電脳筆写『 心超臨界 』

人生の逆境は、人の個性から最善を
引き出すために欠かせないものである
( アレクシス・カレル )

直江兼続が会津の葦名家の武将に軍事情報を伝えたとみられる「密状」を見つける――増田孝さん

2009-10-17 | 04-歴史・文化・社会
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会津の武将に軍事情報――東京の古書店から見つかる
【「知将・直江兼続の密状」09.10.14日経新聞(夕刊)】

戦国大名、上杉景勝の重臣でNHK大河ドラマ「天地人」の主人公となった武将、直江兼続が会津の葦名(あしな)家の武将に軍事情報を伝えたとみられる「密状」が、14日までに見つかった。戦乱の時代を生き抜いた知将兼続の実像が垣間見える貴重な資料として注目を集めそうだ。

研究者の間で存在は知られていたが、所在がわからなかった書状で、東京の古書店が長年保管していたものを愛知文教大副学長の増田孝教授らが確認した。増田教授は「兼続の書状が見つかることがまれな上、戦国武将の密状が出てくるのも珍しい」と話している。

「屋代者令逆心候(屋代という者がが謀反を起しました)」などと報告した内容で、上杉の家臣でありながら徳川家康に内通していた武将、屋代秀正を指したとみられる。兼続はこの後、屋代討伐に向っており、「まもなく出陣いたしますので、その際はよろしくお願いします」と葦名側に自軍の動きを伝える記述もあった。

密状は「卯月(4月)十三日 兼続」と末尾に記され、兼続の花押があった。増田教授によると「右筆」と呼ばれる秘書役に書かせた文章で、安土桃山時代の1584年に、良好な関係にあった会津(現福島県)の大名、葦名家の家臣にあてたものとみられる。上杉家は越後(現新潟県)の春日山城を拠点としていた。

当時、兼続は20代半ば。2年前に本能寺の変があり、豊臣秀吉が台頭する中で、景勝の腹心として各国の戦国大名としのぎを削っていた。

密状は文章に沿って縦に裁断された跡があり、掛け軸に張り合わされた形で見つかった。増田教授によると、秘密保持のため数片に切断して運び、読み手がつなぎ合わせた可能性があるという。

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直江兼続(1560~1619年)
安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した武将。初代米沢藩主、
上杉景勝の重臣で、景勝が徳川家康から謀反の疑いを掛けられた
際、「直江状」と呼ばれる反論文書を家康側に送った。文武両道
で知られ、治水などに力を注いで城下町米沢の基盤を築いた。
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