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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

生きるための杖ことば 《 諸悪莫作 衆善奉行——松原泰道 》

2025-04-05 | 03-自己・信念・努力
20年に及ぶブログ活動の集大成 → ★仏様の指
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中国唐代の道林(どうりん)禅師(824年没)は、つねに松の木の枝の上で坐禅をしていたので“鳥窠(ちょうか)禅師”とも言われた。詩人の白楽天(はくらくてん)が「危いぞ」と注意すると、禅師は「君の方が危い、君の心中に煩悩の火が燃えている」と。次に白楽天が「仏法の大意」を問う。禅師は、「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶつぎょう)」と答える。余りの常識的答弁に失望する彼を見て禅師は極める。「三歳の子どもでも知っているが、実行となると八十翁もむずかしい!」


◆諸悪莫作(しょあくまくさ)
 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)――七仏通誡偈(しちぶつつうかいのげ)

『生きるための杖ことば』
( 全国青少年教化協議会 (2001/04)、p150 )

諸(もろもろ)の悪を作(な)すこと莫(な)く、衆(おおく)の善を奉行(ぶぎょう)す。「七仏通誡偈」の前二句。釈尊以前に既に七仏があるとの構想のもとに、その七仏共通の教えを七仏通誡偈とする。ということは、過去・現在・未来を通じ、また何処(どこ)にあっても普遍の真理であるとともに、仏教の内容を一言で言い表わす偈(げ=教義を伝える詩句)であるからだ。

諸の悪を作(な)すこと莫(な)くであって、「作す莫(なか)れ」の他からの命令ではない。同じく、「奉行(ぶぎょう)せよ」との他律ではない。ともに自分から進んで「悪をなさず、善を行う」というのである。

この偈のインドの原文は命令形でないが、なぜか中国の仏教学者が漢訳するにあたり、「諸の悪を作す莫れ、衆の善を奉行せよ」としたのが、そのまま日本に伝わった。命令形に訳した理由は明らかでないが、自分自身への命令と受けとめるべきであろう。それは「奉行」の熟語で明らかに知れる。

奉行は、上からの命を奉じて事務を行うのをいう。しかし、仏教用語では「奉加(ほうが)」と同じ内容で「仏に寄進する」意味である。自分の行為を、自分の意志でほとけさまに奉納するのが奉行である。善行を進んでして奉納するのだから、他律的であってはならない。宮本武蔵(1654年没)は、自著『独行道(どくぎょうどう)』で自分の短所を自戒して「世々の道に背(そむ)くことなし・恋慕の思なし」等、断言的にズバリと言い放つ。いずれも「背くなかれ・思うなかれ」の他律ではない。

中国唐代の道林(どうりん)禅師(824年没)は、つねに松の木の枝の上で坐禅をしていたので“鳥窠(ちょうか)禅師”とも言われた。詩人の白楽天(はくらくてん)が「危いぞ」と注意すると、禅師は「君の方が危い、君の心中に煩悩の火が燃えている」と。次に白楽天が「仏法の大意」を問う。禅師は、「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶつぎょう)」と答える。余りの常識的答弁に失望する彼を見て禅師は極める。「三歳の子どもでも知っているが、実行となると八十翁もむずかしい!」
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