学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

佐藤進一と石母田正は「盟友」なのか?

2019-07-11 | 東島誠「「幕府」論のための基礎概念序説」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 7月11日(木)12時09分12秒

「「幕府」論のための基礎概念序説」を読むシリーズの三回目ですが、そんなにダラダラと続けるつもりはなくて、十数回程度で終えるつもりです。
一応の見通しを少し書いておくと、学問的に一番重要な「主従制的支配権」・「統治権的支配権」そのものをめぐる論点に関しては、私に専門的知識はないので触れません。
こちらは東島氏から手厳しく批判された亀田俊和氏がツイッターでご自身の見解を述べられており、また、今回の東島騒動勃発以前に執筆されたという「南北朝期室町幕府研究とその法制史的意義ー所務沙汰制度史と将軍権力二元論を中心に」(『法制史研究』68号、2019)において、東島氏が執拗に拘る「第三者」云々の点にも言及されているとのことなので、興味を持たれた方は参照していただきたいと思います。

『法制史研究』68号
http://www.seibundoh.co.jp/pub/search/034031.html

また、東島氏の史料解釈について多少気になるところはあるのですが、素人の私が介入できるような世界ではなく、他に適任者が大勢いるでしょうから、ここでは触れません。
ただ、史料⑥の説明に「執権金沢貞顕異母弟で鶴岡八幡宮若宮別当の顕弁」とありますが(p33)、顕弁(1269-1331)は金沢顕時の長子で、貞顕(1278-1333)の九歳上の異母兄ですね。
おそらく顕弁の母親の身分が低かったので、摂津国御家人遠藤為俊女を母とする三人の弟のうち、一番才能に優れていた貞顕が嫡子となったものと思われます。
ま、細かいことですが。
さて、では何をするかというと、東島氏は佐藤進一と石母田正が「盟友」だったと頻りに強調されるので、本当にそうなのか、佐藤自身の文章に即して少し検討したいと思います。
東島氏は前後三回に亘って、文脈上特に必要ないと思われるにも拘らず、佐藤進一と石母田正が「盟友」だったと強調されます。
最初はp31で、

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この場合の「幕府」が場所(具体物)なのか、機構(抽象的な歴史的存在)なのか、いずれか一方に決めることにはさほど意味がないどころか、一方に決められない重畳関係にこそ、「幕府」の、あるいは日本史上の機構一般の持つ特質がある、と言うべきなのである。むしろ、こう言うべきであろう、歴史上の概念において、抽象的な意味での政治機構が明確に想定しづらいこと、それが為政者自身、また為政者の在所というように、きわめて人格化した形でしか現れえないことこそが、一九六〇年代初頭に佐藤が盟友石母田正と共有していた究極の問題だったはずである、と。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/660/660PDF/higashijima.pdf

とあります。
ついで、p36に、

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つまり、佐藤の議論の核心が「第三者として」「第三者の立場から」にあるのは明白であって、「直接的」=人格的関係にない、「第三者」的立場から、訴訟などの紛争解決を担うことこそが「統治権的支配」の肝要である。一方の「主従制的支配」が「個人(主人)と個人(従者)との人格的支配服従関係において成り立つ指摘かつ個別的な支配権」と説明されることからも明らかなように、主従制的支配権と統治権的支配権をめぐる議論の根柢にあるのは、盟友の石母田正同様、あくまでヴェーバーの〈人格的支配〉か〈非人格的支配〉か、という問題である。
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とあります。
そして、更にp38に、

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加えて、佐藤自身にもまったく問題がなかった、と言うつもりもない。佐藤もまた批判に応答する過程で、〈理念型〉と分析結果とがきちんと峻別されていない叙述をしてしまっている部分があったし、佐藤の盟友石母田正の場合にも、ヴェーバーの〈理念型〉分析を分類ツール的に用いてしまっている部分があって、古尾谷知浩は鋭敏にもその点を見逃さなかった。ただ私は、石母田の場合同様、佐藤の場合も、議論設計の「思いがけない綻び」と見るほうが、はるかに生産的であると考えているので、後発の我々が取るべき態度は、主従制的支配権や統治権的支配権を、徹頭徹尾〈理念型〉として、分析ツールとして使用していくことであろう。
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とあります。
私は石母田についてそれなりに調べたことがあるので、佐藤と石母田が「盟友」だという東島氏の認識に極めて奇異な印象を受けました。
確かに石母田がウェーバーの影響を受けていることは明らかですが、佐藤については、ウェーバーとの関係はそれほど明確ではありません。
東島氏は佐藤と石母田を「盟友」として一体化することにより、結果的に佐藤とウェーバーの間にも強い結びつきがあると錯覚しているのではなかろうか、あるいは佐藤とウェーバーの関係を具体的根拠に基づいて実証できない東島氏が、佐藤と石母田を「盟友」として一体化することにより、佐藤とウェーバーの間にも強い関係があるように故意に印象操作しているのではなかろうか、というのが私の疑問です。
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