投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 8月30日(日)10時54分53秒
桃崎氏は1978年生まれだそうですが、前回投稿で引用した部分の中で、
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身近な例でたとえよう。携帯電話も、携帯音楽プレーヤーも、液晶タッチパネルも、前からあった。しかし、Apple という会社が iPod という携帯音楽プレーヤーに大画面の液晶タッチパネルを付け、携帯電話を付けたら iPhone になった。それはスマートフォンという新ジャンルを生み、携帯電話の主流になった。それを大型化したら iPad になり、タブレットPCという新ジャンルを生んだ。個別の機能はどれもあったのに、あの組み合わせで特別な価値が生まれ、人類の生活が変わり、それなしの生活は考えられなくなった。
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といった記述は世代の違いを感じさせますね。
1960年生まれの私は、まだ携帯電話が存在していなかった「古代」の出来事も記憶していて、あれは大学に入学して間もない頃だったか、姉とJR、じゃなくて国鉄の山手線・大塚駅で待ち合わせをしていたところ、姉が大幅に遅刻し、私は事情も分からぬまま、結局二時間待ち続けたことがありました。
当時、携帯電話がありさえすれば、ササっと連絡を取り合って、待ち時間を無駄にするようなことはなかったですね。
携帯電話も出始めの頃にはトランシーバー(死語?)のように巨大でしたが、あっという間に小型化して価格も安くなり、桃崎氏の世代にとっては、携帯電話は「前からあった」当たり前の存在なのでしょうね。
携帯電話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1
「古代」を知る私の感覚からすると、携帯電話・携帯音楽プレーヤー・液晶タッチパネルこそが「人類の生活が変わり、それなしの生活は考えられなくなった」革新的な新技術であり、iPod・iPhone・iPad などは、「新ジャンル」と呼ぶにはあまりに大袈裟な、一段下のレベルの応用商品のように思われるのですが、このあたりの感覚はなかなか共有が難しそうですね。
また、私にとっては「Apple という会社」はあくまで革新的なパソコンの会社です。
パソコンが一般消費者の手に届くようになった頃、マックはウィンドウズパソコンより遥かに洗練されていて、私は友人・知人にマックの素晴らしさを吹聴する自主的なマック伝道師だったのですが、そんな私もいつしか背教者となり、ウィンドウズ派に改宗してしまいました。
さて、『武士の起源を解きあかす』を無理やり十七文字で要約すると、
挑発と 発情の末 武士生まれ
てな感じですかね。
桃崎氏は語彙が豊富で、大変な文章家だとは思いますが、比喩についてはもう少し勉強された方が良いのではないかと思います。
「東京出身の若手研究者が京都の大学に就職するのに、かなり似ている」は、何度読んでも変ですね。
誰一人 分からぬ比喩が 得意技
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/03aca1d14f09d2480c211382ce26db93
また、"創発"云々の箇所については、各務支考の「歌書よりも軍書に悲し吉野山」にならって、
理論よりも 例えに難あり 桃崎山
という感想を抱きました。
「吉野の歴史と文化」(吉野町公式サイト)
https://www.town.yoshino.nara.jp/kanko-event/meisho-kanko/rekishi-bunka/
「創発」と「マッシュアップ」については、結局、桃崎氏自身が混同していて、読者には訳の分からぬ説明になってしまっているのではないでしょうか。
てふてふが一匹 創発とマッシュアップの間の海峡を 渡つて行つた
マッシュ・ミシュ ムッシュ・メッシュで モッシュして
アップアップの ムッシュ桃崎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/05e989045d282d79e897da8e3c60051a
更に駄句を二つばかり。
iPod iPhone・あいみょん iPad
無国籍 創発料理 桃崎亭
桃崎氏は1978年生まれだそうですが、前回投稿で引用した部分の中で、
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身近な例でたとえよう。携帯電話も、携帯音楽プレーヤーも、液晶タッチパネルも、前からあった。しかし、Apple という会社が iPod という携帯音楽プレーヤーに大画面の液晶タッチパネルを付け、携帯電話を付けたら iPhone になった。それはスマートフォンという新ジャンルを生み、携帯電話の主流になった。それを大型化したら iPad になり、タブレットPCという新ジャンルを生んだ。個別の機能はどれもあったのに、あの組み合わせで特別な価値が生まれ、人類の生活が変わり、それなしの生活は考えられなくなった。
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といった記述は世代の違いを感じさせますね。
1960年生まれの私は、まだ携帯電話が存在していなかった「古代」の出来事も記憶していて、あれは大学に入学して間もない頃だったか、姉とJR、じゃなくて国鉄の山手線・大塚駅で待ち合わせをしていたところ、姉が大幅に遅刻し、私は事情も分からぬまま、結局二時間待ち続けたことがありました。
当時、携帯電話がありさえすれば、ササっと連絡を取り合って、待ち時間を無駄にするようなことはなかったですね。
携帯電話も出始めの頃にはトランシーバー(死語?)のように巨大でしたが、あっという間に小型化して価格も安くなり、桃崎氏の世代にとっては、携帯電話は「前からあった」当たり前の存在なのでしょうね。
携帯電話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1
「古代」を知る私の感覚からすると、携帯電話・携帯音楽プレーヤー・液晶タッチパネルこそが「人類の生活が変わり、それなしの生活は考えられなくなった」革新的な新技術であり、iPod・iPhone・iPad などは、「新ジャンル」と呼ぶにはあまりに大袈裟な、一段下のレベルの応用商品のように思われるのですが、このあたりの感覚はなかなか共有が難しそうですね。
また、私にとっては「Apple という会社」はあくまで革新的なパソコンの会社です。
パソコンが一般消費者の手に届くようになった頃、マックはウィンドウズパソコンより遥かに洗練されていて、私は友人・知人にマックの素晴らしさを吹聴する自主的なマック伝道師だったのですが、そんな私もいつしか背教者となり、ウィンドウズ派に改宗してしまいました。
さて、『武士の起源を解きあかす』を無理やり十七文字で要約すると、
挑発と 発情の末 武士生まれ
てな感じですかね。
桃崎氏は語彙が豊富で、大変な文章家だとは思いますが、比喩についてはもう少し勉強された方が良いのではないかと思います。
「東京出身の若手研究者が京都の大学に就職するのに、かなり似ている」は、何度読んでも変ですね。
誰一人 分からぬ比喩が 得意技
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/03aca1d14f09d2480c211382ce26db93
また、"創発"云々の箇所については、各務支考の「歌書よりも軍書に悲し吉野山」にならって、
理論よりも 例えに難あり 桃崎山
という感想を抱きました。
「吉野の歴史と文化」(吉野町公式サイト)
https://www.town.yoshino.nara.jp/kanko-event/meisho-kanko/rekishi-bunka/
「創発」と「マッシュアップ」については、結局、桃崎氏自身が混同していて、読者には訳の分からぬ説明になってしまっているのではないでしょうか。
てふてふが一匹 創発とマッシュアップの間の海峡を 渡つて行つた
マッシュ・ミシュ ムッシュ・メッシュで モッシュして
アップアップの ムッシュ桃崎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/05e989045d282d79e897da8e3c60051a
更に駄句を二つばかり。
iPod iPhone・あいみょん iPad
無国籍 創発料理 桃崎亭