久氏自身の脳内に変な「穴」が空いて、様々な「物」が見えなくなってしまったのかもしれないですね。

比較の便宜のため、以前書いた文章を再掲しておきます。

----------
『ヴェニスの商人』と物権的請求権」 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月19日(月)10時47分57秒

>筆綾丸さん
私も新聞記事を通してしか事実関係を知らないのですが、物権法の範囲では、東京電力の弁護団の主張は特におかしくはないと思っています。
所有権は「物」を排他的・独占的に使用・収益・処分できる権利ですが、あまりに小さすぎて、実際上、排他的・独占的支配の対象とはなりえない物は所有権の対象外、と考えるのは筋が通っています。
所有権の対象であれば、円満な排他的・独占的な支配ができない場合、所有権者には返還請求権・妨害排除請求権等の物権的請求権が認められ、国家(裁判所)はその実現に協力しなければなりません。
所有者Aの物が他人Bの土地に存在する場合、AはBにその物を返還しろと請求でき(物権的返還請求権)、他方、その物が存在することによりBの円満な土地支配が妨げられている場合、BはAに対して、その物をどかせ、と請求できます(物権的妨害排除請求権)。
ゴルフ場の仮処分の事件では、ゴルフ場の円満な土地支配が害されたとして、妨害排除請求権が問題となりましたが、仮に原発から出た放射性物質が東京電力の所有権の対象とすると、逆に所有者である東京電力は放射性物質が付着した土地・建物などの不動産の所有者、自動車その他の様々な動産の所有者、更に人体に取り込まれた場合にはその人に対してまで、放射性物質の返還請求権を有することになってしまいます。
即ち、東京電力が放射性物質の回収を求めたら、放射性物質の付着する不動産・動産の所有者は、回収を受忍しなければなりません。
人体の場合、放射性物質の分離・回収要求を認めたら殺人行為の肯定になりますから、東京電力の弁護団の主張は、東京電力はシャイロックではない、という穏当で常識的な主張ですね。
放射性物質以外でも、例えばある人Cが咳をしてインフルエンザのウイルスを他人Dに移した場合、当該ウイルスの所有権がCにあるとして、CがDにウイルスの返還請求権を持つ、という結論は異常です。
あまりに微小な物については、そもそも所有権の対象外であり、無主物だと考えるのは、決しておかしなことではありません。
民法242条・243条の「附合」も物権法上の概念であって、ある人の所有物と他の人の所有物が結合し、両者を切り離すのに多額の費用がかかる場合には、社会経済的観点から無駄なことはせず、一方の所有にして他方には「償金」(民法248条)を与えることにしましょう、というだけの話で、所有権のぶつかり合いを調整しているにすぎず、もともと思想や哲学の問題ではないんですね。
そして、「無主物」や「附合」はあくまで物権法の問題であって、「最終的な責任」を決定している訳ではありません。
ある人が変な物質を排出した結果、離れた場所にいた人が損害を蒙った、というのは多数の判例が蓄積されている公害の場合と同じ状況であり、公害は「不法行為」(民法709条)の問題として扱われてきました。
工場の煙突から吐き出された個々の物質の所有権が誰に帰属するのか、などと争った人はいません。
不法行為の枠組みでの解決が一番素直であり、その場合、金銭賠償が原則ですが、原状回復などの特定的救済もありうるので、放射性物質を除去しろ、という請求が認められる可能性もあると思いますね。
ゴルフ場のケースは金銭賠償も否定したそうで、新聞記事から得られる限りの情報だと、その理由が若干弱いように感じるのですが、仮処分事案であることも考慮する必要がありそうです。
物権的請求権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E6%A8%A9%E7%9A%84%E8%AB%8B%E6%B1%82%E6%A8%A9

http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6292

また、次の二つの投稿にも関連することを書いています。

「無主物」はオーソドックスな論理
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6293
『週刊現代』と小出裕章助教
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6295
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川俣町山木屋地区

2012-05-14 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月14日(月)12時04分6秒

昨日訪問した福島県伊達郡川俣町山木屋地区の様子を少しずつアップします。
ここは飯舘村と同時に計画的避難区域に指定された場所ですが、飯舘村に比べると報道される機会が少ないですね。

「川俣町山木屋地区(その1)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55831616.html
「川俣町山木屋地区(その2)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/55843777.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮城野区蒲生・高砂神社

2012-05-13 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月13日(日)10時55分33秒

5月11日に訪問した宮城野区蒲生の高砂神社です。

http://chingokokka.sblo.jp/article/55816186.html

高砂神社の近くに置かれていた石塔などについて、「謎のオブジェ群」などと書いてしまいましたが、これはkanjisinさんが既に紹介されていましたね。(『JIEN記』)
赤坂憲雄氏の『東北の震災と想像力』という本にも出ているそうなので、後で確認してみます。

http://d.hatena.ne.jp/kanjisin/20120402

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

網野善彦氏のお墓

2012-05-12 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月12日(土)10時31分46秒

掲示板への投稿の保管庫にしているgooのブログでは上位20位までの検索ワードを知ることができるのですが、昨日は「網野善彦 墓」で検索をかけてこられた人が複数いました。
下記ページがヒットしたはずですが、ここには場所を明確に書いていません。

http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f6067a7b272715e60c09c7d712ad804c

網野氏が亡くなって8年も経っていますし、有名人のお墓サイトも結構ありますので、探している方の便宜のために具体的に書くと、網野氏のお墓があるのは笛吹市御坂町の曹洞宗慈眼山南照院ですね。
境内に姥塚古墳という大きな古墳があり、網野善彦氏の墓は古墳の裏側にあって、行けば直ぐに分かります。

http://www.densho-sha.co.jp/topics/?p=3395
http://1st.geocities.jp/minohazz/shiseki-shousai/nanshou/nanshou.html
http://members3.jcom.home.ne.jp/kofun2-hp/yyashio.htm

私も連休中、久しぶりに御坂町に行こうと思い立って出かけたのですが、天気が悪くて途中で引き返してしまいました。
一番上の伝匠舎という工務店さんのサイトによれば南照院の山門が新築されたそうなので、境内の雰囲気も若干変わったようですね。
折を見て、また訪問したいと思っています。

(追記)
伝匠舎サイトには「姥塚文明住職様による法要の様子」という表現があるので、南照院の住職の名字は「姥塚」なんですね。
分かりやすいといえば分かりやすい名字ですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする