投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 4月30日(金)01時56分43秒
検索してみたら、毎日新聞の書評で渡辺保氏が『源氏物語とその作者たち』を絶賛していますね。
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小説ならば読む方もこれはフィクションだと思って読む。しかし著者は小説を書いているわけではない。自由な空想をめぐらしながらもシッカリ実証している。実証の上に立つ空想は小説よりもはるかに面白い。ナマナマしい。これは事実に違いない(あるいはそれに近い)と読者に思わせるからである。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20100418ddm015070012000c.html
渡辺保氏の「実証」のレベルは相当高度ですね。
ついでに他の書評も眺めてみたら、山折哲雄氏の『愛欲の精神史』を激賞している方もいますね。
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途轍(とてつ)もなくスケールが大きい。インドから説き起こし、ヨーロッパや中国にまで話を広げ、最終的には日本に帰着する。仏教の経典や西洋の思想書を博引旁証(ぼうしょう)しながら、日本の古典から現代の小説にいたるまで縦横無尽に語る。
(中略)
自らの感性と体験に即して宗教思想を理解しようとする姿勢は、空海の密教を解き明かす過程でも貫かれている。ルーブル美術館を訪ねた際、著者はおびただしい裸体の彫刻を目にした。そのとき受けた衝撃は、密教に出会った空海の内面を探究するのに役に立った。
空海密教という試薬を加えると、王朝文学の定性分析は自(おの)ずと結果が出る。ヒンドゥー教に由来し、密教になだれ込んだエロチシズムがどのように『源氏物語』の「色好み」と接続しているか、著者一流の語り口で巧みに読み解かれている。
女性の愛欲とその行く末について考察するのも忘れていない。圧巻は『とはずがたり』と宗教思想の響き合いについての分析である。性愛の過剰はいつの間にか女人出家へと変わり、最後には鎮魂と懺悔(ざんげ)の交響となる。「女であることの無意味」を生きることを示唆して、壮大な知の探究の旅がここでようやく終わりを告げる。単なる愛欲の歴史にとどまらず、茫漠(ぼうばく)たる時空を超えた文明論であり、深遠な比較思想論にもなっている。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2010/04/20100411ddm015070004000c.html
世の中には「壮大な知の探究の旅」を『とはずがたり』で終わらせてしまった山折哲雄氏を「深遠」と評価する人もいるんですね。
この本は確か山折氏が国際日本文化研究センターの第三代所長だった時期に執筆したものですが、日文研には井上章一氏や平松隆円氏など、才能豊かな愛欲研究者が満ち溢れていますね。
井上章一氏が所長になるころには、国際愛欲文化研究センターに改名したりして。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-yamaori-aiyokunohate.htm
検索してみたら、毎日新聞の書評で渡辺保氏が『源氏物語とその作者たち』を絶賛していますね。
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小説ならば読む方もこれはフィクションだと思って読む。しかし著者は小説を書いているわけではない。自由な空想をめぐらしながらもシッカリ実証している。実証の上に立つ空想は小説よりもはるかに面白い。ナマナマしい。これは事実に違いない(あるいはそれに近い)と読者に思わせるからである。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20100418ddm015070012000c.html
渡辺保氏の「実証」のレベルは相当高度ですね。
ついでに他の書評も眺めてみたら、山折哲雄氏の『愛欲の精神史』を激賞している方もいますね。
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途轍(とてつ)もなくスケールが大きい。インドから説き起こし、ヨーロッパや中国にまで話を広げ、最終的には日本に帰着する。仏教の経典や西洋の思想書を博引旁証(ぼうしょう)しながら、日本の古典から現代の小説にいたるまで縦横無尽に語る。
(中略)
自らの感性と体験に即して宗教思想を理解しようとする姿勢は、空海の密教を解き明かす過程でも貫かれている。ルーブル美術館を訪ねた際、著者はおびただしい裸体の彫刻を目にした。そのとき受けた衝撃は、密教に出会った空海の内面を探究するのに役に立った。
空海密教という試薬を加えると、王朝文学の定性分析は自(おの)ずと結果が出る。ヒンドゥー教に由来し、密教になだれ込んだエロチシズムがどのように『源氏物語』の「色好み」と接続しているか、著者一流の語り口で巧みに読み解かれている。
女性の愛欲とその行く末について考察するのも忘れていない。圧巻は『とはずがたり』と宗教思想の響き合いについての分析である。性愛の過剰はいつの間にか女人出家へと変わり、最後には鎮魂と懺悔(ざんげ)の交響となる。「女であることの無意味」を生きることを示唆して、壮大な知の探究の旅がここでようやく終わりを告げる。単なる愛欲の歴史にとどまらず、茫漠(ぼうばく)たる時空を超えた文明論であり、深遠な比較思想論にもなっている。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2010/04/20100411ddm015070004000c.html
世の中には「壮大な知の探究の旅」を『とはずがたり』で終わらせてしまった山折哲雄氏を「深遠」と評価する人もいるんですね。
この本は確か山折氏が国際日本文化研究センターの第三代所長だった時期に執筆したものですが、日文研には井上章一氏や平松隆円氏など、才能豊かな愛欲研究者が満ち溢れていますね。
井上章一氏が所長になるころには、国際愛欲文化研究センターに改名したりして。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-yamaori-aiyokunohate.htm