今日の最低気温は16.1℃(2:24)、明け方は16.9℃、最高気温は28.7℃でした。気温はかなり上がりましたが、西から雨が近づいてきているせいか日差しは午前で打ち止めで後は曇り空となり、数字ほどの苛烈さは感じませんでした。雨は21時現在紀伊半島に差し掛かってきていますので、こちらでも程なく降り始めるでしょう。明日日中は一日雨模様の天気になりそうですね。
さて、「チョコレートが脳に効く」「脳が若返る」、というセンセーショナルな発表が今年の1月にありました。内閣府「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)」の事業採択を受けて研究を進めた研究者らとお菓子メーカーの明治が、1月18日に記者会見したもので、「高カカオチョコレートの摂取が大脳皮質の量を増加させ、学習機能を高める(脳の若返り)可能性があることを確認」したという内容のものでした。中高年の男女30人がカカオ70%超のチョコレートを毎日25グラム、4週間食べ続けた結果、その脳をMRIを用いて計測してみると大脳皮質の量が増えたのだそうです。それが現実なら中々面白い情報ですが、実際には対照区はないわ、カカオの影響かどうか厳密に判断可能な試験設計になってなかったわで、科学的にはほとんど無意味なデータに成っていた、というオチが、改めて報道された模様です。
研究の統括責任者も「表記に行き過ぎた内容があった」と自分たちの否を認めるような発言をしているそうで、せっかくの楽しそうな研究成果が無駄になってしまいかねない形に陥ってしまった模様です。
STAP細胞の時もそうでしたが、最近、実験データを衝撃的・劇場的に脚色して発表する例が増えたような気がします。それでもきちんと実験を行い、十分な証明を行った上で発表するのならまだ良いのですが、上記の通り、発表どころか、まだ予備実験レベルで実際に効果があったかどうかさえ不明なネタを、さも鬼の首を取ったように公表する勇み足が目立ちます。これも、科学予算が競争化し、研究内容の科学的価値よりも、世間への受けや短期的な経済効果と言った判断基準で予算配分されるという昨今の競争型資金の弊害でしょう。それも、国民も政府も文科省の役人も、科学は役に立つもの、と勘違いしているからではないかと思われます。たまたま役に立ちそうな成果があって技術者が応用に成功したりしてるだけで、初めから役に立つためになされる科学的研究などどれだけあるのか、疑問です。例えば天文学など、暦を夜空を眺めていた時代ならともかく、現代においては「浪漫」以外に価値など無いと言っても過言ではないでしょう。科学はそんな「浪漫」を突き詰めて提供する、一種のエンターテイメントであればよく、そんな浪漫主義の中から、時折利用できそうなものが出てきて、使えるようにしたりそれをお金に変えるのが上手な人が出て、今の文明社会を成り立たせているのだと私は思います。
我が国の科学は今や先細りとなり、論文数も減り、いずれはノーベル賞も取れなくなるだろうことは、既にこれまで多くのノーベル賞受賞者も主張しているところです。勇み足の発表をした研究者らは猛省すべきではありますが、そんな勇み足を惹起するような、「浪漫」よりも「実利」を科学研究現場に求める現代の制度を作り、司る政府・文科省は、研究者らよりも反省しなければならない、と私は思います。
さて、「チョコレートが脳に効く」「脳が若返る」、というセンセーショナルな発表が今年の1月にありました。内閣府「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)」の事業採択を受けて研究を進めた研究者らとお菓子メーカーの明治が、1月18日に記者会見したもので、「高カカオチョコレートの摂取が大脳皮質の量を増加させ、学習機能を高める(脳の若返り)可能性があることを確認」したという内容のものでした。中高年の男女30人がカカオ70%超のチョコレートを毎日25グラム、4週間食べ続けた結果、その脳をMRIを用いて計測してみると大脳皮質の量が増えたのだそうです。それが現実なら中々面白い情報ですが、実際には対照区はないわ、カカオの影響かどうか厳密に判断可能な試験設計になってなかったわで、科学的にはほとんど無意味なデータに成っていた、というオチが、改めて報道された模様です。
研究の統括責任者も「表記に行き過ぎた内容があった」と自分たちの否を認めるような発言をしているそうで、せっかくの楽しそうな研究成果が無駄になってしまいかねない形に陥ってしまった模様です。
STAP細胞の時もそうでしたが、最近、実験データを衝撃的・劇場的に脚色して発表する例が増えたような気がします。それでもきちんと実験を行い、十分な証明を行った上で発表するのならまだ良いのですが、上記の通り、発表どころか、まだ予備実験レベルで実際に効果があったかどうかさえ不明なネタを、さも鬼の首を取ったように公表する勇み足が目立ちます。これも、科学予算が競争化し、研究内容の科学的価値よりも、世間への受けや短期的な経済効果と言った判断基準で予算配分されるという昨今の競争型資金の弊害でしょう。それも、国民も政府も文科省の役人も、科学は役に立つもの、と勘違いしているからではないかと思われます。たまたま役に立ちそうな成果があって技術者が応用に成功したりしてるだけで、初めから役に立つためになされる科学的研究などどれだけあるのか、疑問です。例えば天文学など、暦を夜空を眺めていた時代ならともかく、現代においては「浪漫」以外に価値など無いと言っても過言ではないでしょう。科学はそんな「浪漫」を突き詰めて提供する、一種のエンターテイメントであればよく、そんな浪漫主義の中から、時折利用できそうなものが出てきて、使えるようにしたりそれをお金に変えるのが上手な人が出て、今の文明社会を成り立たせているのだと私は思います。
我が国の科学は今や先細りとなり、論文数も減り、いずれはノーベル賞も取れなくなるだろうことは、既にこれまで多くのノーベル賞受賞者も主張しているところです。勇み足の発表をした研究者らは猛省すべきではありますが、そんな勇み足を惹起するような、「浪漫」よりも「実利」を科学研究現場に求める現代の制度を作り、司る政府・文科省は、研究者らよりも反省しなければならない、と私は思います。
