かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

7.京都 阿弥陀寺 最後の即身仏 その2

2008-04-06 13:10:30 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 およそ20分。二人と二匹はどっしりとした楓の前に辿り着いていた。ペンライトの光に白い説明版が輝き、樹齢760年に達する古木であることを一同に教えた。その傍らが谷川になり、夜目にも白く小さな滝が瀬音をたぎらせているのが聞こえる。ライトを向けると、楓と同じ様な看板が岸に立ち、実相の滝と達筆で記されていた。
「ここが、阿弥陀寺か・・・」
 麗夢は、急な石段を登り詰めて火照った身体を休めつつ、目の前に現れた小さなお堂を見た。ひた登りに登って来た谷筋の石段もそうであったが、確かにここは幽峡と呼ぶにふさわしい一種独特の風格ある霊気に満ち満ちている。麗夢は長時間の運転で疲れた身が癒される思いがして、軽く深呼吸をして息を整えた。
 光明山法国院阿弥陀寺。
 慶長一四年(1609年)開基の、如法念仏道場である。
 古都京都においてはそれほど古いものではなく、寺域もこの古地谷のみの小さな寺であるが、国の重要文化財に指定された鎌倉期の阿弥陀如来像を安置し、皇室との繋がりが思いのほか深い。最近でも昭和61年に秋篠宮文仁親王が参拝している。
 だが、ただそれだけの事なら別に珍しくも何ともない。この寺が京都千ヵ寺の中で特に異彩を放つのは、そのようなありふれた宝物や由来のためではないのだ。そして、円光等が次にここを狙うと榊が考えたのも、実にその特別なもののためであった。
「閉まってますが、どうします?」
 鬼童がしっかり閉じられた正面の雨戸を指さして麗夢に言った。合法的に問題のものを見るためには、昼間に来て300円の浄財を拝観料として払い、本堂の中を通らなければならない。
「取りあえず申し訳ないけど覗かせてもらいましょう。アルファ、お願いね」
「にゃあん」
 アルファは小さく一声鳴くと、本堂の軒下に潜り込んで行った。こうしてしばらく待つ内に、木製の雨戸の裏側からごそごそと木のこすれあうような音がした。更に、かりかりと木をひっかく音が続く。鬼童は雨戸に近寄ると、上下にペンライトの光を振った。
「どうやら防犯装置の類はついていない様子ですね。いきますか」
「ええ」
 鬼童はそっと雨戸に手を当てると、慎重に左へ戸を滑らせた。開いた内側に、ちょこん、とアルファの小さい体が坐っている。軒下から入り込んだアルファが、雨戸の留め具をはずしたのである。もっと複雑な鍵でも開けてみせるアルファにとっては、物足りないくらいの留め具だったが、おかげで麗夢と鬼童はほとんど物音を立てることなく、本堂の中に侵入することに成功した。
「じゃあ、しばらくお願いね、アルファ、ベータ」
 足下で威勢良く二本の尻尾が左右に揺れた。夜目の効くアルファと気配の感知に優れたベータが見張りしていれば、まず間違いなく奇襲を受ける心配はない。
 本堂は正面に立派な檀を設け、本尊の仏像が安置されてあった。ここを開山した弾誓上人が自ら刻み、自髪を植え付けたという阿弥陀如来像である。その右脇に、重文の阿弥陀如来坐像が祭られている。その二像に軽くお辞儀をしながら、感じ取った霊気に導かれるまま右の方に本堂を通り抜ける。すると、そこにまた小さな檀がしつらえられており、その奥から強い霊気が流れ出していた。
「これは!」
 檀を回って奥をのぞき込んだ鬼童は、思わず息を呑んで身震いした。檀の直ぐ後ろに、荒々しい岩肌を露出する岩窟があった。入り口の高さは、鬼童では頭をぶつけかねない。その奥はやや広くえぐられており、幅奥行きとも3メートルくらいのくぼみになっていた。足下と岩壁は苔に覆われて湿っぽく、一段と寒気を増すようにさえ思える。その岩窟の真ん中に、お堂の形をした石棺が据え付けてあった。岩窟一杯に空間を占領するその石棺は、中央に赤い観音開きの鉄扉があり、厳めしい真鍮の錠前でしっかりと閉じられてあった。
「この中にいらっしゃるそうよ。鬼童さん」
「この中に? ちょっと小さすぎはしませんか、麗夢さん」
 鬼童はもう一度その鉄扉を見た。一辺およそ80センチくらいだろうか。その内側も、石の分厚い壁が周囲を取り巻いていることを考えれば、人一人納めるには余りに窮屈に思える。
「でも、確かにこの中で結跏趺坐していらっしゃるそうよ。この寺の創始者、弾誓上人様が」
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7.京都 阿弥陀寺 最後の即身仏 その3

2008-04-06 13:10:23 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 そう。この寺が一流本山と言われ、寺院綺羅星の如き京都において異彩を放つそのいわれは、実にこの鉄扉の奥にあった。
 木喰上人弾誓。
 尾張の国の生まれ。
 諸国行脚の末に、たなびく紫雲に導かれてこの地に阿弥陀寺を創建した名僧である。
 その四年後、己の死期を悟った上人は、五穀断ちする一方で弟子達にこの岩窟を掘らせ、岩窟内にしつらえた二重の石龕に生きながら収まり、慶長一八年五月二三日正午、六二才で入定した。そのミイラ化した遺体は明治一五年に石龕より出され、石龕の上に作られた石棺に、改めて収め直された。その正真正銘即身成仏のミイラ仏が、この石棺の鉄扉の奥に鎮座するのである。
 日本には、例えば奥州藤原氏のミイラなど、即身成仏とは関わりのないミイラが数体存在する。だが、円光達はそれらに全く手をつけていない。そこで榊は、即身成仏を目的としたミイラに絞り、その所在を改めさせた。そしてただ一つ、この阿弥陀寺の弾誓上人だけが、未だに石棺の奥で静かに眠っていることを突き止めたのである。
 麗夢と鬼童は榊からその事を聞き出すと、すぐに長躯京都まで足を伸ばしたのであった。
「しかし、これではいかに円光さんと言えども、そう簡単には取り出せそうにないですね」
「でも、円光さんはあの戦車の装甲も錫杖で撃ち破ったじゃない」
「それは、そうですね・・・」
 鬼童は、フランケンシュタイン公国での出来事を思い出した。あの時円光は、死夢羅が暴走させた最新鋭戦車ドラコニアンを、錫杖の一撃で押し止めたのだ。それに、と麗夢は、こっちの方が問題だ、と深刻そうに鬼童へ言った。
「円光さんは一人じゃないわ」
 円光の妹を名乗る山伏集団。その人数も、実力の程も知れないが、こちらは麗夢と鬼童、それにアルファ、ベータの二人と二匹。ジェペットにより武装強化されたプジョーや同じくチューンされた拳銃があるにはあるが、もし戦闘となったときには鬼童の力はほとんど当てに出来ない。しかも、相手は上野公園を固める警官隊を金縛りで無力化する力を持っている。とにかく後を追わねば、と気が焦る余り、少し無理しすぎたか、と思わないでもない麗夢だった。しかし、そんな麗夢の危惧を知ってか知らずか、鬼童は以外にあっさりと麗夢に言った。
「まあ、円光さんについては僕に任せてもらいましょう。それより麗夢さんとアルファ、ベータは、その残りの有象無象をよろしくお願いします」
「え? 鬼童さん本気なの? 相手はあの円光さんなのよ」
「まあ僕もそれなりの用意はしてきていますから、それで何とかして見るつもりです。ところで、そろそろ迎撃の準備を整えましょう。今夜いきなり来るかどうかは判りませんが、やるだけのことはしておかないと」
「判ったわ」
 鬼童の言うことももっともなので、麗夢は不安を覚えながらもその言葉に従った。またそっと本堂を抜けて前庭に降り、緊張の面もちで待つアルファとベータに合流する。
「では、僕がこの本堂前で円光さんを待ちます。麗夢さん達は、下の滝の前で円光さん以外を何とか阻止して下さい」
「くれぐれも無理しないでね、鬼童さん」
「ええ、任せて下さい」
 時計を見ると、既に時刻は午前〇時を回っていた。麗夢は一旦駐車場まで山を下り、プジョーを滝の直ぐ下まで乗り込ませた。アルファ、ベータがプジョーに陣取ってその操作と周囲の警戒に当たり、麗夢は少し離れて楓の古木によじ登った。レオタードを着ておいた方が良かったか、といつものミニスカート姿にちょっと躊躇いを覚えたが、今更着替えるわけにも行かない。よいしょ、と何とかよじ登って、太い横枝に腰をかけた。
 はたして今夜仕掛けてくるだろうか。
 麗夢は、必ず来るに違いない、と確信していた。何の根拠もないことではあるが、退院後しばしの静養を薦める榊の言葉を押し切ってまで長距離ドライブを敢行したのも、その切迫する予感に居ても立ってもいられなかったからである。麗夢の悩みは、はたして今夜出て来るか、ではなく、はたして何時にどこから現れるか、だけであった。
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8.鬼童の秘策 その1

2008-04-06 13:09:46 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 麗夢の予感は、それから一時間余りが過ぎた頃、緊張をともなって現実化した。まず気づいたのは、それまで眼下のプジョーの座席で丸く身を寄せ合っていた二匹だった。突如、ベータがピン! と耳をそば立たせ、低いうなり声で隣のアルファに警戒を呼びかけた。次いでアルファがそっと車窓に前足をかけて外をのぞき込み、周囲の森に鋭い視線を走らせた。と、その視線が石段の方角でぴたっと静止した。ベータの注意も、既に石段の下の方に集中している。直ちにアルファは警報装置のスイッチに後足を伸ばした。途端に、麗夢の携帯電話がその警報をキャッチして、まどろみかけた麗夢の意識を揺り起こした。恐らく、本堂前の鬼童も同時に起きたことだろう。麗夢はホルスターから愛用の拳銃を取り出すと、樹上で目を凝らし、見えない相手の気を探った。と、目の端に何かがすっと動く気配が感じ取れた。
 近い!
 麗夢は相手の動きを慎重に見定めて、アルファに言った。
「今よアルファ!」
 足下の地面で、突然聞き慣れたプジョーのエンジン始動音が鳴り響いた。と同時に、目もくらむ燭光が辺りの闇を食い破り、石段の周辺を白く染め上げた。まばゆい光に目を細めながらも、麗夢はその光の中に間違いなく獲物が掛かったことを見て取った。
「あなた達は完全に包囲されているわ! 観念しなさい!」
 闇の中、よもやと思っていたことが現実になって、円光はしばし目を伏せた。周囲の妹達は、目がくらんだこともあってすっかり動揺している。円光も、つむった目の中が白いぼうとした光に満たされていて、全く視力を喪失していた。だが、目が見えなくても円光には判った。あの大木の上に麗夢がおり、車の方はアルファとベータが操作していることを。そして、麗夢の叫び声が所詮はったりに過ぎないことも円光は先刻承知であった。だが、相手はあの麗夢である、と考えて、円光の胸に小さく鋭い棘が突き立った。ええい、今更何を悔やむ、円光! と自らを叱咤して、円光は目を開けた。
「落ち着くんだ。相手はたった一人だ」
 その瞬間、まばゆいヘッドライトの付近で、真っ赤な光が炸裂した。エンジン音とは異なる、巨大なタイプライターの様な音が腹に響き、円光の目の前を左から右に、獣が駆け抜けたような土煙が舞い上がった。
「7.62ミリのバルカン砲よ。当たれば人間なんて簡単に吹っ飛ぶわ。いいこと、ちょっとでも動いたら、全員蜂の巣にしてやるから!」
 これはやっかいなことになった、と円光は思った。円光自身はハードウェアに対する恐怖心はさほど無いが、妹達はそうはいかないだろう。しかも明るいヘッドライトに照らされていては、容易に身動きすら取れない。円光としては麗夢が本気で掃射してくる、とは考えにくかったが、足でも狙われれば万事休すである。退くことも出来ず、突っ込むわけにも行かず、進退に窮した円光に、傍らの蓮花が声をかけた。
「兄上様、私どもがおとりになります。その隙に兄上様が本堂へお上がり下さいませ」
「し、しかし、それは余りに危険だ! おとりなら拙僧がする」
「いいえ、おとりは数が多い方が良うございます。それに、相手はあの女。どんな不測の事態が起きるとも限りません」
 信用無いな、と円光は苦笑いに顔をゆがめた。だが確かに蓮花の言うことももっともだった。相手を攪乱するのなら人数の多い方がいい。円光は手早く決断すると、無理をするな、と蓮花に念を押した。
「ご心配には及びません。兄上様こそ、早く!」
 うむと頷く円光の頭上で、自分を指名する麗夢の声が降ってきた。
「円光さん、居るんでしょう? 出てらっしゃい!」
「では、参るぞ!」
 円光のかけ声に、20の頭が無言で頷いた。円光はゆっくりと一同の前に姿を現した。
「麗夢殿、何用でござる。拙僧、ちと忙しいのだが」
 円光が大仰に両手を大きく横に上げた。一瞬、その墨染めの衣に後ろの山伏達の姿が隠される。
「しまった!」
 麗夢はその山伏達がさっと左右に逃げ散ったのを見て自分も咄嗟に木から飛び降りた。
「アルファ、ベータは右をお願い! 円光さん以外、上に通したら駄目よ!」
「にゃん!」
「ワン!」
 威勢の良い返事に続いて、プジョーのエンジン音が急に高音を轟かせ、ヘッドライトがぐん、とその光芒で森を右に大きくなぎ払った。少し遅れてバルカンの叫声が深閑とした谷に再びこだまし、突破を試みる山伏達を牽制した。麗夢も身軽く地面に降り立つと、左の竹藪目がけて突っ走った。闇に慣れた目に、竹藪に駆け込もうとする山伏の集団がぼんやりと映る。麗夢は、その前方目がけて狙いを定めると、やにわに引き金を引き絞った。アルファ、ベータ達が撃ちまくるバルカンにも負けない轟音が楓の葉をうち振るわせ、銀の弾丸が暗黒の虚空を切り開く。当てることより牽制することに主眼をおいた銃撃は、遠く鋭い金属音を三度山にこだまさせた。どうやら極太の孟宗竹が、兆弾を引き起こしたらしい。しめた、と麗夢は思った。兆弾が起これば、相手は何処から飛んでくるとも知れない弾丸を恐れて、安易に動けなくなる。
(後は鬼童さんが円光さんをおさえられるかどうかだわ)
 二発、三発と続けざまに弾丸を送り込みながら、麗夢は円光が駆け抜けていった石段にちらりと目をやった。
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8.鬼童の秘策 その2

2008-04-06 13:09:40 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 石段を一気に駆け上がった円光は、背中をどやしつけるように起こった銃声に、嫌が上にも焦りを覚えた。このままいたずらに時を過ごせば、麗夢か妹達のどちらか、あるいはその両方に不測の事態が起こらないとも限らない。円光は、傷ついた麗夢も妹達も、絶対に見たくはなかった。このままでは回避しがたい破局を避ける手段はただ一つ。一刻も早く弾誓上人のミイラを手に入れ、ここを離脱するのみである。その焦りが、本堂前に座り込む男の存在に気づくのを遅らせた。
「おいおい、僕を無視するなんて。円光さん、つれないじゃないか」
 突然真正面から呼びかけられて、円光ははっと立ち止まった。
「き、鬼童殿か」
「お久しぶり、円光さん」
 鬼童は腰掛けていた石段から立ち上がった。夜目にも仕立ての良さが伺えるスーツ姿が円光の目に映る。鬼童は親しげな笑みを浮かべると、ゆっくり円光に近づいた。
「鬼童殿との再会は拙僧もうれしいが、拙僧ただ今鬼童殿のお相手をしている暇がない。道を開けて下さらんか」
「そうだな、お互い忙しい身だ。手早く用件を話そう」
 鬼童はなおも円光に近づきながら言った。
「僕は君がミイラを盗もうが、それをどうする気だろうが、実のところそれほど興味はない。でも、ただ一つだけ円光さんに聞いておきたいことがあるんだ」
 ついに鬼童は、円光の目と鼻の先まで辿り着いた。
「円光さん、君は、もう麗夢さんのことを諦めたのか?」
 円光は、はっと顔色を変えて鬼童の視線を避けるようにうつむいた。
「どうなんだ。夢隠し村で君ははっきり譲れない、と僕に言ったな。あの時の気持ちはもう醒めたのか?」
 鬼童は次第に興奮して声を荒げると、両手で円光の肩を掴んだ。
「黙っていては判らないぞ! はっきり言え、円光!」
 黙りこくっていた円光は、ようやく顔を上げると正面から鬼童の目を見据えて言った。
「鬼童殿、麗夢殿のこと、よろしく頼む」
「何?! 本気で言っているのか、円光さん!」
 鬼童もここが大事なところだ、と激しい口調で念を押した。
「無論。だから・・・」
 道を開けられよ、と言おうとした円光の左肩を、突然巨大なハンマーで殴られたような衝撃が襲いかかった。
「な、何を・・・した・・・!」
 目がくらみ、息も止まりかけた円光のひざが、がくん、とたちまち地をなめる。
「ほーう、さすがは円光さんだ。気を失わないのは大したものですね」
 鬼童の横顔が、ばちっという鋭い音と共に突然ストロボを浴びたように一瞬だけ照り輝いた。鬼童の右手に、超ミニサイズの稲妻が走る。
「円光さん用に少し電圧を上げていたんですが」
 ただのペンライトにしか見えなかったそれが、再び猛々しい燭光を放った。
「鬼童・・・貴様っ・・・」
 円光は歯を食いしばって立ち上がろうとしたが、全身の筋肉が麻痺してしまい、まるで自分の身体ではないように言うことを聞かない。
「無駄ですよ、円光さん。幾ら鍛えていても、スタンガンの高圧電流を喰らって直ぐに動けるわけがない。さあ、おとなしくして。すぐに麗夢さんを呼びますから」
「くっ!」
 今麗夢を呼ばれては大変である。とにかく脱出を、と気ばかり焦るが、麻痺した身体はもがくばかりで、いっこうに力が入らない。携帯電話で鬼童が、
「円光さんを捕獲しましたよ」
と麗夢を呼びだす声を聞きつつ、円光は絶望的な努力を続けるより無かった、その時である。
「大事な峯入りをひかえておるのに、その体たらくは何じゃ! 知り合いだからと油断するからそのような目に遭うのじゃ」
 野太い声が円光の耳に届いた。
「だ、誰だ貴方は、うっ!」
 続いて聞こえてきた驚きで狼狽する鬼童の声と、くぐもったうめき声。更に円光の目の前に、かちんと軽い音を立てて、一台の携帯電話が液晶画面で明るく地面を照らしながら落ちてきた。
『どうしたの鬼童さん! 返事をして!』
と、切迫した麗夢の声が、小さなスピーカーから漏れ聞こえる。その上から、草鞋の大きな足がのしかかった。華奢なプラスチックで出来た携帯の外装が、思いの外大きな音を立てて押しつぶれる。それと同時に、今度はずっと巨大なものが円光の目の前に降ってきた。額から血を流し、力を失った長身のスーツ姿が、どうと重たげに円光の隣に横たわった。円光は、必死に首を回して今窮地を救ってくれた足の主に顔を向けた。
「ど、道賢殿・・・」
「円光、主は少しばかり腕が立つからと言って油断が過ぎるぞ」
「道賢殿、殺したのではあるまいな!」
 円光が初めて見せる怒りの波動が、道賢の眉間に突き刺さった。道賢は苛だたしげに首を振ると、吐き捨てるように円光に言った。
「ふん、この父に礼の一つも言えぬのか」
「殺したのか、と伺っている!」
 円光の怒りが更に増幅した。口にこそしていないが、もし殺していればただでは済まない、とその視線が物語っている。道賢は疎ましげにその視線を避け、突き放すように円光に言った。
「殺してはおらぬから安心せい! 全く、その甘さがいつか命取りになるぞ」
 だが、円光は道賢の捨てぜりふも意に介さず、鬼童の無事を素直に喜んだ。
「済まぬ鬼童殿。麗夢殿のこと、確かにお頼みしたぞ」
 円光は、瞑目する鬼童に別れの挨拶を済ませると、道賢の手を借りてようやく立ち上がった。その向こうで、道賢に指揮された山伏の一団が、既に弾誓上人のミイラを風呂敷包みにして運び出していた。
「長居は無用ぞ。いざ、参らん」
 道賢の合図で、四人の山伏が包みを担ぎ上げた。円光には、一人の山伏が肩を貸した。
「おつかまり下さい、兄上様」
「忝ない」
 こうして、円光と山伏の集団は、再び忽然と闇の中に消えた。ようやく麗夢が本堂前まで駆け上がったときには、踏みつぶされた携帯電話の残骸と、気絶する鬼童海丸の身体が転がっているばかりであった。
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9.円光の行方 その1

2008-04-06 13:09:33 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 京都阿弥陀寺での攻防は、残念ながら再び麗夢の完敗となった。スタンガンを使った鬼童の奇襲が功を奏し、ついに円光の身柄を押さえた、と喜んだのも束の間、思わぬ横槍に鬼童が倒れ、円光は山伏共々再び闇の中に紛れてしまった。
 あの時、潮が引くように山伏達が麗夢の視界から消えた後、アルファ、ベータと共に阿弥陀寺本堂前まで駆け上がった麗夢は、思わず悲鳴を呑み込んだ。半ば予想していたこととはいえ、実際にその仕立ての良いスーツが泥まみれになって横たわっているのを見たのはショックだった。ましてや頭から鮮血を滴らせた血の気の失せた顔を見ては、誰であっても最悪の事態を予想して不思議はないであろう。だが、幸いなことに鬼童の肉体は見た目ほど酷いダメージは受けていなかった。必死の思いで抱き起こし、
「しっかりして、鬼童さん!」
と悲痛に呼びかけた麗夢の声に、うっすらと鬼童は目を開けて見せたのである。
「円光さん、まんまと逃げたようですね」
 痛っつつつ、と頭を押さえながら半身を起こした鬼童は、まだ心配げな麗夢に少し無理が見える笑顔をほころばせた。
「後一歩だったんですが、思わぬ伏兵が居たようです」
 鬼童の説明で、どうやら円光には「妹」を称する山伏達の他に、もう一人、山伏姿の男が居るらしいことが判った。陰に隠れてこれまで姿を見せようとしなかった事や、円光を「救出」し、山伏達を束ねて撤収した様子などから判断して、どうやらその男が今回の黒幕らしいと言うのが、鬼童の見解である。
「一体誰なのかしら。顔は見た? 鬼童さん?」
「ええ、ちらっとだけですが・・・」
 麗夢は語尾を濁す鬼童に、何か引っかかるものを覚えた。
「何か気になるの鬼童さん?」
「実は、見たことがあるような気がするんです。あの顔」
「何ですって?!」
「僕の記憶に間違いなければ、多分・・・」
 鬼童はそこまで言って、はっと気を取り直して内ポケットに手を突っ込んだ。ごそごそとまさぐって、やがて一台の小型コンピューターを取り出した。大型の手帳くらいの大きさで、本体のほとんどが液晶画面になっている。それを、付属のペンと若干のボタンで操作する、いわゆるPDAと呼ばれる装置である。鬼童は更に胸ポケットに手をやり、他のポケットをまさぐってようやくおかしいとつぶやいた。
「どうしたの、鬼童さん?」
「いえ、僕の携帯が見あたらないんですよ」
 それなら、と麗夢が指さした先に、鬼童は目的のものを発見した。既にプラスチックの外装が砕け散り、内部の基盤が露出している。もはやそれが二度と役に立ちそうにないことは、鬼童ならずとも理解できた。
「麗夢さん、携帯を貸して下さい」
「いいけど、どうするの?」
 手渡された携帯電話に、鬼童はポケットから取り出したケーブルを接続し、もう一端をさっき取り出したPDAに射し込んだ。スイッチを入れた鬼童は、バックライトで明るく映ったPDAの液晶画面を麗夢にも見せた。
「円光さんが近くにいれば、必ず反応するはずです」
 PDAは、その液晶画面に直径の異なる同心円三つと、その中心を貫く十字線を浮かび上げた。
「何なの? それ」
「受信器ですよ」
 鬼童は、円光をスタンガンで動けなくしたとき、同時に小型発信器をその背中に張り付けていた。バッテリーはもって一週間、町中で半径五キロ程度は電波を飛ばす出力で、携帯電話を受信アンテナ代わりとし、接続したPDAで方向、距離、移動速度などを計算することが出来ると言うのである。
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9.円光の行方 その2

2008-04-06 13:09:28 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 しばらく感度を変え、調整を繰り返していた鬼童は、やがて興奮した口調で麗夢に言った。
「いた!」
 慌てて麗夢ものぞき込んだ。すると、中央の同心円とその直ぐ外側の円との間にピッと鋭く点滅する光があった。
「まだそんなに離れていませんよ、麗夢さん! 奴ら、まっすぐ南に向かっています!」
 だが、喜びもそこまでだった。すぐ追いましょう! と言いかけた麗夢と鬼童の目の前で、突然前触れなくその光点がふっと消えたのである。
「どうしたの、鬼童さん?!」
「どうやら、山の向こう側に抜けたようですね。残念ながら、幾ら半径五キロでも山を越えて届くようなものではないんですよ」
 鬼童は残念そうにスイッチを切ると、装置一式を麗夢に手渡した。
「これを麗夢さんにお預けします。僕はどうもあの男が気になる。ちょっと東京に帰って調べてみますよ」
「じゃあ私は引き続き円光さんの後を追うわ」
 受け取った麗夢が操作方法について即席のレクチャーを受けているところへ、一旦離れていたベータが駆け寄ってきた。
「わんわん!」
「そう、ベータも見失ったの」
 麗夢はベータに円光の後を追えないか、本堂に駆け上がる前に頼んでいたのだ。だが、駆け戻ったベータは、犬としての嗅覚と霊獣としての超感覚を持ってしても、円光等の足跡を感知することが出来ないことを残念そうに答えるだけであった。恐らく、強力な結界を布いて麗夢達の霊的探査を阻んでいるのだろう。ベータに礼を言った麗夢は、大丈夫ですよ、と抗う鬼童を説き伏せて、車から救急セットを持ってくると、その頭の傷を診た。
「良かった、ちょっとこぶが出来ているけど取りあえず大丈夫そうだわ。一応お医者さんに診てもらった方がいいとは思うけど」
「それにしても連中何処に行ったんでしょうね。何か手がかりでもありませんか、麗夢さん」
 麗夢は鬼童の頭にあちこち懐中電灯の光を当てながら、一つあることを思い出した。
「そう言えば、鬼童さんが倒れる前に、携帯から聞こえてきた声があったわ。小さくてよく聞き取れなかったけど、確か、みねいりがどうとかこうとか・・・」
「みねいり? そういえば僕もそう聞こえました。それはひょっとして、峯入りの事かも」
「何なの、峯入りって?」
 鬼童は、傷口に吹き付けられた消毒液にちょっと顔をしかめながら質問に答えた。
「僕も相手が山伏と聞いてから少し調べただけで詳しくは知らないのですが、峯入りって言うのは、山伏が修行のために山に入ることを言うそうですよ」
「じゃあ、円光さん達はまた山に籠もるつもりなのかしら?」
 そうなると探すのはかなり難しくなる。山の中では円光達の方に地の利があろう。カモシカ同然に道無き道を駆け回る円光に対し、こちらはヘリで森に覆われた山を上空から探すか、見通しの利かない山道を歩くしか方法がない。第一何処の山か判らなければ、追うことすら出来ないのだ。そんな麗夢の心配に、鬼童は明るく答えた。
「いえ、峯入りというからには、必ず修験道と関係のある山に違いありません。この辺りでそれを探すとすれば、多分あそこです」
「あそこって、何処?」
「大峯山ですよ、麗夢さん」
「大峯山?・・・」
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10.目覚め

2008-04-06 13:08:59 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 山々にこだまする勤行の秘歌を目覚ましにしたのは少し前のことだった。
 最近では、そんな修験の一行とは何の関わりもない一般の登山者が増えては来たが、それでも耳障りになって目が覚めるようなことはなかった。
 では、熟睡から一息に覚醒させられた、この不快感は一体なんだろう。
 こんな胸に悪い目覚めなど、これまでついぞなかったというのに。
 ひょっとして、往古から守られた決まり事がまた破られたためだろうか。
 二年ほど前、奈良県の女教師が男女平等を叫んで1300年のご禁制を足蹴にした事があったが、そんな、伝統をあたら無碍にするような野蛮行為がまた行われ、それが不快に繋がったのではないか・・・。
 鼻を鳴らして確かめてみると少し違う。
 どうやらもっと根本的なものだ。
 これまで感じたことのない不安の招来を予告する警戒の鐘の音。
 心の内から大乱声で打ち鳴らされるその音が、苛ただしげな目覚めに繋がったらしい。
 今一度くんくんと鼻を鳴らし、不安の源を突き止められないかと試みてみる。
 だが、より奥まった深淵から漏れ出る淡い光に照らされただけの洞窟の中では、敏感な鼻も漠然とした不安以上のものをかぎ取ることは出来なかった。
 仕方なしに四つ足を踏ん張り、背をそらして大きく伸びをした。
 同時に鋭く並ぶ歯を誇示するかのように、大きいあくびを一つする。
 目覚めの儀式を済ませ、光とは反対の出口に向けて足を向けた。
 幾折れか、曲がりくねった洞窟をゆっくりと歩き、やがて見えてきた出口に目を細める。
 黒い紙に針で突いた穴のように白く輝く洞窟の口は、長く暗闇をまとって生きてきたものには強すぎる外の光を射し込んでくる。
 全く、こんな真っ昼間に目を覚ましたのは一体いつ以来のことだろうか。
 まだぼんやりと思考を巡らせる醒め切らない頭が、次の瞬間、思い切りよく叩き起こされた。
 ズキューン!
 腹に響く轟音が耳を貫き、辺りの木々の葉を細かく震わせた。
 何て事だ。
 目が覚めたのはこの音が原因だったのか。
 尖った口で起用に舌打ちを一つこなすと、一層細く目を閉じて後ろ足で地面を蹴った。
 たちまちその巨体が洞窟から躍り出た。
 鬱蒼と茂るブナの原始林。
 その道無き道を、音の方角へ全速力で駆け出していった。
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11.大峯山の死闘 その1

2008-04-06 13:08:52 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
「わんわん!」
「にゃにゃにゃっ!」
「判ったからちょっと待って!」
 麗夢は、登山靴に固めた足下で元気よく尻尾を振るかわいらしいお供達を見ながら、うっすらと汗を滲ませた顔に笑みを浮かべた。深い緑が真夏の強烈な陽光を遮り、火照った身体をさわやかな微風が心地よくさます。標高一千メートルを超える山の空気は、下界からは考えられないほど澄み切った冷気をはらみ、身も心もすっかり洗いきってくれそうだ。これが本当にただのハイキングだったらどんなに楽しいものだったろう。麗夢は思わずそんな事を考えながら、行く手の厳しさに、思わず頬を引き締めた。
 大峯山。
 一般に、紀伊半島の背骨に当たる山並みは、この名前でよく知られている。しかし、実のところこの個体名を持った山は存在しない。大峯山とは、この修験道の聖地たる山々の総称なのである。
 役行者によって開山され、理源大師聖宝によって整備されたルートは、奈良県吉野町から太平洋に面した和歌山県熊野まで総延長150キロ。最高二千メートルの頂を結ぶ重畳たる緑の海の中に細い道が続く。
 平安の昔から、時の帝や貴族達の崇敬を集め、江戸時代には一般民衆の信仰も加えて栄華を極めた宗教山岳。
 それが、この大峯山脈なのである。
 綾小路麗夢とアルファ、ベータは、そんな山に足を踏み入れつつあった。
 もちろん目指すは円光の足跡である。
 とはいえ、大峯山と一口で言っても、麗夢が探査しなければならない場所はとんでもない広さになる。意気込みとして、地球の果てまでも追いかけてみせる、と言うのは簡単だが、現実にこの果てしなく連なる波濤の如き山容を前にすれば、それが単なる言葉遊びに過ぎないことを痛感させられる。
 ことに大峯山は、近畿大学ワンダーフォーゲル部のような、体力に優れ、登山経験でも決して素人とは言えない者達をも呑み込み遭難させる程の険峻難路だ。
 麗夢のような「素人」が一人で入山しては、円光をどうこう言う前にまず自分が帰ってこられないかも知れない。
 それらを踏まえて目標を定めるとすれば、大峯山系の一つ、山上ヶ岳が第一候補に挙げられる。標高は1719メートル。頂には大峯山上権現の本堂があり、その社周辺は、有名な「覗き岩」や「蟻の戸渡り」、「平等岩」などの行場がひしめき合う修験道随一の一大修行場となっていた。つまり修験者なら避けて通ることは絶対にない場所と言えるのだ。
 だが、麗夢は悩んだ末にこの山を候補からはずした。
 実はこの山は、日本でもただ二つになった女人禁制を守る文字通りの聖地だったのである。
 開山以来一三〇〇年。その聖域は戦後急激に狭まってはいたが、まだ山頂付近の禁は解かれていない。昨今の風潮から禁を解くべしとの意見もあるにはあるが、まだそれが大勢を占めるに至っていない。ことに平成11年8月、男女平等を教条主義的に叫んで入山を強攻した愚かな女性教師がいたが、その様な身勝手で性急な行動が山側の態度を硬化させ、二一世紀を迎えた今日も、堅く伝統は守られ続けている。
 それらを色々考えた末、麗夢はようやく一つの山を選んだ。
 その名を稲村ヶ岳という、高さ1726メートルの山である。
 この山は、女人禁制の山上ヶ岳に対して女人大峯山とも呼ばれ、高さの割りに、大峯山系では比較的登りやすい山容を示している。その上山頂の展望は360度邪魔するものがなく、半径五キロの傘の中に、大峯山系の主要な山々を楽々と納めることが出来た。それに、大峯山の女人結界門は山上ヶ岳山頂の周囲四カ所に設置されており、内三カ所が山頂から直線距離で二~三キロ、標高差数百メートルと非常に遠いところにあるが、稲村ヶ岳からの稜線上にあるレンゲ辻という場所の結界門は、山上権現までほんの数百メートルしか離れていない。しかもわずかではあるが稲村ヶ岳の方が高いので、発信機の電波が遮られる心配もない。
 こうして麗夢は目標を定めると、その日の内に稲村ヶ岳の麓、洞川温泉に宿を取り、翌朝早々、稲村ヶ岳登山に挑戦したのであった。
 洞川温泉のひなびた町並みを抜け、古色蒼然とした杉の巨木が立ち並ぶ山道に入ったのが午前5時。明け染める空に櫛の歯のような稲村ヶ岳山頂の岩峯群が、シルエットとなってかいま見えるなか、昭和11年開削の薄暗い山道を黙々と登り、途中法力峠で一息ついて更に登る。女性にも登りやすいやさしい山、とはいえ、およそ垂直に900メートルばかりをひたすら登り続けなければならないのは、単なるハイキングでは味わえない大変な運動である。
 それでも、わき水に渇いたのどを潤し、小さなお地蔵様に会釈しながら、杉からブナの純林へと姿を変える山道をひた登る。やがて、足下に高山植物の可憐な花が岩肌に混じってそこここに見えるようになり、足場の悪い崖を鉄ばしごに頼って渡るうちに、ようやく稲村ヶ岳から山上ヶ岳に通じる尾根筋、山上ヶ辻にたどり着いた。時計を見るとちょうど11時を回ったところである。
「ちょっと一休みしましょう。現在位置も確かめないと」
 麗夢はショルダーパックを降ろし、傍らの石に腰を下ろした。まず水筒を取り出して、アルファ、ベータにカップでより分け、自分もさっき補充した山の冷たい水に舌鼓を打つ。
 すっかり生気を取り戻したところで、麗夢は地図とコンパスを取り出した。
「ええと、温泉からずっと登りで今T字路に辿り着いたんだから・・・。うん、間違いないわ。山上ヶ辻ね。稲村ヶ岳はこっちだわ」
 麗夢は右手に続く細い山道を指して言った。後一時間も尾根伝いに歩けば、第一目標の稲村ヶ岳山頂に到達する。
「じゃ、山頂でお昼にしましょ、アルファ、ベータ」
 アルファが耳をピンと立て、ベータも盛んに尻尾を振って麗夢の提案に同意した。その前を、一人の山伏が通り過ぎた。咄嗟のことで顔を見ることは出来なかったが、反射的に麗夢は言った。
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11.大峯山の死闘 その2

2008-04-06 13:08:43 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
「ようお参り」
 これは、この山ですれ違ったり追い抜いたり、逆に追い抜かれたりした人々から何度もかけられた挨拶だった。最初は何を言っているのか判らなかった麗夢だったが、親切な老夫婦の登山者に言葉の意味を教わってから、麗夢もそう挨拶するようになったのである。そうすると、ほぼ例外なく暖かみのある笑顔を伴って、同じ挨拶が返ってきた。
 山の良さを認識するのは実はこんな時かも知れない。挨拶など忘れられたかのような世知辛い都会に生きる者にとって、何のてらいもなく見ず知らずの者同士が挨拶を交わす世界というのは、ある種新鮮な驚きを覚えさせてくれる。その心地よい素朴な言動が、疲れ切った心を癒す一助にもなるのだ。だが、その山伏は何かを一心に考え込んでいるのか、まるで麗夢やアルファ、ベータが目に入らないように、ただまっすぐ稲村ヶ岳目指して歩いていったのである。
「変な山伏。ひょっとして・・・」
 麗夢の目標は取りあえず山伏である。そこでここに至るまでの間、一目山伏を見れば一応疑ってかかりながら登り続けてきた。だが、町中と違ってそもそもここは山伏の密度が高い。一応白装束、とか、結袈裟だけ引っかけたような即席山伏も含めれば、出会うのはほとんど山伏と言っていい。そして、そのほぼ全員が挨拶には挨拶で返してきた。愛想の良い人からややつっけんどんな人まで色々いたが、麗夢が探す若い女性の声、あるいはオペラ歌手のような豊かな低音はまだ聞こえなかった。
「アルファ、ベータ、どう思う? 何か感じない?」
 すると、二匹とも何やら難しい顔をしている。おかしい、と歩調を揃えた麗夢、アルファ、ベータは、いそいそと身支度を整えると、早速後を追って山道を歩き出した。
 道はこれまでのような急な登りはなく、比較的坦々としたアップダウンが続く。ただ、道の両側を覗き込むには少し勇気がいる。およそ百メートルくらいはある断崖絶壁が、道を挟んでそれぞれ遙か下の谷へと繋がっているのだ。谷底が深く美しい緑に覆われているだけに、崖の岩肌とのコントラストは、見る分には実に見事だ。だがもし転げ落ちたりしたら絶対に助かることはないだろう。
 そんな崖が、まさに足もとまで迫る細い隘路にさしかかったときだった。前を歩いていた山伏が突然振り返り、白刃を閃かせて麗夢に襲いかかってきたのである。
「きゃっ!」
 不意をつかれた麗夢は思わず飛び下がろうとしてはっと息を呑んだ。無闇に飛べば下手をするとそのまま崖下に転落しかねない。ひるんだ麗夢を援護すべく、咄嗟にアルファとベータが山伏に飛びかかった。ベータの可愛らしい牙ががっしと山伏の右手首に食い込み、振り下ろされる寸前の山刀が、手から放れて足下に落ちる。アルファも頭に飛び移り、その顔を覆う天狗の面を、前足でばしっとひっかき落とした。
「ありがとう! アルファベータ」
 二匹の活躍で辛くも不意打ちを逃れた麗夢は、慎重に飛び下がって愛用の拳銃を抜いた。
「さあ、どうして私に斬りかかったのか教えてもらおうかしら、山伏さん」  
 細面に切れ長の目が光る。やや線が細い円光に似た美人が、きっと麗夢を睨み付けた。
「お前が兄上様を誑かしている!」
 女山伏は咄嗟に落とした剣を拾い上げた。
「ちょっと待って! 貴女、本当に円光さんの妹なの?」
「知れたこと! 覚悟!」
 再び猛然と斬りかかる相手に、麗夢の右手が轟音を放った。
 恐らく、千古の歴史を誇る大峯山も、初めて聞いた音だろう。空気を打ち揺るがした麗夢愛用の拳銃は、強力無比の銀の弾丸を、山伏の刀に叩き付けた。異音を発して再び山伏の手から刀が飛ぶ。
「無駄な抵抗は止めて、おとなしく円光さんの所に案内して頂戴」
 麗夢はまっすぐ銃を突きつけた。麗夢とて人間相手に銃を使いたくはない。麗夢が所持する特注の拳銃は、この世に徒なす闇の住人達相手に作られたものなのだ。
 だが、相手はそんな無意識のひるみを見抜いたように、素手のまま麗夢に飛びかかった。身を翻して避けようにも、道幅は余りに狭く、その先は奈落の谷底である。麗夢は咄嗟に狙いを相手の肩につけると、ためらうことなく引き金を引いた。
 再び強烈な炸裂音が山々にこだましていった。弾丸は狙い過たず、女山伏の右肩をかすめその身体を地面に叩き付けた。
「どう、話す気になった?」
 麗夢は、狙いがはずれなかったことにほっと一息つきながら、改めて山伏に迫った。しかし、次の瞬間、突き出された銃口が、とまどうようにかすかに揺れた。
「そんな・・・?」
 麗夢の目の前で、山伏が何事もなかったかのように立ち上がった。銃弾がかすめた右肩をだらんとぶら下げてはいるが、衣装にも腕にも赤い血は流れていない。一瞬、はずしたのか、と麗夢は疑ったが、ちゃんと相手の右肩は、衣装も破れ、傷口がえぐれてささくれ立っている。
(え? ささくれ立っている?)
 麗夢は、ようやく疑問を戦慄に昇華させた。この山伏、一体どうなっているの?
「止まりなさい! それ以上近づくと撃つわよ!」
「撃てばいい。私は一向に構わぬ」
「今度こそ当てるわよ! それ以上近づいたら本当に撃つわ!」
「だから、構わぬと言っているだろう」
 麗夢は必死に制止したが、山伏は右腕をぶら下げたまま、不気味なほど落ち着いて麗夢にひた迫った。その威力の程はさっきその洗礼を受けたばかりだと言うのに、獰猛と形容するにふさわしいコルト44マグナムの銃口を、恐れることなく近づいてくる。
 麗夢の銃が三度火を噴いた。今度は左肩を銃弾がかすめ、ぱっと衣装や何かのカケラがはじけるように肩から飛んだ。ところが、今度は山伏は倒れなかった。がくっと左肩を無理矢理突き飛ばされて倒れかけたが、そのまま捻れたゴムが戻るように身をひねった。三白眼で麗夢を睨み、ずりずりと麗夢を後ろに押し込んでいく。
「殺してやる。兄上様の修行の妨げになる女! 殺してやる」
 抑揚にとぼしい唸るような声が、麗夢の耳に届いた。もはや相手と麗夢の間は一歩の距離もない。
「貴女、何者なの!」
 切迫した麗夢の叫びを合図に、山伏は三度飛びかかった。 
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11.大峯山の死闘 その3

2008-04-06 13:08:35 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 もはやためらう暇もない。静寂をつんざいた弾丸が、今度こそ山伏の胸を貫き、その身体をあっさりと吹っ飛ばした。屈強の狼男でも一発でしとめる巨砲の洗礼を浴びれば、普通の人間などとても耐えられるものではない。頭に当たればザクロを割るようにあっさりと砕け散り、胴体なら大穴を開け、腕や足なら簡単に引きちぎることも出来る。
 もはや即死は確実だった。驚きに見開かれた目は既に瞳孔が散乱し、胸の穴にも負けぬほどに開いた口は、もうしゃべることも息をすることもない・・・はずだった。
「痛いじゃない」
 突然、大の字に横たわった山伏の上半身がむくりと起きあがった。ぎょっとする麗夢達の前で、山伏は悠然と穴の空いた胸をのぞき込み、再び麗夢に顔を上げた。
「本当に撃つとはなかなかの度胸ね。おかげで一張羅が台無しになってしまったわ」
「あ、貴女一体?」
 かすれた麗夢の声に山伏はにやりと笑みを浮かべた。
「これも修行のたまものよ。さあ、私はこの通りだけど、貴女は胸に穴が空いても生きていられるかしら?」
 山伏がすっくと立ち上がった。その胸の穴を通して、稲村ヶ岳の頂が確かに見える。その異様な光景に、さすがの麗夢も冷や汗が流れるのを止められない。だが、ここで怖じ気づいては全ては終わりである。麗夢は気を取り直すと、改めて銃の狙いを頭につけた。
「全く、大事の前にこんなにしおって!」 
 突然野太い声が真後ろからぶつけられた。ぎょっとして振り返った麗夢の目に、苦々しげに睨み付ける山伏の姿が見えた。榊並に恰幅の良い体を山伏装束に包み、丸太のような手には一振りの錫杖を握っている。白髪、白髭を見ればそれなりに年がいっているのだろうと思われるが、太く長い白眉毛の下でぎょろりと麗夢を睨む目玉は、飢えた虎に等しい危険な光を宿していた。すると、さっきまであれほど猛り狂っていた女山伏の方が、一言つぶやき頭を下げて片膝ついた。麗夢の耳に、辛うじてその声が「道賢様」と言うのが聞こえてくる。そうか、道賢というのか。麗夢は一呼吸おいて気持ちを落ち着かせると、出来るだけ平静を装って後ろの山伏に言った。
「貴方ね。阿弥陀寺で鬼童さんの頭に怪我させて、円光さんを連れ去ったのは」
 麗夢はちらと女山伏を一瞥し、愛用の銃をその老山伏に振り向けた。
「さあ、円光さんはどこにいるの? 教えて頂戴」
 麗夢の銃がかちゃり、と金属音を鳴らして、戦闘準備の完了を告げる。だが、狙いを付けられた山伏は、すぐに麗夢から目をそらし、胸に穴の空いた女山伏を見た。
「肩の関節もいかれたか。これは、修理に随分と手間取りそうじゃ」
 そう山伏はつぶやくと、再び麗夢を睨み付けた。 
「貴様何者だ」
「綾小路麗夢。探偵よ。さあ、円光さんはどこ?!」
「ふん、たかが探偵風情にしては上出来だ。ここまで追ってくるとはな。貴様、あの坊主がそんなに恋しいか」
「そんなのじゃ無いわ!」
 麗夢は心なしか頬を赤くして山伏に言った。
「円光さんは私の大切なお友達。それを貴方が妙な道に引きずり込み、犯罪に巻き込もうとしているのが許せないだけよ!」
「あれはわしが強要したわけではない。円光が自らわしに助力を申し出たのだ」
「どちらにしても、とにかく円光さんに会わせてもらうわ! 貴方の処分はそれからよ!」
「そうはいかん!」
 山伏は鋭く言い放つと唇の端をぐにゃりと吊り上げた。
「ここまで苦労して追ってきたようだが、これ以上の邪魔立てはわしも困る。貴様にはここで死んでもらうぞ。後腐れが残らぬようにな。やれ!」
 すると、今までじっと動きを止めていた女山伏が、突然また麗夢目がけて突進してきた。その瞬間、驚愕から立ち直ったアルファとベータが、脱兎の勢いでその左右の足に飛びかかった。麗夢も慌てて振り向きながら引き金を引く。たちまち山伏の身体にまた一つ大きな穴が空き、周囲に木屑のような破片が飛んだ。だが、山伏は倒れなかった。必死で噛みつく犬と猫を邪魔だとばかりに蹴り飛ばし、まっすぐ麗夢に突っ込んでくる!
「アルファ! ベータ!」
 あっさりと転げ飛んだ二頭に気がそれた一瞬、頭に生じた強烈な殺気に、麗夢の神経が悲鳴を上げた。だが、麗夢のたぐいまれな反射神経も、うなりを上げて飛んできた錫杖を避け切ることは出来なかった。ごん! と鈍い衝撃が頭を襲い、瞬きする間もなく麗夢の意識が暗転した。豊かな碧の黒髪にべっとりと鮮血がまとわりつき、金気臭い血の匂いがベータの鼻をつく。
「これでおわりじゃ」
 道賢は、うつぶせに倒れる麗夢の脇腹に右足を当てると、ぐっと力を込めて蹴り上げた。麗夢の身体が、たちまち崖下めがけて真っ逆様に消える。それを見たアルファ、ベータは、咄嗟に主人の後を追って谷目がめてジャンプした。
「ふん、手間が省けたわい」
 道賢は、その行方を見送ることもせず、丹誠込めた自分の「作品」に目をやった。
「うむ、これでは印が結べまい」
 山伏は神妙に片膝ついた女山伏に近寄り、まず右肩に手をやると、ぐいと引きちぎれた弦のようなものを二本引っぱり出し、強引に結びつけた。左肩も同じようにして処置を済ませると、動かして見よ、と山伏は言った。女山伏はそのまま軽く腕を上げ、指を二度三度と握り開いて見せた。
「よし、どうやら動きそうだな。今は時間が惜しい。本格的な処置は後で済ませる故、さっさと所定の位置に着き、準備せい!」
 女山伏は胸に穴を開けたまま頷くと、ややぎこちない足取りで後ろの稲村ヶ岳山頂に歩き出した。
 後に残された山伏は、麗夢達が消えていった谷深くを睨み付け、誰言うともなく一人ごちた。
「いよいよだ、今度こそ、我が思いなし遂げるぞ」
 山伏は谷の一点に目を据えると、やっと一声上げて谷へ足を踏み出した。
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12.窟の常火 その1

2008-04-06 13:07:58 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 ぴちゃん、と音がして冷たいものが頬に落ちた。一瞬遅れて、柔らかで暖かく、少しざらついたものがそれを舐め取った。
「にゃあぁおぅ」
「くーん」
 聞き慣れたその声が、覚えのない調子で耳に入る。
 何が悲しいの? 一体何を心配しているの? 
 そこへ、また冷たいものが頬にはじけた。
 ようやく意識が水面下から登ってくるのが感じられる。麗夢はゆっくりと目を開けた。だが、暗黒の夢はまだ醒めていないようだ。目を開けたはずなのに、まるで光を感じない。夢の中でまた夢を見る、永遠の入れ子細工に陥ったのであろうか。
 麗夢はその想像に恐怖した。ただでさえ耐え難い暗黒の夢が、幾重とも知れぬ重層構造で夢の全てを覆い尽くした時、その圧倒的な闇の力に、自分ははたして抗しきれるだろうか。いや、無理だ。とてもそんなものに耐えきれるものではない。
 心を絶望と言う名の酸が侵す。全ての光を闇に溶解する強力無比の腐食酸。恐怖の余り、麗夢は虚空に絶叫の悲鳴を上げようとした。
 ざりっ。
 また、頬に暖かな柔らかいものが当たった。これは・・・!
「アルファ! いるの? お願い、顔を見せて!」
「にゃあん」
「わんわん!」
「ベータ! ベータもいるのね? お願い、二人ともよく顔を見せて。私、目が見えないようなの」
「目が見えないわけではない」
 手探りでアルファとベータを探す麗夢の手が、暗黒の虚空にぴたりと止まった。再び心に不安の鎌首が持ち上がる。
「誰? 今私に話しかけたのは!」
 麗夢は懸命にパニックになるのを堪えた。起きあがろうとして、初めて麗夢は全身が身動きもならない激痛に包まれているのを知った。
「無理をするな。手当はしたが、一歩間違えれば死んでも不思議ではない重傷の身だぞ」
「誰? 貴方は? どうして私、目が見えないの?」
 相手の声音に危険な色は混じっていない。緊張を解いた麗夢に、その声の主は言った。
「わしはこの洞窟の主。それから、さっきも言ったように、お前の目が見えなくなっているのではない。ここは明かりがないだけだ」
 洞窟? 明かりがない? またぽたっと水滴が麗夢の頬に落ちた。なるほど、そういうことか。失明したわけではない、と知って麗夢はほっと胸をなで下ろした。またアルファが頬を舐めるのにくすっと笑う余裕が出来る。
「貴方が助けてくれたのね。どうもありがとう」
「ありがとうとは妙な言い方だ。今はこういう場でそういう言葉を使うのか?」
「え? 私、お礼を言ったんだけど、何かおかしかった?」
「そうか、今は礼を言う時の言葉なのか」
 くっくっくっ、と息をもらす音が聞こえた。何がおかしいの? と言おうとして、麗夢ははっと気がついた。今、確かに左手の向こうから聞こえてくるのは息の漏れる「音」だ。だが、さっきまで「聞こえていた」声は、はたして耳で聞こえる音だったのか?
「命の恩人の顔を見てお礼を言いたいわ。どこにいるの?」
「わしの素顔を見たら、きっと腰を抜かすだろう。悪いことは言わぬ。やめておけ)
 やっぱり! 相手の声は直接頭に響いてくる。麗夢は息を整えると軽く目を閉じた。意識を音のする方向に集中して、頭の中で相手に呼びかけた。
(貴方、何者なの?)
(これは驚いた。主も、ただの娘ではないな?)
(私は綾小路麗夢。少しばかりこういうことにも慣れているだけの、ただの女の子よ)
 同時に、ふっと夢の戦士のことが頭に浮かんだ。相手はたちまちその事を読みとったらしかった。頭に響く声音に、少しばかり興奮と緊張が感じられる。
(お、お主、夢守か! 話には聞いていたがまさか実在したとは。道理でこの霊獣達を従えているわけだ)
 感心し、納得したような気持ちが麗夢にも伝わってくる。麗夢は、正体を知られて開き直った。
(私のことを知っているなんて、ますます貴方のことを知りたくなったわ。一体貴方は誰で、ここは何処なの?)
(わしの名は、道賢。古光坊、立川道賢だ。ん? どうした、夢守)
 道賢! この名を聞くのはこれで二回目だった。麗夢の驚きの波動が相手の琴線を震わしたらしい。麗夢は慌てて自分が驚いた訳を話した。
(私、道賢という名前の山伏にやられたの。同じ名前だったからびっくりしちゃって)
(何! 山伏だと?!)
 相手の声も急に切迫した調子に変化した。
(その山伏とは、どんな輩だった? して、今どこにいる?)
 麗夢は相手の急変に戸惑いつつも、記憶にある限り正確に道賢の姿を思い浮かべた。途端に、奥の方で喉から絞り出すような唸り声が漏れ聞こえてきた。激しい動揺が、紅蓮に渦巻く炎のイメージで、麗夢の脳髄をも焼き尽くすかのようだ。
(そうか・・・生きておったか!)
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12.窟の常火 その2

2008-04-06 13:07:52 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 炎のイメージに、フラッシュが焚かれるようにあるイメージが明滅した。
 大木が燃え上がって焼け落ちる。
 逃げまどう獣や鳥達に次々と火の粉が浴びせられ、やがて倒れた木に押しつぶされる。
 調子の悪くなったスピーカーのように、その時の音や動物の悲鳴までが時折混じり、熱さが肌に感じられる。
 まさに自分が山火事のまっただ中に放り込まれでもしたような、圧倒的なリアリティを持つイメージが連続した。
 その中に、傲然と立つ一人の男の姿があった。これ以上ないほど大きく見開いて炎を見つめる目には、思いも寄らぬ結果に半ば呆然と恐怖しているように見える。
 麗夢にもその顔が判った。あの山伏、道賢だ。その時、麗夢の視界に、ぼう、っと微かな光が割り込んできた。暗黒と思えた洞窟は、奥から漏れる赤い光によってわずかばかりの視力を麗夢に与えた。揺らぐ炎そのままに明滅を不規則に繰り返す光に、まず麗夢はアルファとベータの姿を捉えた。二頭の目が宝石のように光を跳ね、おぼろにその毛並みが闇に浮かび上がる。そして、その更に奥まった位置に、もう一組の光点があった。傷む身を堪えてそちらに首を向けた麗夢は、一瞬ひときわ明るくなった奥の光の中に、今まで話を交わしていたもう一人の道賢の姿を捉えた。
「貴方! その姿は!」
 相手は麗夢の叫び声にようやく我に返った。たちまち炎のイメージが消え、洞窟内がもとの暗闇を取り戻した。
(夢守よ。見たか我が姿を。これが、禁断の炎に身を焦がした愚かな聖の末路よ)
 それは、銀の毛並みを全身にまとう、一匹の狼であった。鼻面に大きく波打つようにしわを寄せ、強大な牙をむき出しにして唸る姿は、並の犬ではとても出せない迫力がある。
「貴方、一体どうして・・・? いや、それよりもさっきの男! あれは道賢じゃないの?」
(その通りだ。立川道賢、人として最後の姿だった)
 ひとしきり自嘲気味にため息をついた狼こと立川道賢は、再び洞内を赤く彩りつつあるおぼろな光で己の身を麗夢にさらしながら、意を決したように話し出した。
(わしがまだ畜生道に墜ちる前の、人間だった頃の話だ。わしは、上方で勤王攘夷に燃える一人の聖だった)
「勤王攘夷って、ひょっとして、江戸時代?」
(ひょっとしなくても幕末の話だ。無礼千万なる紅毛碧眼の毛唐共が海から我が大八嶋を脅かし、時の幕府はもののふの心も忘れ果てた柔若漢の巣窟と化して、その膝下に屈しようとしていた。わしはそんな風潮を憂え、怒り、そして、決心した。禁断の炎を復活させ、元軍十万を討ち滅ぼした神風にも匹敵する力をもって攘夷を遂げることを)
「禁断の炎?」
(はるかな昔、役行者が封じ込めたというある力のことだ。その力は、かつて巨大なる猛蛇となり、人々を害して暴れ続けた。役行者は困窮せる民草を哀れに思い、少彦名命(すくなひこなのみこと)より授かった神の剣を持ってようやくに大蛇を下し、封印した。わしは、その封印を探して解き放ち、かつて十万の軍船を海の藻屑と変えた日蓮の法力をも凌駕する力を得ようと思ったのだ。その力があれば、押し渡ってくる黒船をいとも容易く撃ち沈めることもかなうではないか。それから十年、わしは役行者の足跡を尋ね、辛酸を舐める修行を重ねて、ついにその封印を解き放った。愚かにも、わしはわずか十年余りの修行でその力を操れるまでに研鑽を積んだと思い上がっておったのだ。そして、その思い上がりは本当の力の前にもろくも叩きのめされた。解き放たれた力は猛炎と化してわしのわずかな法力で張った結界を最初の一噴きで焼き破り、瞬く間に辺りを火の海に変えた。わしもまたその火にあぶられ、骨の髄まで焼き爛れた。こうして力の洗礼を浴びたわしは、己の未熟さを思い知らされるように、ついに生きながら畜生道に墜ちる身の上となってしまった。己の変わり果てた姿を恥じたわしは、わずかに残ったその業火を持って、この犬取谷の洞窟に身を隠した。以来死ぬこともかなわず、畜生の苦しみを甘受しながら、仏が許したまう時まで、ただひたすら祈り続けているのだ)
 さっきの炎のイメージは、その業火の事であったのか、と麗夢は悟った。淡々と語る狼であったが、言葉に差し挟まれる生々しいイメージの数々が、圧倒的なリアリティで麗夢に迫った。
「それで、今山伏姿の道賢とはどういう関係があるの?」
「生きておったのか、探偵!」
 突然の割込みであった。言葉を失って唖然となった狼が、その信じがたい姿を見て更に驚愕を深くした。円光? まさか? と混乱した思考が、麗夢の脳髄に破鐘のように響き渡る。
「え?円光さん?」
 麗夢は驚いて辺りを見回し、その姿を見てあっと声を上げた。そして、ようやく枕代わりにしていたリュックから、PDAの青白い液晶の光が漏れていることに気がついた。そのPDAは、円光に付けられた発信器の電波をカタログデータ通りの正確さで感知して、律儀にその液晶画面へ現在位置を書き込んでいたのである。今、麗夢がリュックを開けてその液晶を覗きこめば、発信器の位置を示す光点が、レーダー網のほぼ中央で点滅しているのを見ることが出来ただろう。
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12.窟の常火 その3

2008-04-06 13:07:46 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
(しまった。何でもっと早く気がつかなかったんだろう?)
 そうすれば円光の接近をもっと手前から察知することが出来た。そうすれば、こんな奇襲を受ける前に取るべき手だてがあったかも知れない。だが全ては遅かった。闇の中に顔だけが青白く浮かぶように現れた円光は、自ら心を閉ざしたのであろうか。麗夢の姿を見てもまるで意に介する様子もなく、立川道賢の後ろに突っ立っていた。
「円光さん! 私よ、どうしたの円光さん?!」
 麗夢の声にもまるで円光は反応しない。アルファ、ベータも口々に円光へ呼びかけたが、まるで意に介さない様子である。
「無駄だ、探偵。こ奴には、貴様の声など届いてはおらん」
「何ですって! どういう意味よ!」
「ふふふ、こ奴は今、深い瞑想の中に閉じこもっている。いや、正確に言うと閉じこめてある。わしの娘達の結界でな」
 そう言えば、円光が余りに簡単にこの立川道賢の手に落ちたことが、麗夢には大きな疑問であった。
「円光さんをたぶらかしたのも、その手を使ったのね」
「その通り。だが、円光ほどの術者では、幾ら娘達の力を合わせたところで、蹴散らされるのが関の山じゃ。だが、こ奴は女に弱かった。わしはその弱点を突くことで、こ奴の心の奥深くまで握ることが出来た。全く、我が娘等を妹だ、と紹介された時のこ奴の顔と来たら、それは傑作だったぞ」
(もう! 円光さんたら!)
 麗夢は円光の不甲斐なさにちょっと腹を立てたが、その思考は狼の思念によって中断させられた。
(どうやって入ってきた?)
 ようやく落ち着きを取り戻した狼が、目の前の山伏に言った。道賢はうれしげに笑顔で顔をゆがませながら、狼に答えた。
「知りたいか。なら教えてやろう。この谷を巡る山々に、わしが手塩にかけて作り上げた可愛らしい娘達が配置してある。その物共が一致協力し、谷に張られた結界を解き放つべく今も一心に祈り続けているのじゃ」
(何だと! 山の上から?)
「幸い、この谷は周囲を全て山に囲まれているからな。結界破りの結界を張るのは、いともやさしかったぞ」
 からからと愉快げに笑う道賢に、狼は鼻息荒く地団駄を踏んだ。この洞窟のある犬取谷は、西に稲村ヶ岳、大日山、バリゴヤノ頭。北に山上ヶ岳、竜ヶ岳。東に大普賢岳、国見岳、七曜岳、行者還岳。北に弥山と千七百メートル級の山々とそれを繋ぐ尾根にぐるりと取り囲まれている。犬取谷は、孫悟空が遭遇した釈迦如来の指のような峯々に包まれた手のくぼみに、ブナ原生林の緑の絨毯を敷き詰めた形をなしているのだ。狼姿の聖道賢が比較的たやすく結界を張ることが出来たのも、この天然の要害と評すべき地形が、狼の失われつつある法力を集中的に発揮する助けになったのである。だがそれは逆に、峯峯の頂を押さえられると、完璧な包囲網と化して谷を扼する事が出来るという事をも意味していた。道賢はこの利点を最大限に生かし、谷に満ちた法力を上回る力を集中したのである。
「探したぞ。見事な結界だったからな。だがこれで、主が隠し持つ不滅の常火を手にすることが出来る」
(貴様に触れられる火ではない!)
「そんなことは言われるまでもない。ちゃんとこうして火を移すための薪も用意しているわ。来い、円光」
 すると、さっきまで麗夢達の必死の呼びかけにもまるで反応しなかった眉目秀麗な剃髪の頭が、ぐらり、と揺れて道賢に並んだ。麗夢が目を見張って驚く様が余程愉快だったのだろう。次々と反響して輻輳する道賢の笑い声が、耐え難いまでに響き渡る。その、ついさっき稲村ヶ岳の稜線で見たばかりの残忍な素顔が、麗夢の防衛本能に赤信号を明滅させた。麗夢は辛うじて半身を起こしたが、全身を襲う痛みに、戦うどころか、立って逃げるのさえ怪しい状態だ。アルファ、ベータは怪我を押して健気にも麗夢と男の間に割って入った。それは相手の嘲笑を誘う以上の効果はなかったが、それでも精一杯その可愛らしい四つ足を踏ん張って、唸りと共に牙を剥く。
「そんなに不思議か、探偵」
 ひとしきり嘲笑に満足した道賢は、いつにない上機嫌で、饒舌にも麗夢の疑問に答えた。
「これはただの人間ではない。60年前、わしが友邦ドイツで学んだ西欧の生化学と魔道の精華、それに真言立川流の反魂の秘法を撚り合わせて生み出した、究極の人形、それがこの円光なのじゃ。わしは偉大なる力の封印を解き、この人形を使って来るべき米英軍の本土来襲に備えた最終決戦兵器として、一億総兵の先頭に立てるつもりじゃった。そうすれば、奢り高ぶりし紅毛碧眼の鼠賊共などいとも簡単に蹴散らかし、三年半に渡ってやられ放題だったつけを一息に取り返すこともできたはずだった。ところが、わしは敗戦間近の混乱で貴重なプロトタイプと生き別れになり、再び見いだすまでに50年以上かかってしまったというわけじゃ。だが、見つかりさえすればこちらのもの。随分遠回りしたが、今度こそ攘夷の夢、かなうことが出来ようぞ!」
 道賢は顎をしゃくって円光に合図をした。
「さあ、円光。奥に燃える不滅の常火をその身に移してこい!」
(させるか!)
 狼は、ゆらりと動き出した円光目がけ、牙を剥きだして襲いかかった。
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12.窟の常火 その4

2008-04-06 13:07:39 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
「無駄なことを」
 道賢の嘲りのつぶやきが聞こえたが、ここを通しては今まで百年以上もの間、火を護り続けてきた意味が失われる。たとえこの身を砕こうとも、狼は円光を行かせるわけにはいかなかった。だが、まっすぐ円光の喉笛目がけてジャンプした狼は、ふっと目標が姿を消した、と驚いた瞬間、腹に背骨も砕けるかという強烈な打撃を喰らって、洞窟の天井に激突した。
「ぎゃん!」
 激突と同時に血反吐を吐いた狼は、一瞬天井に張り付いたように静止し、次の瞬間にはぐらりと剥がれて、自らの血反吐の上に墜ち伏せた。その結末を確かめることもなく、円光は洞窟の奥目指して歩いていく。
「さっきも言うたであろう。この円光はわしが生み出した究極のうわものじゃ。狼如きに足止め出来るものではないわ」
 言いながら道賢は狼に歩み寄り、息が出来ずに喘いでいるその身体を、これ見よがしに蹴りつけた。狼はまるで抵抗できないまま、丸太のように麗夢の傍らまで転げ飛んだ。
「大丈夫? しっかりして!」
(え、円光・・・お、おのれぇっ!)
 麗夢の手を振りほどいて立ち上がろうとした狼だったが、すぐに膝から折れるようにして倒れ込んだ。その鼻面にアルファとベータが駆け寄って、心配そうに顔を舐める。狼は苦しげな息の下からわずかに薄目を開けて、アルファ、ベータ、そして麗夢の目を見た。
(ううむ、もはやここはこれまでだ。不滅の常火が奪われる時、この洞窟は自ら崩れて火が外に出るのを防ぐ最後の盾となるのだ。夢守、動けるか?)
「ええ、何とか」
 驚きつつも答えた麗夢の目の前で、狼は四肢に力を込め、ようやくのことで立ち上がった。
(では、わしがこれから奴を引きつけるから、その隙に逃げろ。まっすぐ洞窟を出たら川の瀬に沿って谷を南に下れ。そして大小の滝をいくつか越えてひたすら流れに沿っていけば、神童子谷の林道に出られる)
「で、でも、貴方を放っておいてはいけないわ」
(わしのことは構うな夢守。お前はあの男を助けたいのだろう? ならばわしの言に従え。これを持っていくのだ)
 狼は、いつの間にか一巻きの数珠をくわえて、麗夢の手に落とした。
「これは?」
(わしが修行の時携えていた霊珠を束ねた数珠だ。持っていけば必ず役に立つだろう。そして、無事脱出できたなら、紀伊国海部郡にある友が島へ行け)
「友が島?」
(そうだ。円光は必ずその島に行く。判ったな)
(でも・・・)
(いいから行け! 霊獣ども、務めを果たせよ!)
 狼はアルファ、ベータにもそう言い捨てると、震える足を必死に踏ん張った。その時である。突然、狼は身に力が甦る心地がして一声轟然と吼え声を洞窟内に轟かせた。その力に満ちた視線の先に、急に変化した空気に戸惑う道賢の姿があった。
「しもうた、やはり応急修理では持ちこたえられなんだか」
 麗夢も、その空気の変化を感じ取った。これまで無言で押しつけてくるような窮屈な感じが、ふっと軽くなったのである。
 狼は、道賢の思考を読みとって事態を理解した。麗夢の拳銃に切られた後、応急的に結びつけていた女山伏の肩の線が、再び切れたのだ。そのせいで印を結べなくなったため、稲村ヶ岳山頂の分結界の輪が崩れて弱くなってしまったのだ。こんな好機は滅多にない。狼は、躊躇い無く道賢に飛びかかった。
「く、くそっこの死に損ないが!」
 まさかまだ反撃する力が残っていたとは思わなかった道賢は、この不意打ちに少なからず驚いた。
(早く行け! 夢守!)
 なおもためらう麗夢の袖を、ベータがくわえて引っ張った。今この機会を失えば、麗夢が脱出するチャンスは無い。アルファも必死にリュックを引きずり、麗夢に脱出を促した。麗夢は壁に手をついて何とか立ち上がると、アルファからリュックを受け取り、もつれ合って格闘する狼に一度だけ振り返った。
「ありがとう」
 狼の目が、一瞬麗夢の方に向いた。口元が器用につり上がり、まるで、笑みをこぼしたかのように見える。多分実際狼は笑っていたのであろう。「ありがとう、とは妙な物言いだ」と。ただ、麗夢にはその笑みの真意を確かめる余裕は一秒もなかった。その瞬間、洞窟の奥で突然落雷したかのような膨大な燭光が走り出で、狼、道賢、それに麗夢達を真っ白に染め上げた。
(急げ夢守! 洞窟が崩れるぞ!)
 麗夢は狼最後の絶叫に背中を押されるようにして、アルファ、ベータを先に立て、よろよろと洞窟の出口を目指し歩き出した。そのすぐ後ろから、小さな石がぽろぽろと落ちる音が追いかけてきた。麗夢は、その音が次第に大きく、やがて洞窟全体を揺れ動かす轟音へと急速に生長していくのを聞いて、痛みも忘れて必死で走った。そしてやっとの思いで麗夢達が外に飛び出た瞬間、洞窟は多量の砂塵と腹に響く崩壊音を残して、崩れ落ちた。
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13.和歌山県 友ケ島 その1

2008-04-06 13:07:08 | 麗夢小説『夢曼荼羅 円光地獄変』
 大峰山での出来事から一週間。今にして思えば、よくあれで生きて帰れたものだと不思議に思う麗夢であった。危険と隣り合わせなど仕事柄珍しくもないが、それでもあの出来事は、これまででも極めつけの際どさだった。
 大体無事洞窟を脱出してからが、また一冒険だった。
 犬取谷は、狼が終の棲家として選んだだけあって、まともな道など全くない人跡未踏のジャングルであった。その中に、水量豊富で流れの速い谷川が音を立てて落ちており、無数にある大小の滝が川中の岩を水しぶきで叩いている。川の際まで、原生林がびっしりと生い茂り、所々緑の切れたところは、いつ崩壊するとも知れぬ完全な岩場だ。麗夢は、そんな道無き悪路を必死の思いで這い降りた。時に腰まで水に浸かり、足を滑らせて滝壺で大量の水を飲み、何度か今度こそ駄目か、と観念するところを、アルファ、ベータの励ましとサポートの甲斐もあって、ようやく林道に辿り着いたのである。
 だが、そこから人家があるところまでがまた大変だった。普通なら、健脚を揃えたパーティーが一日かけるコースを、文字通り足を引きずってとぼとぼと歩く。偶然、イワナ釣りの家族連れが車で通りかからなかったら、さしもの麗夢も吉野の山中であえなく遭難していたかも知れない。
(狼さんや円光さんは無事だったのかしら?)
 無事だと信じたい。
 自分と違って、彼らは屈強の修行僧である。人跡未踏の山々に分け入り、生死をかけた荒行を平然とこなす、現代の超人だ。麗夢は崩壊してふさがってしまった洞窟入り口を思い出しながら、二人の無事を祈らずにはいられなかった。ただ、円光達の無事は、あの道賢の無事をも暗示する、と言う事になる。
「麗夢さん、島が見えてきましたよ」
 排水量19トンの小型漁船程度の船体に、ちょっとした客室を設けた連絡船の甲板で、袖を強風に煽られながら、鬼童が大きく右手を突きだした。鬼童は、麗夢が九死に一生を得て洞川温泉から発した連絡に、大急ぎで調査を片付け、すっ飛んできたのである。
(あれが、友が島・・・)
 軽く靄がかかる海上の彼方に、黒い塊が二つ、寄り添うように並んでいるのが見えてきた。
 友ヶ島は、和歌山県の西北端、大阪府との境にある加太と言う漁村の沖合い5キロに位置する、四つの島の総称である。島をそれぞれ西から地ノ島、虎島、沖ノ島、神島と言い、現在は虎島と沖ノ島が堆積した土砂で繋がり、あたかも一つの島のようになっている。最大の島が沖ノ島で周囲約7キロ弱。地ノ島がこれに次ぎ、虎島と神島は沖ノ島の40分の1程度の面積である。島の各所からは弥生時代の遺跡が出土し、古代の製塩地跡も発掘されているが、今は沖ノ島を除いて全て無人島だった。もっとも、その沖ノ島の人口も、旅館や観光協会の役員が常駐しているに過ぎない。要するに、日本近海ならどこにでもあるありふれた小島なのである。ただ、この島が大阪湾と太平洋を繋ぐ重要な海峡を扼する絶好の地形にあり、その事が、この島を見た目以上に有名ならしめ、観光地として成り立たせていたのだった。
「まるで抹茶のかき氷みたい・・・」
 島の周囲は、ほぼ灰白色の断崖絶壁で鎧われていた。その上に、低いなだらかな山並みの緑の森が、トッピングしたようにへばりついている。さらに近づくにつれてよりはっきりと見えてきた巨岩奇岩の数々は、ちょうど大峯山で見たそれを彷彿させるものがあった。大峯山が緑の樹海に突き出た奇怪な岩石のオブジェ達なら、こちらは蒼海に浮かぶ岩の巨船とでも形容できるだろうか。ただ、大峰山と違うのは、辺りに散らばる人影の多さであろう。島の周囲には、麗夢達が車を止めた加太の港に所属する小さな漁船が幾つも浮かび、漁や釣りに精を出している。今麗夢が乗船している連絡船も、120名の定員が、家族連れや若者達でほぼ満席になり、轟くエンジン音にも負けない喧しさで、あちこちこれからの楽しみに話の輪を広げている。大峰山は牙々たる山容によって一般人の足の浸透を拒んでいたためか、今も秘境としてその矜持を保ち続けている。対する友が島は、波穏やかな大阪湾に浮かび、戦後すぐから国定公園に指定されて積極的に観光開発が行われてきた。海水浴場を中心に、沖ノ島全体につけられた遊歩道のハイキングやキャンプ場、ペンションや旅館と言った施設が整備され、京阪神からちょっとした旅行気分で楽しめる手軽な遊び場として人気を博している。
「それにしても、少し雲行きが気になりますね」
 鬼童は、穏やかな割に白い波濤が目立つ海面を見ながら麗夢に言った。今、九州の東南海上に台風が一つ進んできており、日本にかなり接近する見込みであることが、気象庁より公表されていた。波が次第に高くなるので、海水浴には充分に気をつけるように、とは、港まで走る途中のカーラジオで麗夢も聞いていたところである。
「台風か、ちょっとやっかいね」
 対岸の本土までは、もっとも近い直線でわずかに3キロ少し。地の島を経由すれば、海上は1キロ半ほどで済む。だが、実際には太平洋と大阪湾の潮位差で生じる流れが結構強く、この上台風の三角波でもあれば、船で渡ることはまず不可能だ。出来れば台風で船が止まってしまうまでに円光達を見つけたいが、それも相手次第とあってはどうしようもない。
 焦りを誘う理由はもう一つある。そろそろ鬼童が円光にくっつけた発信器のバッテリーが、限界になりつつあるのである。バッテリーが切れれば、当然発信器は電波を出すことが出来なくなる。円光の所在を掴むための道具が、一つ失われるのである。
 麗夢はおもむろにPDAを取り出してスイッチを入れてみた。レーダー網の画面は何の反応も示さない。やはり無理か、と諦めた麗夢が、スイッチを切ろうとしたその時だった。液晶画面の端の方で、何かがきらっと輝いたように麗夢には見えた。手を止めて、麗夢はもう一度液晶画面を凝視した。すると、再び画面の左端、上から三分の一辺りの所に、ちかっと光の点が瞬き、すぐに消えた。
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