第204回配信です。
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日時:10月30日(水)18:00~21:00
会場:東京大学史料編纂所大会議室
報告者:石渡正樹氏(学習院大学博士後期課程)
題目:「後高倉皇統と九条道家政権」
○参考文献
曽我部愛「後高倉王家の政治的位置―後堀河親政期における北白河院の動向を中心に―」(『中世王家の政治と構造』同成社、2021年、初出2009年)
井上幸治「九条道家―院政を布いた大殿―」(平雅行編『中世の人物 京・鎌倉の時代編3 公武権力の変容と仏教界』清文堂出版、2014年)
海上貴彦「鎌倉期における大殿の政務参加―摂関家の政治的転換点をめぐって―」(『日本史研究』692、2020年)
日時:10月30日(水)18:00~21:00
会場:東京大学史料編纂所大会議室
報告者:石渡正樹氏(学習院大学博士後期課程)
題目:「後高倉皇統と九条道家政権」
○参考文献
曽我部愛「後高倉王家の政治的位置―後堀河親政期における北白河院の動向を中心に―」(『中世王家の政治と構造』同成社、2021年、初出2009年)
井上幸治「九条道家―院政を布いた大殿―」(平雅行編『中世の人物 京・鎌倉の時代編3 公武権力の変容と仏教界』清文堂出版、2014年)
海上貴彦「鎌倉期における大殿の政務参加―摂関家の政治的転換点をめぐって―」(『日本史研究』692、2020年)
http://www2.ezbbs.net/31/shikado/
曽我部愛『中世王家の政治と構造』
http://www.douseisha.co.jp/book/b594756.html
p39以下
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最後に本章で論じてきたことを整理したい。承久の乱後、幕府の意向を受けて成立した後高倉王家は、北白河院の出自に由来する人的基盤を有していたが、王家としては不十分なその基盤をより強固なものとするため、他権門たる摂関家に積極的に関わり、安貞二年には関白交代を実現させた。また後堀河親政期を中心に追善仏事の整備を通して後白河から高倉─後高倉─後堀河─四条へと継承する新たな皇統の生成を企図した。さらにその皇統の経済的基盤となる室町院領をはじめとした新たな所領の形成および獲得を図り、皇位皇統としての自身の確立を目指した。
本章では以上のように一つの政治主体として後高倉王家を位置づけてきた。しかしその主体性は、四条天皇期に至って失われたと考えられる。九条道家の摂政就任以後、協力体制にあった道家と西園寺公経、北白河院の三者の関係が、四条の即位の段階に至って変化したことはすでに述べた。後堀河の譲位の段階から表面化しつつあった外戚としての道家・公経の専横は、譲位の翌年に抑止力であった後堀河が死去したことで、ますます顕著となった。その結果、院という要を欠いた後高倉王家は、しだいに王家としての自立性を失っていったと考えられるのである。それは北白河院の立場の変化にも表れている。四条即位と同時に北白河院はそれまで保持していた院分国美濃国を手放し、それは後堀河から四条母で道家の娘藻璧門院に与えられた。北白河院から藻璧門院への国母の交代である。さらに道家は四条即位後の北白河院を「帝之祖母先代皆被重之」と評している。したがって後高倉院没後から院不在の後高倉王家の中心となって行動してきた北白河院は、四条即位とともに国母・後家としての権威と意義を喪失し、道家達によってしだいに政治的発言権を奪われていったと推測できる(71)。
【後略】
(71)北白河院は嘉禎四年十月三日に没しているが、没後も四条隆親の夢に現れ四条天皇の急逝を予言し「後堀河院御遺跡散々削跡、返々心浮事」と嘆く姿からは、彼女が後高倉王家の象徴として周囲に認識されていたことを示していよう(『平戸記』仁治元年閏十月七日条)。
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北白河院(持明院陳子、1173‐1238)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E6%98%8E%E9%99%A2%E9%99%B3%E5%AD%90
九条道家(1193‐1252)
法助(1227‐84)
「有明の月」は実在の人物なのか。〔2018-03-05〕
0054 花田卓司氏「足利義氏の三河守護補任をめぐって」〔2024-03-13〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/da0de9d2a4cd1dd60dfff359a9b38a7e
四条隆親と隆顕・二条との関係(その1)~(その5)〔2022-12-17〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/80d08c9a35f13cc002d83aa60b841a2d
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e66191c8e32d66910c03c1611506d53e
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/191ea5eb6fde00ee3f4943ada1c489e8
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3de9dbe3862b7081de0af9fb4df198f3
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b2336059caba4894c63f86b8c4504ab7
百瀬今朝雄校注「正元二年院落書」(『日本思想体系22 中世政治社会思想下』、岩波書店、1981、p342以下)
https://web.archive.org/web/20081229224731/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/shougen2nen-rakusho.htm
平田俊春「四條隆資父子と南朝」(『南朝史論考』、錦正社、1994)
https://web.archive.org/web/20130212213433/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/hirata-toshiharu-sijotakasuke.htm