かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

40年前の今日、ただ月に行くためだけに燃えた人々のドラマがあったんですね。

2009-07-16 22:03:48 | Weblog
 この間から、雨が降るぞ、雨が降るぞ、と言う天気予報ばかり見ている気がします。確かに昨日も今日も雨は降りましたが、多分1ミリにも満たない極短時間の通り雨に過ぎず、これではとても「降った」とはいえないような按配でした。明日も雨の予報ではありますが、果たしてまともな雨が降るのかどうか。もし降らなければ、庭の草木にも水をかけてやらないと、水不足で枯れてしまいかねません。こういうときサボテンは楽ですね。夏は水を切って休眠させれば良いのですから。

 さて、今日は7月16日。40年前、アメリカの大地から、初めて月に足を下ろすことになる宇宙飛行士を積んだロケットが飛び立ちました。アポロ11号です。私はその時のニュースとかはほとんど記憶していないのですが、その翌年の大阪万博のパビリオンの一つ、アメリカ館で展示された月の石を見たいと親にせがんだ記憶がかすかながら残っています。もっとも、観に行った記憶はとにかく途轍もないヒトの波にもまれたことと太陽の塔の中の奇妙な展示物だけで、肝心の月の石の記憶がないのです。まあアメリカ館は人気のパビリオンでしたから、結局入れなかったのかもしれません。
 あの頃、幼いながらも科学の進んだ「すごい」未来を素朴に信じておりましたし、その後長じてから見た映画「2001年宇宙の旅」やTVドラマ「スペース1999」などを通じ、今世紀末から来世紀にかけて、人類は静止衛星軌道に大規模な宇宙ステーションを築き、月には恒久的な基地を設け、火星や木星などにロケットを飛ばしているかもしれない、と、半ば本気でそんな時代の来るのを期待しておりました。
 残念ながらテレビやスクリーンの中の世界は容易には実現せず、今ようやく数名のヒトがそれなりの期間居住できる宇宙ステーションが出来たばかりで、アポロ計画以後月に行ったヒトも無く、アポロ以前のジェミニ計画レベルの「宇宙」旅行が民間で計画されてその旅費が1千万円だとか言うような時代にしかなっておりませんが、一方で、アポロ計画を支援したコンピューターは飛躍的な進歩を遂げて全世界で利用され、かつそれらを有機的につなぐ通信網が整備され、携帯電話という極めて汎用性に富んだ「通信機」が普及しているところなどは、かつて私達に夢見させたSFドラマの世界を飛び越えた先進性を現実にしております。月にヒトを運ぶ、というのは、知的な好奇心とか素朴な「行ってみたい」という憧れ以上に、東西対立という政治的な意味合いの方が強かったかもしれない計画ではありましたが、その取り組みが遺したものは、いろいろな場面で実に大きな果実を実らせているのでしょう。今、我々がしているささやかな取り組みも、ひょっとしたら40年後、その時代を代表するような基幹技術・産業として花開いているかもしれない、などと勝手な夢想にふけりたくなる、記念日でした。

コメント
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