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『古典の未来学』を読んでみた。(その5)

2020-12-19 | 征夷大将軍はいつ重くなったのか
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月19日(土)18時23分13秒

第五節に入ると、谷口氏は「「太平記史観」の超克へ向けた具体的な方法について列記してみたい」として、三つの提案をされています。(p703以下)

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 第一に、一次史料の博捜である。これは歴史学のやりかたであるが、関係する中世史料(古文書・古記録・典籍類)を徹底して収集していくうちに、既存の常識・イメージでは必ずしもとらえきれない、いくつもの史料・史実と出会うはずだ。筆者の場合、その一つが(第三節で述べたように)新田氏を足利一門と明記する複数の中世史料だった。実は筆者も当初これらの史料に対して違和感を抱えつつも、(依然「太平記史観」にとらわれていたため)あまりよく考えずに放置していたのだが、その後、徐々にそれらが極めて画期的な史料(「太平記史観」という問題に気付かせてくれ、その一片を打破しうる史料)であると認知し、活字化したという経緯がある。『太平記』以外の史料を集めることは必須である。
 それと同時に、中世以降(近世・近代・現代)の史料へ目配りすることにも留意したい。『太平記』的な見方・イメージは、『太平記』に端を発し、後世、様々に派生して、現在に至っている。人々が『太平記』をどう読んできたのか(読みなおしてきたのか)について分析することは、「常識」(「太平記史観」)がいかに強化・再生産されてきたのかを自覚的にとらえるうえで重要な意義を持つ。【後略】
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ということで、まあ、別にこれは「太平記史観」特有の問題ではなく、殆ど歴史研究者の日常業務の話ですね。
さて、二番目の提案は次のようなものです。(p704以下)

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 第二に、『太平記』諸本の分析である。これは国文学のやりかたであるが、『太平記』の諸本を比較していくうちに、同じ『太平記』といえども、その内容にはいくつもの相違があることに気付くはずだ。このことは、国文学の世界では自明に属すると思われるのだが、他方、歴史学の世界では未だ必ずしもそうとはなっていないのが現状だろう。
 この点、例えば、亀田俊和『観応の擾乱』(中央公論新社、二〇一七年)の書評に際して、筆者は「著者に期待したいのは、『太平記』諸本の分析だ。著者は西源院本を用いて筆を進めるが、神宮徴古館本など他写本ではどうなっているか気になった。軍記研究と歴史研究は対話が不足していると感じるが、『太平記』史観が鋭く批判されている現在、相互の交流は必須」だと述べ(『週刊読書人』三二〇八、二〇一七年)、同様に、山田徹も「『太平記』の西源院本の記述を使用しているが、この巻二十七は古態を残すとされる諸本のなかでも記述に相違があることで知られており(…)いずれかの本の内容を安易に信用できるわけではないため注意が必要である(…)著者の『太平記』理解に疑問を感じる点がいくつかあったが、これらは本書が意外にも国文学の『太平記』研究をあまり参照していない点と関係があるのかもしれない」と断じている(『ヒストリア』二六八、二〇一八年)。むろん、かかる批判は、亀田個人に対してというより、学界全体に対してなされているものであり、歴史学の現状に対する異議としてとらえられるべきものである。
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まず、山田氏の「本書が意外にも国文学の『太平記』研究をあまり参照していない」との「酷評」は、亀田氏の手厳しい反論を踏まえると必ずしも賛成できない、というか、些か軽率な評価ではなかろうかと思います。

『古典の未来学』を読んでみた。(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/384b125bc3a1a4f2d42f4d21b9b6385d

また、歴史学と国文学の交流が必要だという一般論はそれとして、国文学方面での『太平記』諸本の研究が本当に「太平記史観」解明に役立つのか、という根本的な疑問も感じます。
前回投稿でも指摘したように、谷口氏は「太平記史観」という言葉を、自身が定義した「『太平記』が紡ぎ出す物語・視座(物の見方・『太平記』的な見方)」という意味で一貫して使っておらず、個々の小さな事実の認定についても『太平記』の影響が見られることにまで広げてしまっています。
実際のところ、国文学者が熱心に研究している諸本の異同は、歴史研究者の個々の小さな事実の認定に影響を与えることはあっても、「『太平記』が紡ぎ出す物語・視座(物の見方・『太平記』的な見方)」にまで影響することは考えにくいんですね。
谷口氏が解明した新田・足利の問題にしても、『太平記』の諸本間では有意な異同はなくて、谷口氏は『太平記』以外の史料に基づいて「太平記史観」の問題に気付かれた訳です。
要するに、個々のチマチマした事実ではなく「物の見方」となると、『太平記』の諸本はみんな同じようなものなんですね。
ということで、谷口氏の二番目の提案は「太平記史観」の解明に全く役立たないと私は考えます。
さて、三番目です。(p705以下)

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 第三に、共同研究の必要性である。今述べたように、現在の歴史学と国文学は、往々にして、隣接していながらも、相互に疎遠の関係にあるといえよう。むろん、先学により様々な取り組みが行われてきたのは貴重だが、こと中世後期の『太平記』研究についていえば、歴史学が国文学の成果を十分に吸収できているかと問われれば、果たして素直に「是」と答えられるであろうか(事実、筆者自身もかかる問題については、数年前に歴史と文学の共同研究の場において初めて認識したということを、ここで告白しなければならない)。
 この点、例えば、国文学側の『太平記』研究の重鎮の一角たる小秋元段の発言は厳しい。
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ということで、この後、洋泉社MOOK『歴史REAL 南北朝』(2017)での小秋元段氏の見解が引用されています。
谷口氏の引用部分と完全に重なる訳ではありませんが、私も小秋元氏の見解に注目して、少し検討したことがあります。

小秋元段氏「特別インタビュー 文学か歴史書か?『太平記』の読み方」(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6763260b863266ee0d45297e07ca9dad
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/991c2983c89c6c6b7a549564b4480a00
「小秋元段君は、初めから大器だったのではないか、と今でも時々思う」(by 長谷川端氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d03e97d1919e268f149d8b36bcd1e3eb

ただ、まあ、歴史学と国文学の共同研究はけっこうなことではあるものの、それが「『太平記』が紡ぎ出す物語・視座(物の見方・『太平記』的な見方)」という意味での「太平記史観」の解明につながるかというと、残念ながら私は否定的です。
過去数十年、多くの国文学者が『太平記』諸本の研究を延々と続けて来られた訳ですが、その努力にも関わらず、果たして「太平記史観」解明に役立った論文がひとつでもあったでしょうか。
例えば「国文学側の『太平記』研究の重鎮の一角たる小秋元段」氏にそのような業績があるでしょうか。
「物の見方」は思想的立場ですから、その解明は『太平記』諸本間のチマチマした異同の研究に従事している人たちにはいささか荷が重く、思想史についてある程度専門的な研究をしている人でなければ無理じゃないですかね。
そういう人は国文学者には殆どいなくて、歴史研究者にも僅少ですが、『太平記』に興味を持っていそうな中世史研究者に限るといったい誰がいるのか。
不遜な言い方で恐縮ですが、正直、暗澹たる思いを抱かざるをえません。
ということで、歴史学と国文学の共同研究を進めて行こうという谷口氏の、まあ、率直に言って中学校の生徒会長レベルの素晴らしい提案も、「太平記史観」の解明には全然役立たないだろうと私は考えます。
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