小太郎さん
前回引用の半藤氏の発言に対して、対談者の保阪氏は以下のように応じていて、神の末裔で大祭司としての「大天皇」という三番目の顔には関心を示していません。天皇と言えば充分で、「大天皇」というような余計な概念は要らない、と思われているのかもしれませんね。
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保阪 天皇と大元帥の二重性というのは、昭和史を考える上での要のひとつですね。ある局面で昭和天皇が立憲君主として発言しているか、大元帥として発言しているかで、まったく違う「顔」が見えることがあるからです。『実録』を読む際には、そこを見極めなくてはなりません。しかし現実には、そう簡単には読みと取れませんけれど。(102頁)
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http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ootu2.html
以下の発言を読んで、天皇に辞世の歌と言ってよいのか、わかりませんが、また悲劇の皇子と比較しては失礼ですが、
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
という歌を、なんとなく思い浮かべました。
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保阪 勝手なことを言えば、御製集『おほうなばら』に入っている、天皇最後の御製を、『実録』の最後の一行にしたらよかったのではないかと思うんです。
あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりならむ
昭和六十三年、那須御用邸の庭に、キツツキの一種のあかげらが来ていたのを詠んだ歌です。あかげらが、木をつついては次の木へ移っていくのを遠くでおぼろげに聞く。それは代替わりを予兆しているように思えるんですね。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84%E5%AE%A3%E8%A8%80
『アマデウス』という優れた映画がありましたが、キャストを較べると、革命派の配役が異質で、ピルニッツ宣言などを踏まえたものでしょうか。
死の前後が逆になりますが、絶筆『レクイエム』はマリー・アントワネットに前もって捧げた鎮魂曲だったのかもしれないですね。