学問空間

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「先住民」

2011-10-18 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月18日(火)20時10分16秒

横手の中心部から北に約9k、国道13号線を秋田市方面さ向かうと、3重の塔のよんた、緑色の屋根をした建物が後三年の役金沢資料館だんす。
後三年の合戦(役)は今から920年前、ここ横手市どご中心にした、古代から中世に変わる歴史上、重要な戦いだったんす。
その戦いの様子どご描いた絵巻どが考古資料どがが展示されていて、特に絵巻については当時の合戦の様子がえぐわかり必見だんす。

後三年の役金沢資料館
http://www.geocities.jp/ishishin10/kankou/yokote5/siryoukan1.html


わだすも金沢八幡宮さ寄った後、後三年の役金沢資料館さ行ってみただんす。
係の人がまんずはずめにビデオさ見せてくれるつーで、そんなら見せてもらおかと思って見とったら、ちょっぴり疲れとったもんで、ついウトウトしてしまっただんす。
すると突然、センジューミン、としゃべる声が聞こえてきたがら、あれれー、と思って目さ覚ましただんす。
先住民つーと、アメリカのインディアンさ思い出してしまうだども、なんが変な感じがしただんす。
関東や関西あたりの学者連中が先住民つーなら、まだ分がっけど、地元の人が蝦夷どが先住民さ言うのはどうなんだべか。

横手弁、めちゃくちゃだんす。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6009
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調停者

2011-10-18 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月18日(火)13時03分8秒

>筆綾丸さん
確かに表現がちょっと変なところはありますね。
一番分からないのは康治2年(1143)の相馬御厨、翌天養元年の大庭御厨での義朝の行動を概観した後で、「二つの御厨における義朝の行動から、武士団対立の調停者としての役割を看守できるであろう。彼が調停者として東国武士に受容された背景には、むろん名門河内源氏の武力もあったが、同時に院・摂関家の権威も存した。義朝が中央の政治権力と結ぶがゆえに、東国武士は彼の調停に従ったのである」としている点です。
一方当事者側の先頭に立って暴れまくっているだけの義朝が何で「調停者」なのか。

名前の読み方では、私は「千任」が「せんとう」となっていたのが気になりました。
男の名で音読みとなっているのは、これだけみたいですね。
普通は「ちとう」と読んでいると思いますが、確かに「訓+音」は変と言えば変です。
しかし、「せんとう」だと何となく銭湯が連想され、千任を吊るす例の残虐な場面ものんびりした雰囲気になってしまいそうで、妙な感じですね。

写真は今月5日に訪問した景正功名塚と金沢八幡宮です。
金沢八幡宮の案内板には「新羅三郎義光の末裔である佐竹藩主の尊崇特に篤く」云々とありますね。
また、「弥陀八幡」との表現がありますが、これはどういうことなのか。
神仏分離前は本地仏として阿弥陀の仏像が祀ってあったのでしょうか。

(27日追記)
何か変なことを書いたような感じがしていたのですが、やっと気づきました。
「任」を「とう」と読むのは訓読みですね。
「ちとう」だったら「訓+訓」で他の男性名表記と合うのに、なぜ「せんとう」なのか。


「平安の風わたる公園」
http://www.geocities.jp/ishishin10/kankou/yokote5/history.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6008



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勿来の関

2011-10-18 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月18日(火)12時25分27秒

土日月と久しぶりに群馬に帰っていました。
16日(日)は日光に行きましたが、紅葉狩りにはベストのタイミングでしたね。
昨日は北関東自動車道・常磐自動車道経由でいわき市に寄り、勿来の関や小名浜の水族館「アクアマリンふくしま」などを訪問してみましたが、勿来の関は源義家だらけでした。

勿来関文学歴史館
http://www.iwakicity-park.or.jp/bungakurekishikan/index.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6007



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『河内源氏 頼朝を生んだ武士本流』

2011-10-15 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月15日(土)08時25分48秒

>筆綾丸さん
『河内源氏』を読んでみました。
私は参考文献に出ている川端新氏の『荘園制成立史の研究』(2000年)と高橋一樹氏の『中世荘園制と鎌倉幕府』(2004年)までは一応見ているのですが、荘園制についての研究の進展と、高橋昌明氏らによる武士論研究の成果がどのように結びつくのかが分からなくて、11~12世紀は難しいなあと感じていたことがあります。
そんなときに元木氏の前著をいくつか読んで視野が開けたように感じましたが、本書も全体として内容的には良い本だなと思います。
用語についてはご指摘のように少し変だなと思うところがありますが、筆綾丸さんにも若干の誤解があるようで、例えば「私君」はそれなりに多くの研究者が用いていると思いますし、「京上」は荘園制に関する論文では当たり前に用いられている用語ですね。
それと、「徳子」は訓読みであれば「のりこ」でしょうし、そのように振り仮名をつけている本もけっこうありますね。
近藤成一氏が「頼朝が知らなかった『政子』という名前」というエッセイを雑誌(アエラ?)に書かれていましたが、諱(いみな)は特殊な場合以外には使われないものだから、あまり読み方に拘っても仕方ないように思います。
また、「暴力装置」はマックス・ウェーバーの用語ですので、私は全く違和感を感じません。
去年、仙谷由人官房長官(当時)が「自衛隊は暴力装置」と発言して大問題になりましたが、ずいぶん変な議論をしているなあと不思議に思いました。
リンク先の「おおやにき」氏の意見、表現は個性的ですが、私も同じように考えていました。

http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201011180169.html

「おおやにき」
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000746.html

84頁の「影響力のある学者」ですが、前頁には「ちなみに近年、後三年合戦で恩賞がなかった原因を、白河の弟輔仁親王との婚姻が原因で白河院から睨まれたためだとする説が提起された」とありますので、1996年に亡くなられた安田元久氏ではないでしょうね。
批判するのだったら、はっきり名指ししてほしいですね。

安田元久
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0%E5%85%83%E4%B9%85

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霊山で見つけた変なもの

2011-10-13 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月13日(木)08時58分30秒

そういえば霊山城址には変な字体の石碑がありました。
これで「金華山」と読むのだそうです。
私は『霊山町史』を見ていたので石碑の存在は知っていたのですが、知っていても読めないですね。
まあ、「山」は分かりますけど。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6003


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霊山

2011-10-13 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月13日(木)07時47分43秒

>筆綾丸さん
このところ連日、宮城・福島県内を廻って写真を撮っていたので、レスが遅くなってしまいました。
今日は久しぶりに自宅で過ごす予定なので、『河内源氏』も読んでみます。
写真は10日に登った霊山です。
時節柄、誰もいないのかなと思っていましたが、「霊山こどもの村」の登山口から霊山城址までの往復約2時間半ほどのハイキング中に8人に出会いました。
紅葉は始まったばかりでしたね。
なお、一番上の写真はロック・クライミングの経験がありそうな二人組が岩場で遊んでいたもので、いくら霊山といえども、さすがにこんな登山コースはありません。

http://www.asahi-net.or.jp/~qy5s-sozk/ryozen/ryozen.htm
http://backcountry.image.coocan.jp/reports/07fukushima/ryozen.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6002



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キティちゃんの存在理由

2011-10-09 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 9日(日)07時37分40秒

昨日載せた写真では分かりにくいのですが、殉教記念クルス館のキリスト像の下にはバラの花瓶二つの他に、かなりの枚数の貨幣と千羽鶴、そしてキティちゃんのぬいぐるみが置かれていました。
いくつかの疑問が浮かんできます。

Q1.キリスト像の前に貨幣を供えるという習慣は、そもそもキリスト教の国にはあるのか。
Q2.日本のキリスト教の教会に行って、キリスト像の前に貨幣を置いたら、その貨幣はどのような扱いを受けるのか。
Q3.貨幣を供えた人はキリスト教徒なのか。
Q4.仮に貨幣を供えた人がキリスト教徒ではない場合、どのような意図で行ったのか。神社・仏閣の参詣時と同様、「お賽銭」として供えたのか。
Q5.キティちゃんは何のために供えられたのか。また、その存在が施設管理者に許容されている理由は何か。

私にとって最大の疑問はQ5ですが、なかなかの難問ですね。
私は厳粛な宗教的空間にキティちゃんを置くなどけしからん、と思っている訳ではなくて、むしろ逆です。
舟越保武が作った空間とキリスト像は本当に素晴らしいもので、この前に立つとキリスト教徒でない私も厳粛な気持ちになりますが、しかし余りにも緊張感がありすぎて、暫くするといささか息苦しいような感じもしてきます。
そんな空間の中でキティちゃんを見ると、ホッとしますね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5999


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大籠キリシタン殉教公園

2011-10-08 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 8日(土)08時35分40秒

>Akiさん
私も法律英語というジャーゴンの世界を多少知っているだけで、英語力は全然たいしたことはありませんから、ご指摘の点はちょっと耳が痛いですね。
歴史学の研究者にとって、ネットで個人的な研究に関する情報を公開することには基本的に何のメリットもない状況において、保立氏のブログは貴重な存在ではあると思います。
ただ、原発事故に関しては、風評被害の原因にもなりますから、保立氏のように社会的地位の高い人がいい加減なことを書くのは控えてもらいたいですね。

>筆綾丸さん
合併により一関市に編入されたばかりの岩手県の藤沢町に大籠キリシタン殉教公園という施設があって、私は先月23日に訪問してみました。
園内にはキリシタン資料館と殉教記念クルス館という二つの立派な建物が存在しており、このうち資料館は歴史資料の展示という範囲に一応収まっているものの、クルス館はクリスチャンの舟越保武が設計した建物に、舟越保武作の十字架上のイエス・キリスト像、聖マリア・マグダレナ像、聖クララ像が展示されており、どうみても教会そのものですね。
これに藤沢町は多額の公費を支出しているので、仮に津地鎮祭訴訟のような形で裁判になった場合には、憲法違反と判断される可能性が極めて高いと思います。
私はこの種の公費支出が許されないと考える立場ではありませんが、こういう事例をみると、神社関係者が不公平感を抱くのはもっともな感じがしますね。

http://www.town.fujisawa.iwate.jp/cross/cross.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5998



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田沢湖の誤字

2011-10-06 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 6日(木)15時05分52秒

昨日、岩手県の田沢湖に行ってきたのですが、有名な「たつこ像」の解説板に「作者 船越保武」とありました。
正しくは「舟越」ですが、ちょっと信じられないミスですね。

舟越保武
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9F%E8%B6%8A%E4%BF%9D%E6%AD%A6

田沢湖
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%A2%E6%B9%96

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5995


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イフタール

2011-10-06 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 6日(木)14時41分16秒

>筆綾丸さん
『文藝春秋』8月号の斉藤吉久氏による該当記事を見たところ、「小泉内閣以降には首相官邸で「イフタール」というイスラムの断食明けの食事会が行われました」とあるだけですね。
「イフタール」で検索すると、首相官邸で今年の8月2日に行われたイフタールの様子が出ていました。

http://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201108/02iftarl.html

アメリカ大使館でもルース大使の主催で行われているそうで、こちらのページの方が具体的なイメージをつかみやすいですね。

米国大使館首席公使James P. Zumwalt氏のブログ
http://zblog.japan.usembassy.gov/j/zblog-j20110902a.html



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復興と政教分離

2011-10-04 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 4日(火)12時08分43秒

産経新聞に載っている赤坂憲雄氏の「【新章 東北学】(7) 神仏の再建、隠れたテーマ」から、少し長めに引用してみます。

------------
 ダム建設で移転した村などを訪ねると、村の入り口に墓地があって寺が建てられている。ずっと奥の高台に神社があって、神様を元の村から勧請してお祀(まつ)りしている。あるいは分村して入植する開拓村でも、人々が真っ先に考えるのは、以前の村から鎮守の神様を移して祀ることです。
 つまり、家が建てられ、道路ができて、インフラが整うから新しい村が始まるのではない。土地を守っている神様とのつきあいとか、あるいは祖先とのつながりをどのように維持していくかということが、地域のコミュニティにとって重要なことなんです。新しい村づくりが、さまざまな場所で始まっていますけれど、精神のよりどころとしての神や仏の座をどのようにデザインするのかということが隠れたテーマになるはずです。
 ところが、そう簡単な話ではない。政府の復興構想会議でも、僧侶の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんが「壊滅した寺や神社の再建を支援できないか」と提案されたんですね。でも、行政は宗教に関わってはいけないという建前があって、予算をつけるなんてとんでもない、と退けられる。おそらく国だけではなくて、地方行政のレベルでもそうでしょう。
 復興のために、神と仏の再建というテーマは、重要であるにもかかわらず、長期にわたって手をさしのべられない状況が続くかもしれない。避難している地域の人々も、精神的なよりどころを失ったまま地域の再建に取り組まざるを得ない。
(後略)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110919/dst11091907250001-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110919/dst11091907250001-n4.htm

赤坂憲雄氏は私にとって謎の思想家であって、私が関心を持っている分野で多くの著作を書かれているのですが、とにかく文章にスピード感が全然ないので、私は読んでいるうちにイライラしてしまい、耕運機に前方を塞がれた暴走族のような心境になって途中で放り投げるのが常でした。
しかし、最近、先方のスピードが上がったのか、私のスピードが落ちたのか、我慢すればある程度読めるようになってきました。
さて、赤坂氏や玄侑宗久氏は法律の素養がないので、役人から「行政は宗教に関わってはいけないという建前があって、予算をつけるなんてとんでもない」と言われれば何の反論もできないようですが、憲法の政教分離原則についての現行の解釈はいろいろ問題があって、今回の大震災を契機に憲法学者が本格的に議論しなければならない点が多いですね。
今までは、とにかく神道や靖国神社が嫌いな人々が、神道憎し、靖国憎しの一念でいろんな裁判を繰り返した結果、国家と宗教の厳格な分離を基調とする判例が積み重ねられ、結果として行政は宗教に近づくことに極端に慎重・臆病になってしまった訳ですが、今回の震災で政教分離原則の解釈が本当に今まで通りでよいのかを根本的に再検討する必要が明白になったように思います。
もっとも、解釈の変更が実現するかもしれない時期は遠い未来であって、そんなものを待っていては地域のコミュニティが崩壊してしまいますから、ちゃんとした自覚を持った人が、できることから少しずつ始めなければならないですね。
私はそうした仕事に関わるつもりで東北に来まして、今は地味に準備をしている段階です。

少し検索してみたところ、震災と政教分離原則については下のリンク先が良くまとめていますね。
真如苑が資金援助をしているサイトだそうですが、執筆者はしっかりした研究者みたいですね。

「宗教界の震災復旧を阻む政教分離の壁」
http://www.circam.jp/page.jsp?id=1953


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誤字その2

2011-10-04 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 4日(火)08時08分43秒

保立道久氏のブログで、<平田光司「満八反計画の現在」>とあったので、一瞬、中国共産党あたりでそんな表記をするのだろうかと思ったのですが、まあ、これは「マンハッタン計画」の単純なワープロミスですね。
9月28日以降修正がなされていないので、いつになったら直るのか気になって仕方ありません。
大きなお世話ですが。

http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-ba6f.html
http://rekiken.jp/journal/index.html

また、「文教日本史」氏のブログには「富岡製紙工場」とありましたが、正しくは「富岡製糸工場」ですね。

http://blog.goo.ne.jp/shuya1128/e/b40ddb76df08d93d136768397aeedce3

「文教日本史」氏のブログで誤字・脱字、不正確な知識、論理矛盾のない投稿は珍しいのですが、せめて教育実習生の指導の誤りを指摘している投稿では、もう少し慎重に書いていただきたいですね。


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鳥海山

2011-10-04 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年10月 4日(火)00時34分58秒

先週末は金華山の代りに秋田・山形県境の鳥海山に行ってきました。
津波被災地の主要な神社・仏閣は大体見たので、今後は比較のために内陸部や日本海側の神社・仏閣も時々訪問しようと思っています。
特に修験の勉強はある程度しっかりやっておきたいと考えていて、今回は由利本荘市に一泊し、秋田県側の鳥海山麓にある旧由利町の森子大物忌神社や旧矢島町の福王寺など、往時は鳥海山修験の拠点として栄えた場所をいくつか訪問してみました。
たまたま本荘郷土資料館で「鳥海山展 山をめぐる信仰と文化」をやっていたのですが、なかなか充実していました。
写真はその展示の一部ですが、変な三面大黒像がありましたね。

http://www.city.yurihonjo.akita.jp/www/contents/1184051514906/html/common/4df6c1ed007.html


>筆綾丸さん
>決闘死を目前にしたガロワが肉声で私に叫びかけてきたかのような電撃的霊感

まるで恐山のイタコにでも相談したかのような名文句ですね。
怖いものみたさで読んでみようかなとも思いますが、他に読まなければいけない本が山積しているので、当分先になりそうです。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5990

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「正伝と外伝」
https://6925.teacup.com/kabura/bbs/5989

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