電脳筆写『 心超臨界 』

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それがだめでも少なくとも人を傷つけてはならない
( ダライ・ラマ )

人間学 《 百尺竿頭で手を放せ――伊藤肇 》

2024-08-06 | 03-自己・信念・努力
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師から「百尺の竿頭にのぼって、そこで手を放せ」といわれたときに「命あってのものだねですよ、手を放したら、落ちて死ぬじゃありませんか。死んだら、仏道も何もないでしょう」といって、師のいうことをきかない。そんなことでは仏道がわかるわけがない。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p182 )
第6章 原理原則の人間学

◆百尺竿頭で手を放せ

「瀉瓶(しゃびょう)」とう古語がある。「瀉」は「そそぐ」と訓(よ)むから、瓶(かめ)の中身をことごとくそそぎうつすことで、師が弟子に対して、その見解、その技法、その識見をあますところなく、うつして伝えてやることである。当然、そこには、教える者と教えられる者との魂が触れあって、閃光を発するような烈しさと深さとがある。

その「瀉瓶(しゃびょう)」のさまを宗教学者の紀野一義は次のように書いている。

「懐奘のような人が侍者になると、師匠の挙動を朝から晩まで見ているし、師匠の言葉は一言一句、全部覚えているから始末が悪い。だが、覚えていてくれたからこそ『随聞記』ができたのである。聞いたことを全部記憶していて整理してくれたのである。わたしどもが今読んでも、〈道元禅師はこういうようにいわれたのか〉と思うようにきちんと書いてある。師匠とトントンか、ある面ではそれ以上の者がいると、こういう立派なものができあがるのである。後世に記録が残っていないお坊さまは懐奘のようなすぐれた弟子がいなかったということである。懐奘がいたからこそ道元の最もいいところが後世につたわったのである。いい弟子をもつということは師匠にとってもしあわせなことである」

前にも触れたが『随聞記』にでてくる道元の言葉には曖昧な表現は一つもない。常に断定である。

  ● 主人いわく「霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる」と。よき
  人に近づけば、覚えざるによき人となるなり。

  ● 君子の力、牛に勝れりといえども、牛と争わず。われ法を知れ
  り。かれに勝(すぐ)れたりと思うとも、論じて人を掠(かす)め難ず
  べからず。もし、真実に学道の人ありて法を問わば、法を惜しむべ
  からず。ために開示すべし。しかあれども、三度(みたび)、問われ
  て一度答うべし。多言閑語することなかれ。

といったような調子で、快刀乱麻を断つ鋭さである。

さらに肺腑を抉(えぐ)り、心魂に徹する一言がある。

  ● また、身を惜しまずして「百尺竿頭にのぼりて、手足を放って
  一歩を進めよ」というときは、「命あってこそ仏道も学すべけれ」
  といいては、真実に知識に随順せざるなり。よくよく思量(しりょ
  う)すべきなり。

師から「百尺の竿頭にのぼって、そこで手を放せ」といわれたときに「命あってのものだねですよ、手を放したら、落ちて死ぬじゃありませんか。死んだら、仏道も何もないでしょう」といって、師のいうことをきかない。そんなことでは仏道がわかるわけがない。

何という厳しい言葉だろうか。

しかし、師たるもの、あやふやなことは一切いえないのである。

弟子から問われた時には「これはこうだ」と明確に裁断しなければならないのだ。鵜の毛でついたほどの曖昧さも許されないのだ。

そのためには、どうしても「決定(けつじょう)」が必要になってくる。仏道における原理原則を身につけ、一番最後のところで開き直ったものをもっていなくてはならないのである。それがない限り、道元のような言葉は絶対に発せられないだろう。
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