電脳筆写『 心超臨界 』

人生の逆境は、人の個性から最善を
引き出すために欠かせないものである
( アレクシス・カレル )

新政権にせいては事を仕損ずるという格言を進呈する――吉田春樹さん

2009-10-17 | 04-歴史・文化・社会
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せいては事を仕損じる――吉田春樹・吉田経済産業ラボ代表
【「十字路」09.10.14日経新聞(夕刊)】

新政権の精力的な仕事振りには敬意を表するが、一国民の立場から若干の疑問を呈したい。筆者はかねて教育や社会保障の充実を主張してきた。新政権とは大きな方向で一致している。しかし、そのために筆者が消費税率の早期引き上げを説いている点では、意見を異にする。

総選挙では、小選挙区比例代表並立制ということで政党間の議席数に得票数以上の大差がつき、画期的な政権交代が実現した。だが日本に革命があったわけではない。戦争に負けて政府が変わったわけでもない。そこで、国民の立場からは行政の一貫性をどう考えるかの疑問が生じる。

例えば総選挙前に正規の手順を経て成立した今年度補正予算は、その時点での民意を反映しているものである。価値観の相違はあろうとも、新政権に不要不急と決めつけられる筋合いのものではない。

現状の課税構造は国民の公平感覚の積み上げで築かれている。子供は社会の力で育てようという「子ども手当」には大賛成である。だが、それは国民全体の負担増に頼るべきだ。配偶者控除の廃止では、欲しくとも子供の産めない家庭の増税感が重過ぎる。

八ツ場ダムにしても経緯があって今日の姿があるので、マニフェスト(政権公約)に書いてあるから中止するでは筋が通らない。国民の立場からいえば、政府との約束事も政権が代わればほごにされるということになる。それでも法治国家といえるのか。

そもそもマニフェストというが、国民はその内容ひとつずつ賛否を示したわけではない。有権者としては政党を選ぶ道しかないのである。

例えば、温暖化ガスの25%という削減率は、専門的な話は割愛するが、欧米と比較しても格段に高い。ましてや生活者もまじえた国民の議論を経て決められたものでもない。それを早々に国際公約とは性急に過ぎないか。

新政権にせいては事を仕損ずるという格言を進呈する。

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