学問空間

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「成功報酬が国際司法裁判所の判事」(by 孫崎享)

2016-09-30 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月30日(金)09時08分34秒

グーグルで「田中耕太郎」を検索してみると、上位は殆ど全て不評・悪評・酷評で、これほど嫌われている法学者・最高裁元長官も珍しいですね。
ウィキペディアの次に出てくるのは孫崎享氏(元外務省国際情報局長・元防衛大学教授)のブログをコピーした「米国の命令を実行すると ご褒美がもらえるのだ」という記事ですが、それによると、

------
この田中耕太郎氏と米国との関係がどうなっていたか、見てみたい。
この情報は知人が提供してくれたものである。

 出典鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』、
下田武三(外務次官、駐米大使、最高裁判事)

 昭和28年対日平和条約の発効後、初代の大使として赴任した諸外国の
大使は各界の指導者との交際を念願していたところ、熱心なクリスチャンであり、
西欧的な教養を身につけられた田中最高裁長官ご夫妻は在京外交団の引っ張り
だことななられ、頻繁に大使館のディナーへの招待を受けられた。
(注:最高裁長官という微妙な立場にいるものは、通常、外国の工作を排除する
ため、こうした交流を出来るだけさせる)

http://www.asyura2.com/13/senkyo146/msg/494.html

のだそうですね。
「ななられ」は「なられ」の単なる誤記でしょうが、最後の「出来るだけさせる」は意味不明で、まあ、文脈から判断すると「さ(避)ける」と言いたかったのでしょうね。
孫崎氏は元外務省国際情報局長という経歴にも拘らず、ずいぶんそそっかしい人ですね。
なお、田中がこうした交流を積極的におこなったのは、戦前の大審院の社会的地位が極めて低いものだったので、最高裁は全く別な存在になったことをアピールすることが狙いだったとどこかで書いていましたね。
また、孫崎氏によれば、

-----
田中耕太郎氏が米国の積極的支持を得て当選したことは間違いない。
それはある意味、「砂川事件」裁判の論功勲章のようなものである。
砂川裁判は極めて異例な裁判である。
【中略】
田中耕太郎氏はその成功報酬が国際司法裁判所の判事というポストを
米国の支援で獲得したのである。ここに米国に協力する者と、米国の対応が
現れる典型的ケースがみられる。
裁判官や検察に米国の影響力が及んでいると多くの人は考えている。
しかし、ここにもしっかり影響力が及んでいる。
それを田中耕太郎氏のケースが示している。
------

のだそうです。
ま、日本語の乱れを指摘するのは煩瑣なので避けるとして、田中が国際司法裁判所の判事になったのは、当時、日本からの候補者として最適任と衆目が一致していた横田喜三郎(1896-1993)が個人的な都合で頑強に拒否したために6歳上の田中にお鉢が回ってきたからで、田中自身の希望ではありません。
田中は余生は再び学問三昧の生活に戻り、「世界法の理論」を完成させたいと思っていたのに、周囲から重ねて頼まれたために最後のご奉公のつもりでハーグに行った訳ですね。
そして高齢の身にとっては不自由の多い外国での生活に耐え、持ち前の生真面目さで熱心に職務に打ち込んだ結果、9年間の職務を終えて帰国後、まもなく病気となり、4年後に83歳で亡くなってしまいます。
激務をうまく逃げた横田喜三郎が、スケートなどを楽しみつつ、96歳まで長生きしたのとは対照的ですね。
そのあたりの事情は孫崎氏が一部を孫引きする鈴木武雄編『田中耕太郎 人と業績』の横田喜三郎の寄稿を見れば明らかで、孫崎氏の推論は偏った情報源に基く誤解、というか妄想ですね。
孫崎氏は立派な経歴の割には奇矯な発言が多い人で、鳩山元首相との共著もあるそうですから、「宇宙人」仲間なのかもしれないですね。

孫崎享
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%B4%8E%E4%BA%AB
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『シンゴジラ』は良かったけれど。

2016-09-29 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月29日(木)22時11分34秒

>筆綾丸さん
トッドの新刊をやっと入手しました。
『文藝春秋』に掲載された記事はいずれも読んでいたので、ちょっと物足りない感じがしますが、「トッドの歴史の方法」は良さそうですね。
これから精読します。

>ご指示通り
理由も示さず全否定ですから、かなり感じの悪い書き方でしたね。
もともと私は邦画を殆ど観ないのですが、この夏は『シンゴジラ』に嵌り、邦画もなかなかいいものだなと思っていたところに、偶然、

-----
君の名は。を観てきたわ。ガキとカップルに挟まれた席で太ったオカマがLLサイズのコーラとポップコーンをむさぼりながら号泣している様を周囲に見せてしまって本当に申し訳ない気持ちになったわ。

というツイートを見かけたので、妙に気になって観てしまいました。
ただ、思春期の感受性みたいなものは私にはちょっと気恥ずかしく、違和感が積み重なって、後半はいささか苦痛でしたね。
ま、根が貧乏性なので最後まで観てしまいましたが。

「君の名は。」新海誠監督インタビュー

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

フランスのしたたかさ? 2016/09/28(水) 20:55:12
小太郎さん
ご指示通り、やめておきます。

豊下楢彦氏『集団的自衛権とは何か』(岩波新書)第1章の次のような個所を読むと、国連憲章51条中の文言を「le droit inhérent」と仏訳できたにもかかわらずあえて「le droit naturel」としたのは、戦後の植民地経営などを想定したフランスの狡猾な作意だったのではないか(アメリカへの意趣返しも含めて)
、という気もしてきますね。
--------------
・・・英仏案は個別的自衛権と集団的自衛権を区別する必要を認めず、かつての攻守同盟のようにいかなる制約もなく自衛権を行使する自由を確保しようとするものであったが、米国はあえて両者を峻別して集団的自衛権の概念を設定し、そこに「武力攻撃の発生」という限定を組み込み、安保理の権限を強調したのである。(30頁)
--------------

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AD_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%BB%8D)
http://www.lemonde.fr/politique/article/2016/09/25/francois-hollande-reconnait-la-responsabilite-des-gouvernements-francais-dans-l-abandon-des-harkis_5003061_823448.html
国連憲章とは無関係ながら、数日前、オランド大統領は政府の責任を認め、アルキをエリゼ宮に招いて謝罪してました。来年の大統領選を意識した、不人気な大統領の演技にすぎないかもしれませんが。
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「田中耕太郎補足意見は、ことの本質を衝いている」(by 山元一氏)

2016-09-27 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月27日(火)23時40分30秒

山元一氏の「九条論を開く─<平和主義と立憲主義の交錯>をめぐる一考察」が入っている『シリーズ日本の安全保障3 立憲的ダイナミズム』(岩波書店、2014)は、去年、石川健治氏の論文を集めていたときにも手に取っていたのですが、石川氏の「軍隊と憲法」という論文がそれほど面白くなく、かつ水島朝穂氏の責任編集というのも個人的にあまり好みではないので、他の論文はチェックしていませんでした。
しかし、山元論文を実際に読んでみると実に素晴らしい論文で、特に何が良いかというと、田中耕太郎への好意的コメントがある点ですね。
この論文全体の構成は、

-----
はじめに

1 国際社会の立憲主義化と日本の平和主義
 <国際法適合的憲法解釈>の要求
 国際的立憲主義の現況
 国際立憲主義体制の中の自衛権
 モラル・アポリアと憲法九条

2 立憲主義と日本国憲法の平和主義
 「集団的自衛権・憲法解釈容認化」論への対抗言説としての立憲主義
 <憲法における平和主義の手続主義化>
 内閣法制局による九条解釈の規範的意義
 「にせ解釈」批判
 内閣法制局批判
 「現代日本型立憲主義観念」の成立
 憲法理論史的検討
 「原理」と「ルール」の区別論
 動態的憲法理解
<立憲主義適合的憲法変遷論>?
-----

となっているのですが、田中耕太郎への言及は1の「国際立憲主義体制の中の自衛権」の中に登場します。

-------
国際立憲主義体制の中の自衛権

 第二次世界大戦後の国際立憲主義体制の中における自衛権をめぐる日本での議論においては、従来の内閣法制局の憲法解釈が憲法上発動の許容される個別的自衛権と許容されない集団的自衛権という二つの自衛権を峻別してきたために、日本の議論の一般的水準も、そのような思考の強い刻印を受けている。【中略】そしてまた、日本憲法学では、諸外国の憲法にはない日本国憲法の特徴として、「戦争の放棄」を行ったということから、他国とは異なって積極的な意味で「戦争」を否定した特殊な国であるとの認識も強い。
 以上のような考え方は、国際法学の基本的思考と著しく異なっている。まず、古典的国際法の規範的枠組においては戦争に訴える行為は無差別的に許容されていたのであるから、自衛権を援用しなければ武力の行使を正当化できないという事情は存在しなかった。【中略】現在通用している自衛権が初めて登場した戦後の国際立憲主義体制においては、日本国憲法九条を待つまでもなく、すでに「戦争」そのものが法的正統性を完全に剥奪されており、de jure において(法的観点から見るならば)、現在の世界でいかなる国家も適法な仕方で「戦争」をすることはできない(日本国憲法の特殊性は、九条二項の非武装規定の方にある)。未だ創設されていない憲章七章の想定する国連軍を別として、許されるのは自衛権の行使としての暫定的な軍事的対抗措置(国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間。憲章五一条)かあるいは国際公益的観点に基いてなされる一定の措置に限定されるのである。
 次に問題となるのは、国際立憲主義体制の下での集団的自衛権の位置づけとその実際的適用である。
 まず、その位置づけについては、極めてネガティヴな描き出され方がなされるのが通例である(例えば、樋口一九九八:四三九)。このような考え方は、その発想の基本として、国際立憲主義体制の下での防衛そのものの観念を、自国防衛と他国防衛の二項対立図式として受け止めることから出発している。しかしながら、そもそも自国以外の国の防衛を自国に無縁な他者防衛として観念するのは、国際立憲主義体制の基本思想に背馳する。潜在的な敵国となりうる国に対しても集団的安全保障体制の枠組への加入を促し、仮にそのような国が他国に対して武力行使に及んだ場合には、武力行使された国を助けるために他の国々が力を合わせて対抗措置を取るのであるから、論理上純粋な自衛も他衛も存在しない。
------

段落の途中ですが、ここで切ります。
田中耕太郎の名前がどこにも出てこないではないか、と言われそうですが、この最後の部分、「論理上純粋な自衛も他衛も存在しない」に注(14)とあり、注(14)を見ると

------
(14)この意味で、あの砂川事件最高裁判決(一九五九年一二月一六日刑集一三巻一三号三二二五頁)田中耕太郎補足意見は、ことの本質を衝いている。
------

とあります。
たったこれだけなのですが、憲法学者が砂川事件の田中耕太郎補足意見を好意的に評価することは稀、というか他に見た覚えがなく、田中耕太郎ファンの私にとってはこれだけでも感涙ものです。

>筆綾丸さん
>「とりかへばや物語」に触発された映画だそうで

宣伝に乗せられて観てしまいましたが、最初の十五分で後悔しました。
止めた方が良いと思います。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

君の名は。 2016/09/27(火) 23:23:12
http://www.bbc.com/news/world-asia-37469662
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%B8%E3%81%B0%E3%82%84%E7%89%A9%E8%AA%9E
---------------
Director Makoto Shinkai is said to have been inspired by a classic Japanese 12th Century tale, Torikaebaya Monogatari, which features a sibling duo, where a boy is raised as a girl and the girl raised as a boy because of their personality.
---------------
「とりかへばや物語」に触発された映画だそうで、観たいのですが、いい歳して恥ずかしく、躊躇する今日この頃です。

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0826-a/
君の名は、護憲派の泰斗と改憲派の重鎮。

http://live.shogi.or.jp/oui/kifu/57/oui201609260101.html
木村八段にとって、おそらくタイトル獲得の最後のチャンスでしたが、羽生王位の前に夢は潰えました。ご愁傷さま。
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『外交激変 元外務省事務次官柳井俊二』

2016-09-27 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月27日(火)22時36分38秒

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の座長を務めた柳井俊二氏(1937生。国際海洋法裁判所長、元外務省条約局長・総合外交政策局長・事務次官・駐米大使)に五百旗頭 真・伊藤元重・薬師寺克行氏がインタビューした『外交激変 元外務省事務次官柳井俊二』(朝日新聞出版、2007)を読んでみましたが、非常に面白かったですね。

-------
90年代初め、湾岸戦争の勃発は戦後日本外交史を大きく塗りかえた。紛糾する国会、沸騰する世論。柳井俊二氏は外務省の中枢にあって、日本のPKO参加への陣頭指揮に立つ。冷戦体制崩壊後の日本の国際貢献はどうあるべきか。北朝鮮の核危機、9・11テロ、日本の国連安保理常任理事国入り問題など次々にわき起こる難問に官邸は、外交官はどう対処したか。日本外交の真実が存分に語られる。


水島朝穂氏のような共産党系の憲法学者だけでなく、長谷部恭男・石川健治氏らの「リベラル」な憲法学者たちも、外務官僚は湾岸戦争のトラウマから抜け出せていない、みたいなことを言いますが、正直、私はちょっと莫迦っぽいと感じていました。
いつまでも過去の出来事にグズグズ拘っているのは憲法学者たちであって、さすがに外交官はそこまでアホではないだろう、と思っていたのですが、『外交激変』を読んで自分の正しさを確認しました。
柳井氏は実にサバサバした性格であって、読んでいて気持ちが良いですね。
外交官モノは面白いなと思って、ついでに松永信雄氏(1923-2011)の『ある外交官の回想─日本外交の五十年を語る』(日本経済新聞社、2002年)も読んでみましたが、こちらはそれなりに興味深い話はあるものの、少し綺麗に纏めすぎていて、ちょっと物足りませんでした。
ま、「私の履歴書」としては完璧な本ですね。

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終戦直後の入省以来、日米安保条約、日韓基本条約、日中航空協定など一貫して世界各国との条約締結に携わってきた外交官松永信雄。外務事務次官、駐米大使、政府代表まで50年に及ぶ日本外交史の貴重な証言。


>筆綾丸さん
>国家を再評価せよ

トッドの新刊を早く読みたいのですが、つい最近、近所のそれなりに便利な書店が閉店してしまって、まだ入手すらできていない状況です。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

電波望遠鏡 2016/09/26(月) 18:27:20
キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89
マルチチュード(Multitude)がどのような概念なのか、知らないのですが、トッドは以下のように述べて、国家を再評価せよ、と言っています。
----------------
 私は、家族構造の専門家であって、国家の専門家ではありませんが、私の見方からすれば、今日の世界の危機も「国家の問題」として捉えなければなりません。
 サッチャー、レーガンのネオリベラリズム革命以来、国家の役割を減らし、小さくするという傾向が数十年間続いてきましたが、いま世界で真の脅威になっているのは、「国家の過剰」ではなく、むしろ「国家の崩壊」です。中東の危機も、国家崩壊による危機と見なければなりません。アラブの内婚制共同体家族社会はもともと国家形成の伝統を欠き、国家形成の力が弱いのです。EUの失敗も、ヨーロッパ国家形成の失敗と捉えられます。ウクライナ問題も、あの広大な地域に国家形成の伝統がなかったことに原因があります。
 いま喫緊に必要なのは、ネオリベラリズムに対抗する思考です。要するに、国家の再評価です。国家が果たすべき役割を一つずつリストアップすることです。
 ネオリベラリズムは、それ自体として反国家の思想であるだけでなく、国家についての思考を著しく衰退させました。それだけに今必要なのは、思想革命と言えるような思考の転換です。国家のあるべき姿をもう一度考え直し、一定の状況のなかで国家の役割を再評価し、国家と個人の自由との関係をよく理解しようと努めなければなりません。(前掲書135頁~)
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http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20160926_03/
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The media say the telescope will play a major role in the search for the origins of the universe.
------------
とありますが、中国人にもこういう意思があるのか、と驚きました。

http://www.bbc.com/news/science-environment-37453933
略称はFAST(Five Hundred Metre Aperture Spherical Telescope)とのことですが、正式名称は「神遠」或いは「神速」でしょうか。
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山元一氏「九条論を開く─<平和主義と立憲主義の交錯>をめぐる一考察」

2016-09-25 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月25日(日)22時13分24秒

>筆綾丸さん
>チャプルテペック
音の響きが妙に面白いですね。
「集団的自衛権」概念誕生の経緯については豊下楢彦氏(関西学院大学教授)の『集団的自衛権とは何か』(岩波新書、2007)にも相当詳しく出ているのに気づきましたが、若干政治的に偏っているように思える記述が多く、個人的には読みづらい本でした。

『集団的自衛権とは何か』

また、森肇志(もり・ただし)氏の「集団的自衛権の誕生─秩序と無秩序の間に」が面白かったので、同氏の名前で検索した論文等を少し読んでみました。
その中で、森氏と宍戸常寿・曽我部真裕・山本龍彦氏の座談会記録「憲法学と国際法学の対話に向けて」(『法律時報』87巻8・9・10号)は、政治とは少し距離を置いた若手憲法学者の動向を伺うことができて、なかなか興味深い内容でした。
四人の議論の中で山元一氏への言及が若干あり、そういえば去年、集団的自衛権を少しだけ勉強したときに山元氏の「九条論を開く─<平和主義と立憲主義の交錯>をめぐる一考察」(『シリーズ日本の安全保障3 立憲的ダイナミズム』所収、岩波書店、2014)は見落としていたなと思い、入手してみたところ、非常に優れた論文でした。
「立憲主義」の空騒ぎにうんざりしていた私にとって、山元氏の分析はとても役に立ったので、後で少し紹介してみようと思います。

『シリーズ日本の安全保障』全8巻

>墓田(ハカタ)氏
一瞬、ドキッとしますね。
私が最近見かけた珍しい名字は「横大道」です。
山元一氏「九条論を開く」で「横大道聡」氏の「平和主義・国際貢献・集団的自衛権」(『法律時報』86巻5号)が好意的に紹介されていたので読んでみたのですが、一番最後に「よこだいどう・さとし 鹿児島大学准教授」とあるのを確認するまでは、一体どこまでが名字なのかも分かりませんでした。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神と神楽と神業 2016/09/24(土) 15:08:50
アラビア語は正文ではないのですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Chapultepec
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AB%E8%AA%9E
チャプルテペックについては、ウィキに「The name "Chapultepec" means "at the grasshopper hill" in Nahuatl」とあり、ナワトル語で「イナゴ(バッタ)の丘で」という意味なんですね。アボカドやトマトがナワトル語起源とは知りませんでした。

http://bluebacks.kodansha.co.jp/intro/200/
安東正樹氏の『重力波とはなにか』は、難解な数式は理解できぬものの、とても面白い本ですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/KAGRA
----------------
KAGRAという名は、神にささげる音楽や踊りである「神楽」に由来しています。通常の可視光による望遠鏡での観測が「目で観る」ということなら、重力波望遠鏡による観測は「耳で聴く」ことにたとえることができます。宇宙や連星が軽やかにくるくると円舞し(公転)、ときに激しく荒れ狂い(合体や爆発)ながら奏でる音楽(重力波)を、重力波望遠鏡で「聴く」というわけです。実際、レーザー干渉計の出力をスピーカーにつなぐと「重力波の音」を聞くことができます。公募で集まった600を超える候補の中から、作家の小川洋子さんを委員長とする選好委員会で選ばれたもので、日本の望遠鏡らしい、よい愛称だと思います。なお、KAGRAには、設置されている場所の地名である神岡(Kamioka)からとったKAと、重力波(Gravitational Wave)からとったGRAをつなげたもの、という意味合いも込められています。(156頁)
----------------
宇宙船「神舟」やスパコン「神威」を引いて、中国共産党は神が好き、などと揶揄してきましたが、日本もなかなか神好きなんですね(今回の重力波の検出は神業です)。宇宙が神に奉納する音楽を、人類は盗聴する、と言って悪ければ、お相伴にあずかる、ということになりますか。『博士の愛した数式』の作者が選考委員長だったのですね。

「・・・日本が戦後、一度も海外で武力行使を行ってこなかったという事実(私は「憲法9条の貯金」と言っています)」(『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』46頁)というようなセンスの無い命名は、なんとかならないものか。

追記
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/09/102394.html
http://researchmap.jp/read0208008/
「墓」を含む地名は中世の史料で何度か見ました。後世、墓田→塚田、平墓→平塚、犬墓→犬塚・・・となるのが一般であることから、墓はツカと訓んでいたのだろう、と思っていましたが、墓田(ハカタ)氏には、ちょっと驚きました。
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チャプルテペック

2016-09-23 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月23日(金)23時24分22秒

>キラーカーンさん
集団的自衛権を規定する直接のきっかけを作ったのはラテンアメリカ諸国というのが常識でしょうね。
森肇志氏は「集団的自衛権の誕生─秩序と無秩序の間に」(『国際法外交雑誌』102巻1号、2003)において、従来の議論を、

------
 「個別的又は集団的自衛の権利」について規定する憲章第51条が、ダンバートン・オークス提案には含まれておらず、サンフランシスコ会議において挿入されたことは、あらためて指摘するまでもないであろう。この点に関して、従来の研究においては、一般に以下のように理解されている。
 ダンバートン・オークス提案第Ⅷ章C節2項(現在の憲章第53条)において、「いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない」とされていたが、その後開催された1945年2月のヤルタ会談において安保理常任理事国にいわゆる拒否権が認められた結果、地域的取極に基づく強制行動が、拒否権の行使によって妨げられる事態が想定されることとなった。これに対し、サンフランシスコ会議直前に、共同防衛を規定するチャプルテペック規約を締結していたアメリカ大陸諸国が、同規約に基づく行動の自由が制限されることを嫌い、拒否権による制限に対する例外を求め、憲章第51条が挿入されたのである、と。
------

と纏めた上で(p97)、「こうした理解は、それ自体としては誤りではないものの、第51条の形成過程を十分に説明するものではない」として、

------
 従来第51条の形成過程に関して用いられてきた主たる資料はサンフランシスコ会議の公式会議録であったが、憲章第51条は、五大国の非公式協議の中で形成されたのであり、したがって公式会議録にその形成過程が記録されていることを期待することはできない。第51条の起草過程について、「サンフランシスコ会議の〔公式〕記録の中に〔は〕、うっすらとした痕跡を見出しうるのみであった」とされるのも、当然とさえ言えよう。
 しかし、従来利用されてこなかった、こうした非公式協議に関する一次資料によれば、憲章第51条の「骨格」は、1945年5月12日、より具体的には、この日の午後、五大国非公式協議に続いて開かれた、米英二国間の非公式協議の場で作られたと言ってよい。そうした「骨格」を出発点として、数度に亘る五大国非公式協議において修正がなされ、公式会議に五大国共同修正案として提出されたのである。……
------

と書かれています。
水島氏が森氏の論文をどう評価しているのは知りませんが、従来の一般的理解を前提としても、「集団的自衛権(「軍事同盟」)が国連憲章51条に入れられたのは、憲章制定過程の最終段階における米国の仕掛け」という表現は全く理解不能です。

※キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

駄レス 2016/09/23(金) 21:44:51
>>アラビア語は正文ではない

国連創設当時の公用語は、英仏西露中の五ヶ国語で、アラビア語は遅れて公用語になりましたので
国連憲章の正文にアラビア語は入りません。

で、小室直樹は中国語の正文では国際連合は「連合国」となっているということから、
国連は戦勝国連合で日本は未だに「敵国」であると「国連幻想」を批判していました

閑話休題
集団的自衛権は、国連の集団的安全保障措置が機能するまでの間、一カ国のみの自衛権(個別的自衛権)
では自国の安全保障が全うできないとして導入されたというのが「定説」とされています

>>ドイツ軍
旧東ドイツ軍はヘルメットのみを旧ドイツ軍から継承し
旧西ドイツ軍はヘルメット以外を旧ドイツ軍から継承した
という話を聞いたことがあります。

>>公定力
行政権の意思表示は他の機関に否定されるまで、合法・正当なものとして扱われる
という意味では、坂田氏の説明は分かりやすいです
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「憲章制定過程の最終段階における米国の仕掛け」(by 水島朝穂氏)

2016-09-23 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月23日(金)11時02分40秒

>筆綾丸さん
>国連憲章の正文である英語、仏語、西語、中国語、露語、アラビア語の内

細かいことですが、国連憲章第111条に「この憲章は、中国語、フランス語、ロシア語、英語及びスペイン語の本文をひとしく正文とし…、」とあるので、アラビア語は正文ではないですね。


水島氏は安倍首相の、

-----
「集団的自衛権というのは個別的自衛権と同じようにドロワナチュレル、つまり自然権なんですね。自然権というのは、むしろこれはもともとある権利でありますから、まさに憲法をつくる前からある権利というふうに私は考えるべきなのではないか、こういうふうに思います」(2000年5月11日衆院憲法調査会 安倍晋三委員)
-----

という表現にやたらと拘って、国家には「自然権」はないと執拗に繰り返し、<集団的自衛権を「自然権」であると言ってしまう無邪気さに驚きます。安倍首相の著書『美しい国へ』の中にも、集団的自衛権を「自然権」とする驚くべき記述があります>などと非難しますが、フランス語・中国語の正文に「ドロワナチュレル」「自然権利」とあるのですから、安倍首相のように表現するのも別にそんなにおかしい訳ではない、というか素直な話であって、ここだけムキになって非難する方がちょっと変わっていますね。
国家の「固有の権利」「自然権」についての通説的理解は、

------
 今日でも、自衛権(「国連憲章」五一条)とか大陸棚に対する沿岸国の主権的権利(前記「北海大陸棚事件」国際司法裁判決)など、実定国際法上、国家の「固有の権利」をみとめる例は少なくない。しかしそれは、国家である限り原始的に(ab initio)取得しているものとして、国際慣習法上みとめられている権利をいうのであって、かつての基本権概念を容認するものではない。この種の権利の取得については、他国の承認、明示の宣言、国内立法など特段の措置を要しないものの(権利の原始的取得)、その内容・要件・手続は実定国際法の定めに従っているからである。
------

というもので(山本草二『国際法(新版)』、有斐閣、2003、p208)、<「自然権」とは人が生まれながらにして持っている権利ということで、これは自然人たる個人についてのみ言えることです>などと繰り返すのは些か子供じみた議論です。
水島氏は5ページを使って陳腐な議論をした後、

------
 集団的安全保障にとっての「異物」である、集団的自衛権(「軍事同盟」)が国連憲章51条に入れられたのは、憲章制定過程の最終段階における米国の仕掛けでした。その後、冷戦のなかで、集団的自衛権による同盟システム(NATO、ワルシャワ条約機構など)が国連の集団安全保障の実現を妨げてきたことは周知の通りです。だから、集団的自衛権というのは、国連の集団安全保障システムの発展方向から見れば、むしろ歴史的退歩の性格をもち、将来的には19世紀的な「遺物」として、「残すべきもの」ではなく、「なくなるべきもの」なのです。
------

と纏めていますが、「憲章制定過程の最終段階における米国の仕掛け」はおよそ歴史的事実に反する奇妙な陰謀論であり、ちょっと莫迦っぽいですね。
国際法には全く素人の私ですが、昨日、森肇志氏の「集団的自衛権の誕生─秩序と無秩序の間に」(『国際法外交雑誌』102巻1号、2003)という論文を読んで、現時点での議論のレベルを一応理解できたので、もう少し勉強してから整理してみます。

>エマニュエル・トッドの新刊『問題は英国ではない、EUなのだ』

早速読んでみます。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

不自然なフランス語 2016/09/20(火) 15:35:31
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 とはいえ、国連憲章のフランス語には安倍首相らが言うように集団的自衛権は「droit naturel」(自然権)と書いてあります。これをどのように理解したらよいのでしょうか。実は、ここでいう「droit naturel」(自然権)」が人権について言われる自然権とは意味が異なることは、フランス語で書かれた国際法の論文によっても指摘されてきました。例えば、H・サバ(国連法務部長、ユネスコ法律顧問等歴任)は、ハーグ国際法アカデミーにおける講演録で、「集団的自衛権は条約上の拘束を前提としている」ことから「droit naturel」(自然権)の枠組みを超える」としています(Hanns Saba,Recueil des cours/Académie de droit international.1952.I.Tome 80 de la collection)。J・ズーレク(国連国際法委員会委員長等歴任)は、「自衛権を droit naturel(自然権)と形容しているのは不戦条約に関する交渉の際に用いられた文言を用いているにすぎないのであって、droit naturel(自然権)と形容したからといって、そのことが droit naturel(自然権)を認めたものであるとか droit naturel(自然権)を参照したものであるとかいうように考えることはできまい」「droit naturel(自然権)という表現は、それぞれの国家に属する権利の基本的な性質を強調するために選択されたのである」としています(Jaroslav Zourek,《La notion de légitime défense en droit international》(1975))。
 「naturel」という言葉は、もともと「人間本来の」とか「本性的」という意味です。「自然権」とは人が生まれながらにして持っている権利ということで、これは自然人たる個人についてのみ言えることです。近代立憲主義以降の国家のありようとしての共通理解は、国家には、憲法に基づいて権限が付与されるのであって、国家が「生まれながらの権利」を持っているわけではないということです。安倍首相や「有識者」たちは、国家自衛権の問題を、個人の正当防衛権の安易なアナロジー(類推)で論じてしまうという誤りをおかしています。立憲国家のもとで「固有の権利」を主張できるのは、人権の担い手としての個人だけです。国家の権限は憲法で定められて初めて生じます。(『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』64頁~)
------------

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%A8%A9
https://books.google.co.jp/books?id=nlOeXhq1wXgC&pg=PT15&lpg=PT15&dq=%E5%9B%BA%E6%9C%89%E3%81%AE%E3%80%80%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E&source=bl&ots=h0vSdgkcup&sig=5Uob9SOm7ODP8015Uh6imupE5k0&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjqt_7ekp3PAhVElpQKHbkeBsUQ6AEISzAI#v=onepage&q=%E5%9B%BA%E6%9C%89%E3%81%AE%E3%80%80%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E&f=false

国連憲章の正文である英語、仏語、西語、中国語、露語、アラビア語の内、後二者は読めないので論外として、「固有の権利」にあたる英語(the inherent right)と西語(el derecho inmanente)は自然ですが、仏語には対応する inhérent があるはずなのに、なぜ le droit naturel などと紛らわしい用語にしたのか。
ズーレクの言説はただの屁理屈であって、何の説明にもなっていない。サバの説明の趣旨もよくわからない。要するに、なぜフランスが droit naturel としたのか、不明としか言いようがありません。国連憲章正文の文言修正の手続きのことは知りませんが、naturel を inhérent に変えれば済むだけの、馬鹿々々しいほど詰まらぬ問題なのかもしれない。中国語の「自然権利」と自然権(jus naturale)との関係、また、正文ではないドイツ語の das naturgegebene Recht と jus naturale との関係は、わかりません。
安倍首相が集団的自衛権を「自然権」と言うのは、いわゆる自然権(jus naturale)と紛らわしいから、やめたほうがいいだろう、と思いました。いや、所謂自然権のことなど言ってない、自然の権利という意味で自然権と言ってるんだ、と首相は言うかもしれません。そうなると、見解の相違はどうしようもない・・・。

蛇足
引用文中に「国連憲章のフランス語には・・・集団的自衛権は「droit naturel」(自然権)と書いてあります」とありますが、該当する51条のフランス語は「Aucune disposition de la présente Charte ne porte atteinte au droit naturel de légitime défense, individuelle ou collective,・・・」
で、 au droit naturel = à le droit naturel だから、「droit naturel」(自然権)は「le droit naturel」(自然権)と定冠詞を付けたほうがよい。


ガウス分布とスンニ派 2016/09/22(木) 16:06:56
小太郎さん
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/09/102395.html
青柳いづみこ氏の新刊が出ましたが、五年に一度のショパン・コンクールで優勝するのは、ノーベル賞受賞より格段に難しいようですね。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610938
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E5%88%86%E5%B8%83
エマニュエル・トッドの新刊『問題は英国ではない、EUなのだ』に、次のような記述がありますが、まるで正規分布のようで、ちょっと笑えます。
-------------
・・・統計資料の巻末に、世論調査をした各国研究者のディスカッションが掲載されていたのですが、「選択肢を偶数にする」という日本人研究者の発言がありました。「奇数にしてしまうと、必ず真ん中の選択肢が突出して多くなるからだ」と(笑)。(127頁)
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要するに、選択肢の内容などはどうでもよく、左翼からも右翼からも一番離れた中庸を選ぶという、日本人の麗しい美意識ですね。将棋(9×9)や囲碁(19×19)の影響があるのか、不明ながら、偶数の選択肢には何か不安にさせるものがあり、できれば答えたくありませんね。

様々な予言を的中させてきたトッドが、出生率の激減からサウジアラビアの崩壊を懸念していますが、もしそんなことになれば、ただでさえ不安定な中東がどうなるのか、余人にはできない不気味な指摘です。(147頁)

---------------
 まだ慎重を期する必要がありますが、スンニ派とシーア派の違いにも家族構造の違いに現れているように思います。少なくとも、相続の仕方に大きな違いがある。
 シーア派では、後継者として息子がいなければ、娘が相続することがあります。それに対してスンニ派では、息子がいなければ、代わりに娘がいたとしても、父系の親戚筋が相続人となり、女子が相続することはありません。(157頁)
---------------
皇室典範の皇位継承の規定はスンニ派と親和性がある、と言えなくもありませんね。
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水島上等兵の「軽さ」について

2016-09-21 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月21日(水)12時09分1秒

>筆綾丸さん
>これをかぶっていた兵士は確実に死んでいる.

リカちゃん人形くらいだったら、まあ、ちょっと変わった人だなで済みますが、貫通痕付ヘルメットで香を焚く話はブキミな雰囲気が漂いますね。

>ブルックナー
クラシックに疎い私ですが、何故か飯守泰次郎指揮のブルックナー交響曲第7番のCDを持っています。
飯守泰次郎が田中耕太郎の甥だと知って興味本位で入手したのですが、そんな理由でブルックナーのCDを求める人はいないだろうなと我ながら思います。

砂川事件判決の核心に迫らない批評
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/416d16e695d8ee9b7b1bcc7d4f657d70
飯守泰次郎公式サイト
http://www.taijiroiimori.com/

>『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』64頁~

ここは水島氏にしては珍しく、少し学問的な香りが漂う箇所ですね。
筆綾丸さんが引用された部分の前にケルゼンの見解も参照されているので、ちょっと調べてみたいと思います。

水島氏は自著が藤田宙靖氏に引用されなかったのが不満のようで、自身のホームページで次のように書かれていますね。

-----
 安保関連法が成立してまもなく半年というタイミングで、法律学の研究者や法律実務家間で一つの論文が話題になっている。元最高裁判所判事の藤田宙靖氏(東北大学名誉教授、行政法学)が、『自治研究』2016年2月号に寄せた「覚え書き――集団的自衛権の行使容認を巡る違憲論議について」である。日本法律家協会の機関誌『法の支配』誌上に掲載を希望したにもかかわらず、編集委員会が掲載見合せを決めた「いわくつきの原稿」〔ご自身の言葉〕である。藤田氏は「元最高裁判事が新安保法制を素材にして書いた論稿を現職の裁判官・検察官に読ませることができない、と言うことであろうか?」と疑問を提示し、「「日本法・律・家・協会」〔傍点原文〕そして「法の支配」の名が泣く、真に情けない話であると言わざるを得ない」と論文公表に至る経過について書いている(藤田論文〔以下、論文という〕29頁注16)。
【中略】
 この論文で主に批判の対象となっているのは、憲法審査会で「違憲」と発言して以降、メディアに頻繁に登場するようになった長谷部恭男氏と石川健治氏、それに木村草太氏である。公法学の研究者であれば必ず目を通す『公法研究』の学界展望「憲法」の冒頭で渡辺康行氏に紹介されている拙著『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』(岩波書店、2015年)に対する言及はない。拙著はタイトルの「軽さ」もあってか、お目にとまらなかったようである。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0307.html

ま、タイトルというより文章が「軽く」、内容が政治的主張ばかりなので、生真面目な学究の藤田氏は相手にしなかったのではないかと思われまする。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ブルックナーを聴きながら 2016/09/19(月) 16:09:07
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%AF%94%E5%A5%88%E9%9A%86
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B5%81_(%E5%AF%86%E6%95%99)
水島氏はウィキに「日本ブルックナー協会[解散]会員)」とありますが、朝比奈隆贔屓なんでしょうね。
『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』には、Der Spiegel(23頁)や Die Zeit(89頁)などドイツの新聞からの引用はあるものの、ブルックナーの故地オーストリアの新聞の話題はないのですね。
「わが歴史グッズ」(12頁)には、写真とともに以下の文章がありますが、密教の秘儀(立川流の髑髏)のようで、なんだか気持ち悪いですね。
------------
?はドイツ国防軍のヘルメット.ボンの怪しい古道具屋から買ったもので、弾丸の貫通痕が5カ所ついている.これをかぶっていた兵士は確実に死んでいる.私は研究室に来ると、このヘルメットの下に置いてある香炉で香を焚いている.純日本製の香りだが、亡くなったドイツ兵の魂に届けばと思って、毎回やっている.
------------
「貫通痕」が「ボンの怪しい古道具屋」の偽造ならば、水島氏の鎮魂の儀式はどうなるのか、と少し心配です。購入の年月日と価格を明記してほしい。・・・とまあ、どうでもいいようなことですが。
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水島研究室と歴史グッズ

2016-09-19 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月19日(月)08時40分49秒

自衛隊を違憲と考える憲法学者の代表格である水島朝穂氏について、前回投稿では少し悪意のある紹介をしてしまいましたが、参考のため、水島氏自身の文章も引用しておきます。(『憲法「私」論 - みんなで考える前にひとりひとりが考えよう』、小学館、2006、p131以下)

----
私の研究室から
 この章では、自衛隊の話をしましょう。自衛隊を考える「現場」はというと、私の研究室です。
 私の研究室にいらした方は、最初は誰でもびっくりします。弾丸が貫通した旧ドイツ軍ヘルメット、砲弾の薬莢、地雷、手榴弾などがごろごろしています。軍事グッズの秘密の展示室にまぎれこんでしまったのではないか、と錯覚されるかもしれません。もちろん、私は、驚かすつもりでこんな物騒なものを集めているのではありません。
 私の専門は憲法と軍事法制の研究ですから、平和や戦争のことを考えるためには、軍事の実態をしっかり踏まえ、事実にもとづいた具体的な議論をしたいと考えるからです。特に湾岸戦争以降、メディアを通じて戦争がゲーム感覚で伝えられる傾きがあります。でも、戦争の現実は同じです。ピンポイント爆撃の下では、生きた人間が肉片になったり、黒こげになっているわけで、アフガンやイラクでも、戦争被害の実情は一部しか報道されていません。国際的な紛争を武力によって解決しようとすることによってもたらされる人類の悲劇を、一日も早く止めなければなりません。
 軍隊は国家を守るための道具です。そこにいる人を守るためのものではありません。それによって犠牲になるのは、いつも国民、市民、「個人」なのです。その身近な例が、第二次世界大戦のヒロシマ、ナガサキ、オキナワです。このことを忘れるべきではありません。
 日本国憲法は、紛争の解決を「軍事的合理性」によってではなく、「平和的合理性」によって実現することを世界に先がけて宣言した憲法であると考えています。私は、この平和憲法こそが日本と世界の未来を生きる確かな手段なのだということを、研究室から発信したいのです。
-----

ということで、p130の「◆写真特集◆ 水島研究室と歴史グッズ」には、

-----
歴史グッズに囲まれて
 武器などの歴史グッズは、平和を考える実物教材である。花を活けてあるのがサラエボで使われた機関砲弾の薬莢。リカちゃん人形は沖縄サミットの際にゲストや取材陣に配られた非売品。この章の写真のものは、すべて研究室に保管しているもの。
-----

といった解説付きで、<銃弾の貫通したドイツ軍のヘルメット…ボンで入手したもの。戦争の恐ろしさを実感させられる。>や<イラク戦争をめぐるトランプ…フセイン大統領(当時)らイラクの重要人物を「お尋ね者」にしたトランプと、ブッシュらを「お尋ね者」にしたトランプ。>、<ブッシュとビンラディンの人形…右下のヒトラーの人形は、第2次世界大戦中にイギリスでつくられたもの。>といった充実したコレクションが紹介されています。
ま、大変結構な研究環境だなとは思いますが、このような大量のグッズを集めなくても、戦争をリアルに把握できる書籍や映像は充分存在していて、その多くは必ずしも「戦争がゲーム感覚で伝えられる傾き」を伴っている訳でもないように思います。
例えば、「イラク戦争を主導したジョージ・W・ブッシュ政権の国防長官であり、存命するアメリカの政治家の中でも最も不評の人物の一人」(村田晃嗣氏)であるドナルド・ラムズフェルドの回想録は、実際に読んでみると、意外なことに「戦争がゲーム感覚で伝えられる傾き」とは縁のない冷静な記録ですね。
「平和や戦争のことを考えるためには、軍事の実態をしっかり踏まえ、事実にもとづいた具体的な議論をしたいと考える」人にとっては、水島研究室のグッズを見るより、ラムズフェルドの回想録を読む方が役に立つかもしれません。

日経ブックレビュー
真珠湾からバグダッドへ ドナルド・ラムズフェルド著 米国政治の展開たどる回顧録
2012/5/15付 同志社大学教授 村田晃嗣
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO41348350S2A510C1MZC001/

48歳の若さで同志社大学学長となった村田晃嗣氏も、集団的自衛権に肯定的な立場を取ったために「存命する日本の大学学長の中でも最も不評の人物の一人」となり、学長に再選されないという憂き目に遭いましたが、そうした立場の人だけがラムズフェルド回想録を評価している訳ではなく、ちょっと検索してみても大変参考になったとする書評は多く、アマゾンあたりでもけっこう星の数が多いですね。
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軍事オタクの憲法学者

2016-09-17 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月17日(土)21時59分30秒

>筆綾丸さん
何だかちょっと間が空いてしまいました。
筆綾丸さんも旅行に行かれたのかなと思って投稿を休んでいたのですが、そろそろ再開します。

前回投稿後、早稲田大学教授・水島朝穂氏の『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』(岩波書店、2015)を読んで、自衛隊そのものを違憲と考える共産党系の憲法学者は内閣法制局に冷淡であることを改めて確認したのですが、一冊で止めておけばよかったのに、ついつい

『きみはサンダーバードを知っているか』(水島編、日本評論社、1992)
『武力なき平和 - 日本国憲法の構想力』(岩波書店、1997)
『憲法「私」論 - みんなで考える前にひとりひとりが考えよう』(小学館、2006)
『長沼事件、平賀書簡――35年目の証言』(福島重雄・大出良知との共著、日本評論社、2009)

の四冊をパラパラと眺めてみたところ、平和の水浸し・水ぶくれに何だかげんなりしてしまいました。
水島氏は憲法学者には珍しく軍事オタクで、かつ軍事関係の種々雑多な物品の蒐集家でもあり、その著書には得体の知れないオタク的薀蓄が随所にちりばめられているのですが、通信教育で空手を習っている人のような感じがしないでもありません。
そこで、毒をもって毒を制す、ではありませんが、気分転換にドナルド・ラムズフェルド『真珠湾からバグダッドへ』(江口泰子他訳、幻冬社、2012)とロバート・ゲイツ『イラク・アフガン戦争の真実』(井口耕二他訳、朝日新聞出版、2015)を読んでみたら、こちらは両方とも面白いですね。
特にラムズフェルドの人間観察には非常に深いものがあり、参考になります。

水島朝穂

>蓮舫
二重国籍自体はそれほどたいした問題ではないのですが、説明が二転三転し、感情的な対応になってしまった点は情けないですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

蓮と蓮根の物語 2016/09/17(土) 11:06:22
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480068545/
-----------------
植木 今まで、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の蓮華とは、「如蓮華在水」で菩薩の在り方を象徴しているという解釈がなされてきましたが、これは明らかに間違いです。
 プンダリーカ(pu??arīka)はサンスクリット語では特別の用法があり、複合語の後半にきて「白蓮華のような○○」というように直前の言葉を比ゆ的に象徴(シンボル)する。だからサッダルマ・プンダリーカ(saddharma-pu??arīka)は、「白蓮華のような正しい教え」という意味になる。インドで蓮は、最もめでたい花です。ここには青スイレン、紅蓮華、白スイレン、白蓮華という四種類の花が出てきますが、白蓮華は必ず最後にくる。白蓮華は純白ですから、蓮華の中でも最勝と見なされている。正しい教えと白蓮華は、最も勝れているという点で共通している。今までこのタイトルを、岩本裕氏は、岩波文庫『法華経』の解説で、欧米語の訳し方にならい、同格の「の」によって、「正しい教えの白蓮」と訳すべきだと主張していましたが、それはサンスクリット文法、英文法、国文法のいずれに照らしても誤りであり、「白蓮華のように最も優れた正しい教え」と訳すべきです(議論の詳細は植木著『思想としての法華経』第二章を参照)。
(橋爪大三郎/植木雅俊『ほんとうの法華経』ちくま新書374頁~)
-----------------
植木説の当否はともかくとして、サンスクリット語にも名詞に性別があるようですが、プンダリーカと蓮根の性別はどうなっているのでしょうね。(なお、文中の??は、nやdの下にドットのある文字ですが、ニュートンの微分記号に似ていなくもありません)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%93%E9%BA%BB%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85
奈良の当麻寺は藕糸曼荼羅で有名ですが、蓮舫というのは蓮糸で糾った舫(もやい)という意味なのだろうか。禍福は糾える縄の如しという諺があるように、蓮舫が二重(国籍)になるのは自然なのかもしれませんね。
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牧原出『「安倍一強」の謎』

2016-09-10 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月10日(土)09時57分31秒

細谷雄一氏『安保論争』の「文献案内」に、

------
 安保法制成立の経緯については、朝日新聞政治部取材班『安倍政権の裏の顔─「攻防 集団的自衛権」ドキュメント』(講談社、二〇一五)がもっとも詳細であり、信頼できる内容といえる。そこでは、内閣法制局の動向と与党内協議について、とりわけ詳しくその経緯が克明に記録されている。高名な政治学者によって書かれた、牧原出『「安倍一強」の謎』(朝日新書、二〇一六)は、内閣法制局のこの問題をめぐる姿勢の変化について、その政治過程が見事に描かれている。
------

とあったので両書を入手してみましたが、『安倍政権の裏の顔』は「第一章 安倍の歪んだ執念 禁じ手「小松一郎」の登用」みたいな安っぽい文章が耐えがたく、半分ほどで挫折してしまいました。
どちらかというと「朝日新聞の裏の顔」を描いた本ですね。
『「安倍一強」の謎』は、閣議についての簡明な説明が有難かったですね。(p97以下)

------
閣議議事録とは何か

 この特定秘密保護法の制定過程で浮上したのが、閣議と閣僚懇談会の議事録の公開である。これは地味ながらも重要な改革である。内閣史始まって以来の一大転換であり、2014年4月1日の閣議議事録が22日に首相官邸のホームページに掲載された。
 公文書管理の観点からは、最長30年で国の歴史的公文書は、国立公文書館に移管されなければならない。ところが、これまでは最重要の公文書というべき閣議の正式な記録は作成されないものとされてきた。備忘録としてのメモはあるが、それは閣僚の事後チェックを経た正式な記録とはされていなかった。各省の官僚は大臣の発言を確認するために、出席していた事務方の内閣法制局長官、内閣官房副長官に問い合わせていたのである。
 これに対して、第2次安倍内閣は情報公開の観点から、閣議から3週間後をめどに公式の議事録を作成して公表した。
 それにしても、そもそも閣議と閣僚懇談会とは何か。これまで議事録が作成されていないために、よく知られていない制度となっている。閣議の議事が「形骸化」しており、事実上閣議とは「サイン会」に過ぎないといった指摘は、かなり前からされていた。その発端は菅直人が橋本龍太郎内閣の厚生大臣の経験をもとに主張したことである(菅直人『大臣』岩波新書、1998年)。新しい公開の手続きの中では、「発言内容は、事前に官僚が文書で用意しており、「議事録も、内閣総務官室がこれらの文書をつなぎ合わせて作っている」とも指摘されている(朝日4月23日付)。
 その上で、今回の公開の意味は何だったのか。まずは閣議のメモの作成過程がおさえられなければならない。閣議に閣僚が出席しているが、それ以外の事務方の関与はあまり知られていないからである。
 「公表の流れ」を簡明にまとめれば、閣僚以外に、内閣法制局長官と3人の官房副長官が陪席しており、官房長官が不開示情報を削除し、閣僚のチェックを経て議事録が確定する。取りまとめ役は、「作成補助者」たる内閣総務官である。言い換えれば「内閣総務官が説明を受けて議事録案をつくる」のである(日経4月20日付)。
------

まだまだ続くのですが、さすがに引用が長くなりすぎたので省略します。
恥ずかしながら、私は閣議の議事録が首相官邸HPに掲載されていることすら気づいていなかったのですが、例えば2014年7月1日の閣議議事録はこんな具合なんですね。

http://www.kantei.go.jp/jp/kakugi/2014/kakugi-2014070102.html
http://www.kantei.go.jp/jp/kakugi/2014/__icsFiles/afieldfile/2014/07/22/260701rinjigijiroku.pdf

石川健治教授の言う「七月クーデター」は、内閣自身の手で克明に記録されている訳ですね。

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田中耕太郎が好き

2016-09-10 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月10日(土)09時13分23秒

ブログ「学問空間」の方の検索機能を使って、今まで自分が田中耕太郎に言及した投稿を数えたら32もありました。
私の田中耕太郎好きもそれなりに年季が入ってきましたね。
投稿内容は多様、というか雑多で、それなりに丁寧に紹介しているのもあれば、

岩元禎と田中耕太郎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/60c053a8f0567517d5ea52128c2141b8
「そんなものに学者が入ったら、後世の笑いを買いますよ」(by 田中耕太郎)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/caf1e058fe025565a3b9fcd4856b9f32
尾高朝雄と田中耕太郎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/367fdadb174eb44edffbf1cbee913fc7
「四十年のふ思議なつきあい」(by 志賀義雄)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/475bca9c33cec69ded3b19191ebd5126

こんな感じで名前が出てくるだけ、というのもありますが。

歴史学研究会・会員向けクイズ
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/82dac9e1be4c6f96eebabf450b24ddc6

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「商法なら日本に帰ってからやれるので、やれないことをやった方がよい」(by 田中耕太郎)

2016-09-08 | 天皇生前退位
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 8日(木)23時12分40秒

前回投稿の引用部分で、共産党系の川口創弁護士が統治行為論に懐疑的・否定的なのに対し、阪田雅裕氏は否定的ではない点は興味深いですね。
私も学生時代は、砂川事件大法廷判決の統治行為論は詭弁のような感じがしたのですが、綾小路きみまろ的な時の流れを経て何故か田中耕太郎に妙に惹かれるようになった今、改めてこの判決を読み直すと、よくぞ1959年という微妙な時期に、このような立派な判決を出してくれたものだと感心します。
このあたりは共産党の弁護士さんなどとは絶対に相容れない感覚でしょうね。
最近でも青法協あたりは相変わらず田中耕太郎にブチブチ文句を言っているようです。

「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反」事件
昭和34年12月16日、最高裁判所大法廷
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816

青年法律家協会弁護士学者合同部会
http://www.seihokyo.jp/seimei/2013/130516-gichou.html

ま、政治的な問題はともかく、個人として田中耕太郎くらい面白い人は法曹界では珍しいでしょうね。
強烈な反共主義者という漠然としたイメージしか持っていない人が田中の「私の履歴書」を読んだら、相当びっくりするのではないかと思います。
その中の白眉は欧米留学で、『私の履歴書 文化人15』(日本経済新聞社、1984)では全体で80頁のうちの10頁を占めています。
1919年(大正8)、田中は文部省在外研究員として商法の研究のために三年間の留学を認められ、アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・ドイツで過ごすのですが、国費留学の身でありながら全く商法の研究をせず、観光地を巡り、美術館や音楽会に通い、ときには古本屋あさりをするなどして芸術の香気溢れる優雅な時を過ごします。
そして、

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 約三年の遍歴時代を終えて、私は大正十一年(一九二二)の初夏に帰国した。商法を研究に出かけたが、どんな収穫があったか。お土産は何もない。いくらか未知の言語をおぼえ、一般教養をひろめ、世界を見、人を知っただけのことである。商法なら日本に帰ってからやれるので、やれないことをやった方がよいというのが私の方針であった。
 私が商法を勉強しなかったことは、すでに東京で評判になっていた。岡野先生は遭うといきなり、ピアノはどうかね、といわれた。そうして返答に困っているのを見て、「うちの娘もこの頃やっている」と慰めるように付け加えられた。松本先生は「田中君は商法のことは何も知らんよ」と誰かに言われた。私の留学中教授洋行で外遊された上杉慎吉先生からは、「田中君は気が違った」とやっつけられた。全く何といわれても仕方なかった。
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と述べます。(p346)
「岡野先生」は商法主任教授の岡野敬次郎、「松本先生」は田中の岳父でもある松本蒸治ですね。
もともと田中は松本蒸治が満鉄に転出して商法の講座が空いたので、内務省から大学に戻ったという経緯があります。
まあ、今ではおよそ考えられないほどのんびりした時代の、実にうらやましい洋行話ですが、田中の場合は大学教授を経て戦後は文部大臣・最高裁判所長官の激務をこなし、70歳の定年で最高裁を辞めた後、更に国際司法裁判所の判事を九年務めていますから、国家に対して三年間の遊学の分を遥かに超えた貢献をしていますね。
ちなみに「私の履歴書」は田中が国際司法裁判所に赴任する前の僅かな休暇の間に執筆されたものです。

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 引退によって私は青年時代からの念願である、専門に無関係な読書の生活にこん度こそ没頭できると期待していた。ところが摂理ははかることができない。退任後一ヵ月をまたないで、私は国連で国際司法裁判所判事に当選した。最高裁という象牙の塔から釈放されたとたん、向こう九年間ヘーグで亡命者のようにホテル暮らしをすることにきまった。グロチウス、レンブラント、ファン・ゴッホの国の、職場である「平和宮」の所在にふさわしい北欧の静かなこの都市での、雑音のきこえないアカデミックな生活が私をまっている。そこで私は世界法の理論を実地に応用することができるのである。責任は重いが、時間的の余裕もたっぷりある。定年後の念願もある程度叶えられるであろう。四十年前の留学に際して素通りした美しいものを、こんどの第二の留学において、若がえった気持ちで見たり、聞いたりしたいと思っている。(p382)
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「公定力があるわけですから」(by 阪田雅裕氏)

2016-09-08 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 8日(木)11時08分49秒

私は集団的自衛権の基本的な考え方について阪田雅裕氏とは相容れない立場なので、『「法の番人」内閣法制局の矜持─解釈改憲が許されない理由』(大月書店、2014)に賛同できる部分は少ないのですが、それでも内閣法制局という特殊な世界の内情を知ることができる文献の中では良質な本ですね。
ただ、去年四月に読んだときに変に思った部分が二箇所あり、うち一箇所はたぶん川口創弁護士も気づいていてやんわりと聞き直しているのですが、もう一箇所の単純なミスは編集関係者を含め誰も気づかなかったようですね。
p50の川口弁護士の質問への回答の部分(p51)です。

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──最高裁が最終的に有権解釈権をもっているとしても、すべての事情について最高裁に意見を求めるわけにはいかないですし、裁判事例となるケースは稀です。しかも、政治的な問題になるようなケースでは往々にして統治行為論ということで最高裁が判断を避ける。そうであればこそ、日々の行政の執行が憲法の枠内で適切に行われているかどうかをチェックし担保する内閣法制局の役割が、立憲主義を機能させていくために必要だということですね。

阪田 非常に大事だと思いますね。いろいろ制約があって、裁判所が判断する場面というのは限られる。これは仕方がないと思います。統治行為論というのも批判的に語られることが多いのですが、私はやはり民主的基盤が異なるということから、憲法判断に禁欲的であるということはもっともだと思っていますし、抽象的な違憲立法審査権をもたない以上、個別具体的な事件を離れて抽象的な法令の合憲性の判断はできない。また、法令には当然、合憲の推定が働いているわけですね。公定力があるわけですから。そして事後的にしか審査できませんから、判決が出るころには時間が経っていて、いろいろな社会的事実が積み重ねられている。そういうなかで、ちょっとくさいなと思ったからといって違憲と判断した途端に起こる、さまざまの混乱に思いを致すというのは、当然あるだろうと思います。
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「法令には当然、合憲の推定が働いているわけですね。公定力があるわけですから」とありますが、「公定力」は「行政行為」の効力であって、法令の合憲性の推定とは全然関係ないですね。
これは行政法の基礎の基礎です。
私はこの部分を読んだとき、目が点になったのですが、さすがに元内閣法制局長官の発言だから、もしかしたら自分の勘違いかも、と不安になって、田中二郎先生の古典的な教科書を始め、十数種の行政法の教科書を見てみました。
「公定力」についての学説は私が大学で行政法を学んだ頃とはずいぶん様変わりし、藤田宙靖氏の教科書あたりでは十数ページの詳細な解説があるものの、最近の教科書ではほんの数行で済ませるようなものもあって、私も綾小路きみまろ的な感懐を覚えたのですが、それでも法令の合憲性の推定と公定力を結びつけたものはひとつもありませんでした。
ということで、「公定力があるわけですから」は、元内閣法制局長官にしてはずいぶんお粗末な阪田氏の勘違いですね。

ちなみに、公定力という概念は学問的には若干の問題があるにしろ、素人を説得する際には便利だな、と思ったことがあります。

除名決議について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/be1234b96a2892533f99ee68d34b0255

>筆綾丸さん
>「法学部図書館に寄贈されていた上杉慎吉の蔵書は雲散霧消した」とありますが、誰かが処分したということでしょうか。

今野論文には豊富な注記があるのですが、この点については特に説明はないですね。
ただ、戦後のドサクサの際に、上杉慎吉を嫌った誰かが勝手に処分したということは充分あり得ると思います。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

焚書坑儒? 2016/09/07(水) 19:55:59
小太郎さん
ご引用の中に、「法学部図書館に寄贈されていた上杉慎吉の蔵書は雲散霧消した」とありますが、誰かが処分したということでしょうか。蔵書に罪はないはずなんですが、一種の焚書坑儒ですね。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160907/k10010674071000.html
NHKの「生前退位の意向」報道が新聞協会賞に選ばれたそうですが、そんなことより、なぜ「スクープ」できたのか(宮内庁とNHKの conspiracy ?)、まず背景を明らかにすべきですね。数十年後の「平成天皇実録」に書かれるから、それまで暫く待て、ということか。

キラーカーンさん
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO06751960R00C16A9970M00?channel=DF280120166618
昨日は王座戦第一局を見ていたのですが、挑戦者の糸谷八段は強いのか、弱いのか、よくわからなくなりました。私は彼をひそかに「ドラえもん」と名付けているのですが、なぜ、あんな出来の悪い将棋を指してしまうのでしょうね。
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「東京大学法学部に「過去の克服」はない」(by 今野元氏)

2016-09-07 | 天皇生前退位

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 9月 7日(水)10時28分41秒

ちょっと脱線しますが、細谷雄一氏の「東大にも京大にも、「国際政治学」の講義はありますが、「安全保障研究」の講義はありません」という一文を見て、最近読んだ今野元氏(愛知県立大学教授)の「東京大学法学部における「国際政治史」の百年─神川彦松・横山信・高橋進・ディアドコイ─」(『思想』1107号、2016)を連想しました。

https://www.iwanami.co.jp/shiso/1107/shiso.html
石田憲「思想のことば」(高橋進特集の趣旨)
https://www.iwanami.co.jp/shiso/1107/kotoba.html

こちらは「国際政治学」ではなく「国際政治史」ですが、ひとつの講座の歴史がきちんとした論文になるのかな、程度の関心で読み始めたところ、次のような指摘に、ふーむ、と唸ってしまいました。(p118)

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二 岡義武による「国際政治史」の内政傾斜

 東京大学法学部に「過去の克服」はない。一般に自己の正統性、卓越性を主張する組織では、自己批判という発想は生まれにくい。公職追放された神川彦松、矢部貞治、小野清一郎、安井郁(かおる)らについて、東京大学法学部の関係者は多くを語ろうとしなかった。代わって学部の正統派として強調されたのが、大正デモクラシー期に採用され、総力戦体制に抵抗したとされる南原繁、高木八尺、田中耕太郎、宮澤俊義、横田喜三郎ら「リベラル」な教授たちや、その薫陶を受けたという戦後民主主義の旗手丸山眞男の逸話である。法学部図書館に寄贈されていた上杉慎吉の蔵書は雲散霧消したが、「吉野作造文庫」「小野塚喜平次文庫」は一体で保存された。「日本国憲法」体制が安定し、マルクス主義の流行が落ち着くと、美濃部達吉や吉野作造が日本民主主義の源流として再評価され、恰も東京帝國大學法學部が「軍国主義」日本における「良心」の砦であったかのような印象が定着していく。
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私も東大法学部の歴史にちょこっと興味を持っていて、今野氏が列挙する南原繁以下の「リベラル」な教授たちについて多少調べたりしたことがあるのですが、確かに関係文献を読めば読むほど、自分自身が「恰も東京帝國大學法學部が「軍国主義」日本における「良心」の砦であったかのような印象」に捕らわれて行くような感じがありますね。
ま、それはともかく、「歴史学研究会」の歴史にもちょこっと興味を持っている私が長らく抱いていた小さな疑問、即ち、「歴史学研究会」の大黒柱、江口朴郎(1911-89)が何故に東大法学部で「外交史」を講義していたのかという、まあ、我ながらどうでもいいだろ的な感じがしないでもない疑問の答えが得られたことは嬉しかったですね。
要するにそれは岡義武との関係なのですが、まず、岡義武とは何者かというと、

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 戦後の粛学が終わった東京大学法学部で政治学の中心的存在となったとなったのが、岡義武(一九〇二~九〇)である。岡義武及び実弟の岡義達は、岡實(農商務省・大阪毎日新聞社長)の御曹司である。岡義武は小野塚喜平次の助手となり、恩師と同じ政治学を志したが、同期の矢部貞治が小野塚の政治学講座を継承したため、吉野作造講師の下で政治史を専攻するという悲哀を味わった。神川彦松、矢部貞治らの退場により、戦中は地味な存在だった親英米派の岡にも、俄かに出番が巡ってきた。
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というような人です。
岡義武の思想について、今野氏は、

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岡のマルクス主義への傾倒は長い歴史があり、学生丸山眞男らとの対話でも、公然と「イギリス労働党の立場」を自分の理想として挙げていた。岡は「政治史」講義でも「社会経済史」的視点を重視していた(丸山は、岡の「イギリス労働党の立場」への傾倒は、マルクス主義の信奉を隠すための隠れ蓑だったのではないかと見ている)。検閲がない学生相手の講義では階級闘争史観の色彩を強め、民主的か反民主的か、進歩的か反動的かの価値判断が明確で、特にレーニン帰国以前のソヴィエトへの評価が高かったという。
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と述べていて、私は岡義武の思想傾向を余り知らなかったので江口朴郎との接点に気づいていませんでした。
この点について、今野氏は次のように書かれています。(p119)

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 親マルクス主義的な岡義武の下で、「外交史」講義は文学部系のマルクス主義者に委託されることになる。第一高等學校教授から東京大学教養部教授となった江口朴郎(一九一一~八九)が、一九五一年から一九六一年まで法学部「外交史」も担当したのである。江口は日本のマルクス主義歴史学の大御所で、「歴史学研究会」委員長である。江口は「帝国主義論」で読み解く世界史論を展開し、疑似マルクス主義的な内政優位論の歴史家として日本で人気を集めたジョージ・ヴォルフガング・ハルガルテンとも交流を重ねた。江口の「外交史」講義の内容を直接知ることはできないが、その著作から、レーニン帝国主義論から出発する普遍史的観点からの近代欧州外交史を展開し、政治の動因として社会的不平等を重視し、「帝国主義」対社会主義者・労働者・農民の抗争史を構造史的に読み解いたものだったと推測される。ドイツの「伝統史学」の批判者として、江口はフリッツ・フィッシャーのドイツ帝国主義批判を多としたが、その外交史叙述の手法には同調せず、個人より構造を重視する姿勢を示した。
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岡義武については、この掲示板でも何回か触れたことがありますが、岡が史料編纂所の龍粛所長に冷酷とも言えるような対応をしたことについての坂本太郎氏の回想も、岡の思想を知った上で再読すると、従来とは違った味わいが出てきますね。

史料編纂所の位置づけと職員の身分(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d63680ac391f6e7a6d2434f2e3fa2762

>キラーカーンさん
閣議には資料の配布のような本当に事務的な仕事をするスタッフすらいないのですかね。
阪田氏の文章を読んで、ちょっと変に思いました。

※キラーカーンさんの下記投稿へのレスです。

駄レス 2016/09/06(火) 22:39:04
>>官房副長官が3人、そして法制局長官。ほかに事務方はいない

国会議員の官房副長官(2名)が「事務方」とは到底思えないのですが・・・
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