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学問空間

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「縄文思想が世界を変える」 ?

2012-11-11 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月11日(日)11時15分6秒

>筆綾丸さん
新潮社の宣伝に出てくる「母の故郷、沖縄・久米島」「遥か琉球人の意識の古層へ」といった表現は、確かに梅原猛氏を連想させますね。
筆綾丸さんと佐藤勝氏の『国家の罠』について議論したのは4年前ですが、この本はそれなりに面白かったものの、最近は随分筆が荒れてしまったようですね。

ちょっと検索したら、「教科書改善の会」という団体のサイトに、

--------
日本文明論シンポジウム「縄文1万年の文化力~今につづく日本文明の基層~」

小林達雄(國學院大學名誉教授)「世界史における縄文の文化力」
長部日出雄(直木賞作家)「『古事記』神話と縄文文化」
呉善花(拓殖大学国際学部教授)「縄文思想が世界を変える」

などとありましたが、こういう方向へ進む人たちは何だか良く分かりません。
事実関係が不明瞭な「従軍慰安婦」を教科書に載せるなとか、自国の歴史を捏造している中国・韓国が日本の教科書へ干渉するのは許せん、みたいな主張だったら、まあ私にもそれなりに理解できるのですが、そういう主張は別に「縄文思想」などとは全く無関係にやれる訳で、あっさり切り離した方がよいと思いますけどね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

座敷童の実在性 2012/11/10(土) 13:29:06
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4101331758.html
佐藤優氏の『母なる海から日本を読み解く』を途中まで読んで、放棄しました。こういう沖縄論、国家論にはついてゆけません。

http://www.zashikiwarashi.jp/
---------------------------------------------
座敷童が出る盛岡市内の「菅原別館」という旅館は、2年前から予約しないと宿がとれないという。村上氏は独自のルートをもっていて、予約がキャンセルになったとき、その隙間を利用して菅原別館に泊まるのだという。
私は「是非、その隙間が生じたときに、盛岡旅行に参加させてほしい」と頼んだ。旅行は思ったよりも早く実現した。2006年1月16日の夜、村上氏、私を含む約10名が菅原別館に泊まった。そこで確かに私は座敷童を見たのである。私の斜め左上、約50センチメートルくらいのところに、座敷童が現れた。7、8歳の女の子で、足から徐々に姿を現した。黄色い着物を着ていて、なぜか首のあたりで像が徐々に消え始め、顔は全く見えない。首なしの妖怪であるが、恐いという感じはまったくなかった。座敷童は一言も話さない。しかし、黙って私に一匹の白黒のブチ模様の仔猫を両手で手渡した。私も黙って両手でその仔猫を受け取った。受け取るなり仔猫は成猫になり、しかも模様が茶白の縞模様になった。そして、瞬く間にこの縞猫は水になって、そこで私は我に還った。
心理学者ならば、仮眠状態で、幻想を見ただけだと言うだろう。特に座敷童に会う3日前に私と家内は、近所のコンビニエンスストアの前に捨てられていた茶白の縞模様の雄猫を保護したので、その記憶が出てきたことは間違いない。それでも私の認識では、確かに座敷童を見たのである。(『母なる海から日本を読み解く』「第四章ユタ」75頁~)
------------------------------------------------
(注)村上氏(村上正邦元参議院議員、KSD事件で起訴され、2008年4月、最高裁で懲役2年2カ月の実刑判決が確定し、服役)と鈴木宗男衆議院議員は、著者と一緒に「獄友会」を作り、定期的に会っているそうです。佐藤優氏をめぐる裁判は、相当変なものだったという気はしますが。

佐藤優氏にはユーモアや笑いのセンスは全くなく、座敷童の話は愚直なまでに本気なんですね。このあと霊魂の議論になり、霊(プネウマ)は一つであるが、魂(プシュケー)は一つではなく複数(六個くらい)ある、というような話が生一本に続きます。以前から、薄々感じていたことですが、氏は精神を病んでいるのではないだろうか。
獄友会御一行様の面々が、座敷童が見えただの、いや見えねえだの、侃侃諤諤、強面の顎がはずれてアババババ、と本気で喚いている情景を想像すると、ハイデガー云うところのダーザイン(現存在)の底知れぬ悲哀というか、座敷童もタマげるような、なにか鬼気迫る倒錯的なものがなくはないですね。

「旧家にはザシキワラシといふ神の住みたまふ家少なからず。この神は多くは十二、三ばかりの童児なり。をりをり人に姿を見することあり。」(『遠野物語』第17話)
「ザシキワラシまた女の児なることあり。」(同第18話)
「綾織村砂子沢の多左衛門どんの家には、元御姫様の座敷ワラシがいた。」(同拾遺第87話)
『遠野物語』によれば、ザシキワラシのいる家は裕福なので、菅原別館も繁盛してるんでしょうね。これも柳田國男の功績の一つというべきか否か。

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地球は球体である。それならば、その上のどの任意の点も「世界の中心」のはずだ。これまで、私が世界を見るときは、常に東京、ワシントン、モスクワなどの主要国の首都が世界の中心になっていた。
いまここで見方を変えて、久米島の新垣の杜を「世界の中心」として見ると、歴史はどのように見えるであろうかという好奇心からこの本を書き始めた。(同書13頁)
-------------------------------------------------------

なんとも妙な文です。地球が球体ならば中心は一点しかなく、また、球面上の任意の点はどれも特別な点ではないというだけのことで、どれかが「世界の中心」になることはありません。そもそも、地球と世界は別概念です。

語弊があるかもしれませんが、梅原猛氏と佐藤優氏には、なにか気質的に似たものがあるような気がしてなりません。
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日文研とレヴィ=ストロース

2012-11-09 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月 9日(金)10時33分23秒

>筆綾丸さん
1987年に創設された日文研が翌年3月の最初の公開講演会にレヴィ=ストロースを招いたのは、当時としてはそれなりの事情がありましたね。
少し検索してみたら、山本晴義という人が次のように書いていました。

---------
 周知のように、最近は日本の古代史研究のブームの時代と言えると思います。梅原猛氏が前中曽根首相と手を組んで国立「国際日本文化研究センター」をつくり、神秘主義的な古代日本文化像を鼓吹して、ナショナリズムをあおり、先日は構造主義者・文化人類学者レヴィストロース氏らを集めて国際研究集会を大々的に行いました。このレヴィストロース氏の報告にしても、科学的な歴史学に対立する「野生の思考」「神話的思考」に立って、記紀神話を世界最高のものとして持ち上げ、縄文から現代のエレクトロニクスにいたるまでの日本文化の深層をつらぬく日本独自の精神的特質を示すものとして礼賛するものでした。
 現在日本は、あの悪夢の一九二〇年代、一九三〇年代の道を着々と歩んでいます。私は今、かつての日本のファシズム化を決定的にした一九三五年の「国体明徴運動」を思いだしています。丸山真男氏は、日本ファシズムの特徴として「上から、なしくずし的」、「著しい連続性」をあげました。現在の急速な高度情報化社会への移行の中で、「今は感覚の時代である。感性の時代である」とさわがれています。
 しかし、世界第一の債権国になっている現在の日本の国際的な「進出」の中で、「パイオニア国家」としての「日本のアイデンティティ」が「上から」叫ばれている時、それが「なしくずし的」に、梅原氏らのようなナショナリズムと結びついていく危険性を私は感じざるを得ないのです。

今は朝日新聞にも好意的に取り上げられることの多い梅原猛氏ですが、1988年当時はウルトラナショナリストとして一部から警戒されていました。
そこで国際日本文化研究センターは決して国粋的な機関ではないことをアピールする必要があったので、レヴィ=ストロースの招聘は非常に価値のあることでしたね。
なお、この講演会では二番目にドナルド・キーン氏が登場しています。


ちなみに山本晴義氏は梅原猛氏と同年の1925年生まれで、「昭和32年大阪市立大の森信成と大阪唯物論研究会を結成し、マルクス主義の理論的研究をすすめる。43年大阪経済大学教授となり、61年学長。大阪出身。早大卒。著作に「社会倫理思想史」「若きマルクスとその批判者たち」など」という方だそうで、なかなか古風な「哲学者」ですね。


たしかこの人が日文研の最初の公開講演会へ敵情視察に行った記録を当時の『日本史研究』に載せていて、今の時点でその緊迫感溢れる詳細な報告書を読むと、『日本史研究』史上最高のエンターテイメント、傑作コントとして楽しめますね。
まあ、ベルリンの壁崩壊が1989年11月ですから、ずいぶん昔のことです。
「世界第一の債権国」という表現にもバブルの香りが漂っていて、どこか懐かしいですね。

>かつて私は『神々の流竄』で、ヤマタノオロチはヤマトの三輪山に住む大蛇ではないかと考えたが、
>それはまさしく私の根拠なき妄想であって、いま改めたいと思う。

この部分はちょっと理解できないですね。
梅原氏は相当前に「根拠なき妄想」であることを認めていたはずで、ちょっと健忘症気味なのではないかと心配になります。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ニーチェとクロード・レヴィ=ストロース 2012/11/08(木) 18:12:23
-------------------------------------------------
しかし日本の神話を全くのフィクションとしてしまう津田説の影響下にある戦後の日本の歴史家には、日向神話に目を向ける者などいなかった。ところが日向神話に並々ならぬ関心を示す哲学者がいた。それは構造主義の開祖とされる偉大な哲学者、クロード・レヴィ=ストロースである。
私が初代所長を務めた国際日本文化研究センターは、昭和六十三年(一九八八)、第一回国際研究集会の基調講演としてレヴィ=ストロースを招いた。彼はその講演で「日向神話は実に興味深い神話で、あるいは歴史的事実を反映しているのではないか」と語ったのである。
その言葉は私にとって甚だ意外であった。そして多分間違っているであろうが、偉大な哲学者の言葉であるから、あるいは真実かもしれないと心のどこかで思い始めていた。
私は、レヴィ=ストロースの説が正しいかどうかを検討するために、平成十一年(一九九九)約一か月間、日向の旅をすることにした。記紀においてニニギからホオリ、ウガヤフキアヘズ、カムヤマトイワレヒコすなわち神武天皇まで、四代の天皇家の祖先が活躍した日向を訪ね、遺跡が多く残っていることに驚いたのである。(中略)
私は日向の地を廻り、結論として日向神話は多分に歴史的事実を反映しているのではないかというレヴィ=ストロースの説はほぼ正しいと考えるに至り、『天皇家の”ふるさと”日向をゆく』(新潮社)という本を書いた。そして、もしも日向神話が多分に歴史的事実を反映しているとするならば、出雲神話もまた、日向神話ほどではないにしても歴史的事実を反映しているのではないか、と思わざるを得なかった。(『葬られた王朝ー古代出雲の謎を解くー』20頁~)
-------------------------------------------------

初期の『隠された十字架』などは、たしか、ニーチェ哲学の強い影響の下に書かれたと記憶していますが、晩年は「偉大な哲学者」クロード・レヴィ=ストロースの影響ですか。ちょっと魂消ました。

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このように、土着の神であり、初期農業の神であるオオヤマツミの支配を妨げ、出雲の国を植民地として荒廃させた越の豪族が、韓の国からやって来たであろう神であるスサノオに退治されたと解釈すれば、ヤマタノオロチ伝説はよく理解できるのである。
この伝説は私の積年の謎であった。かつて私は『神々の流竄』で、ヤマタノオロチはヤマトの三輪山に住む大蛇ではないかと考えたが、それはまさしく私の根拠なき妄想であって、いま改めたいと思う。(同59頁)
-----------------------------------------

要するに物語の変奏であって、或る物語をやめて別の物語を語ることにした、というだけのような気がします。第一章まで読みましたが、どうも、この物語はあまり面白くなく、最後まで読めそうもありません。

須佐神社本殿裏の御神木の杉の大木の写真(71頁)の解説に、「霊能者・江原啓之によれば、神の国出雲でも最強のパワースポットらしい」とありますが、これはおふざけで、読者はここで笑ってね、という意味なのだろうか。それとも、変なオジサンの周囲には変なヒトがウロウロしているということなのか。この霊能者がどういうヒトなのか、興味もありませんが。

単純すぎるかもしれませんが、原「梅原物語」は、幼くして母を亡くしたため母を知らずに育った、ということで、すべてはそれで尽きるような気がします。母を求めて、思えば、遠くに来たものだ、もうそろそろ、母のもとに帰るべきときだ、帰思まさに悠なる哉・・・そんな気がします。
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「縄文ロマン主義」と政治

2012-11-08 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月 8日(木)09時19分55秒

「縄文ロマン主義」は知的なレベルではきちんとした学問的分析に耐えるものではないと思いますが、こうした歴史幻想を必要とする人は世の中に一定の割合でいて、まあ、芸術の範囲にとどまる限り、それほど悪いことでもないというか、結果的に良い作品が生まれるためのビタミン程度であれば、むしろ良いことかもしれません。
しかし、「地域興し」の素材として一部地域で妙に持ち上げられているのを見ると落ちつかない気持ちになりますし、特定大学の経営戦略に利用されているのを見ると、あまり愉快ではないですね。
ただ、本格的にまずいのは、梅原猛氏が東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)、赤坂憲雄氏が同会議委員となったように、この種の人たちが現実の政治的決定に関与することを許容する社会になってしまっていることですね。
原発事故は、こうした思想を肯定する人にはきちんとした科学的思考ができない人が多いことを明らかにしました。
原発事故に対する梅原猛氏・赤坂憲雄氏の対応を見ると、梅原猛氏は科学的思考をする基礎的な能力はあっても年を取りすぎて科学の進歩について行けていないし、赤坂憲雄氏は科学的思考をする基礎的な能力に欠けていますね。
歴史研究者は一般的に理数系が弱いので、「縄文ロマン主義」とは無関係ではあっても、赤坂憲雄氏と同種の人はかなりいますね。

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「東北学」と赤坂憲雄氏

2012-11-07 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月 7日(水)23時04分22秒

>筆綾丸さん
>山形県を除く東北諸県
徳山詳直氏は漠然としたことしか言っていないようですが、同氏が創設した「縄文の精神を探求する東北文化研究センター」は、設立時からの所長である赤坂憲雄氏の著作の出版等、非常に活発な活動を継続的に行ってきましたので、赤坂氏の所謂「東北学」は東北地方全体において相当の賛同者を得ていますね。
赤坂氏の文章は、リンク先で松岡正剛氏が引用している部分を孫引きすると、

-----------
 大同という問題を、丹念に、可能なかぎりの限界まで読み抜いてゆくことが、東北の常民たちの精神史に孕みこまれた結ぼれをひもとくための、ある重要なカギのひとになるだろうという予感が、わたしにはある。大同はヤマト王権による東北侵略の、固有に徴(しるし)づけられた年号である。
(中略)ヤマト王権による蝦夷征討の象徴的な歴史語りは、この年号抜きには完結しないともいえるだろうか。東北の生きられた歴史は、大同を起点として紡がれる不幸を背負わされてきた。東北の常民の多くが、古代蝦夷の末裔であったとすれば、大同という、ヤマト王権による侵略と征服の年号を起点に歴史がひらかれることは、大同以前のみずからの歴史を闇に葬ることをこそ意味したはずだ。

という具合に、妙にもったいぶった、スピード感に欠ける文体が特徴ですね。
梅原猛氏の文章には笑いがあるけれども、赤坂氏の文章にはありません。
普通だったらこういう文章が満載された陰気な本はあまり売れないと思いますが、赤坂氏は「東北文化研究センター」を拠点に、雑誌「東北学」の他、次から次へと夥しい数の書籍を刊行しており、私はちょっと不思議に思っていました。
それも今から思えば、徳山詳直氏の遠大な戦略の下、東北芸術工科大学の豊富な資金力を背景に出版されていたもののようですね。

東北学

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

jus postulandi actionem pro aliis 2012/11/07(水) 21:00:00
小太郎さん
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000894.html
http://ha5.seikyou.ne.jp/home/geschu/dictionary_lt.htm
「jus postulandi actionem pro aliis」は「他人のために弁論する権利」という意味なんですね。
「おおやにき」を読むと、田中真紀子というオバサンの愚かさがよくわかり、亭主は人畜無害の、女房は有害無益の、天然記念物のようなバカ夫婦、という感じがしてきます。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4101244146.html
今日は思わず、梅原猛氏の『葬られた王朝』を買ってしまいましたが、梅原氏の諸作品は学問ではなく物語のような気がします。ご本人は自分を哲学者だと信じているようですが。

徳山親分の標榜する「東北文化」に対して、山形県を除く東北諸県はあんなものと一緒にされたくない、東北文化ではなく山形文化に限定してほしい、と迷惑しているでしょうね、きっと。
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幻想の東北

2012-11-06 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月 6日(火)23時57分32秒

>筆綾丸さん
>梅原猛氏の神憑り的な言説、どこから来るのか
これは結局はよく分からないとしか言いようがありませんが、ネットで簡単に背景を知るには松岡正剛氏の『日本の深層─縄文・蝦夷文化を探る』の解説が便利ですね。

私はずいぶん昔、ちょこっとこの本に嵌ったことがありまして、梅原猛氏から離れて以降も、東北に何か非常に深いものがあるという幻想を長く抱いていたのですが、この本で紹介されている場所の殆ど全てを実際に訪問してみた結果、残り少なかった東北幻想も殆ど消えました。

『遠野物語』については赤坂憲雄氏がいろいろ書いていて、それをこれまた松岡正剛氏がコンパクトにまとめてくれていますが、私はもともと赤坂憲雄氏があまり好きではないので、参考にできる箇所も殆どないですね。

東北幻想については、後でまた少しずつ書いてみるつもりです。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神憑り? 2012/11/06(火) 22:09:16
小太郎さん
http://toshiito.cside.ne.jp/
http://toshiito.cside.ne.jp/komo_QA.htm
伊藤俊一氏は知りませんでしたが、こういう人なんですね。
黒田日出男氏の『国宝神護寺三像とは何か』は、三段論法のような構成になっていて、伝平重盛像(→足利尊氏像)と伝源頼朝像(→足利直義像)が大前提と小前提(あるいは小前提と大前提)で、これを受けて、伝藤原光能像(→足利義詮像)を導いているように思われるので、伊藤氏のように、義詮の章(第十章)を読んだだけでは、根拠薄弱にみえるのは止むを得ないかもしれないですね。黒田氏を擁護する義理は何もないのですが。
伊藤氏の「文書の表面から1mmくらい上までの空気の中には、今でも何百年も前の別の世界が生きているような気がするのです」という表現は、研究者の感性がよくわかり、なかなかいいですね。

梅原猛氏の神憑り的な言説は、どこから来るのか、よくわからないものがありますね。

久しぶりに、柳田國男『遠野物語』を読んで、なぜこの本がベストセラーとなり、後世に大きな影響を与えたのか、よくわからなくなりました。東北の閉鎖的な村に語り継がれてきた昔話にすぎない、としか思えなくなりました。
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「縄文の精神を探求する東北文化研究センター」

2012-11-06 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月 6日(火)23時30分57秒

「東北芸術工科大学」で検索していたら、山形市長に宛てた「理事長 徳山詳直」名の平成23年11月25日付「『学校法人東北芸術工科大学の統合』について(回答)」という文書が出て来て、ちょっと驚きました。

http://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shiseijoho/sub2/kakuka/kikaku/kikaku/oshirase/files/56de7b5466f820111125.pdf

徳山詳直氏は自分が運営している普通の私立大学であるところの京都造形芸術大学と「公設民営方式」の東北芸術工科大学の「法人統合」を画策していたんですね。
美辞麗句が並ぶこの文書を読むと、要するに山形県・山形市が100億円ずつ負担して創設した東北芸術工科大学の資産を統合化した法人に吸い上げて運営・支配したいということで、これが成功したら前代未聞の合法的な「横領」になるはずだったのでしょうが、さすがに地元の抵抗が強かったようですね。
ウィキペディアには、

------
6月に、学校法人東北芸術工科大学が、学校法人瓜生山学園と2012年4月に「学校法人藝術学舎」という一つの法人になる統合を目指していることが明らかになった。しかし、7月、地元のフリーペーパー「やまがたコミュニティ新聞」が、統合を疑問視する特集を掲載。その後、元教授などで構成された統合に反対する「東北芸術工科大学を愛する会」が正式に発足した。8月に開会された県議会総務常任委員会で統合問題が取り上げられた他、衆議院文部科学委員会でも自民党の遠藤利明議員が「県議会の同意がないと認可すべきじゃない」などと発言。10月に県民を対象とした説明会が開催され、山形県と山形市は2回、統合計画の不備を指摘する要望書を提出。大学側はその都度、回答書の形で改善案を示すものの、12月には、山形県と山形市が「計画は拙速」と最終見解を示した。それを受け、学校法人東北芸術工科大学は理事会を開催し対応を審議。審議の結果、2012年4月の法人統合は見合わせ、文部科学省に提出していた認可申請を取り下げるとともに、当面法人統合の再申請を行わないことを決定したと発表するに至った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%B7%A5%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6

とあります。
「東北芸術工科大学を愛する会の代表者は同大学名誉教授の早坂功氏だそうですが、同氏のインタビュー記事によれば、東日本大震災の混乱に乗じてのずいぶん唐突な話だったようですね。

http://www.yamacomi.com/2652.html

よくまあここまでずうずうしい計画を立案するものだと感心しますが、「『学校法人東北芸術工科大学の統合』について(回答)」の中には、「縄文の精神を探求する東北文化研究センターを創設し、それを核として大学全体の教育研究体制をつくりあげてきました」「「縄文の東北・山形」と「弥生の京都」を結んで日本の再生をめざす「藝術立国」のビジョンを、実体として推し進めることを決断」などという表現があって、赤坂憲雄氏が設立当初から一貫して所長を勤めていた「東北文化研究センター」も、徳山詳直氏の全体的な構想の中に置いてみると、純粋に学術的とは言い難い、ずいぶん微妙な組織に見えてきますね。

東北芸術工科大学・東北文化研究センター
http://www.tuad.ac.jp/attachedinst/tohokuculture/
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縄文ロマン主義

2012-11-06 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月 6日(火)08時29分34秒

>筆綾丸さん
最近、名城大学の伊藤俊一氏が、

-------
『国宝神護寺三像とは何か』(朝日選書)の義詮の章だけ読んだが、何の根拠も無いではないか。
黒田日出男氏はいつから梅原猛になったんだ?
-------

というツイートをされていますが(11月2日)、研究者が梅原猛氏についてこういう言い方をしたくなる事情は私も理解できます。
ま、研究者ではありませんが、私自身も以前、梅原猛氏について相当辛辣なことを言ったりしています。


私にとって梅原猛氏は「変なおじさん」、「頭はものすごく良いのだろうけど、いつも訳のわかんないことを言っている愛すべき奇人」なのですが、何だかんだ言っても私は梅原猛氏がけっこう好きですね。
梅原氏と親しい複数の学者が、梅原氏と話をしていると視野がパーッと開ける感じがする、と言われていますが、私もそんな感じを受けることがあります。
梅原氏は「笑いの研究」をしていた時期もあって、対象にのめり込んでいるように見えても、のめり込む自分を距離を置いて笑って見ているようなところもあります。

しかし、徳山詳直氏の文章を読んでいると、梅原猛氏の縄文ロマン主義を学校経営に応用する才覚はたいしたものだと感心はしますが、どうにも胡散臭い感じは残りますね。
徳山氏が重視する東北芸術工科大学の理事会も、当初は立派な人物が多かったのでしょうが、現在の理事を見ると、

--------
理事長 徳山詳直
副理事長 古澤茂堂 弁護士
特命担当常務理事 坂元徹
常務理事(兼)事務局長 五十嵐眞二
総務担当常務理事 野村真司
財務担当常務理事 高久正史
理事 根岸吉太郎 学長/片上義則 副学長・デザイン工学部長/白杉悦雄 大学院長/木原正徳 芸術学部長/本間利雄 株式会社本間利雄建設設計事務所代表取締役社長/寺脇研 東アジア芸術文化研究所担当理事/徳山豊 学校法人瓜生山学園専務理事/熊谷眞一 株式会社シベール顧問/北村誠 京都造形芸術大学事務局長/高山克英 弁護士/細谷伸夫 弁護士
監事 清宮久子 東北芸術工科大学常任監事/遠藤栄次郎 遠藤商事株式会社代表取締役会長/長谷川吉茂 株式会社山形銀行代表取締役頭取
常任顧問 千歳 栄 株式会社千歳建設代表取締役会長/大久保義彦 山形国際ドキュメンタリー映画祭理事長

となっていて、高名な学者は一人もいないですね。
徳山豊という人はおそらく親族でしょうから、大学運営の私物化の印象も強いですね。

学長の根岸吉太郎氏も映画監督としてはそれなりに著名ですが、「2009年4月から東北芸術工科大学デザイン工学部映像学科教授、学科長。2011年4月1日より東北芸術工科大学学長」とのことで、大学運営に関しては全く経験のない人を短期間で学長にしてしまうのですから、ずいぶん強引な人事ですね。


梅原猛氏の場合、同氏が設立を主導した国際日本文化研究センターは高い研究水準を維持していますし、梅原猛氏が人事を私物化しているなどという話は聞きません。
そのあたり、やはりエピゴーネンとの違いは大きいですね。
山川健一など、東北芸工大に関係するずっと前から自分は明恵上人の生まれ変わりだと公言しているのだから、こんな人間を教授・学科長にするような人事は無茶苦茶であり、仮にも大学の名前を冠する組織として恥以外の何物でもないですね

>達増
確かに珍しい名字で、知らないと読めないですね。
検索してみたら、宮古市夏屋地区(2009年までは川井村)で行われた地域住民との懇談会で、達増氏が次のように言われています。

--------
私の先祖は、達曽部の地名から名字を達増としておりまして、達曽部の部を取って達曽、最初は達曽部の達曽だったのですけれども、ひいじいさんの代で曽というのを増える、増やすという字にしまして、何か画数をふやすと画数の運勢がよくなるとかいって、本当にそれがうまくいったのかどうかはよくわからないのですけれども、本当にこの山の中、沢のほとりに行きますと非常にDNAが活性化される感じがして気持ちがいいのですけれども、ぜひ皆さんからお話をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

地図を見ると、宮古街道に「やまびこ館」という道の駅がありますが、その少し西側の地区が達曽部ですね。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

遠野物語 2012/11/05(月) 15:48:43
小太郎さん
後鳥羽院の話が出てきて驚きました。
「私の先祖は、天皇一行を縛って隠岐に連れて行ったようです。・・・後鳥羽上皇を監視している間に、その人徳にほだされて、心酔していったような気がいたします。後鳥羽上皇が亡くなってすぐ出家いたしまして、教音と名乗っております。・・・以来、二代、三代と教音法師を名乗っておりますので、私の先祖は後鳥羽上皇の墓守をしていたのではないかと思います。」
後鳥羽院への罪滅ぼしとして、後鳥羽院を捕縛した(?)北白川の瓜生山に教育の場を作った、教は教えるで、音は芸術だから、と。ふーん、なるほどね、つまらぬ作り話だな、という感じですね。

遠野に一泊して、『遠野物語』(角川文庫)を拾い読みして、不思議に感じた箇所があります。『遠野物語』には「山人」は多く登場しますが、「海人」は少ないながらも、いくつか出てきます。
「・・・無数の山神山人の伝説あるべし。願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」(序文)

「海岸の山田にては蜃気楼年々見ゆ。常に外国の景色なり。見馴れぬ都のさまにして、路上の車馬しげく人の往来眼ざましきばかりなり。年ごとに家の形などいささかも違ふことなし。」(『遠野物語』第106話)
「海岸の山田」とは、ご承知のとおり、宮古と釜石のほぼ中間にあって、山田湾に臨む町ですが、このあたりで蜃気楼が見えるというのは、はじめて聞きます。これは本当に蜃気楼なのか。過去の大きな津波で村がさらわれてなくなり、後年、沖合の海面に消滅した村を幻視した、というようなことではないか。「外国の景色」といい、「見馴れぬ都」といい、「路上の車馬しげく」といい、「往来眼ざましき」といい、これらすべてはあの世のこと、つまり、亡くなった人々が暮す幻想の浄土なのではあるまいか。・・・そんなことを思った。

「閉伊郡の海岸地方では、軒ごとに鏡魚といって、やや円型で光沢のある魚を陰干しにして掛けて置く。魔除けだといわれる。」(『遠野物語拾遺』第220話)
「閉伊郡の海岸地方」とは、釜石、大槌、吉里吉里、山田、宮古などを指し、鏡魚はたぶん平目か鰈のことで、asymmetricな両眼は邪悪なものを寄せつけない、と思われたのかもしれない。邪視(evil eye)のようなもの。魔除けの魔には津波も含まれていたのだろうか。・・・そんなことを思った。

第106話の蜃気楼は、実は第84話と照応しているのかしら。ここでいう西洋人とは、おもにどこの国の人なのでしょうね。
「佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三、四年前に亡くなりし人なり。この人の青年の頃といへば、嘉永の頃なるべきか。海岸の地には西洋人あまた来住してありき。釜石にも山田にも西洋館あり。船越の半島の突端にも西洋人の住みしことあり。耶蘇教は密々に行なはれ、遠野郷にてもこれを奉じて磔になりたる者あり。浜に行きたる人の話に、異人はよく抱き合ひては嘗め合ふ者なりといふことを、今でも話にする老人あり。海岸地方には合の子なかなか多かりしといふことなり。」(『遠野物語』第84話)

第2話に、「石神といふ山は附馬牛と達曾部との間にありて・・・」とありますが、岩手県知事の達増という珍しい姓は達曾部に関係あるのでしょうね。第5話に、「遠野郷より海岸の田ノ浜、吉利吉里などへ超ゆるには、昔より笛吹峠といふ山路あり。」とありますが、地図をみると、たしかに細い道があって、大槌湾に出るようですね。河童駒引伝説で有名な「小烏瀬川の姥子淵」(第58話)はお寺の裏庭にあり、とても綺麗な水が流れていて、すぐ近くに、安倍貞任の末裔の館址(第68話)というのがありました。このお寺とは、第88話にいう「土淵村大字土淵の常堅寺は曹洞宗にて、遠野郷十二か寺の触頭なり。」
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梅原猛氏との関係

2012-11-03 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月 3日(土)09時45分37秒

「徳永詳直」&「梅原猛」で検索したら、「東北芸術工科大学生い立ちの記」という講演録が出てきました。
「学校法人 東北芸術工科大学副理事長予定者」の徳永詳直氏が1990年8月に「東北経済連山形地域懇談会」で行った講演の記録だそうですね。
これを読むと、東北芸工大が「公設民営方式の私立大学」として設立された経緯は一応理解できます。

http://www.tuad.ac.jp/2010/2010oitachinoki.pdf

徳永氏は「今までの大学は教授会の権限が大きすぎ」、「理事会こそがもっとも大切な場所だ、もっとも大切な組織だ」という考え方の持ち主だそうですが、設立当初の理事メンバーを見ると、川北倫明・草柳大蔵・木村尚三郎・栄久庵憲司など、確かに立派な方が多いですね。
また、「専門共通講義科目及び一般教育科目の両面にわたってご指導いただくのが東京大学の芳賀徹さんでございます。この方は山形市の出身で世界比較文学会の会長も勤めており、国際日本文化研究センターの教授も兼任されております。梅原猛先生の推薦で決定いたしました」という一文があり、ここで梅原猛氏のお名前が出てきますね。
ちなみに芳賀徹氏の父親は山形県寒河江市出身の歴史学者・芳賀幸四郎氏(1908~1996)で、寒河江名誉市民となっていますね。

芳賀徹
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B3%E8%B3%80%E5%BE%B9
芳賀幸四郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B3%E8%B3%80%E5%B9%B8%E5%9B%9B%E9%83%8E

芳賀幸四郎氏の古武士のような風格のある文体からは、同氏が東京師範学校在学中、共産主義運動で逮捕され、同校を退学させられたという過去を想像するのはなかなか困難ですね。
10年くらい前だったか、ネットで芳賀幸四郎氏の孫だという方の投稿に芳賀幸四郎氏の過去についての記述があり、ちょっと驚いたことがあります。
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徳山詳直という人

2012-11-02 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月 2日(金)23時54分58秒

ウィキペディアで「徳山詳直」の項目を見ると、

-------
島根県隠岐島(隠岐郡海士町)出身。同志社大学時代に共産主義の学生運動をして獄中にあり吉田松陰を崇拝したと伝えられるが、15歳以前のこととなり、真実かどうかは疑わしく、その前半生は謎に包まれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B1%B1%E8%A9%B3%E7%9B%B4

とありますが、これはウィキ執筆者の誤解でしょうね。
1930年生まれの徳山詳直氏は敗戦時に15歳。
同志社大学に入ったのは1948年、18歳の時のことだとして、当時は共産主義運動が非常に盛んだった時期ですから学生運動で逮捕されること自体は別に珍しい話ではないですね。
徳山詳直氏の自伝『藝術立国』の目次によれば「同志社大学時代、革命運動で七回逮捕され」たそうですが、日本共産党が武装闘争方針を転換するのは1955年の「六全協」で、この年に徳山詳直氏は25歳。
とすると、「同志社大学時代」はおそらく六全協前でしょうが、7回の逮捕の時期と容疑は何だったのか。

『藝術立国』
http://www.tuad.ac.jp/newsevents/topics/newpage_20120307_131037/
六全協
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E7%AC%AC6%E5%9B%9E%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A

まあ、これは『藝術立国』を購入して読めば分かるのでしょうが、『藝術立国』の目次を見る限り、わざわざ1,575円(税込)払ってまで読みたい本とも思えないので、ブックオフで105円になるまで待とうかな、と考えています。
ところで、山川健一氏の悲しみ上手がどうしたこうした、というブログの2010年2月4日付記事によると、

----------
 山形にある東北芸術工科大学 の方々に最初にお会いしたのは、昨年末のことで、幻冬舎の見城徹社長の紹介だった。大学で講義を持ってほしいという話だと思い、「見城さんといっしょなら楽しそうだしいいな」と気軽に考えて幻冬舎に足を運んだのだった。
(中略)
昨日は京都で姉妹校の京都造形芸術大学を案内していただき、徳山理事長のご自宅に招いていただいたんだよね。
「ぼくはこの仕事に命をかけてます。そういう男と長くいっしょに仕事をするためにはね、相手のことを好きにならなければならないんですよ」
今年80歳になられる理事長の言葉に、ぼくはこう答えた。
「ぼくはもう理事長のことが好きですよ」
 悪戯っぽい眼で、彼は笑ったのだった。
http://ameblo.jp/yamaken/entry-10450451179.html#main

とのことで、八十男と六十男が「好き」「好き」と言い合うブキミな光景が描かれていますね。
また、同じく山川健一氏の悲しみ上手がどうたらこうたら、というブログの2010年2月26日付記事によると、

--------
※徳山理事長が書いた大学の理念「東北ルネサンス」
 http://www.tuad.ac.jp/declaration/

「神をさがす旅」の取材で、屋久島・奄美大島・加計呂麻島から帰って来たばかりの頃、理事長のこの文章を読んで、ぼくは「いまの俺の思想とまったく同じじゃん!」と思ったものでした。
http://ameblo.jp/yamaken/entry-10468177175.html

のだそうです。
そして、この「東北ルネサンス」 というのを読んでみると、

--------
本学が設立された東北の地には、縄文時代から1万年を超える長きにわたり、日本古来の精神・文化が脈々と受け継がれています。そこには渡来文化の影響を受け、生産性の合理化・効率化に支えられた弥生以前の、純然たる日本人としてのルーツ・源流を見ることができます。
東北に今も色濃く残るこの豊かな歴史観と自然環境は、病んだ現代社会が負った矛盾や問題を解く手がかりとなるはずです。それは言い換えれば、経済原理に基づいた西洋的な思想から、精神世界を重んじる日本古来の東洋的な思想への転換であり、ここから芸術・デザインが果すべき役割を、社会に、世界に問い続けていこうとするものです。
http://www.tuad.ac.jp/declaration/idea/

とあって、「縄文時代から1万年を超える長きにわたり、日本古来の精神・文化が脈々と受け継がれ」ていて、それは「弥生以前の、純然たる日本人としてのルーツ・源流」であり、この伝統が「病んだ現代社会が負った矛盾や問題を解く手がかり」であり、「経済原理に基づいた西洋的な思想から、精神世界を重んじる日本古来の東洋的な思想への転換」をもたらす、ということなので、徳山詳直氏は縄文思想ないし縄文幻想の持ち主であり、山川健一氏も同じ思想・幻想を共有していることになりますね。
そしてこの縄文思想・縄文幻想は梅原猛氏の考え方とよく似ている、というかそっくりですね。
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痴のパワースポット

2012-10-31 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年10月31日(水)21時10分29秒

>筆綾丸さん
平成23年度の「資金収支計算書」を見ると、国庫補助金が6.89億円なのに対し、地方公共団体補助金は僅か21万5千円で、山形県・山形市の負担は殆どないようですね。

http://www.tuad.ac.jp/disclosure/2012infomationdisclosure/
http://www.tuad.ac.jp/infodisclosure/2012/3-3fund.pdf

経営面ではけっこうしっかりしている感じですね。
問題は大学の名にふさわしい知的水準の維持ですが、自分が明恵の生まれ変わりだなどと言っているおかしな人が教授、しかも学科長に任命されているようでは、「最前線の研究拠点」どころか、「痴のパワースポット」になりかねないですね。

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明恵上人の生まれ変わり

2012-10-30 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年10月30日(火)21時31分25秒

割と最近、あまり人の悪口を言わないようにしようと決意したような気がしないでもないのですが、世の中、色々変なことがあるので、ついつい書いてしまいますね。
特に私は、社会が混乱している時期だからこそ、大学及び大学人は「知の防波堤」として頑張ってほしいと思っているので、武田とか早川とか安冨とか島薗とか保立とかには常々怒りを覚えているのですが、東北芸術工科大学教授の山川健一氏の場合、あまり怒りの対象にはならないですね。
というのは、アマゾンでこの人が森田健なる人物と一緒に書いている『奇蹟が起きたパワースポット』(幻冬舎、2010年)という本のレビューを見ていたら、☆五つという最高評価をしている人が「森田さんは超常現象的体験をして学校一の美女と出会い、山川さんはやっぱり普通ではなくご自身にそっくりな明恵上人と出会い、お二人自身のリアルなお話がでてるのがとても面白かったです」と書いていたので、何じゃこれと思って、「山川健一」&「明恵上人」で検索してみたら、山川健一氏の例のブログ、「イージー・ゴーイング~悲しみ上手になるために~」が出て来て、2010年6月26日の記事に、

-----------
 ぼくが信頼する友人の森田健が、複数の著書で「あの世」と「生まれ変わり」について詳細なレポートを書いていることは、もう皆さんもよく知っていることと思う。
(中略)
『日本の神様カード』の大野百合子さんに、田谷の洞窟を案内していただいた後に前世退行催眠をやっていただき、鎌倉時代の僧侶としての過去世をリアルに体験した。
 仏教関係者のお叱りを受けるかもしれないが、でも書いてしまうが、それはやはり明恵上人だった。
 百合子さんも後日メールを下さり、「やはり明恵上人だと思います」ということだった。
 半ば呆然としていたぼくに、百合子さんはこうおっしゃった。
「山川さんには世界が見えているし、もうわかっているはずです。後は、勇気をもって肩の辺りを振り返ればいいんです。ただ、それだけ」
http://ameblo.jp/yamaken/entry-10574112812.html

とありました。
まあ、私も「半ば呆然として」しまいましたが、さすがに明恵上人の生まれ変わりの方にあれこれ言う気力はないですね。
しかし、こういう人が「芸術学部 文芸学科学科長、教授」でいいのだろうか、という疑問は残りますね。
大丈夫なのかな、東北芸工大って。

『奇蹟が起きたパワースポット』
http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E8%B9%9F%E3%81%8C%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88-%E6%A3%AE%E7%94%B0-%E5%81%A5/dp/4344991710
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東北芸術工科大学関係者の言語感覚

2012-10-30 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年10月30日(火)07時45分43秒

削除した投稿の冒頭では、「公設民営方式の私立大学」は国と地方公共団体の金を使って私人が勝手なことをやれる仕組みだから、いかにも胡散臭い感じがする、と書いたのですが、これは曲解でした。
山形県に芸術に関係する大学を作ろうと考えたとして、地方公共団体に資金はあっても、大学を現実に運営するノウハウ・人材・組織はなかったでしょうから、実績のある京都の大学の運営母体と組んで、金は出すけど運営は任せる、という方式にしたことは、おそらく合理的だったのだろうと思います。
東北芸術工科大学のサイトを見ても、次々に新しい取り組みを行っており、山形県のために役立っているのは確かなんでしょうね。
ただ、設立後20年も個性の強い人物が君臨していれば、組織として健全ではない面も色々出てくるでしょうね。
先にリンクした東北芸術工科大学のサイト内でも、

-----------
『藝術立国』。芸術と教育こそが平和をささえるのだ──という信念に貫かれた徳山詳直理事長の初の自伝が、幻冬舎から発売されました。また本著はグラフィックデザイン学科の大竹左紀斗准教授が装丁を行い、聞き書きを文芸学科の山川健一教授が行いました。ぜひご覧下さい。
細川護熙氏、推薦。
「この分厚い“活劇本”を一気に読了した。」
http://www.tuad.ac.jp/newsevents/topics/newpage_20120307_131037/

などと書かれていますが、この言語感覚は私にはなじめません。
「芸術学部 文芸学科学科長、教授」の作家、山川健一氏のブログ「イージー・ゴーイング~悲しみ上手になるために~」には、冒頭に

--------
作家・山川健一が、なにかに迷ったり悩んだりしているあなたに優しく語りかけます。弱い自分、ありのままの自分をそのまま受け入れよう。「無理しないでね」「気楽に生きよう」幸せになるメッセージの数々を届けます。
http://ameblo.jp/yamaken/

という真綿で首を絞めるような優しさに満ちた言葉が飾られていますが、私はこういう語彙・文体の持ち主が長である組織で「文芸」を学びたいとは思わないですね。
また、同ブログの10月10日付の記事には

--------
京都造形芸術大学、東北芸術工科大学に連なるというか、付属する出版社「芸術学舎出版」を10月1日に設立しました。
編集部は2つの大学のサテライトキャンパス、神宮外苑にある東京芸術学舎内に置きました。大学の出版部的な位置づけですが一般書も刊行していく予定です。流通は、幻冬舎からということになります。また、見城徹社長を始めとする幻冬舎の皆さんのお世話になるわけで、感謝しております。
(中略)
アメーバブックス新社とは全く違ったタイプの書籍を発行していくことになるかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します。基本的には、徳山詳直理事長 の「芸術と平和の理念」に基づいた出版活動をしていきます。
http://ameblo.jp/yamaken/entry-11375778526.html

などとあって、東北芸術工科大学の出版戦略にはなかなか興味深いものが感じられますね。
正直、山川健一なんて読んだこともありませんが、かつてはロックミュージシャンを兼ねた小説家で、「1990年代以降はニューエイジへの傾倒を深め、オーラ幻視者であることを前面に打ち出した著述(『ヒーリング・ハイ』)を発表する一方で禅仏教やニューエイジ運動のひとつヘミシンクに傾倒している(『リアルファンタジア 2012年以降の世界』)」のだそうで、まあ、写真を見ると、確かにそういう傾向の人特有の生気のない顔をしていますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E5%81%A5%E4%B8%80
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一件削除

2012-10-29 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年10月29日(月)18時47分38秒

ちょっと書きすぎたかなと思ったので、投稿をひとつ削除しました。
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東北芸工大「文明哲学研究所」

2012-10-26 | 東北芸術工科大学・文明哲学研究所
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年10月26日(金)23時26分20秒

河北新報の記事に疑問を持って少し調べたことがあるので、これもツイートをそのまままとめておきます。
新聞記事は、ツイートの際には省略した部分も、便宜のため載せておきます。

---------
河北新報/東北芸工大「文明哲学研究所」設立へ 脱原発、学術的に探る

 東北芸術工科大(山形市)は24日、運営法人理事会を開き、核廃絶と脱原発なしに未来は開けないとの立場から、新たな文明の創造を目指す「文明哲学研究所」を、姉妹校の京都造形芸術大(京都市)と共同で設立する方針を承認した。福島第1原発事故が突きつけた重い課題を踏まえ、脱原発への道筋を学術的に見いだそうとする、国内大学初の取り組みとなる。
 研究所長には、「生きる意味」をテーマにした月刊誌「MOKU」の井原甲二主筆の就任が内定した。
 研究所の本部機能は京都側に置くとみられ、今後、開設時期や人員態勢、研究内容などの具体化を進めていく。東北芸工大は原発事故に直面する東北の大学として、最前線の研究拠点の役割を担う。
 研究所開設に当たり、両大学は原発依存型の社会に大学として「ノー」を表明する設立宣言を、両運営法人を代表する徳山詳直理事長名で行う。
 宣言は、科学技術によって制御しきれない事態が原発事故で現実のものとなった核を「文明最大の矛盾」と指摘。「芸術立国を建学理念とし平和を希求するわが大学は、人類存亡のふちに立つ今このとき、人間の良心を基調とする新たな文明の創造をする」と決意を示す内容となっている。
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/10/20121025t55017.htm

「研究所長には、「生きる意味」をテーマにした月刊誌「MOKU」の井原甲二主筆の就任が内定した」とあるが、この人の名前を聞いたことがない。
井原甲ニで検索したら、こんな記事があった。

---------
2006/03/01
「日本寺院」「黙出版」書類送検

 新宿労働基準監督署は、労働基準法違反(賃金未払い)の疑いで、墓石販売業「日本寺院㈱」(本店 新宿区歌舞伎町2-4-10)と同社社主、社長の竹中孝夫を書類送検した。
 同容疑で関連会社「黙出版社㈱」(本店 新宿区歌舞伎町2-4-10 代表 井原甲二氏)も書類送検されている。
 調べでは、日本寺院などは平成15年4~6月、従業員15人に対し賃金約 452万円を支払わなかった疑い。2社は同年7月と8月にそれぞれ事実上倒産した。
 2社の倒産時、従業員への不払い賃金は国が8割を支払った。
 しかし、黙出版社は給料を支払うだけの資産があったとして同社の従業員が、同17年6月に告訴していた。
 「日本寺院㈱」は昭和48年2月設立、資本金 2,000万円。
 「黙出版㈱」は平成3年6月設立、資本金 3,000万円。
http://www.seikei.co.jp/news/disp.asp?ID=95

「共生から響生への革新経営 日本寺院(株)社主・井原甲二の精神文化事業とは何か」という1993年の本があり、井原甲ニ氏はかつて墓石販売業「日本寺院㈱」の社主でもあったらしい。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4872180704.html

MOKU出版のサイトを見たが、発行している書籍の著者の名前は一人を除いて知らなかった。
その一人は明星大学の高橋史朗氏で4冊も出している。
http://www.moku-pub.com/index.html
http://www.moku-pub.com/shoseki.html

どうも事情がよく分からないが、かつて墓石販売会社の経営者で、関連会社の出版社において自己啓発的な出版物にしか関与しておらず、特に学術的な著作もない人、しかもかつて労働基準法違反事件で刑事責任を追及されたような人物を「研究所長」とすることは大学として適切なのだろうか。

東北芸術工科大学は公立大学なのかと思ったら私立大学なんですね。
ただ、「山形県と山形市が各100億円ずつを支出して設置し、学校法人東北芸術工科大学が運営する日本初の公設民営方式の私立大学」とのこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%B7%A5%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6

河北新報には「研究所開設に当たり、両大学は原発依存型の社会に大学として「ノー」を表明する設立宣言を、両運営法人を代表する徳山詳直理事長名で行う」とありますが、徳山氏は「革命運動で七回逮捕された」のが自慢だそうで、独特の経歴の方ですね。

とくやま・しょうちょく 1930年5月13日島根県隠岐島に生まれる。新島襄に惹かれて進んだ同志社大学時代、共産党に入党。革命運動により7回投獄される。獄中に母親が差し入れた『吉田松蔭』(奈良本辰也著/岩波新書)を読んで感動。「昭和の松下村塾を創設する」と、萩にある松蔭の墓前で誓う。
http://www.tuad.ac.jp/newsevents/topics/newpage_20120307_131037/

山形県・山形市が出資する大学にしてはどうも妙な運営がされているように感じるけど、こんな親分肌?の人物が理事長だったら、実際上はすべてがこの人の鶴の一声で動いていて、「研究所長」を井原甲ニなる人物に決めたのも、この人の判断なんでしょうね。

まあ、連続ツイートで長々と書いてしまったけど、芸術系の大学だからいろんな人がいて、それはそれでいいんでしょうね。
東北芸術工科大学は赤坂憲雄氏の大学というイメージが強かったのですが、学習院大学に移られましたね。
入間田宣夫氏は歴史遺産学科か。
http://www.tuad.ac.jp/declaration/teacher_list/
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