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2020-09-14 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 9月14日(月)10時30分19秒

前回投稿まで呉座勇一氏の『戦争の日本中世史』を参照してきましたが、これは現在の私が一番興味を持っている問題、即ち中世における天皇家の権威低下の時期と原因という問題が鎌倉幕府の権威低下と連動するのではないか、という見通しがあったからでした。
そこで、

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私が重要と考えるのは「体制の構造的矛盾」と「体制崩壊の直接的契機」の間にあるものであり、楠木正成や護良親王、足利尊氏や上杉憲房といった超反抗的な人々が全国一斉にワラワラと湧いて出てくるこの時期の社会的雰囲気、そしてそうした精神的土壌を生み出した契機です。


と書き、この精神的土壌を生み出した契機として天皇家の権威低下の状況を論じようと思ったのですが、しかし、再考してみたところ、天皇家の権威低下は幕府のそれとは別個独立に考察した上で、改めて幕府との関係を検討した方が適切のように思えてきました。
ま、率直に言うと、呉座氏の見解を自説の展開にうまく利用できるように思ったのですが、ちょっと無理が多そうなので、ひとまず呉座氏の見解、そして幕府滅亡の原因の問題から離れてみることにします。
これは呉座氏の認識を肯定する訳でも否定する訳でもなく、判断を一時的に保留するということです。
ちなみに名城大学教授・伊藤俊一氏は9月10日のツイートで、

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鎌倉幕府が滅びた原因が分からないって、あんなえげつないことしてたら、いつか滅びるに決まっておろう。北条氏に荘園を取られた御家人がどれだけ居ることか。
取った荘園のあとに入る地頭代はただの事務屋だから、幕府の武力は落ちているはず。特に西国。
あげくに悪党に舐められ、幕府の屋台骨である軍事力に疑問符が付いた。


と書かれていました。
これは呉座氏の見解と真っ向から対立するように見えますが、呉座氏も、

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 御家人・非御家人を問わず、鎌倉幕府、特に北条氏の専制に不満を持っていた人は確かに大勢いただろう。鎌倉幕府の中枢にあって甘い汁を吸っていた特権的支配層を除く九九パーセントの人間が反感を抱いていたと言っても過言ではない。だが、そのことと、彼らが幕府打倒、北条氏打倒を現状打開の手段として現実に検討するかどうかは、全く別の問題である。


という認識を前提としており、伊藤氏も「階級闘争史観」的な「下部構造」、即ち社会経済的要因ではなく、「上部構造」としての精神的状況を問題にされているようなので、呉座氏の見解と意外に近いようにも感じられます。

>筆綾丸さん
レスが遅れて失礼しました。
最近、テレビで陽水の歌声を聞いて、昔の高音の伸びの良さなどはすっかり失われてしまったなあ、と少し寂しく思ったのですが、年齢には勝てないから仕方ないですね。
陽水は1948年生まれ、忌野清志郎は1951年生まれで同世代ですが、サイクリングにはまって極めて健康的に見えた清志郎の方があっさり先に死んでしまいましたね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
2020/09/09(水)
「閑話」
小太郎さん
井上陽水&忌野清志郎の名曲『帰れない二人』などはどうでしょうか。曲の浪漫的リリシズムに反して、帰れない二人(足利尊氏と後醍醐天皇)に、みんな、ぞろぞろついてきちゃったわけですが。
あらためて聴くと、歴史的巨星への美しいバラード(レクイエム?)のような感じもしてきますね。
https://youtu.be/0XNcjYwEjrg
歌:公武合唱団
作詞:尊治
作曲:尊氏
(編曲:師直)
思ったよりも 幕府は弱くて
二人の声も うわずっていました
Ah Ah Ah Ah Ah Ah
Ah Ah Ah Ah
「僕は君を」と 言いかけた時
都の犬が 消えました
もう 兵は 帰ろうとしてる
帰れない二人を残して
・・・・・・・・・・
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