投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 9月30日(月)10時55分20秒
前回投稿で触れた「『七十年史』の編集参与たちがマルクス主義的背景をもっていることはさきにのべた」(p138)の謎ですが、念のためと思って先程もう一度読んでみたものの、やっぱり存在していないですね。
草稿にあった文章を削ったのに関連部分の修正をしなかった、ということでしょうか。
それと、「宗教阿片論のように、マルクス主義と宗教は相容れないというイメージもあるが、両者が親和的な関係をもつことは別に奇妙なことでもない。マルクスやエンゲルスは宗教運動が革命的性格をもちうることを認めていた」(同)については、この部分だけ素直に読むと、ではレーニンはどうなんだ、生温いことを言ってるんじゃねーぞ、という素朴な疑問を抱かざるをえないですね。
レーニンに指導されたボルシェヴィキが教会財産国有化を断行し、聖職者の大規模処刑を行なったことは有名ですが、「戦闘的無神論者同盟」に属していた佐木秋夫もレーニン主義者ではなかったのか。
ま、永岡氏もレーニンの宗教に対する姿勢について知らないはずはなく、当面の論点とは関係ないということで触れなかったのでしょうが、佐木秋夫や村上重良のような共産党系の無神論者が宗教を研究する意義とも関係するので、レーニンについては後で論じたいと思います。
なお、レーニンによる聖職者殺戮の具体像はソ連崩壊後に詳細を知ることができるようになりましたが、ネットでは宮地健一氏の「聖職者全員銃殺型社会主義とレーニンの革命倫理」が詳しいですね。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninrinri.htm
宮地健一氏は1937年生まれで、名大経済学部卒業後、損保会社を経て日本共産党の専従職員を15年勤めた人だそうです。
規律違反を理由に査問を受け、共産党を除名された後、党を相手に裁判闘争を行なっていたとか。
宮地健一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9C%B0%E5%81%A5%E4%B8%80
さて、永岡論文に戻って続きです。(p138以下)
-------
その点、大本が二度の大弾圧を受けたという事実は、教団が近代天皇制国家における「民衆宗教」でありつづけたことの何よりの証拠として重視されることになる。それは、編纂会の討議で佐木秋夫がつぎのように発言していることからもはっきり読み取れる。
〔第二次事件で、教団に治安維持法にふれる点が、引用者註〕あっ
たところでかまわない。むしろあったほうがいい場合があるわ
けですよ。つまり、戦争に適するものは利用するという姿勢が
あるわけだから、協力しないで、拒否して、あたったほうがい
いわけでしょ。
佐木は、いわば大本の反権力性をより純粋な形で表現するシンボルとして、治安維持法違反適用の"正当性"を主張していた。治安維持法が民衆を抑圧する悪法である以上、それに違反するのが「民衆宗教」のあるべき姿だという、きわめて明快な論理といえる。こうした立場を同時期の著書『新興宗教─それをめぐる現代の条件』(一九六〇年)によって補足しておこう。そこでは「天皇制の落とし子」としての大本によって「するどい社会批判がしめされ、神の力によってこの邪悪なケモノの世が破滅して正直な貧しい人々が永遠の幸福を与えられる、というような狂信めいた終末の夢」が広まったものの、「けっきょくこういう信仰は、大衆を米騒動のような現実のたたかいに参加させるのではなく、怒りをあ おりたて反抗の姿勢を固めながらも、それを神秘の夢に発散させ、国民を信者と非信者に分断してしまう」と批判的にのべている。しかし他方では、大本事件について次のようにいう。
この経験は貴重なものだった。弾圧の「おかげ」で戦争協力の
責任もまぬかれた。そういう歴史的な性格を身につけて、戦後
の民主勢力の高まりに応ずることができた大本は、初期の積極
的な面を生かして平和・友好と民主主義を強調し、原水爆反対
や憲法擁護や中立政策のために広い民主勢力とともに活動して
いる。
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長くなったので、いったんここで切ります。
前回投稿で触れた「『七十年史』の編集参与たちがマルクス主義的背景をもっていることはさきにのべた」(p138)の謎ですが、念のためと思って先程もう一度読んでみたものの、やっぱり存在していないですね。
草稿にあった文章を削ったのに関連部分の修正をしなかった、ということでしょうか。
それと、「宗教阿片論のように、マルクス主義と宗教は相容れないというイメージもあるが、両者が親和的な関係をもつことは別に奇妙なことでもない。マルクスやエンゲルスは宗教運動が革命的性格をもちうることを認めていた」(同)については、この部分だけ素直に読むと、ではレーニンはどうなんだ、生温いことを言ってるんじゃねーぞ、という素朴な疑問を抱かざるをえないですね。
レーニンに指導されたボルシェヴィキが教会財産国有化を断行し、聖職者の大規模処刑を行なったことは有名ですが、「戦闘的無神論者同盟」に属していた佐木秋夫もレーニン主義者ではなかったのか。
ま、永岡氏もレーニンの宗教に対する姿勢について知らないはずはなく、当面の論点とは関係ないということで触れなかったのでしょうが、佐木秋夫や村上重良のような共産党系の無神論者が宗教を研究する意義とも関係するので、レーニンについては後で論じたいと思います。
なお、レーニンによる聖職者殺戮の具体像はソ連崩壊後に詳細を知ることができるようになりましたが、ネットでは宮地健一氏の「聖職者全員銃殺型社会主義とレーニンの革命倫理」が詳しいですね。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninrinri.htm
宮地健一氏は1937年生まれで、名大経済学部卒業後、損保会社を経て日本共産党の専従職員を15年勤めた人だそうです。
規律違反を理由に査問を受け、共産党を除名された後、党を相手に裁判闘争を行なっていたとか。
宮地健一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9C%B0%E5%81%A5%E4%B8%80
さて、永岡論文に戻って続きです。(p138以下)
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その点、大本が二度の大弾圧を受けたという事実は、教団が近代天皇制国家における「民衆宗教」でありつづけたことの何よりの証拠として重視されることになる。それは、編纂会の討議で佐木秋夫がつぎのように発言していることからもはっきり読み取れる。
〔第二次事件で、教団に治安維持法にふれる点が、引用者註〕あっ
たところでかまわない。むしろあったほうがいい場合があるわ
けですよ。つまり、戦争に適するものは利用するという姿勢が
あるわけだから、協力しないで、拒否して、あたったほうがい
いわけでしょ。
佐木は、いわば大本の反権力性をより純粋な形で表現するシンボルとして、治安維持法違反適用の"正当性"を主張していた。治安維持法が民衆を抑圧する悪法である以上、それに違反するのが「民衆宗教」のあるべき姿だという、きわめて明快な論理といえる。こうした立場を同時期の著書『新興宗教─それをめぐる現代の条件』(一九六〇年)によって補足しておこう。そこでは「天皇制の落とし子」としての大本によって「するどい社会批判がしめされ、神の力によってこの邪悪なケモノの世が破滅して正直な貧しい人々が永遠の幸福を与えられる、というような狂信めいた終末の夢」が広まったものの、「けっきょくこういう信仰は、大衆を米騒動のような現実のたたかいに参加させるのではなく、怒りをあ おりたて反抗の姿勢を固めながらも、それを神秘の夢に発散させ、国民を信者と非信者に分断してしまう」と批判的にのべている。しかし他方では、大本事件について次のようにいう。
この経験は貴重なものだった。弾圧の「おかげ」で戦争協力の
責任もまぬかれた。そういう歴史的な性格を身につけて、戦後
の民主勢力の高まりに応ずることができた大本は、初期の積極
的な面を生かして平和・友好と民主主義を強調し、原水爆反対
や憲法擁護や中立政策のために広い民主勢力とともに活動して
いる。
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長くなったので、いったんここで切ります。