「昭慶門院二条」を除く「正応五年北条貞時勧進三島社奉納十首和歌」の参加者五人のうち、冷泉為相と二条為道は早歌の作者です。
即ち、「冷泉武衛」為相は「龍田河恋」(宴曲集巻第三)と「和歌」(究百集、ただし「自或所被出 冷泉武衛作云々」)の作詞者であり、「冷泉羽林」二条為道は「名取河恋」(宴曲抄中)と「暁別」(同)の作詞者であって、二人は『撰要目録』序に「涼しき泉の二の流れには、龍田河名取河に、恋の逢瀬をたどり」という具合いに、明空によって意識的に並置されています。
『とはずがたり』の政治的意味(その6)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/125260a220b20ba675c6445c91c2d24c
『拾遺現藻和歌集』の撰者は誰なのか?(その16)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e5c90a1330ae403536f208158c6019b3
また、飛鳥井雅有自身は早歌の作者ではありませんが、雅有の甥で、雅有の養子となって飛鳥井家を継いだ「二条羽林」飛鳥井雅孝(1281-1353)は「蹴鞠」(拾菓集下)の作詞者です。
外村久江氏「早歌の大成と比企助員」(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/616d3fa969cc0656ebeb09fdc147cc12
宇都宮景綱(蓮瑜)も早歌の作者ではありませんが、「宇都宮叢祠霊瑞」(拾菓集上)という曲は、宇都宮氏の当主が最高位の神官を務める宇都宮社を讃えた長大な曲です。
この曲に関して、乾克己氏は「やゝ大胆な推測になるが、あるいは明空と宇都宮氏との間には何等かの接触があり、宇都宮氏の要請によってこのような曲が作詞されたのではないかと思われる」(『宴曲の研究』、桜楓社、1972、p348)とされ、外村展子氏も「景綱の要請により作成した「宇都宮叢祠霊瑞」を、後に、寺社物の流行にあわせて、明空が収録した可能性もあると思われるのである」(『沙弥蓮瑜集全釈』、p71)とされていて、景綱も早歌の世界と全く無縁であったとは思われません。
また、前回投稿で述べたように、慶融は早歌の作詞・作曲者である「素月」と、間接的ではあるものの何等かの関係が窺われる人です。
そして、仮に「昭慶門院二条」が後深草院二条であって、後深草院二条が「白拍子三条」であるならば、「正応五年北条貞時勧進三島社奉納十首和歌」の参加者六人のうち、実に半数が早歌の作者で、宇都宮景綱と慶融も早歌の世界と多少関わっているようです。
※参考までに「宇都宮叢祠霊瑞」も載せておきます。(外村久江・外村南都子校注『早歌全詞集』、三弥井書店、1992、p192以下)
早歌の「寺社物」は他に「熊野参詣」(宴曲抄上)、「善光寺修業」(同)、「三島詣」(宴曲抄中)等、結構な数がありますが、それぞれ当該寺社に関わる由来・地名・名所などを細かく鏤めていて、精巧な細工物の趣があります。
こうした作品の大半は明空作ですが、明空個人が各地の寺社を崇敬し、その宗教的感懐を披露したというよりは、寺社側からの要請を受けて注文生産しているような感じですね。
もちろん、その際には相応の謝礼が必要でしょうが、「宇都宮叢祠霊瑞」クラスの長大な作品となると、宇都宮氏が極めて多額の謝礼を提供したように感じます。
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108 宇都宮叢祠霊瑞〔うつのみやそうしのれいずい〕
南無再拝三所和光 南無再拝三所和光 仰〔あふい〕で神恩の高〔たかき〕を貴〔たつと〕み 伏〔ふし〕て結縁のふかく 悦しき事を思へば 国に神の名を受〔うけ〕 叢祠を崇神に崇〔あがめ〕しより 光を和〔やはらぐ〕る玉垣は いづれもとりどりなりといへども 当社明神は 内証の月円〔まとか〕に 明徳一天にくもりなく 外用〔げゆう〕の雨あまねく 万人の祈願にそそかしむ 遠く其旧記〔きうき〕をとぶらへば 代は称徳の徳にほこり 時は慶雲の雲おさまりし御宇かとよ 筑波根〔つくばね〕のそがひにみゆる二荒〔ふたあら〕の 山より山によぢのぼる 勝〔すぐれ〕たる道の聖跡 感見の補陀落の湖水をうかべ 慈愍〔じみん〕のふかき余〔あまり〕に 陰陽を玉体にあらはし 済度の船に棹指て 流〔ながれ〕を此砌〔このみぎり〕にたたへしかば げに御手洗のみづかきの 久〔ひさし〕き御影をすましむ 北に望〔のぞめ〕ば即 霊岳亀に備て 蓬莱洞に異ならず 所々の奇瑞は 旧苔旧木跡を埋〔うづ〕み 隠〔かくし〕て納〔をさめ〕し法〔のり〕の箱も ひそかに徳をや開〔ひらく〕らむ 千顆万顆の玉をみがく この社壇とぼそををしひらけば 六八〔はつ〕の誓約鎮〔とこしなへ〕に 因位の悲願に答るのみかは 千手千眼のたぶさには 様々の標示三摩耶形〔さまやぎやう〕 馬頭一男〔いつなん〕の御子としては 慈悲の忿怒濃〔こまやか〕に 誓は余聖に猶すぐれ 踵〔くびす〕をめぐらす貴賤の はこぶ歩〔あゆみ〕の数々に 其こころざしをみそなはす <あの>くもりなき世を照す日の 光もおなじく影をたれ 明星天子の由ありて 星をつらぬる御垣に たがひに主伴〔しゆはん〕のへだてなく 覚母〔かくも〕はさとりの花開け 内薫の匂〔にほひ〕芳しく 般若の室をやかざるらん 内の高尾神と祝〔いはは〕れ 能化〔のうけ〕の薩埵は 忉利〔たうり〕の附属をあやまたず <此>六の巷の外にいで 外〔と〕の高尾神と名にしほふ 阿遮〔あしや〕の利剣〔りけん〕は剣〔つるぎ〕の宮 左に業縛〔ごふばく〕の索を持し 瑟々〔しつしつ〕の座を動〔うごかし〕てや 太神〔たいしん〕に台〔うてな〕をたてまつりし 西にめぐれば甍あり 堂閣尊像の粧〔よそほ〕ひ 念仏三昧退転なく 蓮〔はちす〕に生〔うまる〕る願望 うらもひなく憑〔たのみ〕あり 節にふれたる花紅葉 色々の荘厳微妙〔みめう〕にして 宝樹の下の宝池は <あの>瑠璃にすきて玉の橋 光をかはす珊瑚の砂〔いさご〕 禅侶軒を並べつつ 四明円宗の学窓には 蛍を拾ひ雪を集め 三密瑜伽の道場には <や>五相成身月すめり 東にかへりみれば又 宝塔裳越〔もこし〕に重〔かさな〕りて 宝鐸〔ほうちやく〕雲にやひびくらん 彼是〔かれこれ〕何〔いづれ〕も天長地久のはかりこと 顕密の法施豊なれば 神徳いよいよ威光をます 抑〔そもそも〕此霊神は 朝家擁護〔おうご〕の霜を積〔つみ〕 旧〔ふり〕にし天応のいにしへより 終に朱雀の聖暦に 神威の鉾〔ほこさき〕を幣帛に揚〔あげ〕 逆臣楯を引〔ひき〕しかば 果〔はたし〕て勅約かたじけなく 極れる位に備り 二季の祭礼も新〔あらた〕なり そよや九月〔ながつき〕の重陽の 宴にかざす菊の花も えならぬ祭なれや 紅葉の麻〔ぬさ〕の夕ばへ 秋山かざりの手向〔たむけ〕に 憑〔たのみ〕をかくる神事〔かんわざ〕 さても神敵をしへたげし 猟夫が忠節の恩を憐て 恩愛の契〔ちぎり〕も睦しく 孝行の儀も重かりき さればにや今も織〔おん〕の森の 梢にしげき恵〔めぐみ〕は 法界体性〔たいしやう〕の 円満無碍の功徳ならむ 冴かへる霜夜の月も白妙〔しろたへ〕の 袖の追風ふけぬるか 神さびまさる音旧〔おとふり〕て 鈴倉に其しるしを なす野の男鹿の贄〔にへ〕も 故有なる物をな
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