投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月27日(月)10時08分6秒
『立憲非立憲』の「解説」によれば、佐々木惣一はゲオルグ・イェリネックの埋葬に立ち会ったそうですね。(p231以下)
-------
〔1911年〕一月五日に脳溢血で父を亡くしたばかりの佐々木は、日記によれば、毎晩夢にうなされ不眠に悩み、信仰や神について知己に問いかけては、考え込んでいたようである。そうしたなか、一月一三日の金曜日、「午後に朝永君を訪う途上」、ロシア人学生からイェリネック急死(脳卒中)の一報を得て「何となく感深く」、昼食時にその日の新聞で死亡記事を読んだ。【中略】
翌一四日は、朝永との昼食後、イェリネックの写真を購入し、翌々一五日は、「日本人一同撮影すとの案内により」一一時に行き、やはり朝永と昼食した後、「午後イェリネック教授の埋葬式に列す、色々思う。……悲しき思あり」(洋行日記、一九一一年一月一四日、一五日)。
------
念のためと思ってウィキペディアを見ると、亡くなったのは12日とありますね。
そして、三日後の1月15日に埋葬式があった訳ですね。
さて、石川氏は上記引用部分の少し後で、
------
イェリネックの影
佐々木惣一は、イェリネックが埋葬される場面を、目撃している。真向かいが、これまた近代日本の政治思想史に抜き難い影響を残した、『国法汎論』のJ・C・ブルンチェリの墓であることにも気がついただろう。ドイツ市民の墓にありがちなギリシャ神殿を意識した派手な墓である。それに比して、大きな一枚岩に名前だけが刻まれた瀟洒な墓石のもとに、ついこの間まで自分の前で欠伸していた、世界の憲法学の泰斗が埋葬されてゆく。父の死と重なったこともあり、佐々木に強い印象を残したのは間違いない。イェリネックの晩年様式を代表する「憲法変遷論」に、佐々木が本気で取り組むに至る決定的な契機は、おそらくこの体験であったろう。
------
と推測されています。(p235)
しかし、佐々木が「大きな一枚岩に名前だけが刻まれた瀟洒な墓石」を見た、というのはちょっと変な話ですね。
イェリネックは死の直前まで大学で講義をしていて、12日の死去の三日後に埋葬された訳ですから、本当にそのような墓石があったとすれば、その手配があまりに手際良すぎます。
同じページにある石川氏が撮影したらしい墓石の文字は判読不能ですが、ウィキペディアに載っている写真を見ると、この墓石には二つの金属製のプレートが嵌め込まれていて、上の方に、
Georg Jellinek
1851-1911
Camilla Jellinek
1860-1940
下の方に、
Barbara Jellinek
1917-1997
とあります。
Barbara Jellinek は二人の息子で、行政法学者であった Walter Jellinek の娘のようですね。
Walter Jellinek(1885-1955)
私もドイツの墓事情など全く知りませんが、自然石の一枚岩の墓というのは意外にモダンな感じがしますし、祖父母と孫娘という組み合わせも少し珍しい感じがするので、あるいはこれは孫娘が祖父母の墓を建て、孫娘が亡くなった後、その遺族が孫娘の名前を刻んだプレートを追加したのではないですかね。
ま、詳しい事情は分かりませんが、埋葬式の時点では「大きな一枚岩に名前だけが刻まれた瀟洒な墓石」は存在せず、佐々木もそれを見ていないと考えるべきでしょうね。
>筆綾丸さん
>「責任ある日本国民に告ぐ」
講談社も社名を百年前の「大日本雄辯會講談社」に戻した方が良さそうですね。
>キラーカーンさん
>「古きよき時代」
樋口陽一氏を中心とする「立憲主義」を声高に叫ぶ憲法学者のグループの中でも、石川氏の懐古趣味は突出していますね。
『立憲非立憲』のオビにあるように、確かに石川氏は「異彩を放つ憲法学者」ですが、憲法学界のリーダーたる資質には若干の疑問を感じます。
※筆綾丸さんとキラーカーンさんの以下の投稿へのレスです。
アジのたたき(by cookpad) 2016/06/26(日) 13:04:28(筆綾丸さん)
小太郎さん
http://cookpad.com/ご紹介の文庫の帯文にある、「責任ある日本国民に告ぐ」や「渾身の書き下ろし解説」という表現は、アジ(agitator)のたたきのような塩梅ですね(塩は赤穂の塩)。どちらかというと、私はアジのひらきのほうが好きです。
「弟子の大石義雄(1903-91年)」が「家老の大石良雄(1659-1703)」を踏まえた命名だとすれば、「佐々木惣一(1878-1965年)」は主君の浅野長矩(1667-1701年)になるのかもしれません。江戸城本丸松の廊下(現皇居東御苑内)に於ける、上野介の訓戒は下の如くで、激昂した内匠頭が刃傷沙汰に及び、後日、昼行燈を佯りつつ、内蔵助が遺恨を果たすとは、お見事(江戸地誌『続江戸雀』より)。
「政治は固より憲法に違反してはならぬ。而も憲法に違反しないのみを以て直に立憲だとは云えない。違憲では無いけれども而も非立憲だとすべき場合がある。立憲的政治家たらんとする者は、実に此の点を注意せねばならぬ」
注)いまひとつ論旨がすっきりしないのは、古文書の誤読かもしれない。
-----------
バークは後年、ヨーロッパ全体の秩序について、英国の主導権を前提としつつも、独立諸国家間の水平的な関係を主張する「ヨーロッパ・コモンウェルス」論を展開している。あくまで多様な国家の間の調和を重視する点に、バークの秩序観の根本を見てとることができるだろう。その前提には、自由の精神という共通文化があったのである。(『保守主義とは何か』47頁)
-----------
宇野氏は、EUの萌芽を遠くバークの「ヨーロッパ・コモンウェルス」論に求めているような感じがしました。ドイツ主導のEUに保守主義者バークは反対したでしょうが。
追記
ネオコンを遡るとトロツキストに行きつく(140頁)、とは知りませんでした。奇妙な出自なんですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160623-00000000-jij_afp-inthttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0NHKBSワールドニュースの回し者のようで気が引けるのですが、オーストラリアABCが「スーフィー音楽家」の暗殺を報じていて、スーフィズムの生命力には驚きました。
郷愁としての憲法 2016/06/26(日) 22:12:41(キラーカーンさん)
>>「憲法考古学」
石川氏にとっては、日本国憲法制定後の国内外情勢で「憲法が汚された」と感じており、
憲法制定前や「大正デモクラシー」時代の「古きよき時代」への
「復古」なくして「憲法再生」なし
と言う心境かもしれません。
>>最新刊、『保守主義とは何か─反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)
個人的には、同じ中公文庫の最新刊である『元老』伊藤之雄に興味があります。