第138回配信です。
一、前回配信の補足
「どこを切っても同じ権力構造が顔を出す"金太郎飴"のような仕組みこそが、問題の核心」(p48)というガーシーの「金太郎飴」理論の問題点
ガーシーは「武家も公家も寺社も、荘園制を経済基盤とする相似の支配構造を持っており、どこを切っても基本的には同じ構造の、まさしく逃げ場のないシステムだ」(p46)とするが、荘園領主としての共通性はあるのは当然としても、それ以上の「相似の支配構造」とは具体的には何か。
公家(朝廷)は古代から「国家」であって、広大な領域(西国)を支配。
武家(鎌倉幕府)も「国家」、または「国家」の前段階であって、広大な領域(東国)を支配。
しかし、寺社は個々の荘園には執着するが、荘園のような個々の経済単位を超えて、広大な領域を支配しようとする意志は全く持たない。
そもそも公家・武家と並列すべき「寺家」というまとまりは存在せず、個々の寺社は公家または武家を主たる顧客として個々に宗教サービスを提供する業者であって、公家・武家とは全く異質な存在。
荘園領主として共通という程度では、「相似の支配構造」などとはとても言えない。
0086 平雅行氏『鎌倉時代の幕府と仏教』について〔2024-05-10〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3d42cf6bdb443860027da223242334de
二、 佐藤進一は本当に「誤読」されたのか?
p170以下
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佐藤進一はいかに誤読されたか
すでに述べた通り、室町幕府研究、否、戦後民主主義の歴史学を主導した佐藤進一の研究が、今日完全に誤読されたまま研究が進められていることは、不幸としか言いようがない。あらためて、その問題点を確認しよう。
たとえば亀田俊和は二〇一七年の著『観応の擾乱』の「初期室町幕府の体制」において、佐藤の議論を「二頭政治論」と命名したうえで、足利尊氏の弟直義の担った「統治権的支配」を「領域を支配する機能」と説明し、直義を「全国を統治する政務の統括者」と位置づけるもの、とする。つまり主従制的支配権=人の支配、統治権的支配権=領域の支配だ、というのである。
だが、そうだろうか。佐藤の「統治権的支配」とは、次のようなものである。
・直義の権限は被支配者間の争いを第三者として判定するものであって、それ自体が直義と被支配者との関係を直接的に基礎づけるといった性質のものではない。
・直義の握る統治権的支配権は、その中心をなす裁判権を見れば明らかなように、支配領域内の人びとの争いを、第三者の立場から、裁判という形式で調停し、それによって、かれらの権利を保障する機能であって、公的かつ領域的な支配権である。
つまり、佐藤の議論の核心が「第三者として」「第三者の立場から」にあるのは明白であって、「直接的」=人格的関係にない、「第三者」的立場から、訴訟などの紛争解決を担うことこそが「統治権的支配」の肝要である。一方の「主従制的支配」が「個人(主人)と個人(従者)との人格的支配服従関係において成り立つ私的かつ個別的な支配権」と説明されることからも明らかなように、主従制的支配権と統治権的支配権をめぐる議論の根柢にあるのは、盟友の石母田正同様、あくまでヴェーバーの<人格的支配〔パーソナル・ルール〕か<非人格的支配〔インパーソナル・ルール〕>か、という問題である。迂闊にも新田英治のように、「主従制的支配」を私的支配などと言い換えてはならない。たしかに、佐藤自身も「私的」という言葉を補助的に使っているとは言え、論旨の把握としては最悪の誤読パターンである。新田はなぜこれを「人格的」と表現しなかったのか。【人格的支配が公的に機能してしまうこと】こそが日本史上の致命的に重要な問題であるのに、これを単純に、主従制=私的、統治権=公的といった次元の話にしてしまっては、佐藤の議論も台無しである。
改めて指摘しよう。我々が右の引用文から真っ先に読み取らなければならないのは、ただ「第三者」の一語であって、「公的」や「領域的」というのは、副次的問題であるに過ぎない。にもかかわらず亀田俊和の議論には、その後の「足利尊氏・直義の『二頭政治論』を再検討する」にいたるまで、「第三者」という言葉が一切登場しない。つまりはインパーソナルという問題が的確に捉えられていないので、「全国統治」だとか「領域支配」だとかいう話になってしまうのである。
もっとも、「非人格的」という言葉を用いている論者だからと言って安心はできない。吉田賢司は「非人格的」=間接的という理解(誤解)のもとに、「『将軍家─守護・大将─御家人』といった間接的・非人格的な性質」などと述べて議論を展開しているのだが、やはり佐藤説の核心からは程遠い。たしかに佐藤自身も「間接的」という表現を用いてはいるものの、この場合の「直接」「間接」というのは、間に誰か(吉田の言う守護や大将)が介在するという意味での「間接」ではなくて、あくまで「第三者として」の意である。つまり佐藤の道具立ては、本来極めてシンプルかつ明晰なものであったのだが、核心部分が誤読された結果、必要以上に捻れた形で研究史が積み重ねられる結果となってしまった、ということであろう。
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「どこを切っても同じ権力構造が顔を出す"金太郎飴"のような仕組みこそが、問題の核心」(p48)というガーシーの「金太郎飴」理論の問題点
ガーシーは「武家も公家も寺社も、荘園制を経済基盤とする相似の支配構造を持っており、どこを切っても基本的には同じ構造の、まさしく逃げ場のないシステムだ」(p46)とするが、荘園領主としての共通性はあるのは当然としても、それ以上の「相似の支配構造」とは具体的には何か。
公家(朝廷)は古代から「国家」であって、広大な領域(西国)を支配。
武家(鎌倉幕府)も「国家」、または「国家」の前段階であって、広大な領域(東国)を支配。
しかし、寺社は個々の荘園には執着するが、荘園のような個々の経済単位を超えて、広大な領域を支配しようとする意志は全く持たない。
そもそも公家・武家と並列すべき「寺家」というまとまりは存在せず、個々の寺社は公家または武家を主たる顧客として個々に宗教サービスを提供する業者であって、公家・武家とは全く異質な存在。
荘園領主として共通という程度では、「相似の支配構造」などとはとても言えない。
0086 平雅行氏『鎌倉時代の幕府と仏教』について〔2024-05-10〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3d42cf6bdb443860027da223242334de
二、 佐藤進一は本当に「誤読」されたのか?
p170以下
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佐藤進一はいかに誤読されたか
すでに述べた通り、室町幕府研究、否、戦後民主主義の歴史学を主導した佐藤進一の研究が、今日完全に誤読されたまま研究が進められていることは、不幸としか言いようがない。あらためて、その問題点を確認しよう。
たとえば亀田俊和は二〇一七年の著『観応の擾乱』の「初期室町幕府の体制」において、佐藤の議論を「二頭政治論」と命名したうえで、足利尊氏の弟直義の担った「統治権的支配」を「領域を支配する機能」と説明し、直義を「全国を統治する政務の統括者」と位置づけるもの、とする。つまり主従制的支配権=人の支配、統治権的支配権=領域の支配だ、というのである。
だが、そうだろうか。佐藤の「統治権的支配」とは、次のようなものである。
・直義の権限は被支配者間の争いを第三者として判定するものであって、それ自体が直義と被支配者との関係を直接的に基礎づけるといった性質のものではない。
・直義の握る統治権的支配権は、その中心をなす裁判権を見れば明らかなように、支配領域内の人びとの争いを、第三者の立場から、裁判という形式で調停し、それによって、かれらの権利を保障する機能であって、公的かつ領域的な支配権である。
つまり、佐藤の議論の核心が「第三者として」「第三者の立場から」にあるのは明白であって、「直接的」=人格的関係にない、「第三者」的立場から、訴訟などの紛争解決を担うことこそが「統治権的支配」の肝要である。一方の「主従制的支配」が「個人(主人)と個人(従者)との人格的支配服従関係において成り立つ私的かつ個別的な支配権」と説明されることからも明らかなように、主従制的支配権と統治権的支配権をめぐる議論の根柢にあるのは、盟友の石母田正同様、あくまでヴェーバーの<人格的支配〔パーソナル・ルール〕か<非人格的支配〔インパーソナル・ルール〕>か、という問題である。迂闊にも新田英治のように、「主従制的支配」を私的支配などと言い換えてはならない。たしかに、佐藤自身も「私的」という言葉を補助的に使っているとは言え、論旨の把握としては最悪の誤読パターンである。新田はなぜこれを「人格的」と表現しなかったのか。【人格的支配が公的に機能してしまうこと】こそが日本史上の致命的に重要な問題であるのに、これを単純に、主従制=私的、統治権=公的といった次元の話にしてしまっては、佐藤の議論も台無しである。
改めて指摘しよう。我々が右の引用文から真っ先に読み取らなければならないのは、ただ「第三者」の一語であって、「公的」や「領域的」というのは、副次的問題であるに過ぎない。にもかかわらず亀田俊和の議論には、その後の「足利尊氏・直義の『二頭政治論』を再検討する」にいたるまで、「第三者」という言葉が一切登場しない。つまりはインパーソナルという問題が的確に捉えられていないので、「全国統治」だとか「領域支配」だとかいう話になってしまうのである。
もっとも、「非人格的」という言葉を用いている論者だからと言って安心はできない。吉田賢司は「非人格的」=間接的という理解(誤解)のもとに、「『将軍家─守護・大将─御家人』といった間接的・非人格的な性質」などと述べて議論を展開しているのだが、やはり佐藤説の核心からは程遠い。たしかに佐藤自身も「間接的」という表現を用いてはいるものの、この場合の「直接」「間接」というのは、間に誰か(吉田の言う守護や大将)が介在するという意味での「間接」ではなくて、あくまで「第三者として」の意である。つまり佐藤の道具立ては、本来極めてシンプルかつ明晰なものであったのだが、核心部分が誤読された結果、必要以上に捻れた形で研究史が積み重ねられる結果となってしまった、ということであろう。
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この後、「ガーシークイズ(その1)【問題編】」で紹介した「佐藤学説の核心は「第三者的」であるということ 」に続く。
ガーシークイズ(その1)【問題編】〔2024-08-07〕
そもそも佐藤進一は「戦後民主主義の歴史学を主導した」のか?
「かの学園紛争」〔2014-05-24〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/23fab6b048eee541fbe9b46356ee3be2
「国史学科」の樺美智子氏〔2014-05-24〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/85e10991fe5118698fe0e615b81e9328
佐藤進一と東大紛争〔2017-07-31〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/36c35b6cafb84b2a573e52b373b09fc9