およそ20分。二人と二匹はどっしりとした楓の前に辿り着いていた。ペンライトの光に白い説明版が輝き、樹齢760年に達する古木であることを一同に教えた。その傍らが谷川になり、夜目にも白く小さな滝が瀬音をたぎらせているのが聞こえる。ライトを向けると、楓と同じ様な看板が岸に立ち、実相の滝と達筆で記されていた。
「ここが、阿弥陀寺か・・・」
麗夢は、急な石段を登り詰めて火照った身体を休めつつ、目の前に現れた小さなお堂を見た。ひた登りに登って来た谷筋の石段もそうであったが、確かにここは幽峡と呼ぶにふさわしい一種独特の風格ある霊気に満ち満ちている。麗夢は長時間の運転で疲れた身が癒される思いがして、軽く深呼吸をして息を整えた。
光明山法国院阿弥陀寺。
慶長一四年(1609年)開基の、如法念仏道場である。
古都京都においてはそれほど古いものではなく、寺域もこの古地谷のみの小さな寺であるが、国の重要文化財に指定された鎌倉期の阿弥陀如来像を安置し、皇室との繋がりが思いのほか深い。最近でも昭和61年に秋篠宮文仁親王が参拝している。
だが、ただそれだけの事なら別に珍しくも何ともない。この寺が京都千ヵ寺の中で特に異彩を放つのは、そのようなありふれた宝物や由来のためではないのだ。そして、円光等が次にここを狙うと榊が考えたのも、実にその特別なもののためであった。
「閉まってますが、どうします?」
鬼童がしっかり閉じられた正面の雨戸を指さして麗夢に言った。合法的に問題のものを見るためには、昼間に来て300円の浄財を拝観料として払い、本堂の中を通らなければならない。
「取りあえず申し訳ないけど覗かせてもらいましょう。アルファ、お願いね」
「にゃあん」
アルファは小さく一声鳴くと、本堂の軒下に潜り込んで行った。こうしてしばらく待つ内に、木製の雨戸の裏側からごそごそと木のこすれあうような音がした。更に、かりかりと木をひっかく音が続く。鬼童は雨戸に近寄ると、上下にペンライトの光を振った。
「どうやら防犯装置の類はついていない様子ですね。いきますか」
「ええ」
鬼童はそっと雨戸に手を当てると、慎重に左へ戸を滑らせた。開いた内側に、ちょこん、とアルファの小さい体が坐っている。軒下から入り込んだアルファが、雨戸の留め具をはずしたのである。もっと複雑な鍵でも開けてみせるアルファにとっては、物足りないくらいの留め具だったが、おかげで麗夢と鬼童はほとんど物音を立てることなく、本堂の中に侵入することに成功した。
「じゃあ、しばらくお願いね、アルファ、ベータ」
足下で威勢良く二本の尻尾が左右に揺れた。夜目の効くアルファと気配の感知に優れたベータが見張りしていれば、まず間違いなく奇襲を受ける心配はない。
本堂は正面に立派な檀を設け、本尊の仏像が安置されてあった。ここを開山した弾誓上人が自ら刻み、自髪を植え付けたという阿弥陀如来像である。その右脇に、重文の阿弥陀如来坐像が祭られている。その二像に軽くお辞儀をしながら、感じ取った霊気に導かれるまま右の方に本堂を通り抜ける。すると、そこにまた小さな檀がしつらえられており、その奥から強い霊気が流れ出していた。
「これは!」
檀を回って奥をのぞき込んだ鬼童は、思わず息を呑んで身震いした。檀の直ぐ後ろに、荒々しい岩肌を露出する岩窟があった。入り口の高さは、鬼童では頭をぶつけかねない。その奥はやや広くえぐられており、幅奥行きとも3メートルくらいのくぼみになっていた。足下と岩壁は苔に覆われて湿っぽく、一段と寒気を増すようにさえ思える。その岩窟の真ん中に、お堂の形をした石棺が据え付けてあった。岩窟一杯に空間を占領するその石棺は、中央に赤い観音開きの鉄扉があり、厳めしい真鍮の錠前でしっかりと閉じられてあった。
「この中にいらっしゃるそうよ。鬼童さん」
「この中に? ちょっと小さすぎはしませんか、麗夢さん」
鬼童はもう一度その鉄扉を見た。一辺およそ80センチくらいだろうか。その内側も、石の分厚い壁が周囲を取り巻いていることを考えれば、人一人納めるには余りに窮屈に思える。
「でも、確かにこの中で結跏趺坐していらっしゃるそうよ。この寺の創始者、弾誓上人様が」
「ここが、阿弥陀寺か・・・」
麗夢は、急な石段を登り詰めて火照った身体を休めつつ、目の前に現れた小さなお堂を見た。ひた登りに登って来た谷筋の石段もそうであったが、確かにここは幽峡と呼ぶにふさわしい一種独特の風格ある霊気に満ち満ちている。麗夢は長時間の運転で疲れた身が癒される思いがして、軽く深呼吸をして息を整えた。
光明山法国院阿弥陀寺。
慶長一四年(1609年)開基の、如法念仏道場である。
古都京都においてはそれほど古いものではなく、寺域もこの古地谷のみの小さな寺であるが、国の重要文化財に指定された鎌倉期の阿弥陀如来像を安置し、皇室との繋がりが思いのほか深い。最近でも昭和61年に秋篠宮文仁親王が参拝している。
だが、ただそれだけの事なら別に珍しくも何ともない。この寺が京都千ヵ寺の中で特に異彩を放つのは、そのようなありふれた宝物や由来のためではないのだ。そして、円光等が次にここを狙うと榊が考えたのも、実にその特別なもののためであった。
「閉まってますが、どうします?」
鬼童がしっかり閉じられた正面の雨戸を指さして麗夢に言った。合法的に問題のものを見るためには、昼間に来て300円の浄財を拝観料として払い、本堂の中を通らなければならない。
「取りあえず申し訳ないけど覗かせてもらいましょう。アルファ、お願いね」
「にゃあん」
アルファは小さく一声鳴くと、本堂の軒下に潜り込んで行った。こうしてしばらく待つ内に、木製の雨戸の裏側からごそごそと木のこすれあうような音がした。更に、かりかりと木をひっかく音が続く。鬼童は雨戸に近寄ると、上下にペンライトの光を振った。
「どうやら防犯装置の類はついていない様子ですね。いきますか」
「ええ」
鬼童はそっと雨戸に手を当てると、慎重に左へ戸を滑らせた。開いた内側に、ちょこん、とアルファの小さい体が坐っている。軒下から入り込んだアルファが、雨戸の留め具をはずしたのである。もっと複雑な鍵でも開けてみせるアルファにとっては、物足りないくらいの留め具だったが、おかげで麗夢と鬼童はほとんど物音を立てることなく、本堂の中に侵入することに成功した。
「じゃあ、しばらくお願いね、アルファ、ベータ」
足下で威勢良く二本の尻尾が左右に揺れた。夜目の効くアルファと気配の感知に優れたベータが見張りしていれば、まず間違いなく奇襲を受ける心配はない。
本堂は正面に立派な檀を設け、本尊の仏像が安置されてあった。ここを開山した弾誓上人が自ら刻み、自髪を植え付けたという阿弥陀如来像である。その右脇に、重文の阿弥陀如来坐像が祭られている。その二像に軽くお辞儀をしながら、感じ取った霊気に導かれるまま右の方に本堂を通り抜ける。すると、そこにまた小さな檀がしつらえられており、その奥から強い霊気が流れ出していた。
「これは!」
檀を回って奥をのぞき込んだ鬼童は、思わず息を呑んで身震いした。檀の直ぐ後ろに、荒々しい岩肌を露出する岩窟があった。入り口の高さは、鬼童では頭をぶつけかねない。その奥はやや広くえぐられており、幅奥行きとも3メートルくらいのくぼみになっていた。足下と岩壁は苔に覆われて湿っぽく、一段と寒気を増すようにさえ思える。その岩窟の真ん中に、お堂の形をした石棺が据え付けてあった。岩窟一杯に空間を占領するその石棺は、中央に赤い観音開きの鉄扉があり、厳めしい真鍮の錠前でしっかりと閉じられてあった。
「この中にいらっしゃるそうよ。鬼童さん」
「この中に? ちょっと小さすぎはしませんか、麗夢さん」
鬼童はもう一度その鉄扉を見た。一辺およそ80センチくらいだろうか。その内側も、石の分厚い壁が周囲を取り巻いていることを考えれば、人一人納めるには余りに窮屈に思える。
「でも、確かにこの中で結跏趺坐していらっしゃるそうよ。この寺の創始者、弾誓上人様が」