電脳筆写『 心超臨界 』

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( ソルジェニツイン )

不都合な真実 《 古畑鑑定——高山正之 》

2024-10-01 | 04-歴史・文化・社会
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実は彼への疑惑は早くから囁かれていた。それで再審になれば古畑鑑定という権威は崩れる。捏造がばれれば罪にもなる。文化勲章の権威も地に墜ちる。要するにただでは済まない。だから裁判官も検察官も、そして新聞記者も黙っていた。古畑教授は昭和50年に死去する。そしてこのあと古畑鑑定に絡む冤罪事件の再審がいっせいに始まった。50年代が冤罪ラッシュとなったというのは、決して偶然だけではなかったわけだ。


◆古畑鑑定に絡む冤罪事件

『歪曲報道』
( 高山正之、新潮社 (2015/11/28)、p152 )

2006年1月6日付各紙亡者(もうじゃ)欄に財田川事件の谷口繁義(しげよし)さんの名前があった。亡くなったのは昨年夏。享年74歳だったとある。

事件は戦後間もない頃起きた。香川県財田村のヤミ米ブローカーが殺され、地元の不良だった谷口さんが捕まった。死刑が確定してから20余年後にやっと再審が始まり、無罪を勝ち取った。

いわゆる冤罪事件の一つで、同じ頃に起きた島田事件、松山事件なども同じ昭和50年代に再審、そして無罪となっている。

徳島ラジオ商殺しや弘前大学教授夫人殺しなども、服役した人の無実が同じ時期に明らかにされた。昭和50年代はその意味でまさに冤罪ラッシュだった。

新聞は立て続けに明らかにされた冤罪の背景を「警察の見込み捜査、脅迫や暴行による自白の強要」と決め付けて、警察を悪者にした。

しかし冤罪を生んだ真の要因は別のところにあった。警察がどうのではなかった。

財田川事件でいえば、谷口さんの布団についていた微量の血を東大法医学部教室の古畑種基教授が殺されたブローカーの血と断定し、それが決め手となって彼の死刑が決まった。

ところが再審ではその血痕に疑惑があって新しい血がつけられた疑惑も浮上し、古畑鑑定が覆って無罪となった。

警察があとから証拠を操作したという警察悪人説もあるが、それを見抜くのが鑑定だろう。それなのに素人目にもおかしい血痕を古畑教授は別に怪しもうともしなかった。

それは古畑教授が無能だから、とも解釈できる。実際、同教授はあの国鉄総裁が轢死した下山事件の検死もやって、「下山総裁が暴行を受け、血を抜かれたうえ死後に轢断」と鑑定した。

つまり他殺説で、のちに松本清張がこの鑑定を信じ込んで『日本の黒い霧』を書く。

ところが他殺説の根拠になる暴行痕、実は事件の3年も前に三国人から受けた古傷だったと判明する。そんないい加減さだから死後轢断説も怪しくなり、おまけに目撃証言もあって、今では「GHQと国鉄労組の板ばさみからの自殺」を疑う者はない。

しかし「古畑は無能だった。谷口さんは不運だった」では済まないものがある。というのは彼が手掛けた丸山事件でも死刑判決の根拠になった血痕が押収時の数倍に増えていたり、同じく島田事件でも同教授が鑑定した凶器が被害者の傷と合致しなかったり。

彼が鑑定した弘前大学教授夫人殺しも、徳島ラジオ商殺しも、みなその鑑定が引っくり返って冤罪が明らかになっている。

となると、この教授が検察の思惑に乗っかって証拠を捏造した、あるいは捏造を黙認したという疑惑が当然ながら出てくる。

しかし彼は東大の偉い教授であり、いわゆるABO型の血液型を鑑定した世界的な権威であり、科学警察研究所長も務めた。昭和31年には文化勲章ももらっている。

実は彼への疑惑は早くから囁かれていた。それで再審になれば古畑鑑定という権威は崩れる。捏造がばれれば罪にもなる。文化勲章の権威も地に墜ちる。要するにただでは済まない。だから裁判官も検察官も、そして新聞記者も黙っていた。

古畑教授は昭和50年に死去する。そしてこのあと古畑鑑定に絡む冤罪事件の再審がいっせいに始まった。50年代が冤罪ラッシュとなったというのは、決して偶然だけではなかったわけだ。
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