
30 伊藤義弘 投手 34歳 年俸2400万円
【2016年成績】 E 7試合 1勝0敗0S 防御率4.26 6回1/3 3被安打 0被本塁打 6与四球 2与死球 3奪三振
伊藤も力尽きました。
昨年11月に右肘関節鏡視下手術で全治6ヶ月、順調に回復をして4月下旬にはプルペン入りはしましたが実戦復帰は7月のフューチャーズ戦ですので時間が足りず、浦和では僅かに7試合の登板でコントロールがままらないままに、来季に35歳という年齢からすれば仕方がありません。
一線から遠ざかって6年、そう考えれば球団はよく待ってくれたとは思います。
ただ勝っていても負けていても伊藤、という無茶な起用が投手生命を縮めた一因であることは間違いなく、川崎、荻野忠、そして伊藤、悲しさはひとしおです。
横須賀で姿を見かけはしましたが、マウンドに登ることなく残念でした。
2010年の日本シリーズの胴上げ投手までなった伊藤はしかし欲が足りなかったような、何度かチャンスのあった守護神にも他の投手を推すなどしたのが惜しくもあります。
それでいて50試合登板にこだわったのがベンチの起用に繋がったところもあり、あのバットが足に刺さった事故も疲れからか注意散漫で打球も打者も見ていなかった、そしてかなりビハインドな展開だったはず、その翌年から故障が続きましたのであれが象徴的な出来事として思い起こされます。
トライアウト参加後に巨人から声がかかっての入団テストも不合格、引退を発表して大学に再入学をしての教職を目指すとのこと、第二の人生に幸あれ!
2008年通信簿 2013年通信簿
2009年通信簿 2014年通信簿
2010年通信簿 2015年通信簿
2011年通信簿
2012年通信簿
【オリオン村査定】 2400万円 → 戦力外通告 ※10/1に戦力外通告
そこそこ投げますし、
中盤に肩を仕上げるため、
結局、多少のビハインドでも行ってくれとなる。
チームに先発完投タイプが多かったり、
打線が強力だったり、
今季序盤のロッテみたいに中継ぎを2セット組めたり、
そういう楽な状況が続けば選手寿命も違ってくるんでしょうけどね。
かつてソフトバンクの方程式を形成した甲藤なんてのも早々と終わりましたし、
中継ぎのフル回転は持っても5年ぐらい・・
益田あたりも気をつけないと。
あれがなければと思うことも。
ただ、アレがなくても勤続疲労という感じがありましたから、仕方ないのか?
中継ぎについては、使い方、評価の仕方は考えたいですよね。
少ない投球数と言っても、どんな展開になるか分からない状態で毎日型を作ると言うことを考えると登板回数や投球数以上に肩や肘を使っているのではと思いますね。
大谷、益田、当たりが心配ですね。
大谷は今年の不調は勤続疲労の表れのような気がしますが。
伊藤は教員になって指導者として高校野球を指導したいのでしょうね。そういう道もありますので、頑張って欲しいですね。大学に入り直すと言うことは、4年間は無収入でしょうから、挫折せずに目標を達成して、伊藤が育てた選手をドラフト指名してロッテに来る日を楽しみにしています。
オリオン様、皆様、昨日の件は言い過ぎました。すいません。
僕はカッとなると本音を書き込んでしまうタイプなので。
伊藤選手。引退しましたね。
道を踏み外す様な事は無いでしょう。
勤続疲労は怖いですね。
教員になりますか。頑張って下さい。
最後に。道を踏み外す様な事はしないで下さい。
あれだけの活躍をした選手が最高年棒6000万、最終的には2500万ですか?
来年大学生だと収入がないですし、もちろん退職金もありませんし。税金だけでも結構な負担になりますね。
大変だと思いますが、頑張って頂きたいです。
千葉ロッテを日本一にしてくれてありがとうございました。
制球が抜群とは言えない遅咲きの投手でしたが、ロッテを支えてくれました。
投手は強気、直球ですよ。
やはり、気持ちで投げないとね。
伊藤を見ると、中日の浅尾君を思い出すのよね。2人とも回またぎがすごかったもんね。
6年ですか、いつの間にかそんなになりますか・・・
あのバットは痛そうでしたね・・・それにしても、当たるのはともかく、刺さりますかね・・・(涙)
本人は手応えを感じている、このまま続ければ間も無く150km/hまで戻せる・・・みたいな話を8月頃にどこかで目にしました。CSの秘密兵器として・・・なんて、ちょっとだけ期待していたのですが・・・
まあ、日本一の胴上げ投手にもなれたんですから、幸せな野球人生だったと言えるでしょうし、誇りに思って大いに自慢して良いでしょう(笑)
他にも高校野球監督をされている方がいます。
伊藤投手が、将来、どんな高校野球監督になるのかを楽しみに、そして、育てた選手がプロ入りを果たすことを祈ってます。
迷監督ながらも、堅い西村さんがあそこで方程式を崩して、伊藤を最後に持ってきたのは名采配でした。
里崎より先に的場に抱きつかれましたね。
投手で34歳までやれたのですから、立派です。少子化もあって教員は一般の人には狭き門ですが、日本一の胴上げ投手という経歴を引っ提げれば、引く手数多です。
伊藤は記録も年棒も平凡なものだが、伊藤への酷使と、伊藤がその酷使へ耐えつつ潰れて再起できなかった野球人生を私は決して忘れません。サラリーマン世界も似たようなところがあり、なんとか生き残っている私にとっては、伊藤は親近感の大きい選手でしった。引退してプロ野球と縁を切るのは良い選択です。まさに燃え尽きた野球人生でした。