投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年11月11日(日)11時15分6秒
>筆綾丸さん
新潮社の宣伝に出てくる「母の故郷、沖縄・久米島」「遥か琉球人の意識の古層へ」といった表現は、確かに梅原猛氏を連想させますね。
筆綾丸さんと佐藤勝氏の『国家の罠』について議論したのは4年前ですが、この本はそれなりに面白かったものの、最近は随分筆が荒れてしまったようですね。
ちょっと検索したら、「教科書改善の会」という団体のサイトに、
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日本文明論シンポジウム「縄文1万年の文化力~今につづく日本文明の基層~」
小林達雄(國學院大學名誉教授)「世界史における縄文の文化力」
長部日出雄(直木賞作家)「『古事記』神話と縄文文化」
呉善花(拓殖大学国際学部教授)「縄文思想が世界を変える」
などとありましたが、こういう方向へ進む人たちは何だか良く分かりません。
事実関係が不明瞭な「従軍慰安婦」を教科書に載せるなとか、自国の歴史を捏造している中国・韓国が日本の教科書へ干渉するのは許せん、みたいな主張だったら、まあ私にもそれなりに理解できるのですが、そういう主張は別に「縄文思想」などとは全く無関係にやれる訳で、あっさり切り離した方がよいと思いますけどね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
座敷童の実在性 2012/11/10(土) 13:29:06
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4101331758.html
佐藤優氏の『母なる海から日本を読み解く』を途中まで読んで、放棄しました。こういう沖縄論、国家論にはついてゆけません。
http://www.zashikiwarashi.jp/
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座敷童が出る盛岡市内の「菅原別館」という旅館は、2年前から予約しないと宿がとれないという。村上氏は独自のルートをもっていて、予約がキャンセルになったとき、その隙間を利用して菅原別館に泊まるのだという。
私は「是非、その隙間が生じたときに、盛岡旅行に参加させてほしい」と頼んだ。旅行は思ったよりも早く実現した。2006年1月16日の夜、村上氏、私を含む約10名が菅原別館に泊まった。そこで確かに私は座敷童を見たのである。私の斜め左上、約50センチメートルくらいのところに、座敷童が現れた。7、8歳の女の子で、足から徐々に姿を現した。黄色い着物を着ていて、なぜか首のあたりで像が徐々に消え始め、顔は全く見えない。首なしの妖怪であるが、恐いという感じはまったくなかった。座敷童は一言も話さない。しかし、黙って私に一匹の白黒のブチ模様の仔猫を両手で手渡した。私も黙って両手でその仔猫を受け取った。受け取るなり仔猫は成猫になり、しかも模様が茶白の縞模様になった。そして、瞬く間にこの縞猫は水になって、そこで私は我に還った。
心理学者ならば、仮眠状態で、幻想を見ただけだと言うだろう。特に座敷童に会う3日前に私と家内は、近所のコンビニエンスストアの前に捨てられていた茶白の縞模様の雄猫を保護したので、その記憶が出てきたことは間違いない。それでも私の認識では、確かに座敷童を見たのである。(『母なる海から日本を読み解く』「第四章ユタ」75頁~)
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(注)村上氏(村上正邦元参議院議員、KSD事件で起訴され、2008年4月、最高裁で懲役2年2カ月の実刑判決が確定し、服役)と鈴木宗男衆議院議員は、著者と一緒に「獄友会」を作り、定期的に会っているそうです。佐藤優氏をめぐる裁判は、相当変なものだったという気はしますが。
佐藤優氏にはユーモアや笑いのセンスは全くなく、座敷童の話は愚直なまでに本気なんですね。このあと霊魂の議論になり、霊(プネウマ)は一つであるが、魂(プシュケー)は一つではなく複数(六個くらい)ある、というような話が生一本に続きます。以前から、薄々感じていたことですが、氏は精神を病んでいるのではないだろうか。
獄友会御一行様の面々が、座敷童が見えただの、いや見えねえだの、侃侃諤諤、強面の顎がはずれてアババババ、と本気で喚いている情景を想像すると、ハイデガー云うところのダーザイン(現存在)の底知れぬ悲哀というか、座敷童もタマげるような、なにか鬼気迫る倒錯的なものがなくはないですね。
「旧家にはザシキワラシといふ神の住みたまふ家少なからず。この神は多くは十二、三ばかりの童児なり。をりをり人に姿を見することあり。」(『遠野物語』第17話)
「ザシキワラシまた女の児なることあり。」(同第18話)
「綾織村砂子沢の多左衛門どんの家には、元御姫様の座敷ワラシがいた。」(同拾遺第87話)
『遠野物語』によれば、ザシキワラシのいる家は裕福なので、菅原別館も繁盛してるんでしょうね。これも柳田國男の功績の一つというべきか否か。
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地球は球体である。それならば、その上のどの任意の点も「世界の中心」のはずだ。これまで、私が世界を見るときは、常に東京、ワシントン、モスクワなどの主要国の首都が世界の中心になっていた。
いまここで見方を変えて、久米島の新垣の杜を「世界の中心」として見ると、歴史はどのように見えるであろうかという好奇心からこの本を書き始めた。(同書13頁)
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なんとも妙な文です。地球が球体ならば中心は一点しかなく、また、球面上の任意の点はどれも特別な点ではないというだけのことで、どれかが「世界の中心」になることはありません。そもそも、地球と世界は別概念です。
語弊があるかもしれませんが、梅原猛氏と佐藤優氏には、なにか気質的に似たものがあるような気がしてなりません。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4101331758.html
佐藤優氏の『母なる海から日本を読み解く』を途中まで読んで、放棄しました。こういう沖縄論、国家論にはついてゆけません。
http://www.zashikiwarashi.jp/
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座敷童が出る盛岡市内の「菅原別館」という旅館は、2年前から予約しないと宿がとれないという。村上氏は独自のルートをもっていて、予約がキャンセルになったとき、その隙間を利用して菅原別館に泊まるのだという。
私は「是非、その隙間が生じたときに、盛岡旅行に参加させてほしい」と頼んだ。旅行は思ったよりも早く実現した。2006年1月16日の夜、村上氏、私を含む約10名が菅原別館に泊まった。そこで確かに私は座敷童を見たのである。私の斜め左上、約50センチメートルくらいのところに、座敷童が現れた。7、8歳の女の子で、足から徐々に姿を現した。黄色い着物を着ていて、なぜか首のあたりで像が徐々に消え始め、顔は全く見えない。首なしの妖怪であるが、恐いという感じはまったくなかった。座敷童は一言も話さない。しかし、黙って私に一匹の白黒のブチ模様の仔猫を両手で手渡した。私も黙って両手でその仔猫を受け取った。受け取るなり仔猫は成猫になり、しかも模様が茶白の縞模様になった。そして、瞬く間にこの縞猫は水になって、そこで私は我に還った。
心理学者ならば、仮眠状態で、幻想を見ただけだと言うだろう。特に座敷童に会う3日前に私と家内は、近所のコンビニエンスストアの前に捨てられていた茶白の縞模様の雄猫を保護したので、その記憶が出てきたことは間違いない。それでも私の認識では、確かに座敷童を見たのである。(『母なる海から日本を読み解く』「第四章ユタ」75頁~)
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(注)村上氏(村上正邦元参議院議員、KSD事件で起訴され、2008年4月、最高裁で懲役2年2カ月の実刑判決が確定し、服役)と鈴木宗男衆議院議員は、著者と一緒に「獄友会」を作り、定期的に会っているそうです。佐藤優氏をめぐる裁判は、相当変なものだったという気はしますが。
佐藤優氏にはユーモアや笑いのセンスは全くなく、座敷童の話は愚直なまでに本気なんですね。このあと霊魂の議論になり、霊(プネウマ)は一つであるが、魂(プシュケー)は一つではなく複数(六個くらい)ある、というような話が生一本に続きます。以前から、薄々感じていたことですが、氏は精神を病んでいるのではないだろうか。
獄友会御一行様の面々が、座敷童が見えただの、いや見えねえだの、侃侃諤諤、強面の顎がはずれてアババババ、と本気で喚いている情景を想像すると、ハイデガー云うところのダーザイン(現存在)の底知れぬ悲哀というか、座敷童もタマげるような、なにか鬼気迫る倒錯的なものがなくはないですね。
「旧家にはザシキワラシといふ神の住みたまふ家少なからず。この神は多くは十二、三ばかりの童児なり。をりをり人に姿を見することあり。」(『遠野物語』第17話)
「ザシキワラシまた女の児なることあり。」(同第18話)
「綾織村砂子沢の多左衛門どんの家には、元御姫様の座敷ワラシがいた。」(同拾遺第87話)
『遠野物語』によれば、ザシキワラシのいる家は裕福なので、菅原別館も繁盛してるんでしょうね。これも柳田國男の功績の一つというべきか否か。
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地球は球体である。それならば、その上のどの任意の点も「世界の中心」のはずだ。これまで、私が世界を見るときは、常に東京、ワシントン、モスクワなどの主要国の首都が世界の中心になっていた。
いまここで見方を変えて、久米島の新垣の杜を「世界の中心」として見ると、歴史はどのように見えるであろうかという好奇心からこの本を書き始めた。(同書13頁)
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なんとも妙な文です。地球が球体ならば中心は一点しかなく、また、球面上の任意の点はどれも特別な点ではないというだけのことで、どれかが「世界の中心」になることはありません。そもそも、地球と世界は別概念です。
語弊があるかもしれませんが、梅原猛氏と佐藤優氏には、なにか気質的に似たものがあるような気がしてなりません。