電脳筆写『 心超臨界 』

人生最大の目的は人の役に立つこと
それがだめでも少なくとも人を傷つけてはならない
( ダライ・ラマ )

30年の重みと引き換えに正義を貫く――串岡弘昭さん

2024-07-10 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


串岡さんは1973年、運輸水増しなどの闇カルテルをやめるよう会社幹部に直訴。無視されたため74年7月、新聞社に情報提供した後、公正取引委員会にも告発しました。1975年、営業の現場から教育研修所への突然の異動。わずか3畳の小部屋に「隔離」されます。度重なる悔しさから「抗議のためにも会社を絶対に辞めない」と決意。58歳となる今でも、給料は手取りで20万円弱しかありません。結審直前の昨年11月、地裁は部長待遇と解決金支払いを約束した和解案を提示しましたけれど、「判決が出て、内部告発が社会で議論されなければ意味がない」と応じませんでした。


◆30年の重みと引き換えに正義を貫く――串岡弘昭さん
(2005年3月9日投稿)

関連ブログ: 串岡弘昭さん、30年間の報復に耐え「この日を待っていた」

トラック運輸業界の不正を内部告発したため約30年間、閑職に追いやられているとして「トナミ運輸」の会社員、串岡弘昭さんは、同社に謝罪と損害賠償を求めた訴訟を起こしました。

2月23日の判決で富山地裁は、「処遇は報復であり、人事権の裁量を逸脱する」「正当な内部告発は法的保護に値し、不利益な取り扱いをするのは違法」と串岡さんの主張を大筋で認め、同社に約1360万円の支払いを命じました。しかし、請求した謝罪文は認められなかったため、串岡さんは控訴する方針。

串岡さんは1973年、運輸水増しなどの闇カルテルをやめるよう会社幹部に直訴。無視されたため74年7月、新聞社に情報提供した後、公正取引委員会にも告発しました。

1975年、営業の現場から教育研修所への突然の異動。わずか3畳の小部屋に「隔離」されます。度重なる悔しさから「抗議のためにも会社を絶対に辞めない」と決意。58歳となる今でも、給料は手取りで20万円弱しかありません。

結審直前の昨年11月、地裁は部長待遇と解決金支払いを約束した和解案を提示しましたけれど、「判決が出て、内部告発が社会で議論されなければ意味がない」と応じませんでした。

相田みつをさんの作品の中に、「道」という詩があります。この道より他に我が歩む道はなし、と諦観したときの気高く尊い人間のこころを讃えたものです。



長い人生にはなあ
どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ
ならぬ道というものが
あるんだな
そんなときはその道を
黙って歩くことだな
愚痴や弱音を
吐かないでな
黙って歩くんだよ
ただ黙って
涙なんか見せちゃダメだぜ
そしてなあ
そのときなんだよ
人間としての
いのちの根が
ふかくなるのは

29歳で窓際族扱いを受けることになったとき、転職すれば一企業による不当な扱いから逃れることは可能でした。でも、選んだのは30年間の屈辱の道でした。いったい串岡さんのこころの底にあったものは何だったのでしょうか。

私は、「このままでは死に切れない」という気持ちだったのではないかと思います。利益優先の企業社会では、正義がねじ曲げられる。上司も同僚もそれを承知していながら、企業論理に従う。そうした風土はあたかも大河の流れのようであり、ゆっくりと十年一日のごとく変わることがないように見えます。

だから、串岡さんは「このまま私が引き下がったら、企業の不正を正すチャンスは二度とめぐってこない。後に続く人たちのためには何としても自分が立ち上がらなければならない」という気持ちに突き動かされたのではないでしょうか。

「死ぬときの気持ちを思って、今の自分の行動を律する」(*)という戒めがあります。人生の大半の時を過ごす企業生活のなかで、正義を貫いて生きるか、企業利益の前にはたとえ正義といえどもフタをするという生き方とでは、どちらが安心して死ねるかは明白です。

(*)関連ブログ:
人生最後の姿を念頭において今日一日を始める
5年後、10年後の自分が後悔することは?
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「難有り」を逆にすると「有... | トップ | 論語 《 子曰く、黙してこれ... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事