学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

「若手」削除のお知らせ

2013-10-16 | 妙音天・弁才天
投稿日:2013年10月16日(水)09時33分54秒

ブログの

弁財天曼荼羅スカーフ【研究者への無償進呈のお知らせ】
http://chingokokka.sblo.jp/category/1330885-1.html

において、「(2)中世史・中世文学の若手研究者」としていましたが、「若手」の2字がイヤミったらしいので削除しました。
希望者にはどんどん差し上げます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天川弁財天曼荼羅スカーフ」、研究者への無償進呈について

2013-01-23 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月23日(水)10時10分52秒

(2)を追加しましたので、お知らせします。

-----------
【研究者への無償進呈のお知らせ】

(1)天川弁財天曼荼羅・荼枳尼天曼荼羅・伏見稲荷曼荼羅等の中世宗教絵画に関して論文・資料紹介等を発表されている研究者の方に「弁財天曼荼羅スカーフ」を進呈します。
 長谷寺能満院の原画を厳密に復元したものではありませんが、書籍や展覧会目録の画像では分かりにくい部分を、六角堂能満院仏画工房の画僧・大願による近世の模写を参考に、より詳細に描いていますので、充分ご参考になると思います。

(2)中世史・中世文学の若手研究者で、天川弁財天曼荼羅に興味を持たれた方に「弁財天曼荼羅スカーフ」を進呈します。現時点で中世宗教絵画に関する論文等がなくても結構です。美術史からの天川弁財天曼荼羅へのアプローチは既に相当深化していると思いますので、より広い観点から研究の進展を期待しています。もちろん五年・十年単位の話です。

 上記(1)(2)とも、抜き刷りのお返しや感想の掲示板への投稿等、一切不要です。メールにてご連絡願います。

http://chingokokka.sblo.jp/article/53314160.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感想のご紹介

2013-01-12 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月12日(土)22時27分43秒

UFO童子さんのブログ、「ジンジャー大将」にて弁財天曼荼羅スカーフを非常に高く評価していただきました。
いささか面映ゆいのですが、こちらからもリンクさせていただきます。

http://generalgingerxxx.doorblog.jp/archives/52040135.html
http://generalgingerxxx.doorblog.jp/

今までネットでの販売にはあまり力を入れておらず、写真による紹介も少なかったのですが、部分ごとの拡大写真を追加するなど、もう少し充実させたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研究者への「天川弁財天曼荼羅スカーフ」進呈のお知らせ

2013-01-11 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年 1月11日(金)11時36分14秒

天川弁財天曼荼羅・荼枳尼天曼荼羅・伏見稲荷曼荼羅等の中世宗教絵画に関して論文・資料紹介等を発表されている研究者の方に「弁財天曼荼羅スカーフ」を進呈します。
長谷寺能満院の原画を厳密に復元したものではありませんが、書籍や展覧会目録の画像では分かりにくい部分を、六角堂能満院仏画工房の画僧・大願による近世の模写を参考に、より詳細に描いていますので、充分ご参考になると思います。
詳しくはメールにてお問い合わせ願います。

http://chingokokka.sblo.jp/article/53314160.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「弁財天曼荼羅スカーフ」

2012-01-08 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 1月 8日(日)14時03分37秒

最初の商品ですが、これは私が東日本大震災とは全く無関係に、一昨年、2010年の12月から準備していた「弁財天曼荼羅スカーフ」とします。
大震災以降、目まぐるしく状況が変化してしまったので何だかずいぶん昔のことのように思えるのですが、私はこの掲示板で「天河秘密弁財天曼荼羅」という奇妙な中世の絵について、何度も書いています。
そして、2010年12月に横浜の丸加株式会社というスカーフ製造販売会社の方と最初に打ち合わせをして以降、デザイナーとも直接お会いして何度も話し合って、奈良長谷寺の子院、能満院に伝わる「天河秘密弁財天曼荼羅」をベースに、オリジナルスカーフ作成を準備してきました。

丸加株式会社
http://www.marca-scarf.jp/top/top.html

当初の予定では2011年の3月末くらいにはデザインが確定するはずだったのですが、遅れに遅れて、やっと7月に確定しました。
まあ、大震災発生にぶつかってしまって、デザイナーさんの仕事が一時的にストップしてしまったみたいなんですね。
それくらいスカーフのデザインというのは集中力を要する緻密な仕事なので、催促しても良いことはひとつもないですから、じっと待っていました。
デザイン確定後、「型作成」の段階に入るのですが、デザインが緻密な上に、原画が12色のところ、より複雑な陰影を出すために19色にしたため、19片の型をつくるのにまたまた時間がかかってしまいました。
「型屋さん」には久々の大作ということで喜んでもらえたらしいのですが。
9月下旬にやっと「型」が完成し、そこから見本のプリントの段階となって、10月中旬に「ファーストサンプル」を二つもらいました。
私はそれに十分満足だったのですが、丸加さんの企画担当の方は異なる見解を持っていたため、その方の意見に従って修正を依頼したところ、これにまた時間がかかり、11月中旬になって、やっと「セカンドサンプル」をもらいました。
スカーフの作成は複雑な分業体制になっているのですが、このあたりになると本当にプロしか分からないディープな世界でしたね。
正直、私は微妙な(微妙すぎる)色や風合いの違いは何だか良く理解できなかったのですが、丸加さんの担当者の方の意見に従えば間違いないと思っていたので、お任せしたところ、結果的に非常に良いものができました。
そして、「セカンドサンプル」で確定後、やっと工場に正式に発注して、現在はその完成を待っているところです。
こんな感じです。(※)
ちなみに右下隅にある「Lady Nijo」は私のブランド名で、このブランドで今後、中世の宗教美術作品をアレンジした製品を継続的に送り出したいと思っています。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6139


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イエズス会宣教師が見た日本の神々』

2011-03-02 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 3月 2日(水)00時10分16秒

>筆綾丸さん
私にとっても、彌永信美氏の洗練された文章の後に釈徹宗氏の油っぽい文章を読むのは、ちょっとした苦行でした。
今日は同じく彌永氏の「キリシタンをめぐる三つの『背景』」で紹介されていた『イエズス会宣教師が見た日本の神々』(ゲオルク・シュールハンマー著、安田一郎訳、青土社)を読み始めましたが、これは異常に面白いですね。
後で少し引用してみます。

http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%A4%A5%A8%A5%BA%A5%B9%B2%F1%C0%EB%B6%B5%BB%D5%A4%AC%B8%AB%A4%BF%C6%FC%CB%DC%A4%CE%BF%C0%A1%B9



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「従一位」

2011-02-28 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月28日(月)12時48分17秒

>筆綾丸さん
そーなんですよ。
一瞬、目が点になりましたが、間違いなく「従」と書いてあります。
まあ、神祇不拝の信念を持つ浄土真宗の坊主が意地悪く稲荷神をからかった、というよりは単なるケアレスミスなんでしょうが、それにしても釈徹宗氏が稲荷信仰を舐めていることは明らかですね。
新潮社の編集者も、それなりに宗教に関心のある人が担当しているのでしょうが、みんな見逃してしまったようですね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間違い探し

2011-02-27 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月27日(日)23時07分44秒

(設問)
次の文章の中に明らかな誤りがあります。
どの部分でしょうか。
(出典、『不干斎ハビアン』p73以下)

--------
 そして幽貞は、「吉田家が神をコントロールしているのであれば、神は吉田家よりも下に位置するではないか。いずれにしても、天地創造の神ではないということである」と述べる。
 このあたり、日本の「神」の特性をよく押さえて語っていることがわかる。日本の「神」は、もちろんキリシタンの神(デウス)とはまったく別物である(近代になって、Godに「神」という訳を使うようになったのは、キリスト教にとって大きな躓きだったかもしれない)。本居宣長が言うように「尋常でないほどすごいもの」が神ならば、尋常でないほどの能力があったり、功績があったり、とにかく普通ではないものを神として祀ることになる。神話の神々、土着の神、外来の神、人間、道具、自然現象、なんだって祀るのだ。さらに、日本の「神」は一神教の神のように人間と断絶した存在ではない。政府が神にいろんな称号を与えたり、位階を授与したりもする。だから稲荷は従一位の位をもらっている。吉田家が神をコントロールしている、というのは少し言い過ぎだが、吉田家の意向を神が受けることだってある。これは、キリスト教の神とはまったく違う神概念である。少なくとも、ハビアンが言うように、「天地創造の神」ではない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天阿上人

2011-02-25 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月25日(金)07時41分27秒

大森恵子氏の「荼枳尼天と稲荷信仰」は次のような趣旨の論文です。(p375)。

-----------
 神仏分離以前の創立とか勧請と伝えられる稲荷小祠は、全国津々浦々に鎮座する。この種の稲荷社は、章末に掲載した表5の「荼枳尼天像を御神体とする稲荷社一覧表」や表6の「荼枳尼天像を御神体とする寺鎮守稲荷一覧表」に示したように、現在でも仏教的稲荷神である荼枳尼天像を御神体とするものが多い。明治維新後は、山城国の伏見稲荷本願所愛染寺が廃されたために、荼枳尼天像も神道の正一位稲荷大明神とされ、伏見稲荷大社から神道的稲荷神の宇迦之御魂をむかえて、一緒に奉斎されている稲荷社が数多く存在するのも現状である。一方では、神仏分離で荼枳尼天を安置するかぎり、稲荷神社と称することができなかったので、もと別当や縁りの寺に荼枳尼天像を遷座するなどして、祀り継いだものもある。このほかに三河地方の豊川稲荷(曹洞宗・妙厳寺)や、吉備地方の最上稲荷(日蓮宗・妙教寺)などから勧請された※枳尼真天や※枳尼尊天を御神体とする稲荷祠もある。
(中略)
 ところがこれまで、稲荷信仰に関する様々な研究がなされてきたが、荼枳尼天を中心に論じた研究は、五来重氏が「稲荷信仰と仏教」を執筆するまでは、ほとんど進行していないのが現状であった。五来氏は同稿で日蓮宗や禅宗・浄土宗・天台宗・真言諸宗で祭祀されている荼枳尼天を主にとりあげて、その宗教現象を詳細に分析するとともに、仏教経典や仏教的稲荷信仰に関する伝書をとおして、稲荷信仰の仏教的側面を論証している。また、栖川隆道氏は「禅宗寺院と稲荷信仰」の論中で、妙厳寺豊川稲荷が明治以後急速に人々の信仰を集めた理由を考察している。
 しかし、各地に鎮座する稲荷社の別当寺に着眼して、荼枳尼天を祀る仏教的稲荷信仰が民間に伝播していった過程を解明する研究はいまだなされていない。本章では特にこの点に焦点を当てて、近世における稲荷社の別当寺と修験、あるいは伏見稲荷本願所愛染寺と勧進聖、愛染寺の初代住持天阿上人と荼枳尼天信仰の関わりについて究明していくことにする。
-----------

この天阿上人は非常に興味深い人物ですね。
後で少し紹介するつもりです。
また、天阿上人ゆかりの、愛染寺伝来の品々を多数保管しているという滋賀県長浜市の日出山神照寺にも行ってみたいと思っています。

神照寺
http://www.h2.dion.ne.jp/~jinsyoji/index.htm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

烏森神社の「多喜尼天」

2011-02-24 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月24日(木)07時21分1秒

JR新橋駅には「烏森口」改札があり、近くに烏森神社が鎮座していますが、出張先に向かう途中だったのでこちらも参詣してみました。
同社の公式ブログには、

-----------
平安時代の天慶三年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治の説話で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白矢の矢を与えた。その矢をもって、すみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現われて、神烏の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想の如く烏が森に群がっていたので、そこに社頭を造営した。
それが烏森稲荷の起こりである。
http://plaza.rakuten.co.jp/karasumorijinja/

とありますが、実際に訪問してみると、稲荷社であることを感じさせる要素は全くないですね。
立派な狛犬はありますが、狐は一匹も存在しておらず、境内のポスターに「初午祭」とはあっても、それが稲荷の祭礼である旨の説明はありません。
大森恵子氏の大著『稲荷信仰と宗教民俗』(岩田書院、1994)第二章「荼枳尼天と稲荷信仰」p380によると、「烏森稲荷社」の神体は「多喜尼天」、別当寺は「快長院 聖護院宮末京六角住心院霞下」(『御府内寺社備考』)とのことなので、同社が隆盛を極めた江戸時代には本山派修験の支配下にあった訳ですね。
そして神仏分離の時期に仏教的要素を排し、ついでに稲荷としての側面も極力排してしまったということでしょうか。
参拝時、私はお狐様へのバンダナ奉納を狐視眈々と狙っていたのですが、肝心のお狐様がいないのでは仕方ないので空しく引き返しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お狐様とバンダナ

2011-02-22 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月22日(火)22時53分45秒

東京出張のついでに赤坂の豊川稲荷東京別院に行ってみました。
本院の豊川閣妙厳寺と同様、お寺の中に鳥居がいっぱいあるので、参拝時に柏手を打っていいのかどうか一瞬迷いますね。
境内の一画にはこれも本院同様の霊狐塚があって、凶悪系の割合が多いものの、伏見稲荷などよりは遥かに多様な表情の大小様々なお狐様が並んでいました。
大きめの狐には概ね赤い涎掛けが奉納されていましたが、中に一匹だけ、ピンクのバンダナを巻いているお洒落な狐がいました。

(設問)
いったい誰がバンダナを巻いたのでしょうか。

(答え)
ま、私なんですけど。
狐の敏捷さ、スピード感には涎掛けよりバンダナの方がずっと似合いますね。
ただ、巻き方が良く分からない上に、不審者と思われないように素早く巻こうとしたので、何だか手拭の固結びのようになってしまいました。
人気のない寂れた稲荷神社で少し練習してから、再度挑戦してみたいと思っています。


豊川稲荷東京別院
http://www.246.ne.jp/~ziggy/

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5731


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝珠とリボン

2011-02-17 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月17日(木)22時12分38秒

スカーフの細部のデザインは順調に進んでいて、出来上がるのが楽しみです。
私が制作をお願いしている会社はもちろん豊富な図案のストックを持っていて、普通のオリジナルスカーフ制作依頼の場合は相当部分を既存の図案の組み合わせとするので時間もさほどかからないのですが、私の依頼したデザインは非常に特殊なため、時間もかかるし費用もそれなりにかかりますね。

さて、青蛇様・白蛇様・赤蛇様・黒蛇様を毎日眺めている私は、注目するポイントも相当マニアックになっています。
青蛇様(能満院)の場合、首まわりに水平方向に金で縁取られた赤いリボンをつけておられていて、ずいぶんお洒落なのですが、これは宝珠との位置関係から見て宝珠を首に結びつける機能を有しているようです。
白蛇様(能満院)の場合、垂直方向に黄色(?)のリボンをつけておられていて、上端に火炎宝珠がメラメラと燃えていますが、きっと耐熱素材のリボンなんでしょうね。
赤蛇様(高野山親王院)の場合も垂直方向に白いリボンで、やはり上端に火炎宝珠が燃えています。
ところが、黒蛇様(石山寺)の場合、水平方向に赤いリボンを巻いているのですが、火炎宝珠はリボンとは離れて、左右の蛇の頭の上で燃えています。
とすると、リボンは何のために存在しているのか。
機能面では何の期待もされず、純粋にお洒落のために存在しているのですかね。

宝珠とリボンの位置関係からすると、やはり機能を有する方が自然な感じがします。
とすると、谷口耕生氏は黒蛇様は「室町時代も早い時期の作」と言われていますが、仮にその時代設定が正しいとしても、黒蛇様は決して最初に登場したのではなく、先行する作品があって、それを見た作者が自分の方がもっとデザイン的に優れたものを作れるんだ、と変に力んで作ったものじゃないですかね。
その場合、先行作品は何かというと、全体的な印象から見て、私は青蛇様の可能性が高いのではないかと思います。

参考までに青蛇様の首の部分を再掲しておきます。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5730
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時をかける鎌足

2011-02-08 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月 8日(火)08時02分11秒

>筆綾丸さん
1月30日にアマゾンに注文した『藤原鎌足、時空をかける―変身と再生の日本史』が何故かなかなか届かず、昨日やっと入手して読んでみました。
内容は概ね『中世肖像の文化史』をより一般的に読みやすくしたものですね。
珍しい事実の指摘の部分は参考になるのですが、フワフワしたイメージの連鎖にはついて行けないところも多く、『中世肖像の文化史』に感じたのと同様の不満を感じてしまいます。
筆綾丸さんご紹介の部分の直後に東九条荘・宇賀塚への言及がありますが、これは参考文献に載っている藤原重雄氏の「「本槐門・新槐門図序文」について-九条殿・宇賀塚・深草祭をめぐる説話と歴史-」(『朱』49、伏見稲荷大社、2006年)に基づくものですね。
『朱』には水準の高い論文がけっこう載っていますが、これも良い論文ですね。

宇賀塚
http://kamnavi.jp/yamasiro/ugauga.htm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石山寺蔵「天川弁才天曼荼羅」

2011-02-05 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月 5日(土)12時04分10秒

2008年に行われた展覧会の図録『石山寺の美 観音・紫式部・源氏物語』(大本山石山寺)を入手し、石山寺蔵の「天川弁才天曼荼羅」を確認しましたが、目の周りに黒い隈があって、あまり愛嬌のない顔をしていますね。
とりあえず「黒蛇様」と呼んでおきます。
画面上方、蛇頭の二人の眷属が口から吐き出している宝珠の列が直線状で、しかも平行線となっているのが珍しい感じがします。
谷口耕生氏の作品解説(p195)によると「室町時代も早い時期の作」だそうですが、白蛇様と2世紀もずれてしまうものなのかな、という感じがしないでもありません。

---------------
18 天川弁才天曼荼羅 一幅

絹本着色
縦一〇三.七 横三八.一
室町時代(十四世紀)

蛇頭人身で三面十臂という異形の弁才天を本尊として、周囲に七眷属と十五童子を配し、火炎宝珠を戴く三山を背後に描くという、極めて特殊な構成の曼荼羅。弁才天を蛇頭に表すことは、弁才天と日本古来の福徳神で蛇形の宇賀神との習合によるものと考えられる。
下方に従う十五童子は宇賀神に仕えて衆生に福徳を与えるとされ、それぞれ鍵や筆・硯、升などの宝器を持物とする。七眷属は、近年高野山の聖教中から発見された『十臂弁才天次第口訣』によれば、弁才天の足を支える天女が水天と火天、左右の天女が吉祥天と訶梨帝母、弁才天の左右と下方に配される蛇頭の眷属が三大王子であるという。画中にちりばめられた宝珠は、福徳や富の象徴であるとともに仏舎利を象徴することから、弁才天信仰と舎利信仰との関わりも予想される。
本図は、裏面墨書によれば隆厳法師が天川社から相承したとされる。同様の作例が奈良・長谷寺の能満院や和歌山・高野山の親王院に伝来しており、天川社の弁才天信仰が広まった南都および真言密教系の寺院を中心に流布したことがわかる。着衣の文様や衣文線、土玻などに金泥が用いられ、彫り塗りを多用する点に特色があり、室町時代も早い時期の作と見られる。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「荼枳尼天曼荼羅」or「伏見稲荷曼荼羅」

2011-02-03 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月 3日(木)07時58分52秒

お稲荷様のキツネの原像を求めて様々な論文を読んでいるのですが、林温氏の「荼枳尼天曼荼羅」(『仏教芸術』217号、1994年)と白原由起子氏の「『伏見稲荷曼荼羅』考─個人本「荼枳尼天曼荼羅」に対する異見─」(『MUSEUM』560号、1999年)を読み比べてみたことは、滅多にないスリリングな経験でした。
1994年、サントリー美術館で開催された「女神たちの日本展」に出展されて初めて広く知られるようになった「ダキニ天像」をめぐり、展覧会直後に林温氏が「荼枳尼天曼荼羅」を発表し、五年後に白原氏が林論文を批判して、仏教的なダキニ天ではなく神道的な伏見稲荷像と考えるべきだと述べたものです。
白原氏はあまり論文は書かれていないようですが、優秀な人ですね。
もちろん、林氏の論文も優れた内容です。
後で少しずつ紹介してみるつもりです。

>筆綾丸さん
レスしようと思っていたのですが、ひとつ削除されたみたいですね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする