学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

お手上げ

2011-03-31 | 東日本大震災と研究者
お手上げ 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月31日(木)23時42分21秒

原発20キロ圏内は本当に悲惨な状況になっていますね。

--------------
 警察当局によると、高線量の放射線を浴びた遺体を収容する際、作業する部隊の隊員が二次被ばくする可能性がある。収容先となる遺体安置所でも検視する警察官や医師、遺族らに被ばくの恐れが生じる。
 遺体は最終的に遺族か各市町村に引き渡すことになるが、火葬すると放射性物質を含んだ煙が拡散する恐れがあり、土葬の場合も土中や周辺に広がる状況が懸念される。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110331/dst11033114150031-n1.htm

私もさすがに公園や野球場・サッカー場に墓地を作れ、とは言えません。
この問題に誰が解決策を提示できるのか。


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必要なのは「励まし」ではなくガソリン

2011-03-31 | 東日本大震災と研究者
必要なのは「励まし」ではなくガソリン 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月31日(木)07時57分20秒

>Akiさん
ツイッターですか。
私はどうも断片的な「つぶやき」が苦手で、全然見ていません。
以前、「うさたろう日記」という歴史研究者のブログを時々見ていたのですが、「つぶやき」の保存版になってしまって以降は訪問しなくなりました。
思ったことを直ぐに発散してしまうのは歴史研究とはなじまないように思うのですが、まあ、人それぞれですね。

昨日、日経新聞に、「震災支援、3.11以降に生まれた3つのプロジェクト 「個人」奮い立たすソーシャルの輪」という記事がありました。

-------------------
 「いつか自分の子供や孫に話そう。『おばあちゃんが若かった時、東日本大震災があって世界中が1つになった。皆が一つのために必死になって支えあって輝いていたんだよ』って」
 戦後最悪の災害をもたらした3月11日の東日本大震災。その翌朝、まだ震災の全ぼうが見えないなかで立ち上がった「prayforjapan.jp」は、震災後、もっとも有名なサイトの1つとなった。ミニブログのツイッターで国内外から発せられた希望や励ましのつぶやきがまとめられている。

http://www.nikkei.com/tech/business/article/g=96958A88889DE0E7EAE3E1EAE1E2E0EBE2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E2EBE3E3E0E2E3E2E1E7E2E4

最後まで読んでみましたが、私の感想は、一番最後に出ていた『ウェブはバカと暇人のもの』の著者である中川淳一郎氏の「ツイッターで節電を呼びかけ合ったり、安否情報を求める人のツイートをリツイート(回覧)しただけで、ソーシャルメディアが役だった、すごいよね、と論じるのは自己満足に過ぎない」という意見に近いですね。
安否確認についてはソーシャルメディアは本当に役立ちましたが、「励まし」など被災地にはとどかないし、食糧・医薬品・燃料が必要な段階の被災地にとって、「励まし」など不要などころか、沢山あればあるほど鬱陶しい存在です。
地方は完璧な車社会だから、必要なのはガソリンなんですよね。
ガソリンさえあれば、現地の人がそれぞれの判断で動けて、必要なところに必要な物資が動きます。
阪神大震災規模の災害の場合、被災地に入るのは自衛隊その他の専門家に限定し、それらの人々が物資を運ぶという方法でよかったのでしょうが、今回の災害ほど広範囲になると、もっと違ったやり方が適当だったのではないかと思います。
例えば、一般人のガソリン携行は消防法の下で厳格に制限されていますが、この制限を一時的に解除して、被災地に運ぶ場合は、ポリタンクでの運搬も可、販売も可としたら、青森・秋田・山形・新潟あたりから多くの一般人が乗り込んで、ガソリンを配布できたはずですね。
もちろんその中には善意のボランティア以外に、どさくさの中で金儲けをしようとする人が含まれるでしょうし、安全性を欠く容器を利用したことによる事故も起きるでしょうが、結果的にガソリンさえ届けば、現地ではすべてが回り出す訳ですね。
というようなことを、先日、高速道路のSAのガソリンスタンドに並ぶ長蛇の列を見ながら考えました。


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竹駒神社

2011-03-30 | 東日本大震災と研究者
竹駒神社 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月30日(水)08時03分50秒

今週末、また東北に行ってきますので、この掲示板を見ている人から何か依頼があれば、私にできる範囲で対応します。
一応の予定として陸前高田市の竹駒神社付近と南三陸町の歌津地区に行くつもりですが、後者は道路事情を考えると無理かもしれません。
念のため書いておくと、私の車は一応エコカーなので、満タンにすれば上記行程を給油せずに往復できます。
だから、私が移動することで地元の人の給油の機会を奪うことはありません。

竹駒神社
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/iwate/rikuzentakadasi/takekoma/takekoma.html
http://www.pacs.co.jp/hist_walk/walk_iwate04/rikutaka_takekoma_jinjya/index.html



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他の自治体の対応

2011-03-29 | 東日本大震災と研究者
他の自治体の対応 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月29日(火)07時35分46秒

河北新報の3月21日付記事によると、

-----------------
 東松島市は最も早く22日から土葬を始める方針で、旧クリーンセンター跡地に1000人以上規模の墓地を建設する。気仙沼市は旧気仙沼斎場周辺を土葬用地にする。石巻市は北鰐山墓地ほか2カ所に墓地を設ける。

 仙台市は、市内で発見された身元不明の遺体を土葬できるようにする市霊園条例の一部改正を、近く専決処分する方針。青葉区の葛岡墓園に、最大約1600人の遺体を埋葬できる用地を確保し、墓地の造成や一時安置所の設置に着手した。

 南三陸町は現在、登米市の火葬場へ遺体を搬送しているが、今後、町内数カ所に土葬用地を用意する。女川町は火葬希望者を除き、鷲の神公園で土葬する方針。山元町は金泉寺に土葬用墓地を整備する。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110321t13057.htm

ということで、ゴミ捨て場で処理しようとする自治体は東松島市だけのようですね。
「東松島市」+「土葬」で検索して、ネットで入手できる限りの新聞記事を読んでみましたが、みんなずいぶん物分りがよいですね。
しかし、私は到底納得できないし、こんなことは許されるべきではないと思います。
津波被害を受けた地域での遺体捜索活動の実態がどのようなものか、地元の消防団員や警察、また自衛隊員らがどれほど苦労しているかは、非常に残酷な描写にならざるをえないので、テレビや新聞より週刊誌等で報道されることが多いですが、そのようにして集めた遺体をゴミ捨て場で処理してよいのか。
衛生面だけを考えて山間部のゴミ捨て場で処理するなら、口蹄疫や鳥インフルエンザで殺処分した家畜の扱いと同じではないかと思います。
別に東松島市全域が被災した訳ではなく、土地なんかいくらでもあります。
必要な土地はせいぜい1ヘクタールなのだから、公園や野球場、サッカー場など適当な市有地はいくらでもあるはずです。

【注記】ここで書いた内容は、当時、東松島市のおかれていた状況を考えると極めて不適切・不謹慎であり、東松島市関係者には許しがたいものと受け取られても仕方ありませんが、土葬の問題は私が被災地を訪問しようとした直接のきっかけであり、修正すると前後の記事の流れも理解できなくなりますので、このままにしておきます。
(2011年5月7日)



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「矢本リサイクルセンター」

2011-03-27 | 東日本大震災と研究者
「矢本リサイクルセンター」 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月27日(日)23時20分0秒

「矢本リサイクルセンター」は市の北方の山間部にあり、地震や津波の被害を感じさせるものは周囲に全くありません。
入口は下の写真のような状態でした。
コンクリート製の門には「矢本リサイクルセンター」という文字が彫られており、同名の立て看板もありました。
写真は車内から撮ったものですが、たまたまワイパーの洗浄液が切れてしまってフロントガラスが汚れているために見づらくなっています。
なお、この写真が「矢本リサイクルセンター」で私が撮った唯一の写真です。
遺族や自衛隊員を携帯で撮影することは、さすがに憚られました。

矢本リサイクルセンター
「混ぜればごみ 分ければ資源」
http://www.city.higashimatsushima.miyagi.jp/kurashi/pdf/gomi/06_recycleroute.pdf

※写真略

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野蒜地区

2011-03-27 | 東日本大震災と研究者
野蒜地区 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月27日(日)23時01分57秒

東北自動車道を三本木スマートICというところで降りて東松島市に向かったのですが、途中で道を間違えて、同市の野蒜地区に近づいてしまいました。
ここは二百体の遺体が発見された場所で、道路の警備を行っていた自衛隊員の指示に従ってすぐに引き返したのですが、ちらっと見ただけでも被害の凄まじさを伺うことができました。
ただ、海岸を少し離れると、道路に多少の段差があったり、小規模のがけ崩れがあったりする程度で、概ね平穏な風景がのんびりと広がっており、その落差は意外でした。

野蒜地区
http://www.asahi.com/national/update/0313/TKY201103130315.html

東松島市
http://www.city.higashimatsushima.miyagi.jp/


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怒りの原因

2011-03-26 | 東日本大震災と研究者
怒りの原因 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月26日(土)23時22分28秒

今日は磐越自動車道と東北自動車道を利用して会津若松から宮城県東松島市まで行き、同じルートを戻って先ほど自宅に帰りました。
今回の目的地は「東松島市営墓地」です。
産経新聞の記事が納得できなかったので、直接行ってみることにしました。
市内に入っても肝心の場所が分からないので、市役所にでも行って聞いてみようかと思っていたところ、たまたま通りかかった道路脇に「東日本大震災 犠牲者埋葬場入口」との立て看板を見つけました。
そこには「矢本リサイクルセンター」と書かれたコンクリート製の門があり、門を入って坂道を上って行くと、小さな工場のような建物があり、その前に自衛隊の車両が並び、大勢の自衛隊員が集まっていました。
その建物の右手上に、山を削平したと思われる広い土地があり、その一画が新聞記事の写真で見た通りの土葬用墓地でした。
墓地の手前に、工事現場にあるようなプレハブの簡易建物があり、数十人の遺族が集まっていました。
新聞記事には「旧リサイクル場敷地内に急遽(きゅうきょ)、造成された墓地」とありましたが、リサイクルセンターはどうみても現役の様子で、その一画を「東松島市営墓地」と名付けただけのようですね。
「リサイクルセンター」とは、もちろんゴミ捨て場の美称です。
削平された土地は普通の赤土であって、決してゴミが堆積している訳ではありませんが、おそらくゴミ捨て場にするために準備した土地なのでしょうね。
とすると、記事で描かれた「こんな人をバカにしたやり方あっかよ」という遺族の怒りは、土葬することではなく、土葬の場所に向けられていたのではないかと思います。
「犬や猫でも、頼めば火葬場で焼いてくれるのに…」とは、ゴミ捨て場を墓地にするなんて、犬猫以下の扱いではないか、という意味じゃないですかね。
記者はあまりにあからさまに批判すると死者を冒涜することになりかねないと配慮して、言葉を濁したのではないかと思います。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110322/dst11032218090046-n2.htm

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会津若松にて

2011-03-26 | 東日本大震災と研究者
会津若松にて 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月26日(土)07時14分47秒

昨日、磐越自動車道で会津若松まで来ました。
県境のトンネルを越えて福島県側に入ると雪になり、今朝も雪が降り続いています。

>筆綾丸さん
天皇・皇后の日程は宮内庁ホームページで公開されています。

-----------------
平成23年3月15日(火)
天皇皇后両陛下 ご説明(前原子力委員会委員長代理(原子力発電所の仕組みと安全対策について))(御所)
天皇陛下 ご執務(御所)
天皇皇后両陛下 ご説明(警察庁長官(東北地方太平洋沖地震被災状況及び救助活動等について))(御所)

平成23年3月16日(水)
天皇陛下 東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下おことばのビデオ収録(御所)
天皇皇后両陛下 ご説明(東京大学大学院医学系研究科教授(放射線被曝について))(御所)
天皇陛下 ご執務(御所)

平成23年3月17日(木)
天皇皇后両陛下 ご説明(日本赤十字社社長,同副社長(東北地方太平洋沖地震に対する日赤の救護活動等について))(御所)
天皇皇后両陛下 ご説明(宮内庁総務課長(和歌山県開催第62回全国植樹祭行幸啓につき))(御所)
天皇陛下 認証官任命式(内閣官房副長官1名)(宮殿)

http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h23/gonittei-1-2011-1.html

ビデオ撮影前後の日程を見ると、ビデオ撮影だけ京都御所で行うとは考えにくいですね。
また、現在の京都御所は公務を行うような場所でもないはずです。


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これから

2011-03-25 | 東日本大震災と研究者
これから 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月25日(金)21時11分23秒

ちょっと放射能を浴びに福島県に行ってきます。
今日は会津若松に泊まり、明日は仙台方面を予定しています。
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少し反省

2011-03-25 | 東日本大震災と研究者
少し反省 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月25日(金)07時38分29秒

産経新聞の記事を読み直したところ、記者に土葬それ自体に対する嫌悪感があるのでは、という私の感想も的外れでしたね。

>筆綾丸さん
磐越自動車道もやっと閉鎖が解除されたので、今週末、被災地の様子を見に行ってこようと思っています。


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土葬について

2011-03-23 | 東日本大震災と研究者
土葬について 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月23日(水)07時17分8秒

産経新聞に「棺も写真も墓標の名もなく…突き付けられた『土葬』」の現実」という記事が出ていました。

-------
 「こんな人をバカにしたやり方あっかよ」
 ノリ養殖業の父親(69)を失った男性(35)が声を荒らげた。
 目の前には毛布でくるんだ上から粘着テープを巻いただけの父親の遺体が横たわる。白髪交じりの頭や黒ずんだ足が無残に露出していた。
 「お願いしますって市に任せたけど、袋すらかかってねえ。何体埋めるか分かんねえけど、こんなんで始めるもんじゃねえよ」
 男性はやり場のない怒りをぶちまけた。穴のそばに座り込んだ母親(64)もため息をついた。「犬や猫でも、頼めば火葬場で焼いてくれるのに…」


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110322/dst11032218090046-n1.htm

丁寧な埋葬ができない親族の悔しさは理解できますが、この記事を書いた記者は「土葬」それ自体に対する嫌悪感も持っているようですね。
私が生まれた群馬県の農村部では昭和40年代まで土葬は当たり前で、昭和44年(1969)に亡くなった父方の祖母は土葬でした。
集落の人が丸いお棺を担いで長い葬列を組み、小さなお堂がある墓地まで歩いて行って、僧侶の読経の後、スコップで掘った穴に埋めました。
私はむしろ土葬の方が自然な感じがして、火葬場で遺体を焼いた後、参列者が骨を白木の箸で集める作業を行うのはひどく残酷な行為のように感じてしまいます。
ただ、私の地元でも火葬が急速に普及しましたので、私のような感覚を持つ人は珍しくなってしまったのかもしれないですね。
死のとらえ方は非常に微妙な問題ですので、先の投稿で私が書いた「デジタルリコンストラクション」などという考え方に抵抗を感じる方もいるでしょうね。

>職人太郎さん
偉そうなことを書いていても、私も世間的には単なるドライブ好きのおじさんなので、今のところ何もしていません。
新潟県には着の身着のままで慌ただしく避難されてきた被災者が大勢いますので、荷物を取りに自宅に戻るような時に車を出す、といったお手伝いをしたいと思っています。

>筆綾丸さん
イタリア共和国憲法のその規定は、遥か昔、比較憲法の講義で聞いたような覚えがあります。
思想的背景を調べてみたいですね。

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参考資料

2011-03-21 | 東日本大震災と研究者
参考資料 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月21日(月)23時39分4秒

「デジタル・リコンストラクション」という言葉は古川耕平氏の「消失文化財のデジタル仮想復元作業のプロセスにおける問題点と今後の展望」(『立命館映像学』第2号、2009)という論文で知りました。
参考資料として、この論文の冒頭部分を少し引用しておきます。

------------
1.はじめに

 筆者はこれまでデジタルアーカイブという学問に従事しながら、いくつかの文化財のデジタル再現をおこなってきた。
 デジタルアーカイブは文理融合型の学問といわれるが、筆者の場合、理系の側のスタンスをとりつつ、同時にクリエイターとしての立場からの研究が主となった。すなわち、研究としてのデジタルアーカイブコンテンツの意義や応用手法を視野に入れながら、実際にコンピュータグラフィックス(以下CGとする)ソフトウェアを駆使し、文化財を3Dのデジタルデータとして構築し再現していく作業である。
 基本的に歴史的建造物のデジタル再現を主としており、その中で、天災や騒乱などで現在は失われてしまった文化財の再現をいくつか手掛けた。具体的には、和歌山県高野山の麓にある丹生都比売神社(図1)や、京都・東山に存在した光明峯寺(図2)などである。これらは絵図や古地図などの二次元的な資料からの仮想復元が主である。消失文化財のデジタルアーカイブに関する先行研究としては、大石らの奈良大仏のCG復元、角田らのバーチャル飛鳥宮などが挙げられるが、博物館などによる既存の推定模型を参考にモデルの作成をおこなっており、二次元的な資料からの復元作業の問題点に関してはあまり言及していない。(以下略)

丹生都比売神社
http://www.niutsuhime.or.jp/

立命館大学映像学部
http://www.ritsumei.ac.jp/eizo/education/professor.htm

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消失した街のデジタル・リコンストラクション(その1)

2011-03-21 | 東日本大震災と研究者
消失した街のデジタル・リコンストラクション(その1) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月21日(月)22時47分9秒

現在の原発の危機が一応終息し、また地震の被災者の生活が、仮住まいではあっても一応の落ち着きを取り戻した後の話ですが、多くの街が一瞬で崩壊・消失し、万単位の犠牲者が出たことに伴う巨大な心の空白をどのように埋めたらよいのか、という問題がありますね。
被害の規模はヒロシマ・ナガサキや東京大空襲に比すべきものですが、原爆や東京大空襲の場合は開戦時の熱狂と戦況の逆転、そして各地での空襲という具合に数年間の経過があり、犠牲者にとって納得はできなくても、生ずる事態についてある程度の予感、あるいは漠然とした不安は抱けたと思います。
しかし今回の地震と津波はあまりに突然であり、多くの人々が全く心の準備をする間もなく命を失い、また生き残った人々の多くも、自分の目の前で家族や友人・知人が津波に呑み込まれるのを茫然と見つめる以外に何もできなかったはずです。
死んだ人にとっても、また生き残った人にとっても、この巨大な心の断層にどのように対処したらよいのか。
生き残った人たちの生活のために街は新しく再建されなければならず、また、どんなに思い出があろうと、より安全な街にするために、従来の街並みとは異なる大幅な改造は避けられないと思います。
この点は生き残った人の生活を優先させなければならないですね。
他方、消失した街は、そのままの形で、地図や写真、そして生き残った人々の記憶を集めて、仮想の都市としてインターネット上に再建することはできないですかね。
参考となりそうなのは、立命館大学映像学部の古川耕平氏らが行っている消失文化財のCG復元や東京大学情報学環池内研究室の「バーチャル飛鳥京」、そしてビジネス的には失敗に終わった「セカンドライフ」などですね。

バーチャル飛鳥京
http://www.cvl.iis.u-tokyo.ac.jp/research/virtual-asukakyo/index.html

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また里帰り

2011-03-21 | 東日本大震災と研究者
また里帰り 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月21日(月)21時14分58秒

>筆綾丸さん
レスが遅くなってすみません。
母親が少し体調が悪いというので、土曜の投稿後、群馬に帰っていました。
結局たいしたことはなく、安心して今戻ってきたところです。
群馬の私の実家付近では大半のガソリンスタンドが休業中で、開店している店には数百台の車が並んでおり、驚きました。
新潟では普通に営業している店が多く、ずいぶん様子が異なりますが、ガソリンについては首都圏も間もなく落ち着きそうですね。

>生き神
ニューヨークタイムズでもビデオメッセージに関連して、ちょっと的外れな感想を述べていた記事があったはずなのですが、検索しても出てきません。
ネットの記事はけっこう頻繁に修正されるので、気づいたときにこまめに保存しておかないといかんですね。
それはともかく、天皇陛下もずいぶん年をとられましたね。


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Japan Raises Nuclear Crisis Warning Level Retroactively

2011-03-19 | 東日本大震災と研究者
Japan Raises Nuclear Crisis Warning Level Retroactively 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月19日(土)09時26分43秒

日本の政府・マスコミだけ見ていると、スリーマイル島はまだまだ何マイルも先にあるように思えたはずですが、実際には15日(火)の時点で既にスリーマイル島に到達していた訳ですね。

-------------
Outside experts have said for days that this disaster was worse than that at Three Mile Island - which the United States classified as a 5 on the international scale - but which released far less radiation outside the plant than Fukushima Daiichi already has.

The decision to raise the level came two days after the United States Nuclear Regulatory Commission warned publicly that the situation at the crippled plant was much bleaker than Japanese officials had indicated, either because they were less worried or playing down the scope of the problems for fear of sparking panic.

Mr. Nishiyama said that regulators had not raised the threat level earlier because they were still assessing the situation. But on Friday, they decided events starting at the plant on Tuesday had been worrisome enough to justify the higher rating.

http://www.nytimes.com/2011/03/19/world/asia/19japan.html?pagewanted=1&_r=1&ref=asia

遅れたとはいえ、未だ経験したことのない新しいタイプの危機に際して、事実を直視する姿勢に変えたことは評価できます。
アメリカは北朝鮮の核を監視していた無人偵察機グローバルホークやU2偵察機を用いて原発事故の情報収集を行っているそうなので、やはり情報収集と分析において、国力の違いを感ぜざるを得ないですね。
危機は今後数週間続くことになるでしょうが、日本のマスコミも報道の水準を上げてくれるように期待します。
情緒や希望を加味せず、正確に事実だけを伝えてほしいですね。

それと個人的に非常に疑問に思っているのは、政府が高速道路をいつまでも閉鎖していることです。
この点、私はみんなの党の渡辺喜美氏の考え方に賛成します。
交通の大動脈である東北自動車道を閉鎖しておいて、救援物資が被災地に行く訳がないじゃないかと思いますね。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5652


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