かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

自分の書いたモノもできればちゃんと「紙」の上で読みたい。

2006-03-13 22:50:57 | Weblog
 今日は見事に寒が戻りましたね。朝はまだそれほど寒いとは感じませんでしたが、昼間にどっと雪が舞ったのには驚かされました。帰りも結構寒かったですし、明日は予報では最低気温マイナス4度だというのもさもありなん、というような感じです。水道水も心なしか冷たさを増しています。でも、明日を越えるとぐっと気温が上がってくる気配。ようやく春本番、ということなのでしょう。そろそろサボテンの植え替えも手はずを整えておかないとなりません。

 この間から、自分が過去に書いた小説を改めて印刷し、製本しています。在庫のある分はいいのですが、すでに売り切れて手元に本が残っていないモノが結構あるんです。なにか、売り切れたというとずいぶん出たように聞こえますけど、一回に20~30冊程度しか作りませんので、何回かコミケなどで並べているとすぐにはけてしまうのです。それはそれで喜ばしいことなのですが、自分の書いたモノを読むのが好きな私としては、ちょっと困りものなのです。もちろん手元にはちゃんとデジタルデータが揃っていますから、その気になれば読み返すくらい楽なモノです。ついでに見落としていた誤植をなおしたりして、それはそれで重宝します。でも、読むためにいちいちPCのスイッチを入れ、更にソフトを立ち上げて、それを液晶画面で見る、というのは、どうもしっくりきません。やっぱり本は「本」の形になっていないと駄目なような気がするのです。本ならすぐに本棚から取り出して開くだけで読めますし、大体どの当たりに何を書いているか、自分の本なら直感的に把握できますから、しおりなど入れなくても困りません。出張などで持っていくにしても軽いモノですし、比較的細かい字でも、読みづらいと言うことはありません。もちろんこの感覚は、私自身がデジタルよりもアナログの方がいいふるいタイプの人間だからなのでしょうけど、この手軽さ気楽さは、デジタルデバイスではまだまだ実現できていないように思えるのです。少なくとも液晶画面を見ながら、マウスやペンでクリックしてページめくりする、というのでは、紙に印刷した本に敵う日は来ないと思えます。ならどうなれば紙媒体の本が不要になる日が来るかと言いますと、私が思うに、きっと頭の中に直接文字が浮かぶよう神経系とデジタル回線が接続されるような時代になれば、紙がいらなくなるのではないでしょうか。私はたまに文字だけが流れる夢を見るのですが、きっとあんな感じで頭の中に直接文字が流れ込んでくれば、紙はもう無くてもいいように思うのです。一体どれくらい先の話か見当もつきませんけど、そんな装置ができたら是非付けてみたいモノです。
 
コメント
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