学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

久しぶりの東北

2016-05-30 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月29日(日)23時56分38秒

一昨日、27日(金)に北関東・常磐自動車道経由で久しぶりに宮城県に行ってきました。
常磐道の日立あたりに連続するトンネルは何だか陰気で、また、いわきJCTから北は対面通行区間が多いですから、東北自動車道に比べるとちょっと利用しづらい感じがします。
冬場は雪があまり積もらなくて良いのでしょうけど。
常磐富岡ICで下りてからは国道6号を北上し、大熊・双葉町の帰還困難区域を道路から垣間見ましたが、店舗・住宅の荒廃が進んでいますね。
出発時間が遅かったのであまり寄り道はせず、松川浦と原釜尾浜にだけ寄ってみたところ、旅館街は復興が進んで活気が出て来ている感じでした。
原釜尾浜海水浴場近辺も海岸堤防の建設が進んで風景が一変していました。

福島県相馬港湾建設事務所「復旧復興だより」(PDF)

昨日、28日(土)は、朝4時に起きて名取市閖上から亘理町の荒浜、鳥の海まで見てきましたが、堤防工事の進捗具合はすごいですね。
閖上の日和山の階段下には独特の風貌の狛犬が並んでいましたが、これは以前、湊神社にいた狛犬ですね。


所用を済ませた後、帰路はのんびり東北自動車道を南下しました。
私もこのところ親の介護の都合で、といっても特別大変なことをやっている訳ではなく、親が毎日飲む薬の管理とインシュリンの注射程度なのですが、それでも遠くに出かける機会がめっきり減ってしまいました。
ま、そんな生活に慣れると、あちこち出かけようという気持ちも乏しくなってしまうのですが、たまには遠出も良いものですね。

>筆綾丸さん
日本の政教分離論議はあまりにチマチマした議論が多いなと思って次の課題を探していたのですが、フランスのライシテは面白そうですね。
入門書として工藤庸子氏の『宗教vs.国家:フランス「政教分離」と市民の誕生 』(講談社現代新書、2007)を読んだ後、ジャン・ボベロの『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』(白水社、2009)に取りかかったところです。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 2016/05/29(日) 17:12:46
http://www.shinchosha.co.jp/book/603786/
池内恵氏『【中東大混迷を解く】サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』を、「第一章 サイクス=ピコ協定 とは何だったのか」まで読んでみたのですが、つまるところ、中東情勢がどうなるのか、まったくわからない、ということで、「中東研究の第一人者」(帯文)を俟つまでもなく、そんなこと、誰もが考えていることじゃないか、と期待を裏切られながらも、続きも読んでみようか、としています。中東はなるようにしかならんのでしょうね。

http://ikeuchisatoshi.com/category/%E3%80%8E%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%EF%BC%9D%E3%83%94%E3%82%B3%E5%8D%94%E5%AE%9A-%E7%99%BE%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%91%AA%E7%B8%9B%E3%80%8F/
残念ながら、NHKの番組は見ませんでした。
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「心の燈台 内村鑑三」(上毛かるた)

2016-05-26 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月26日(木)11時45分29秒

群馬県には「上毛かるた」というものがあって、群馬県下の小学生は全員、これを丸暗記させられます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AF%9B%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%9F

そこで、群馬県出身者に「心の燈台」と呼びかければ、必ずや「内村鑑三」と返ってきます。
これは決して冗談ではありません。
疑う人は身近な群馬出身者で実験してみると良いと思います。
何の躊躇いもなく瞬時に「内村鑑三」と答えられなければ、それはニセ群馬人です。
さて、群馬県出身者にとって内村鑑三が偉い人であることは、「おどるポンポコリン」を聞いて育った「ちびまる子ちゃん」ファンにとってエジソンが偉い人であるのと同様に自明なのですが、しかし、内村鑑三が何故偉い人なのかはそれほど自明ではありません。
また、小学校でも何故内村鑑三が偉い人なのかについて詳しい説明はしていないはずで、そもそもそうした説明ができる教職員は皆無に近いと思います。
まあ、私も何となく内村鑑三は偉い人と思って育ったのですが、キリスト教の歴史に興味を抱くようになってから内村鑑三関係の本を読むと、内村鑑三って結構恐ろしい人だなと考えるようになりました。
本当に内村鑑三を「心の燈台」として生きてしまったら、よほど精神の強靭な人はともかく、普通の人は通常人としての人生を踏み外し、茨の道を歩むことになりかねないんじゃないですかね。
量義治氏の『無教会の展開─塚本虎二・三谷隆正・矢内原忠雄・関根正雄の歴史的考察他』は、私にとって内村鑑三の恐ろしさを改めて思い起こさせてくれる、ある意味キョーフの書でした。
同書から塚本虎二と共に「内村鑑三記念キリスト教講演会」に登壇した藤井武(1888-1930)に関する部分を少し紹介してみます。(p19以下)

------
 最後の第七講演者藤井の演題は「近代の戦士内村先生」であった。藤井はこのように語り始めた。「本年三月下旬に、わが東京におきまして数日間うち続いて賑やかなる復興祭が行はれました。かの震災によつて一度び倒れました大なるバビロンは、又しても灰燼の中から華々しく起上つて来たのであります。……全市は三四日の間ぶつ通しに鳴り物と萬歳の叫びとに沸き返つたのであります」。ちょうどそのころ「帝都の片ほとり」の「柏木の里」で、「この騒ぎを余所にして」、「一人の預言者」が世を去った。
 詩人藤井はヨハネ黙示録にある世の終わりにおけるハルマゲドンの戦いの表象をもって師内村の生と死の意義を語り、その講演を次のように結んだ。

 今や遂に彼は斃れました。あゝハルマゲドンの勇将は斃れました。而もバビロンの復興祭の最中に。すなわち彼は敵の本陣から起る凱歌を耳にしながら、その石垣の下に屍を曝したのであります。
 然らば彼の戦は敗北でありましたか。断じて否! 見よ、彼の剱はすでに敵将の胸を貫きました。彼の唱へた徹底十字架本位の福音のまへには、マルクシズムもアメリカニズムも最早や立つことが出来ません。十字架の血に罪の赦しを見出した者にとつて、唯物史観が何ですか。共産社会が何ですか。キリストと共に十字架に釘けられ、彼と共に永遠の国に生れ更つた者にとつて、此世の幸福が何ですか。事業の成功が何ですか。肉の慾、眼の慾の満足が何ですか。十字架の立つ所に社会主義は倒れ享楽主義は亡びざるを得ません。内村先生五十年の奮闘によつて、近代の世界的怪物どもは既に致命傷を負うたのであります。さればこそまさに斃れんとする先生の口から、悲壮なる凱歌が迸り出たのであります、曰く福音萬歳! と。
 先生は斃れました。その戦は勝利でありました。併しながら現代のハルマゲドンの大戦争は未だ終つたのではありません。穢れた霊は致命の傷を受けながらも、今なお活躍を続けてゐます。マルクスは叫びます。アメリカは働きます。学者は囚はれ、青年は迷はされ、教会は堕落します。私どもは起たざるを得ません。私どもも亦真理のために、十字架の義のために、先生の遺しました剱を取上げ、先生の屍を乗り超えて、更に前進を続けなければなりません。我らの戦は是からであります。すなはちこゝに先生の記念会に当つて、私どもはすべての真理の敵に向かつて、新に宣戦を布告します。
-----

藤井武はこの講演の二か月後、内村鑑三を追うように病死してしまうのですが、それを知ってこの文章を読むと、いささか鬼気迫るものを感じます。

藤井武と矢内原忠雄の夫人は姉妹で、藤井の五人の遺児は矢内原が育てたそうですね。
『矢内原忠雄全集』の月報等をまとめた『矢内原忠雄─信仰・学問・生涯─』(岩波書店、1968)には藤井立氏の「叔父の思い出」、藤井偕子氏の「叔父の面影」というエッセイが載っており、偕子氏は別に「『藤井武全集』再刊のころ」という文章も寄せています。
藤井武に関するウィキペディアの記述は簡単ですが、検索してみたところ、「Report from Kamakura」というサイトに「矢内原忠雄が心血をそそいで編集=藤井武全集」という記事がありました。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~matu-emk/
http://www2s.biglobe.ne.jp/~matu-emk/yanaiha.htm
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演出家・石川健治の仏壇マクベス

2016-05-26 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月26日(木)09時15分10秒

>筆綾丸さん
>「I cannot be saved by a worship I disbelieve & abhor」

筆綾丸さんが指摘された"a worship"の点が気になりますが、原文が現代英語から見れば相当クセのある文章なので、予備知識のないまま細かい分析をするとかえって間違いかねないのかもしれないですね。
探せば注釈書(?)もあるでしょうし、シャフツベリーの思想とかも面白そうな感じがしますが、当面はそこまで手を伸ばす余裕がありません。

>石川氏個人の宗教は何なのか

矢内原の文章を「写経」すると表現する方ですから、キリスト教を信仰している訳でもなく、仏教徒でもないんでしょうね。
何となく荘重な雰囲気を醸し出すために「写経」「結界」などの仏教用語を濫発する石川氏を見ていると、蜷川幸雄演出の仏壇マクベスを連想してしまいます。

>「神さまが食わせてくれる」

学生相手の気楽な講演とはいえ、矢内原忠雄の講演録などと比較すると格調の低さは否めませんね。
貧しい出自から這い上がって法曹としての世俗的栄達を極めた藤林は、もちろん実務家としては極めて有能ですが、「知識人」とは言い難い人ですね。
司法界の田中角栄みたいなものでしょうか。
また、藤林の「本当の個人主義」への異様な執着は、「生涯の師と仰いだ塚本虎二先生」が内村鑑三の死後に行った記念講演を連想させます。
内村鑑三は1930年3月28日に死去したのですが、その二か月後、東京・青山会館で行われた「内村鑑三記念キリスト教講演会」で、矢内原忠雄に次いで講壇に立った塚本虎二は「独立人内村先生」との題で次のように述べたそうです。(量義治『無教会の展開─塚本虎二・三谷隆正・矢内原忠雄・関根正雄の歴史的考察他』、新地書房、1989、p12)

-----
 まことに、先生が教会人に蛇蝎の如く忌み嫌われたのも、要するにこの独立の故であつた。神と人との前に信仰の独立、独立の信仰を保持すること─これが先生の生涯であつた。而してパウロの

キリストは自由を得させん為に我らを釈き放ちたまへり、然れば堅く立ちて再び奴隷の軛に繋がるな

との信仰の自由がまた先生の信仰の自由であつた。而してこの信仰の自由─十字架の信仰のみを以て救はるとの信仰の自由は、凡ての人より、また凡ての物より独立することによりてのみ保たれ得る、といふのが先生の信念であつた。
-------

この塚本虎二の発言を紹介した後、量(はかり)氏は、

-------
 「信仰の自由」は「独立」によって「保たれ得る」と言う。それでは「独立」はなにによって「保たれ得る」のであろうか。「信仰の自由」によってであろう。これでは循環ではないか。しかり、循環である。これはなにを意味するのであろうか。神にのみ依り頼む信仰の自由は神以外の一切のものからの独立と相即するのである。両者は同一の事態の二つの異なる局面にすぎないのである。
-------

と纏めるのですが、これは藤林の信念・良心・信仰の要約にもなっていますね。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神を崇める 2016/05/25(水) 16:08:40
小太郎さん
United States v. Seegerという文脈で読むと、 「I cannot be saved by a worship I disbelieve & abhor」は、abhor が訳されていないものの、「自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないのである」でよいのでしょうね。

矢内原と藤林の無教会主義キリスト教への石川氏の言説から、では、石川氏個人の宗教は何なのか、と余計なことながらも知りたくもなりますね。

言葉の綾とはいえ、「神さまが食わせてくれる」とはなかなか強烈ですね。なんだ、藤林の信ずる神とは、その程度のものなのか、彼の信仰はあまり大したものではなかったろうな、という感じがします。
中東のダーイッシュ(IS)に飛び込む若者は、どんな神かはともかく、「神さまが食わせてくれる」と本気で信じているかもしれませんね。
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藤林益三の弁明(その2)

2016-05-25 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月25日(水)10時29分42秒

「信念というか、良心に基づくもの」「私の信念というか信仰というか」といった表現から伺えるように、藤林にとって信念・良心・信仰という概念には特に区別がなく、常に渾然一体となっているようですね。
ま、それはともかく、もう少し引用を続けます。(p130以下)

------
民主主義と個人主義
 民主主義というものは、お互に堂々と議論をつくして、最も妥当な結論へと導くのが本当です。声の大きいのや乱暴なのが勝っては、民主主義は駄目になります。殊に多数をたのみにして、無理を押しとおすというようなことでは、全く問題になりません。このことは、国会の多数党が、お手本を示しているのかも知れません。日本には、まだまだ真の民主主義は育っておりません。
 民主主義というものは、真の個人主義が出来てからでないと成立しないのに、日本では敗戦の結果、未成熟な基盤の上に、民主主義が置かれたので、こんなことになったのだろうと思います。真の個人主義は、個人がもっと自覚と責任をもつべきものです。組織の中にいて、自分の責任を自覚しないようでは、個人主義も民主主義もありません。あるものはただガリガリの利己主義だけです。利己主義と個人主義とは別物であることを留意して貰いたいと思います。
------

ここまではよくあるパターンですね。
一昔前は、欧米には「真の民主主義」があることを前提に、日本は駄目だ、日本には「真の民主主義」がない、などと繰り返す「進歩的知識人」が大勢いました。
藤林が面白いのは次の部分です。

------
 その点では、私の信じる無教会信仰というものが個人主義的なのです。同じキリスト教といっても、カトリックのように大きい組織の中にいて、神と対するのに教会という組織でもってするのと、神やキリストに対して我ひとりという無教会信者とは違います。私はキリストを通して、神と対するのに一対一です。教会抜きで、直接な関係です。それが私の生き方です。本当の個人主義というものは、こういうものだろうと思います。そして、その上に、真の民主主義が成立すると思っているのです。
------

「同じキリスト教といっても」「大きい組織の中にいて、神と対するのに教会という組織でもってする」ようなカトリックは駄目なのだ、とありますから、同じプロテスタントといっても、教会を構成する宗派も駄目なんでしょうね。
そして、「神と対するのに一対一」で、「教会抜きで、直接な関係」を結ぶ無教会信者でなければ「本当の個人主義」者ではないのだ、そういう「本当の個人主義」の上でなければ「真の民主主義」が成立しないのだ、となると、プロテスタントの中で無教会主義者の占める割合が特に増えず、更にカトリック・プロテスタントを合計してもあまり信者が増えない状況の下で、日本に「真の民主主義」が到来するのはいったい何時のことになるのか。
それは殆ど気の遠くなるような未来のことなのかもしれません。
さて、藤林のストライキ嫌いが官公労に限定されるなら私も理解できない訳ではないのですが、次のような文章はかなり微妙ですね。(p132)

------
強く生きよ
 私は、労働問題に理解をもっているつもりですけれども、根本的にストライキは好きではありません。弁護士で長い間生きて来ましたが、もし私が組織の中にいて、ストライキの問題が起こったとしたら、そこでやめてしまいます。人と一緒になって文句を言わなくてもよいのではないか、と思います。官公労働者は国民へ奉仕するのが職務ですから、それがイヤならやめてしまえということです。そんなことを言っても、食えなければ困る、というかも知れませんが、神さまが食わせてくれるというのです。そう言ってやめてみれば、この男は面白い男だから、オレのところへ来い、という人が出ないとも限らない。
 要するに多数の力をたのまなければものが言えないということが、私には気に入らないのです。そして、その多数が、本当に同じような意見をもっておればまだよいのですが、大きい声に反対もできずに従っている人々があることを知っているものですから、腑甲斐なく、情なく思うのです。
 これはなにも労働問題に限りません。大学紛争にも、社会のいろいろな争いごとにも、一般に通じることがらだと思います。一人一人が、もっと強く生きられないものかと思いますし、それが生き甲斐というものだろうと考えるのです。
------

高度成長期には労働組合、特に官公労の鼻息が荒く、一部の組合指導者・組合員には相当な精神的荒廃も見られたので、そのような時代背景を考えるとこの種のストライキ嫌いの心情も理解できない訳ではありませんが、現在のような低成長時代に読むと、いささか寒々とした人生論のような感じがします。
また、景気のよい時代であっても、「神さまが食わせてくれる」と言って自己都合退職した人が「この男は面白い男だから、オレのところへ来い、という人」に巡り合える可能性は相当低かったのではないかと思われます。
ま、藤林の場合は無教会信仰が「強く生き」る支えになったは明らかで、それはそれでけっこうなことですが、普通の人にはあまり参考にならない「生き方」かもしれないですね。
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藤林益三の弁明(その1)

2016-05-25 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月25日(水)09時01分17秒

"Where Have All the Flowers Gone?"(「花はどこへ行った」)で有名な Pete Seeger という反体制フォーク歌手がいて、日本では「ピート・シーガー」と表記されることが多いようですが、同じ Seeger でも良心的兵役拒否問題に登場する人は Daniel Seeger で、両者は特に関係はないようですね。
ま、ピート・シーガーは元アメリカ共産党員で、当然ながら無神論者でしょうから良心的兵役拒否の対象には全くなりえませんが。

Pete Seeger(1919-2014)
https://en.wikipedia.org/wiki/Pete_Seeger
Daniel Seeger(1934-)
https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Seeger

さて、私はもともと藤林益三に何の興味もなくて、たまたま石川健治氏が憲法記念日に朝日新聞へ寄稿した「9条 立憲主義のピース」に出ていたから少し調べてみただけなのですが、改めてこの記事を見ると、

-----
 ここでは、逆に「重さ」を感じさせる一例として、77年に出された一つの最高裁判決をひもといてみたい。当時の長官は藤林益三。元々彼は、佐藤栄作内閣が最高裁を保守化させようと躍起になっていた時期、切り札として送り込まれた企業法務専門の弁護士だ。実際、リベラルな判決が相次いでいた公務員の労働基本権の判例の流れを「反動」化させるのに大きな勲功をあげた。その彼が定年退官直前に担当したのが津地鎮祭事件であった。

http://www.nenkinsha-u.org/04-youkyuundou/pdf/masukomi_houdou_asahi_kenpou1605.pdf

とあって、「リベラル」派憲法学者である石川健治氏にしてみれば藤林はいささか微妙な存在なのではないかと思われるのですが、文章の後半では藤林への絶賛に終始し、藤林の二面性についての検討はないですね。
もちろん藤林自身は労働問題での「反動」的な対応と津地鎮祭訴訟での「リベラル」な対応の間に何の矛盾も感じておらず、『法律家の知恵─法・信仰・自伝』では次のように弁明しています。(p125以下)

------
公安労働事件と私

全逓名古屋中郵事件大法廷判決
 この前、地鎮祭事件の大法廷判決のことを話しましたが、私が最高裁長官在任中に、大法廷の裁判長として言渡をした判決がもう一つあります。それは、昭和五二年五月四日のいわゆる全逓名古屋中郵事件というものです。先に読みました法学セミナーの増刊「最高裁判所」の中の、私の「プロフィール」というところで、私のことをタカ派といっておりますが、それはこの事件に関係があるのです。
【中略】
 そこで、労働法学者やマスコミの方面から、私に対する批判も出ました。弁護士出身の最高裁判事には、いわゆるハト派の人が多いといわれる中で、私がその逆を行ったのではないかということを言う人もありました。しかし、私は自分の信念どおりにやったことでありまして、気持ちの上ではすっきりと落ち着いているのです。

私の信念
 私は東京都地方労働委員会の公益委員として、最高裁に入る半年前までの七年間、苦労をいたしました。都労委の事件と官公労事件とは違いますが、労働法の勉強は同じです。私は労働事件に対する一応の考えはもっていました。それには、無教会のキリスト教の信仰や考え方も影響していると思います。憲法や労働三法があり、労働基本権を尊重する世の中において、国家や地方公務員等のストライキを違法視するのは、私の信念というか、良心に基づくものと思います。
 私は元来、ストライキは好きではありません。使用者側につくとか、そういうことでなく、私の信念というか信仰というか、そういうものが、法律家としての私を形成しているのです。それは、私の良心といってもよいと思います。私が生涯の師と仰いだ塚本虎二先生は、教師が教師の組合に入らないと迫害されるという話をきいても、そんな組合なら入らなければよい、それができなければ学校を辞めてしまえと言っていられました。数を頼んでコトを構えるのはよいことではない、それは富や権力をたのんでコトをなすのと同じだと言われましたが、その思想が私から抜けきらないのです。一つの人生観と言えるかも知れません。
 私は、弁護士時代に、裁判所の命令で、紛争のある会社の代表取締役の代行をしたり、倒産した会社の更生管財人や整理会社の管理人をしたりした経験が沢山ありますが、その度にその会社の労働組合や上部団体と団体交渉をしたり、東京都の労働委員会では、公益委員として労使の間の紛争を審理したり、調停したりした経験があります。これらの僅かな経験でもって、全般を察するわけにはいきませんが、そういう際に、労働組合の一部の人が、背後の方から、こちらにわからないようにして、人越しに乱暴な言葉や声を発することがよくありました。
-------

ここでいったん切ります。
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ジェファーソン引用の趣旨(その2)

2016-05-23 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月23日(月)20時54分41秒

三人の言い分には相当な差異があり、それぞれに複雑なのですが、かろうじて「宗教的信念」に基づくと言えそうなのがダニエル・スィーガー、ちょっと無理っぽいのがアルノ・ジェイコブソン、全然ダメ感が漂うのがフォレスト・ピーターですね。
ま、文言を素直に解釈すれば三人とも「本質的には政治的、社会学的、もしくは哲学的な見解、または単なる個人の道徳律」で兵役を拒否する人なのですが、三人は「法律上の公式的文言」、すなわち「彼らが良心的兵役拒否者としての資格を得ようとすれば使わざるをえない魔力をもった言葉」(p142)を用いて自分があたかも宗教的信念を持つ「かのように」主張し、連邦裁判所も三人があたかも宗教的信念を持つ「かのように」認定して、丸くおさめた訳です。
しかし、それは、ジェファーソンの言葉を借りれば、形式的に「自分の信じていない神を崇拝すること」であって、それによって「私は救われようはずがない」訳ですね。
「良心にかかわる問題」なのに良心に反する行為を当事者も裁判所も行っている訳で、「かようは裁判過程は不愉快であり、非難すべきものでさえある」と言わざるをえません。
そして、このようなコンヴィッツの論理展開において、ジェファーソンの引用は極めて巧みであり、効果的ですね。

さて、ここで「裁判官藤林益三の追加反対意見」における、具体的出典を明示しないまま藤林が行ったジェファーソンの引用を見ると、

------
【前略】たとえ、少数者の潔癖感に基づく意見と見られるものがあっても、かれらの宗教や良心の自由に対する侵犯は多数決をもってしても許されないのである。そこには、民主主義を維持する上に不可欠というべき最終的、最少限度守られなければならない精神的自由の人権が存在するからである。「宗教における強制は、他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によって私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないからである。」(ジェファソン)
 国家又は地方公共団体は、信教や良心に関するような事柄で、社会的対立ないしは世論の対立を生ずるようなことを避けるべきものであって、ここに政教分離原則の真の意義が存するのである。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

ということで、ま、ジェファーソンの言葉がそれなりに格調のあるものだから、何となく立派なことを言っているような感じはしますが、コンヴィッツの文章に見られるような引用の巧みさはありません。
藤林にとってはコンヴィッツの『信教の自由と良心』で知ったジェファーソンの言葉だけが重要であって、それをコンヴィッツがいかなる文脈において、いかなる意図で用いたかにはあまり興味がなく、また、ジェファーソン自身がいかなる文脈において、いかなる意図でこのような表現を用いたかにもおそらく興味がなかったのではないですかね。
それが、原出典であるジェファーソンの"Notes on Locke and Shaftesbury" はもちろん、自分が「写経」したコンヴィッツの『信教の自由と良心』すら明示しないという奇妙な引用になった理由ではないかと思うのですが、あるいは単に藤林がズボラで無神経なだけなのかもしれません。
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ジェファーソン引用の趣旨(その1)

2016-05-23 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月23日(月)13時54分10秒

>筆綾丸さん
>良心的兵役拒否が問題となったケース
そうですね。
もともとアメリカ合衆国憲法修正1条は、藤林が引用する「宮沢俊義編岩波文庫、世界憲法集訳」によれば「連邦議会は法律により、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止することはできない」と定めていて、「信教の自由」は保障していても「良心の自由」には言及していません。
そして、1948年の「一般軍事教練兵役法」では「いかなる人間関係から生ずる義務よりも高次の義務を含む至高の存在に対する関係での個人の信念」を持つものだけが兵役を免除され、「本質的に政治的、社会学的、もしくは哲学的な見解、または単なる個人の道徳律」の持ち主は兵役免除の対象外としているのですが、問題となった三人は、自分が無神論者であるとは主張しないものの、「連邦最高裁によれば、また彼らは一神教もしくは他のいかなる正統派的信仰らしきものをも告白しなかった」(p135)人たちです。
しかし、結論として、連邦最高裁は三人に有利な判決をしたのですが、それは「一般軍事教練兵役法」に言う「至高の存在」についての相当柔軟な、というか、ある意味アクロバチックな解釈に基づいています。
連邦最高裁はパウル・ティリッヒの『組織神学』や『根底の動揺』、「ウーリッジの監督であるジョン・A・T・ロビンソン著『神に対する誠実』」、「倫理教育運動の指導者であるデイヴィッド・サヴィル・マッツィー著『宗教としての倫理学』」などから長大な引用をした上で、「現代の宗教団体に関する、たえず拡張されつつある解釈」を受け入れ(p138)、「至高の存在」への信念とは「兵役免除の資格を与えられることが明白な者の生活のなかで神に対する正統派的信仰が占めているのと同様の位置を、その兵役拒否者の生活の中で占めている」信念であればよいと解釈し、三人がその程度の信念を持っていると認定してしまったんですね。
そして、これに対するコルヴィッツの評価は、

------
連邦最高裁は、要するに、人が宗教的信念に基づいていかなるかたちの戦争参加をも良心的に拒否するかのように語り、ふるまうならば彼は兵役免除要件を満たしているとされる、と言おうとしたのである。こうしたことは、たしかに、そうでもしなければ絶望的なものとなる錯雑さとおそらくは解決不可能な問題とに対する実際的、実用的な対処の方法なのである。
------

というものです。(p142)
「かのように」には傍点が振ってあり、原文ではイタリックになっているはずですが、これは鴎外の「かのやうに」を連想させてちょっと面白いですね。
さて、コルヴィッツは三人の中で一番疑わしいフォレスト・B・ピーターに言及した連邦裁判所の判決文の末尾を紹介した上で、ジェファーソンに触れます。
後半は既に紹介している部分と重複しますが、参照の便宜のためにそのまま引用します。(p145以下)

------
 当該裁判所は、次のように簡潔にこの事件に関する見解を結んでいる。

ピーターが、人を助けてその生活を秩序あるものにする「事実上明白なある力、すなわち至高の表象」を認めていたということが想起されよう。彼がそれを至高の存在に対する信仰と呼ぶかどうかに関して、彼は、「諸君はそれを至高の存在ないし神に対する信仰と称することもできよう。いずれにせよそれらはたまたま私が用いている言葉ではないというにすぎない」と答えた。当該判断基準に従えば、委員会がピーターに兵役免除を認めることになろうということがここに確認されたと考える。

 ピーターも当該裁判所も大事を看過して小事にこだわっていたように思われる。当事者も裁判所も時にはそうする必要もある。というのは、法というものは、その形式と形式的手続とを有しているが、だからといって実質的な正義をそれらの犠牲に供することを欲するものではないからである。しかしそれにしてもかような裁判過程は不愉快であり、非難すべきものでさえある。というのはここで問題となっているのが良心にかかわる問題だからである。再びトマス・ジェファソンの次のような言葉が想起される。

宗教における強制は他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によって私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないのである。
-------

長くなったので、ここでいったん切ります。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

憲法の無意識 2016/05/21(土) 10:51:05
小太郎さん
いえいえ。何か変だな、と思いましたが、良心的兵役拒否が問題となったケースなんですね。

https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1604/sin_k883.html
有名な文芸評論家柄谷行人氏の『憲法の無意識』を半分くらい読んで、やめました。ピースはわかるのですが、超自我とは、どうもよくわかりません。
----------
・・・私は日本の戦後憲法九条を、一種の「超自我」として見るべきだと考えます。つまり、「意識」ではなく「無意識」の問題として。・・・(16頁)
----------

イラク戦争時の自衛隊派遣で、「長らく秘されていたことですが、帰国後に五四名の自衛隊員が自殺した・・・」(40頁)とあり、これは初めて知りました。痛ましいことです。

日本のメディアをリードする(?)週刊誌のネタですが、習近平が訪英した時、宿泊部屋の家具の配置が『風水的に悪い』という理由で配置し直すよう要求した(文春5月26日号147頁)、とあり、中国共産党トップの認識とはまだこんなものか、と驚かされます。もしかすると、南沙諸島の埋め立てや九段線は国家的な風水問題かもしれないですね。
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合衆国対スィーガー事件

2016-05-20 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月20日(金)10時57分8秒

国会図書館でM.R.コンヴィッツの著作を検索してみましたが、邦訳されているのは『信教の自由と良心』だけのようですね。
コンヴィッツの研究領域は日本の憲法学者・宗教学者の関心とはあまり重ならないのかもしれませんが、『信教の自由と良心』は決して悪い本ではない、というか平易な語り口で深い内容を語っており、結構良い本ですね。
ウィキペディア情報ですが、訳者の一人、早大名誉教授の清水望氏は内村鑑三の弟子・清水繁三郎の子だそうです。



>筆綾丸さん
>VI. Notes on Locke and Shaftesbury

ありがとうございます。
当時としては斬新な文体だったのでしょうけど、あまり読みやすくはないですね。
それと、昨日、「スウィガー」と書いてしまいましたが、これは「スィーガー」でした。
すみませぬ。
こちらの事件ですね。


『信教の自由と良心』に概要が紹介されていますので、引用しておきます。(p129以下)

-------
 さて、かような背景を心にとめながら、最近の合衆国連邦最高裁の判決の一つで、一九六五年の合衆国対スィーガー事件というきわめて教訓的な事件の判決を検討してみよう。この事件は、一九四八年の一般軍事教練兵役法の条項にかかわりをもっていた。この条項では、良心的兵役拒否者は軍務を免除される要件として、「宗教的修養と信念とのために、いかなるかたちの戦争参加をも良心的に拒否する」者であることを立証するよう要求され、かつ「宗教的修養と信念」が次のような文言で定義されている。

この文脈にみられる宗教的修養と信念とは、いかなる人間関係から生ずる義務よりも高次の義務を含む至高の存在に対する関係での個人の信念を意味する。しかしながら、それは、本質的に政治的、社会学的、もしくは哲学的な見解、または単なる個人の道徳律を含まない。

 「宗教的修養と信念」のかような定義は、主として、既に論究された合衆国対マキントッシュ事件における連邦最高裁首席裁判官ヒューズの反対意見の中から援用されたものである。しかし、連邦議会は首席裁判官ヒューズの用いた文言に一つの重大な修正を加えている。それは、「神」を「至高の存在」と書き替えている点である。皮肉にも、連邦議会の選択した用語は、既にみたように、ロベスピエールやオーギュスト・コントが用いたものである。
 スィーガー事件では、良心的兵役拒否者としての地位を否認されていた三名の人物が当事者として関与していた。
 ダニエル・A・スィーガーは、その「宗教的信念」のためにいかなるかたちの戦争参加をも良心的に拒否すると主張し、また「至高の存在」に対する彼の信仰の問題を明らかにしておきたいと述べた。彼は、神の存在に対する自分の懐疑や不信仰を認めながらも、「それ自身のために追求されるべき善や徳に対する信念と献身、並びに純粋に倫理的な信条に対する宗教的信仰」を有していることを明言した。彼は、「ごくばく然とした意味のものを別として、神に対する信仰がなくても」知的・道徳的な完成の域に達しうるとの彼の倫理的信念を確証するために、プラトン、アリストテレス及びスピノザを引用した。【後略】

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ジェファーソン 2016/05/19(木) 15:25:26
小太郎さん
http://founders.archives.gov/documents/Jefferson/01-01-02-0222-0007
藤林が出典を明記せずに引用した和文は、モタモタしていて、あまり上手な訳とは思えませんが、原文は以下のようです(Locke’s worksの中程よりやや下)。
--------------
[co]mpulsion in religion is distinguished peculiarly from compulsion in every other thing. I may grow rich by art I am compelled to follow, I may recover health by medicines I am compelled to take agt. my own judgmt., but I cannot be saved by a worship I disbelieve & abhor.
--------------
a worship が「神を崇拝すること」と訳されていますが、ここは「礼拝」の意味で、不信と嫌忌の礼拝によっては救済されないのである、とでも訳したほうがいいように思われました。神の崇拝ならば、a worship ではなくthe worship となるのではあるまいか。人は不信と嫌忌の対象でも「礼拝」することはできますが、「崇拝」はできません。「崇める」というのは内面的なことだから。
補遺
むしろ、儀式(儀礼)と訳したほうがいいのかもしれません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3
ジェファーソンの宗教観は、聖公会・理神論の宗教哲学・ユニテリアン主義とありますが、藤林の奉じた「無教会主義キリスト教」と似て非なるものなのかどうか、残念ながら興味はありません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA
連続テレビドラマ「ホームランド」で、主人公の娘と副大統領の息子が Monticello に行くシーンがありました。なぜイタリア語なのか、と思いましたが、
---------------
Jefferson designed the main house using neoclassical design principles described by Italian Renaissance architect Andrea Palladio・・・
---------------
建築家ジェファーソンはルネサンスの建築家パッラーディオを敬愛していたから、小高い丘をイタリア語風に Monticello と命名したのですね。テレビドラマではモンティセロと発音していましたが、ジェファーソンのことを考えれば、モンティチェッロと発音してあげたほういいのでしょうね。

http://www.leagle.com/decision/1966454420Pa34_1446/COM.%20ex%20rel.%20SWIGER%20v.%20MARONEY
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%93%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%91%E3%82%B9
「合衆国対スウィガー事件」とは、これでしょうか。habeas corpus が問題になったケースのようですね。
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M.R.コンヴィッツ著『信教の自由と良心』

2016-05-19 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月19日(木)08時44分9秒

昨日、Milton R. Konvitz著、清水望・滝澤信彦訳の『信教の自由と良心』(成文堂、1973)を入手し、パラパラめくってみたら、藤林が引用していたジェファーソンの文章が出ていました。
まず、本書の性格ですが、「訳者あとがき」によれば、

------
 本書は、Milton R. Konvitz, Religious Liberty and Conscience, A Constitutional Inquiry, 1968 を訳出したものである。
 M.R.コンヴィッツは、コーネル大学教授(法学博士、哲学博士)として精力的に研究に従事するかたわら、全米黒人向上協会(N.A.A.C.P)並びにニュージャージー州やニューアーク市の行政部局の法律部門として活躍し、またリベリアの法典編纂に参与してきた。【中略】
 本書は、アメリカにおける「信教の自由と良心」について憲法学的に論述したものであるが、同時に国民各層にできるだけひろく問題の所在を明らかにしようとする啓発的な面をもっている。憲法学者としてのすぐれた分析力と明晰な洞察力には定評があるが、本書でもアメリカ社会の変容を鋭くみつめつつあるヒューマニストとしての適度に抑制された情熱が随所にみられ、今日的な問題提起は生き生きとして、示唆的である。
------

とのことです。
【中略】とした部分には主要著書が載っていますが、これらはすべてウィキペディアに出ています。

Milton R. Konvitz(1908-2003)
https://en.wikipedia.org/wiki/Milton_R._Konvitz

また、本書の構成は、

一 教会と国家の問題の新しい様相
二 宗教とは何か
三 宗教と世俗主義
四 合衆国憲法改正第一条における良心

というものです。
個人的には第二章の冒頭に出てくるフランス大革命時の「理性の宗教」とかオーギュスト・コントの「人類教」の解説などが興味深いのですが、1968年という発表時期を反映して、良心的兵役拒否などの問題に多くのページを割いていますね。
分量はB6版で164ページですから、普通の新書程度です。
さて、ジェファーソンの引用は第四章に出てきます。(p145以下)
文脈を紹介すると話が長くなるので、取り急ぎ、文言だけを確認すると、

-------
しかしそれにしてもかような〔1965年の「合衆国対スウィガー事件」の〕裁判過程は不愉快であり、非難すべきものでさえある。というのはここで問題となっているのが良心にかかわる問題だからである。再びトマス・ジェファソンの次のような言葉が想起される。

宗教における強制は他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によって私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないのである(24)。
-------

となっています。
ジェファーソンの引用は一段下げ、「神を崇拝すること」に傍点を打っていますが、これは原文ではイタリックだそうです。(凡例)
そして注24を見ると、

-------
(24) "Notes on Locke and Shaftesbury," The Papers of Thomas Jefferson, ed. Julian P.Boyd (Princeton,1960), Vol.Ⅰ,p.547.
-------

とのことです。
上記引用文と「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、「宗教における強制は」の後に読点があることと、文末が「はずがないのである」から「はずがないからである」になっていることの二点だけが違っていて、「むり」のような普通は漢字にするはずの語句がひらがなになっている点も共通ですから、ま、藤林は清水・滝澤訳を「写経」したのでしょうね。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

これで私はジェファーソンの全著作を総当たりするという「奴隷的拘束」ないし「苦役」(憲法18条)からは解放されたのですが、何で藤林は出典を明示しないのだろうか、という疑念は深まるばかりです。


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「ジエフアソン」の出典

2016-05-18 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月18日(水)09時33分15秒

『判例時報』の古いバックナンバー(855号)で津地鎮祭訴訟大法廷判決の多数意見・「裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見」・「裁判官藤林益三の追加反対意見」の分量を比べてみたら、おおよそ13:9:10の割合で、百分率だと41%・28%・31%となりますね。
多数意見は誰が中心となって執筆したのか分かりませんが、「われわれ」という表現が四回出てくる反対意見はおそらく藤林がまとめたものなんでしょうね。
反対意見と追加反対意見を合計すれば59%ですから、藤林の熱意はすごいなと思います。
まあ、量の点では確かにすごいのですが、問題は質です。
ハト派・タカ派、リベラル派・保守派といった先入観を抜きにして、純粋に論理の緻密さという観点から多数意見・反対意見・追加反対意見を読み比べると、多数意見は下級審で問題となった全ての論点について丁寧な論証をしており、一番論理的ですね。
これに対し、反対意見は信教の自由を保障するためには「何よりも先ず国家と宗教との結びつきを一切排除することが不可欠」とする一方で、「時代の推移とともにその宗教性が希薄化し今日において完全にその宗教的意義・色彩を喪失した非宗教的な習俗的行為」は「宗教的活動にあたらない」としつつ、その具体的判断基準は示さないなど、論理に若干の甘さがあります。
そして「藤林裁判官の追加反対意見」となると、個人的な宗教史研究の成果の発表と個人の宗教的信念の吐露に終始していて、論理を追及する意志もそれほど感じられません。
困るのは藤林の見解を基礎づける根拠を検証することが難しい点で、矢内原忠雄の「近代日本における宗教と民主主義」のごちゃ混ぜ引用については既に触れた通りです。
また、

------
すなわち法は、行為の抑制のためにつくられるのであるから、法は、宗教的な信念や見解そのものに干渉することはできないが、宗教的活動に対しては抑制が可能であるとしたのである。換言すれば、あらゆる宗教又は宗教らしいものを憲法上宗教として取りあつかい、その外部に現われたところのものを問題とするにとどまつたのである(清水望、滝沢信彦共訳、「コンヴイツツ・信教の自由と良心」のうち、宗教とは何か、参照)。
------

も、あまり親切な書き方ではありませんが、ちょっと検索すれば1973年に成文堂から出ている本だと分かります。
しかし、

------
「宗教における強制は、他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によつて私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによつて私が救われようはずがないからである。」(ジエフアソン)


となると、一体何を参照すればよいのか。
矢内原の引用の仕方を見れば、本当にジェファーソンがそんなことを言っているのか、藤林が勝手に何か変なことを付け加えているんじゃなかろうか、とか疑いたくなりますが、検証の手掛りもありません。

>筆綾丸さん
>佃煮にするほどの凄まじいバリエーション

プロテスタントは一切の媒介を排して個人が神と直面することを要求しますから原理的に無限の分派を生み出す可能性があり、実際に数えきれない分派が生まれていますが、教会という結節点すら否定する無教会主義は、殆ど個人ごとに神を量産するシステムのような感じもします。

藤林が「私はこの塚本という先生のとりこになりました」(p60)と言う塚本虎二を知るために、量義治(はかり・よしはる、埼玉大学教授)氏の『無教会の展開─塚本虎二・三谷隆正・矢内原忠雄・関根正雄の歴史的考察他』(新地書房、1989)を読み始めたのですが、私のような不信心な者には理解困難な文章が続き、内村鑑三を継承するのは本当に大変なことだなと圧倒されてしまいます。
ま、所詮、私には信仰の核心部は分からないので、ある程度理解できたら打ち切ろうと思っています。
信仰とは直接関係ありませんが、塚本の妻が英語学者斎藤秀三郎の娘で、斎藤メソッドの齋藤秀雄の実姉というのは面白いですね。

塚本虎二(1885-1973)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

洗礼名 2016/05/17(火) 15:06:38
小太郎さん
団藤重光の洗礼名トマス・アクィナスにびっくりし、藤林益三は何と言ったのか、ちょっと興味を惹かれました。内村鑑三はヨナタン、矢内原忠雄はルカですか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88%E6%95%99%E6%B4%BE%E4%B8%80%E8%A6%A7
「日本のプロテスタント教派一覧」を見ると、佃煮にするほどの凄まじいバリエーションがあって、そぞろ薄気味悪くなってきました。語弊がありますが、スキゾフレニーのような。くわばら、くわばら。

https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160515
NHKスペシャルを見ながら、羽生さんは余裕があるなあ、と思いました。
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「裁判官藤林益三の追加反対意見」の執筆時期

2016-05-17 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月17日(火)13時22分12秒

山本祐司氏の『最高裁物語(下巻)』には、最高裁判事の信仰について、次のような記述があります。(p203以下)

------
 この事件が最高裁にあがってきたのは、藤林が最高裁判事になって一年足らずのことだった。日本人にとっては過去の戦争もからんで、スッキリとは割り切れない難しい問題だったが、最高裁大法廷が結論を出すまでには六年もかかった。
 全裁判官の評議を開くたびに、議論が白熱してなかなか結論が出なかったのは、裁判官自身の世界観を問い詰めることにもなったからだ。その津地鎮祭事件が本格的審理の軌道に乗ったのは、藤林が判事から長官に進んで大法廷の裁判長になってからだ。「あの地鎮祭は私の在任中に決着をつけたい」と藤林はことあるごとに熱っぽく語った。
 最高裁きっての宗教家と自負する藤林にしてみれば、国家と宗教の原則が問われている大裁判は何としても自分の裁判長の間に解決せねばならぬ、という焦りもあった。
 昭和五二年七月一三日の判決は藤林の定年まで一ヵ月しかなかった。この裁判に関与した裁判官は藤林ら一五人のフルメンバーだったが、その宗教色を人事興信録でみると次のようになる。
 藤林益三(無教会キリスト教)、岡原昌男(浄土宗)、栗本一夫(浄土宗)、天野武一(真宗)、下田武三(真宗)、高辻正己(神道)、大塚喜一郎(日蓮宗)、岸盛一(仏教)、団藤重光(とくになし)、岸上康夫(なし)、江里口清雄(なし)、吉田豊(なし)、服部高顕(なし)、本林譲(なし)、環昌一(なし)となっていて、信仰生活五〇年の藤林が群を抜いている。今なお毎日曜日の無教会キリスト教の百人集会を主宰して聖書研究を続け、また福音キリストの立場に立つスイスの哲学者ヒルティの『幸福論』をポケットに忍ばせる真摯さ、だが論理が勝負の裁判では、その熱意がそのまま判決に結実するとは限らない。藤林は敗れたのである。
【中略】
 地鎮祭事件の最高裁大法廷判決は、次期長官になる岡原ら一〇人が多数意見を形成し、藤林ら五人の少数意見を圧倒した。それでも藤林にとって救いとなったのは、少数意見五人の顔ぶれである。やがて最高裁長官になる服部高顕、元東大教授で刑事法の第一人者である団藤重光、この時期にもリベラル派に近いといわれた環昌一、最高裁事務総長をこなした実力派、吉田豊が顔を揃えていたからだ。しかも少数派はクリスチャンの藤林を別にすれば、いずれも無宗教であった。
------

「仏教」の岸盛一氏だって「最高裁事務総長をこなした実力派」じゃなかろうか、といった混ぜっ返しはともかく、「仏教」と浄土宗・真宗・日蓮宗の並置は変ですし、宗派を書いている人もどの程度の信仰なのか、日々お経を上げたり題目を唱えたりしているのか、それとも単に家族が葬式を行うときの菩提寺の宗派を書いているだけなのか、などは全然分かりません。
「無宗教」の岸上康夫・江里口清雄・本林譲氏は多数意見ですから、「無宗教」か否かも意見の相違に直接反映している訳ではなく、まあ、個別インタビューの結果ならともかく、「人事興信録」程度の調査では何も分からないとしか言いようがないですね。
ちなみに団藤重光氏(1913-2012)は最晩年にカトリックの洗礼を受けて、洗礼名はトマス・アクィナスだったそうですね。

さて、改めて以上の記述と5月14日の投稿、「結論が先で論理は後」で紹介した藤林の『法律家の知恵─法・信仰・自伝』を照らし合わせてみると、藤林は、おそらく自身が中心となって「裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見」をまとめた後、「五月の憲法記念日の前後、他の判事が恒例の地方視察旅行に出かけている留守」に「裁判官藤林益三の追加反対意見」を執筆したようですね。
とすると、多数派よりもむしろ反対意見の四裁判官に、なんじゃそれ、という意外感を与えたかもしれないですね。

「結論が先で論理は後」(by 藤林益三)〔2016-05-14〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/609e5e14290bde3ad9fbe30d3c5325fd
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「瑕疵の治癒」

2016-05-17 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月17日(火)10時48分51秒

>筆綾丸さん
「瑕疵」は民法の瑕疵担保責任などにも出てきますが、「瑕疵の治癒」となるとかなり特殊な法律用語になってしまい、前提として行政法上の「行政行為」という概念を理解する必要があります。
ウィキペディアでは原田尚彦『行政法要論』を参照して「行政行為」を「行政庁が、行政目的を実現するために法律によって認められた権能に基づいて、一方的に国民の権利義務その他の法律的地位を具体的に決定する行為」と定義していますが、地鎮祭訴訟で問題となった市長の出費などはそもそも「行政行為」ではなく、従って「瑕疵の治癒」の問題ともならないことになります。


ウィキペディアの説明はいささか古風ですが、新しい議論を紹介するとなかなか複雑になってしまうので、この程度でやむをえないのでしょうね。
「瑕疵の治癒」について詳しく知りたい場合、例えば藤田宙靖『行政法総論』(青林書院、2013)のp244あたりが参考になりますが、法律に慣れていない人には相当難解な話ですね。

>キラーカーンさん
こんにちは。

>矢口元最高裁長官のもの
ご紹介、ありがとうございます。

>>親任式
前回投稿では最初にうっかり「最高裁判所裁判官、そして長官を任命するのはもちろん内閣」と書いてしまい、あわてて「任命」を「決める」というやや曖昧な表現に訂正しました。

※キラーカーンさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

最高裁長官等々 2016/05/15(日) 23:27:05(キラーカーンさん)
鈴木小太郎さん
最高裁判所の実情を記したものとしては、政策研究大学院大学のオーラルヒストリーで矢口元最高裁長官のものが航海されているようです
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA70857294

実際は、三権分立の観点から、最高裁判所の人事については、最高裁の判断を優先させたのでしょう。
(一歩間違うと「行政の司法への介入」と言われるでしょうし、明治以来の「官治」の伝統もあるでしょうし。

>>親任式
内閣総理大臣と最高裁判所長官の二名だけは天皇陛下の任命です(憲法7条以外に規定されている「国事行為」)

筆綾丸さん
はじめまして

>>総理、東大総長と並び、日本国の公務員として最高の俸給を支給

京大総長も仲間に入れてあげてください

そういえば、当時、国立大学の学長の給与は
1 東大、京大総長
2 その他旧帝大
3 旧官立大学
4 新制国立大学
と明確にランク分けされていました
ただ、筑波大学だけは、東京教育大から改組された際に3→2へ昇格したようです

と、とりあえずの投稿まで。

ゴリラの耳ー遺愛寺の鐘は枕を欹てて聽く 2016/05/16(月) 12:49:36(筆綾丸さん)
小太郎さん
そもそも瑕疵は存在しない、と考えればいいのですね。

ご引用の文に、
---------------
長官公舎には立派な日本庭園もあるが、クワを入れたら叱られるだろうし、それに警護付きじゃ、日曜ごとに主宰している聖書の集まりもできなくなるかな。
---------------
とありますが、「クワ」が津地鎮祭の「鍬入れの儀」とコレスポンドし、まるでヨハネの黙示録のようです。この文から、一判事としては公務員宿舎(或いは自宅)で聖書の集まりはできるが、長官として長官公舎での聖書の集まりには問題がある、と考えているらしいことがわかります。長官公舎であれ、公舎内の私生活で聖書を輪読するだけのことだから、別に構わないような気がします。憲法第20条に照らしても、何の問題もないはずです。あまり適切な例ではありませんが、公舎内の私生活で、人を集めて歌麿の肉筆浮世絵を鑑賞するのと同じことです。

キラーカーンさん
はじめまして。
東京帝大(1877年設立)と京都帝大(1897年設立)における大日本帝国の歴史的背景を考えると、東大総長と京大総長の給与水準が同じというのは、異論もあるのでしょうね。

http://www.shinchosha.co.jp/book/126591/
現在の京大総長山極寿一氏の『父という余分なもの―サルに探る文明の起源―』は購入したまま、未読でしたが、開いてみると、「? 直立歩行は舌から始まった」という項目があって、今西錦司のよくわからない禅的進化論「人間は立つべくして立った」よりも官能的な話ですね。証明不能のテーマではありますが。
この本と関係はないものの、耳を動かせないのは人類だけだ、と仄聞したことがあるのですが、ゴリラは耳を動かせるのかどうか・・・。
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「陽気でおしゃべりで気さくな長官」

2016-05-15 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月15日(日)10時25分14秒

>筆綾丸さん
最高裁判所裁判官、そして長官を決めるのはもちろん内閣ですが、実際には最高裁の判断を尊重していて、特に長官の場合は前任の長官の意向が大きく働くようですね。
私は今まで藤林益三に何の興味も持っていなかったのですが、著作リストを見て、何でこの程度の著書・論文しかない人が長官になれたのか本当に不思議に思い、大急ぎでいくつか参考になりそうなものを読んでみました。
その中のひとつ、毎日新聞の司法記者だった山本祐司氏(1936生)の『最高裁物語(下巻)』(日本評論社、1994)の「第16章 陽気な長官」には次のような記述があります。(p173以下)

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ショートリリーフ─藤林益三

 変わった風が吹いた。ロッキードの影はますます濃くなり、深刻さを増しているが、国会近くの最高裁では明るい笑い声がはずんだ、陽気でおしゃべりで気さくな長官が誕生したのだ、昭和五十一年五月二五日夕、皇居での親任式を終えたばかりの藤林益三は初の記者会見にのぞんだが、終始にこやかで脱線しがちなそのデビューぶりは、厳粛で言葉少ないこれまでの長官のそれとは大分様子が変わっていた。
 「愛ですよ」と藤林は言った。「愛といっても恋愛じゃないよ。だいたい日本語には愛という言葉が少ない。ギリシャ語には四通りもあるのに。エロスの愛ではなく、アガペー。つまり汝の敵を愛する"愛"じゃがな」
 藤林は気持ちよさそうだが、この時期に藤林をワン・ポイントのショートリリーフに選んだところに最高裁のしたたかさがある。初の弁護士出身の長官で、しかも任期が一年三ヵ月しかないが、そのあとには検察出身の岡原昌男が予定(任期一年七ヵ月)されているところをみると、保守の基盤が揺るぎもしないほど固まって、石田、村上色に染め上げられた最高裁に新風を吹きこんで組織を活性化しようとする意図がうかがえる。
 村上の強い推薦によるものだが、藤林は六年前の石田時代に最高裁判事になっており、壮烈なリベラル派対保守派の戦いを体験して、その時は石田、村上の保守派に属しその後も一貫して変わることがない。
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石田和外(1903-79)は徹底した青法協退治で有名な名物長官で、共産党関係者からは今でも蛇蝎のように嫌われている人ですね。


村上朝一(1906-87)は性格的には石田より温厚な人だったようですが、石田時代の厳しい対立の名残があったので、「陽気でおしゃべりで気さくな」藤林の登場が歓迎された、という事情のようですね。
藤林が関与した事件について若干の紹介をした後、山本記者は次のように続けます。

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「長官になったら大根づくりはできないな」と記者会見の続く藤林は、眼鏡越しに柔和な笑顔をみせた。
「いままでの裁判官公舎ではガラスやガレキの空地があったので、それを開墾して大根なんか食い切れないほどできて、裁判所に持っていって配ったんじゃ。長官公舎には立派な日本庭園もあるが、クワを入れたら叱られるだろうし、それに警護付きじゃ、日曜ごとに主宰している聖書の集まりもできなくなるかな。ま、定年まで一年三ヵ月の辛抱じゃから」─座談のうまさと飾らない人柄は最高裁内部では定評になっている。
─藤林は明治四〇年、京都府の生まれ、"素性もよくわからん山猿"と自ら笑うが、父に三歳で死別、郷里の篤志家の援助で三高─東大を出て弁護士生活。夫人は明治の文豪、巌谷小波の末娘。育ちのよさが、そのまま明るさにつながったような魅力に富んだ人で、クリスチャンの藤林とは似合いのカップルといわれた。藤林は協和銀行、日本興業銀行などの法律顧問をつとめる一方、破産法の権威で、倒産会社の会社更生の達人という評判が高かった。昭和三八年からは東京地方労働委員会の公益委員もつとめたが、藤林の庶民的な肌ざわりは四〇年にも及ぶ在野生活が培ったものといえる。
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藤林の文章は、率直に言ってあまり高度な知性を感じさせず、ここしばらくエマニュエル・トッドの著作をまとめて読んでいた私にとっては通読するのも若干の苦痛を感じるほどでしたが、「ショートリリーフ」とはいえ最高裁長官にまでなった人ですから、もちろん非常に頭は良い訳ですね。
しかし、その頭の良さは極めて実務的な頭の良さで、藤林の文章だけを読んでいても感じ取れない種類のものですね。

>あったとすれば、いわゆる瑕疵の治癒ということか。

津地鎮祭訴訟の場合、地方自治法第242条の2に基づく住民訴訟という特別な制度があるので、市長の出費についての違法性・違憲性を争うことができたのですが、国の行為にはそういう手段がありませんから、問題のある行為があっても誰も争えず、結果的に放置されることになりますね。
これは「瑕疵の治癒」とは違います。

総務省「住民監査請求・住民訴訟制度について」

ちなみに「裁判官藤林益三の追加反対意見」も、実際に矢内原忠雄の文章と読み比べてみたら著作権法上問題があるのは明らかですが、これも矢内原忠雄の遺族が同一性保持権の問題を争うかといったらそんなことは実際上なく、また、他の人は争う法的手段がないので、事実上放置されることになります。
問題の性質は異なりますが、結果的にちょっと似た状況ですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

西洋の神と日本の神 2016/05/14(土) 12:36:56
小太郎さん
総理、東大総長と並び、日本国の公務員として最高の俸給を支給されているのに、多忙かどうかはさておき、半年間も心血を注いであの程度のパスティーシュしか書けなかったのか、というのは凄いことですね。
まあ、あいつなら、可もなく不可もなし、というくらいの軽い気持ちで長官に指名した三木内閣もちょっとビックリしたでしょうね。
藤林の追加反対意見は、西洋の神を奉ずる最高裁長官が日本古来の神を奉ずる一市長を高所から諄々と諭したつもりの、良くいえば間狂言、悪く言えば茶番劇、くらいの意味しかないのではあるまいか。
長官が拠って立つ無教会主義キリスト教も、元を辿れば、所詮は中世のドイツ人マルティン・ルターにしか行き着かないのに、なぜああも熱狂的になれるのか、不思議な心性ではあります。甚だ格調の低そうな「地面師の話」と、信仰面において、どう折り合いをつけているのか。


岡田新一設計の威圧的な最高裁判所はどのように建てられたのか、と興味を惹かれました。藤林が憲法違反とした起工式はあったのではないか。あったとすれば、いわゆる瑕疵の治癒ということか。この建物がいまだに健在なのは、ひとえに神道的な起工式の賜なのではあるまいか。起工式なかりせば夙に土崩瓦解していたやもしれぬ、と考えるは思考の訓練くらいにはなります。

付記
・最高裁庁舎新営審議会発足(1965年)
・岡田新一設計事務所設立(1969年)
・藤林の最高裁判事の任期(1970年7月31日-1976年5月25日)
・最高裁新庁舎竣工(1974年3月)
・藤林の裁判長の任期(1976年5月25日-1977年8月25日)
・津地鎮訴訟の最高裁判決(1977年7月13日)
最高裁新庁舎起工式の時期は不明ですが、判事の任期からすると、起工式に立ち会っていたかどうかはともかく、どのような起工式であったのか、ということくらいは知っていた可能性がありますね。
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「結論が先で論理は後」(by 藤林益三)

2016-05-14 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月14日(土)10時28分19秒

裁判官の「良心」は古典的な論点ですが、最近の憲法の教科書を見ても、それほど議論が深まっているわけではないようですね。
少し前の部分で、藤林は「要するに、裁判というものは、人間というフィルターを通過するのです。濾過したり、漉したりするフィルターというとわかりましょう。人間というフィルターで濾過せられるのです。裁判をする裁判官を通過し、濾過されていって結論がでるのです」(p96)とした上で、裁判官の判断過程を迷路に譬えます。
そして、「論理をたどっていくと、東の方へ行ってしまう」場合でも、「裁判官の勘からいうと、つまり全人格的判断からいうと、東へ出ては困る。どうしても南に出たいのです。理屈だけを延長させていくと東へ出そうになる。けれども、南が正しいという結論になると、そこに山があっても道を造るのです。のこぎりを持ってきて竹藪を切り、シャベルで地下茎を掘りおこして、ここに道を造る作業をするわけです。そういうことをして南へ行く結論を出す。裁判官にはそういう作業があるのです」と述べます。
この部分、全体の小見出しが「結論が先で論理は後」となっていて、これが藤林の主張の要約になっていますね。
ま、あまり理論的な説明ではありませんが、ひとつの考え方としては理解できます。
ただ、これは「裁判官藤林益三の追加反対意見」があまり論理的ではないことの説明にもなっていそうですね。

さて、前の投稿で紹介した部分の続きです。(p111以下)

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 「神道式の地鎮祭は習俗行事か宗教活動かと争われた津地鎮祭訴訟で、他の四判事とともに反対意見を述べただけでなく、一七ページにわたる追加反対意見を書き込んだ。多数意見は『憲法二〇条三項の"宗教活動"とは、その目的が宗教的意義をもち、効果が宗教に対する援助、助長、促進、圧迫、干渉になる場合である』と、政教分離原則について不完全分離説をとり、神式地鎮祭を"世俗的なもの"と津市長側に軍配を上げた。これに対し、藤林氏は『国家と宗教が結べば、宗教の自由は侵害される』『少数者の宗教や良心は多数決をもって侵犯できない』『(地鎮祭を)宗教的なものといわないで、何を宗教的というべきであろうか』などと、怒りの調子で、追加反対意見を開陳している」。「この追加反対意見は、五月の憲法記念日の前後、他の判事が恒例の地方視察旅行に出かけている留守に書いたらしい。"原案"はもっと激しい調子でいまの神道を批判している、と伝わっている」。
 そんなことはありません。あまり長くなったから削っただけです。そういうことまで、新聞記者はどうして知っているのでしょう。私一人が長々と書いておったのでは困りますから、少し縮めたことはあります。多数意見のページ数と五人の少数意見のページ数と私一人のページ数とが均衡しているつもりです。三分の一くらいになっております。憲法記念日の後に、最高裁判所の裁判官が出張する、というのはいまもやっていることです。長官だけは留守番をします。既にこのことは申しました。そういうことだから、その間に書いただろうというのです。確かに時間があるから書いたことは書きましたが、私は前から書いて準備していたのです。半年ほど前から書いて準備をしていたのですが、それをまとめたり、削ったりすることは留守番中にやりました。
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この説明で、「裁判官藤林益三の追加反対意見」に矢内原忠雄の文章が「写経」されているのは決して時間がなかったからではないことが分かりましたが、そうすると「半年ほど前から書いて準備をしていた」にもかかわらず、なぜ「写経」で済ませたのか、なぜ自分の言葉で語らなかったのか、という疑問はむしろ深まってきます。
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「藤林裁判官は、"法律"のほかに"神"にも拘束されているのだろうか」

2016-05-14 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月14日(土)09時43分53秒

『法律家の知恵─法・信仰・自伝』には裁判官の良心の問題について、藤林の見解を率直に述べた部分があるので紹介しておきます。(p109以下)
この本は藤林が昭和56年(1981)5月に琉球大学で行った一週間の集中講義の記録だそうです。

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良心があるから神にも拘束される

 ところで、皆さんに聞いて貰おうと思って、私が最高裁判所をやめてから出版された法学セミナーという雑誌の増刊を持って来ました。これは「最高裁判所」(昭和五二年一二月)という本ですが、これに歴代長官のプロフィールという四頁ずつの記事が出ていて、その中に私は「藤林益三─タカ派路線の総仕上げ」ということになっております。これは少し時間がかかりますが、読みますから聞いて欲しいのです。これが、私の言いたい一つの大事なことです。
 「このように藤林氏は、労働基本権や迅速な裁判を受ける権利などにかかわる裁判については、弁護士出身のわりには、保守的態度を堅持したが、津地鎮祭訴訟という宗教的テーマに対しては、異常とも思える情念を燃やして取り組んだ。」
異常とも思えたんだそうです。私は異常とは思わないのですが。
【中略】
この記者はよく私と会っています。読売かどこかの司法記者で、社会部の人です。
【中略】
「五十二年八月の退官時にも、神を語った」。これは国民審査のおりの信条という所に書いたとおりの文句です。全国の戸ごとに配られる公報に書きました。総選挙のときに、最高裁判所裁判官国民審査ということがあって、その際、公報という印刷物が配布されます。公報には信条というものを書くことになっています。そのおりに私はそれを書きました。ほかの方は簡単に書かれるが、私はちょっと厄介なことを書いたのです。「人が義とせられるのは、行為によらず、ただ信仰によるのであるが、義にして愛なる神とその子キリストを信じるからには、法律家としても、それにふさわしい者でありたいと思っている」ということを書きました。これを退官時にも話したのです。そこで、この記者はそれを引用して書いているのですが、「決して揶揄するわけではないが・・・」。揶揄とはむずかしい字です。ひやかすということです。ひやかすわけではないが、といってひやかしているのです。「藤林裁判官は、"法律"のほかに"神"にも拘束されているのだろうか」。
 先にも言ったように、憲法七六条三項には、裁判官は良心に従う、それから憲法と法律にのみ拘束されるとあります。そこで、神にも拘束されるのかと言うのです。もちろん神にも拘束されるというのが私の持論です。良心に従って、憲法と法律に拘束される。私の良心を形成しているものの中には、私の信仰も入っています。これは主観的良心ではないのです。これはもう私という人格を形成しておるのだから仕方ないのだ、というのが私の持論です。
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「読売かどこかの司法記者」に藤林の軽蔑の気持ちが込められていますが、これは滝鼻卓雄というプロ野球の世界ではそれなりに有名な人で、ウィキペディアによれば「株式会社読売新聞グループ本社相談役、株式会社読売巨人軍最高顧問、学校法人慶應義塾評議員」だそうですね。
記者としてよりも経営者・実業家として有能な人なのかもしれません。

滝鼻卓雄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E9%BC%BB%E5%8D%93%E9%9B%84

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