オリオン村(跡地)

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背番号18と言えば誰

2020-05-13 01:15:01 | 千葉ロッテ

 

球界ではエースナンバーとされる背番号18は必ずしもロッテではそうでもないのは村田の背番号29の時代が長かったこともありますし、千葉以降であれば黒木の背番号54に思い入れのあるファンも多いのではないかと、それでも成田の記憶はありますし今でもそれを志望する投手が少なくありません。
そんなロッテ、と言いますかオリオンズ、マリーンズの背番号18の系譜は創設時の星野を初代に守田、植村、若生、迫田、成田、三井、石川、伊良部、清水、藤岡、涌井、二木と13人を数えますが、しかし入団時から背負っていたのは半分ほどですのでご褒美的なところがあるのは当代の二木もそうなります。
そんな歴代の背番号18で誰か一人を挙げろと問われれば、このあたりは毎日、大毎、東京、ロッテ、千葉ロッテのいつにファンになったのかにもよるでしょうから人それぞれでしょう、個人的には清水も捨てがたいですが伊良部のイメージが強烈なのはその退団時の経緯もあってプラスマイナスの両面でのものによります。
プラスで言えばやはりその豪腕で当時の日本最速158キロは衝撃的、157キロを清原にはじき返されたこともあり西武とコラボしたTシャツは話題にもなりました。
その伊良部に痛い目に遭った大沢監督の「幕張の海を泳いでいたらイラブって電気クラゲに刺されちまったよ」のコメントから「イラブクラゲ」のグッズが生まれるなどしてロッテの顔となり、また最多勝、最優秀防御率のタイトルも獲得して球界を代表する投手にまで成長をしただけに、ロッテからすればマイナスでしかなかったメジャー移籍が惜しまれます。
大騒動の末に念願叶ったヤンキース入団も3年で放出されてエクスポズ、レンジャーズと右肩下がりに、帰国後に阪神入団で二桁勝利も翌年に戦力外での日米通算106勝はその資質からすれば物足りなく、今でこそ地元開催はほぼ皆勤ですが伊良部のころはまだそうでもなかったところで伊良部を見たいがために球場に足を運び、大枚をはたいてバックネット裏で観戦をしたことを覚えていますし、誰かを見たいとの理由で球場に行ったのはこの伊良部とルーキーイヤーの松坂など数えるほどです。
ロッテでの晩年にはもう巨大化していましたからそのままプレーを続けていてもあまり変わらなかったかもしれませんが、ロッテの伊良部で終われなかったことが残念でなりません。
そういう意味では成田もそうでしたが石川、伊良部、清水、藤岡、涌井と最後にはチームから去ってしまうのがジンクスになりつつあり、二木にはそうならないよう心から願います。


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