>筆綾丸さん
『現代思想の断層─「神なき時代」の模索』には次のような記述があります。(p15)
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マックスの「超自我」の形成にとっては、父親よりはるかに大きな比重を占めていたと考えられる母親ヘレーネの「プロテスタンティズムの倫理」観と、それにもとづくマックス自身の「職業への義務」観とは、大学を休職、さらに退職した後には、なおさら重症となってマックスを苦しめ続けた。彼は療養期間中、何度となく、スイス、イタリア、オランダなどのリゾート地に療養のための旅行を試みているが、その長期止宿先は、しばしばリゾートホテルではなくて、有名なサナトリウム、精神療養施設だった。この病気による人生の中断の意味、その原因、症状、顛末、処置などについては、死後もなおプライバシーに属するものが多く、その詳細は、クリスタ・クリューガーの『マックス・ウェーバーと妻マリアンネ』(徳永恂他訳、新曜社、二〇〇七年)などに任せることにしたい。
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実は私、二週間ほど前に『マックス・ウェーバーと妻マリアンネ』を図書館から借りてみたのですが、愛人との関係だとか、さすがにどうでも良さそうな内容だったので、殆ど読まずに返却してしまいました。
そのため、具体的には紹介できないのですが、病気の原因についてはおそらく徳永氏の説明が正しいだろうと思います。
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◆「知の巨人」の秘められた愛の生涯!◆
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で知られる偉大な社会学者マックス・ウェーバーの生涯については、その妻マリアンネの書いた浩瀚な伝記が有名で、大学者の業績や人間的側面はかなり描かれているのですが、妻の視点からは抜け落ちているものがあります。女弟子で「愛人」となったエルゼ・ヤッフェとのことなどです。本書は、妻マリアンネとの自立した夫婦関係の内実、エルゼとの三角関係、さらにはマックスの弟アルフレートとの複雑な四角関係など、今まで語られなかった側面に光を当てて、「愛の人」マックス・ウェーバーという方向から知の巨人の仕事と生涯の全体像に迫ります。
https://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1078-4.htm
エルゼ・ヤッフェについてはマーティン・B・グリーン『リヒトホーフェン姉妹 思想史のなかの女性 1870-1970』(塚本明子訳、みすず書房、2003)という本もあり、必ずしも「マリアンネの『伝記』に「聖マックス伝説」の温床を見て、それを非難する」(p12)立場の本ではないようですが、私は未読です。
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1870年の戦争でプロイセン将校だったフリードリヒ・フォン・リヒトホーフェンには二人の娘があった。姉は高い学歴と自立をかちとり、大学での研究や社会科学を修め、理性的な議論と政治的改革の道を進んだ。妹は愛と自然を信じ、自分の内側からあふれでる女性的な本能と無意識な無邪気さのもつ生命の再生力を信奉した。彼女は若くして結婚したが、相手はずっと年上で異質な人間で、その結婚は彼女にとって幸せなものではなかった。姉は同じ知的関心をもち合わせた男と結婚したが、これまた不幸な結婚であった。彼女は当時のドイツ文化の中心であったハイデルベルクの指導的サークルと交わり、そして偉大な社会学者マックス・ヴェーバーと、その弟子として、友人として、愛人としての交わりをもった。その名はエルゼ・ヤッフェ。エルゼは20世紀の批判的知識人のミューズとなった。妹は夫と子供を捨てて年下の男と駆け落ちをした。その男は彼女に導かれて偉大なロマン主義の小説家となり、世界的名声を得た。彼女の名はフリーダ・ロレンス。フリーダはわれわれのエロス的想像力のミューズとなった。
本書は二人の姉妹を主人公に、父権制と母権制の変奏を地にして、オットー・グロス、マックス・ヴェーバー、D・H・ロレンスはじめ、1870年から100年間にわたって、数多くの人物と土地と思想・文学・芸術の影響関係をつぶさに追跡した思想史=物語である。
https://www.msz.co.jp/book/detail/07008.html
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「閑話ー先例」
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9929