電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
《自民党議員/党員必見!》『自民党総裁選候補者の人物評を西川京子前九州国際大学学長・元文科副大臣に訊く;水間政憲』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
( ウィキペディア )
あなたと彼との間に障害があればあるほど、あなたの心は燃え上がるでしょう。たとえば、彼が遠い所にいる場合、両親の反対が強い場合、情熱の炎は燃えます。仮りに彼に対する疑惑があれば、独占欲は増していきます。このように、苦しみや不安が情熱に注ぐ油となっていくのです。あなたと彼の間の距離が長ければ長いほど、あなたの彼に対する独占欲が満たされなければ満たされないほど、情熱は増すのです。不安が情熱を掻き立てるのです。
◆安定は情熱を殺し、不安は情熱を高める
『あなたの中の秘密のあなた』
( 遠藤周作、PHP研究所 (1991/11/15)、p34 )
まず、常識的なこととして、恋愛と結婚の違いについて述べておきましょう。
恋愛というのは、錯覚がなければ生じませんし、相手に対する誤解がなければ生じません。相手に対する錯覚、誤解の上に、恋愛というものは成立するのです。
というのは、恋愛を作り出すのは情熱だからです。愛情ではありません。
みなさんの恋愛を生み出すものは、男に対する愛情ではなくて、その人に対する情熱だと考えて下さい。(多くの書店に売られている恋愛論は、情熱と愛情を混同して書かれています)
では、情熱とは何でしょうか。
まず第一に、情熱とは、苦しければ苦しいほど燃え上がる炎であり、不安があればあるほど掻き立てられる火です。
たとえば、嫉妬心、独占欲、会いたいという気持ち、そういうものがあればあるほど、情熱は掻き立てられます。
あなたと彼との間に障害があればあるほど、あなたの心は燃え上がるでしょう。
たとえば、彼が遠い所にいる場合、両親の反対が強い場合、情熱の炎は燃えます。仮りに彼に対する疑惑があれば、独占欲は増していきます。このように、苦しみや不安が情熱に注ぐ油となっていくのです。
あなたと彼の間の距離が長ければ長いほど、あなたの彼に対する独占欲が満たされなければ満たされないほど、情熱は増すのです。不安が情熱を掻き立てるのです。
逆に、安定は情熱を消します。
もし苦しみがなくなり、両者の距離がなくなったなら、情熱は色あせ、燃え尽き、枯れてしまうでしょう。不安という水を注いでやれば、情熱はいきいきとします。しかし、不安という水を注いでやらず、放っておけば情熱は失せてしまいます。
フランスの小説家、マルセル・プルーストは、
「安定は情熱を殺し、不安は情熱を高める」
と言っています。皆さんが、恋愛小説として愛読された作品を思い返して下さい。いまわたしが言った原則を皆使っています。
なかなか会えない、障害があってなかなか結ばれることができない。あるいは、若い青年が人妻を愛する、その二人の間には夫という障害が介在していて、二人はすぐに結ばれることができない、といった仕組みになっているのです。
小説家は、そこに不安や障害を設定しているのであり、愛情の深さを設定しているのではありません。
恋愛小説は、情熱を書いたものであって、愛情を書いたものではありません。わたしがいままで読んだ小説の中で、愛情を書いた小説は十冊とないのです。ほとんどの小説は情熱しか書いていないのです。
さて、それでは、結婚生活とは何でしょうか。
それは安定した生活です。
二人の間に不安や障害はありません。
同じ屋根の下で、朝から晩まで顔を突き合わせるのですから、結婚生活の初めは不信感も生じませんし、よほどの事情がない限り嫉妬心が起こることもありません。情熱を掻き立てる余地がまったくないのです。
情熱が情熱として成立する条件が結婚生活にはないのです。
情熱の第二の特徴は、相手への錯覚から生じる、ということです。
フランスの有名な小説家スタンダールは、彼の『恋愛論』の中で、
「恋愛は結晶作用から成り立っている」
というふうに言っています。
これは、枯れ枝を塩の小山の中に埋めておくと、翌朝には、枯れ枝に塩が吹いて、まるで花が咲いたようになってしまう、恋愛作用もこれと同じだ、ということです。
相手の本当の姿を見ないで、相手を美化して見てしまう。俗に言う「アバタもえくぼ」です。相手が神経質だったら、それはデリケートであると受け止め、粗雑な人を美化して男らしいと思い込んだりするのです。
多かれ少なかれ、恋愛期間には、こうして相手を美化することで情熱が保たれているのです。また、相手が自分を美化したことに合わせるように、こちら側も背伸びをしたり、芝居を無意識にやっていたりします。
あなたがもし、恋人から優しい人と褒められたなら、あなたはずっと彼の前で優しいように装うでしょう。そして彼は、あなたの装い、芝居を信じるでしょう。恋愛は、相手を美化することで情熱を保っているのです。ひとつの錯覚、もしくは誤解が、情熱の中では約束ごとになっているということができます。
ところが、結婚生活の中では、どんなに錯覚しても美化してもメッキは剥げ、実態がはっきりしてくるのです。
朝から晩まで鼻を突き合わせているのですから、どんなに神経の細やかな男性だと理解しようとしても、結局は神経質な男だったと思い知らされてしまいますし、男らしい男だといくら思おうとしても、神経の粗雑な男だとわかってしまう、といった具合です。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
《自民党議員/党員必見!》『自民党総裁選候補者の人物評を西川京子前九州国際大学学長・元文科副大臣に訊く;水間政憲』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
( ウィキペディア )
あなたと彼との間に障害があればあるほど、あなたの心は燃え上がるでしょう。たとえば、彼が遠い所にいる場合、両親の反対が強い場合、情熱の炎は燃えます。仮りに彼に対する疑惑があれば、独占欲は増していきます。このように、苦しみや不安が情熱に注ぐ油となっていくのです。あなたと彼の間の距離が長ければ長いほど、あなたの彼に対する独占欲が満たされなければ満たされないほど、情熱は増すのです。不安が情熱を掻き立てるのです。
◆安定は情熱を殺し、不安は情熱を高める
『あなたの中の秘密のあなた』
( 遠藤周作、PHP研究所 (1991/11/15)、p34 )
まず、常識的なこととして、恋愛と結婚の違いについて述べておきましょう。
恋愛というのは、錯覚がなければ生じませんし、相手に対する誤解がなければ生じません。相手に対する錯覚、誤解の上に、恋愛というものは成立するのです。
というのは、恋愛を作り出すのは情熱だからです。愛情ではありません。
みなさんの恋愛を生み出すものは、男に対する愛情ではなくて、その人に対する情熱だと考えて下さい。(多くの書店に売られている恋愛論は、情熱と愛情を混同して書かれています)
では、情熱とは何でしょうか。
まず第一に、情熱とは、苦しければ苦しいほど燃え上がる炎であり、不安があればあるほど掻き立てられる火です。
たとえば、嫉妬心、独占欲、会いたいという気持ち、そういうものがあればあるほど、情熱は掻き立てられます。
あなたと彼との間に障害があればあるほど、あなたの心は燃え上がるでしょう。
たとえば、彼が遠い所にいる場合、両親の反対が強い場合、情熱の炎は燃えます。仮りに彼に対する疑惑があれば、独占欲は増していきます。このように、苦しみや不安が情熱に注ぐ油となっていくのです。
あなたと彼の間の距離が長ければ長いほど、あなたの彼に対する独占欲が満たされなければ満たされないほど、情熱は増すのです。不安が情熱を掻き立てるのです。
逆に、安定は情熱を消します。
もし苦しみがなくなり、両者の距離がなくなったなら、情熱は色あせ、燃え尽き、枯れてしまうでしょう。不安という水を注いでやれば、情熱はいきいきとします。しかし、不安という水を注いでやらず、放っておけば情熱は失せてしまいます。
フランスの小説家、マルセル・プルーストは、
「安定は情熱を殺し、不安は情熱を高める」
と言っています。皆さんが、恋愛小説として愛読された作品を思い返して下さい。いまわたしが言った原則を皆使っています。
なかなか会えない、障害があってなかなか結ばれることができない。あるいは、若い青年が人妻を愛する、その二人の間には夫という障害が介在していて、二人はすぐに結ばれることができない、といった仕組みになっているのです。
小説家は、そこに不安や障害を設定しているのであり、愛情の深さを設定しているのではありません。
恋愛小説は、情熱を書いたものであって、愛情を書いたものではありません。わたしがいままで読んだ小説の中で、愛情を書いた小説は十冊とないのです。ほとんどの小説は情熱しか書いていないのです。
さて、それでは、結婚生活とは何でしょうか。
それは安定した生活です。
二人の間に不安や障害はありません。
同じ屋根の下で、朝から晩まで顔を突き合わせるのですから、結婚生活の初めは不信感も生じませんし、よほどの事情がない限り嫉妬心が起こることもありません。情熱を掻き立てる余地がまったくないのです。
情熱が情熱として成立する条件が結婚生活にはないのです。
情熱の第二の特徴は、相手への錯覚から生じる、ということです。
フランスの有名な小説家スタンダールは、彼の『恋愛論』の中で、
「恋愛は結晶作用から成り立っている」
というふうに言っています。
これは、枯れ枝を塩の小山の中に埋めておくと、翌朝には、枯れ枝に塩が吹いて、まるで花が咲いたようになってしまう、恋愛作用もこれと同じだ、ということです。
相手の本当の姿を見ないで、相手を美化して見てしまう。俗に言う「アバタもえくぼ」です。相手が神経質だったら、それはデリケートであると受け止め、粗雑な人を美化して男らしいと思い込んだりするのです。
多かれ少なかれ、恋愛期間には、こうして相手を美化することで情熱が保たれているのです。また、相手が自分を美化したことに合わせるように、こちら側も背伸びをしたり、芝居を無意識にやっていたりします。
あなたがもし、恋人から優しい人と褒められたなら、あなたはずっと彼の前で優しいように装うでしょう。そして彼は、あなたの装い、芝居を信じるでしょう。恋愛は、相手を美化することで情熱を保っているのです。ひとつの錯覚、もしくは誤解が、情熱の中では約束ごとになっているということができます。
ところが、結婚生活の中では、どんなに錯覚しても美化してもメッキは剥げ、実態がはっきりしてくるのです。
朝から晩まで鼻を突き合わせているのですから、どんなに神経の細やかな男性だと理解しようとしても、結局は神経質な男だったと思い知らされてしまいますし、男らしい男だといくら思おうとしても、神経の粗雑な男だとわかってしまう、といった具合です。