電脳筆写『 心超臨界 』

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国民主権がいかに暴力的か知るべき――南出喜久治さん

2014-01-22 | 05-真相・背景・経緯
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【 渡部昇一&南出喜久治、ビジネス社 (2007/4/19)、p111 】

《 国民主権がいかに暴力的か知るべき 》

【南出】 実際のところ国体護持ということに国民はものすごい抵抗感があることを承知で、あえて僕は言っています。それはどうしてかというと、国民主権というものがいかに暴力的かということがよく分かっているからです。

例えば百人で構成される国家の中で、九十人が残りの異端の十人を殺してしまうという法律を作ったとしましょう。そこの国には憲法があるだろうけど、憲法も改正できるわけです。それで十人を抹殺することを容認する、これが国民主権です。それはルソー以来の考え方ですけれど、それができるのが国民主権でしょう。だから国民主権の怖さというのは、国民主権の名の下に、人が神となってそういう暴力が正当化されることがあるということです。イエスは、捕えられてユダヤのローマ総督であるピラトの前に引き出されました。ピラトはイエスに何の罪も認められず、しかも、ここでは死刑にすることは許されなかったのに、ユダヤ人の群衆に煽られてイエスを十字架刑という極刑にしました。「大衆の喝采」を正義としたのです。ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)にした「イエス殺しの思想」、これが民主主義の源流なのです。

【渡部】 だからパラドックスとして、国民の大量虐殺は、君主がある国では起こらないんです。君主はやはりそんな無茶はできない。だからバスティーユ牢獄をぶっ壊したけれども、そのときに中に入っていた政治犯は三人とか六人とか言われている。その程度のものなんです。君主が粛清できるのは。数人ですよ、必ず。

【南出】 占領憲法の改正論者の中に、改正はするけれど、例えば平和主義だとか国民主権主義だとか基本的人権の擁護とか、これを三本柱で「これは直せないんだ」ということを言っているんだけれど、そこを直していかないと本当の議論にはならないでしょう。

【渡部】 だから明治憲法の改正ならばわりとやりやすい、それがないから。

【南出】 国民主権というものが、今、娑婆にいる大人の人間だけですべてがきまるということで、祖先もなければ子孫もない、祖先が営々として築いてきたものを、どら息子が勝手に散財して放蕩して借金まで作って子孫に負担させる。これは我々の言葉で「人でなし」と言う。その「人でなし」を当然のことのように認めることが国民主権です。

国民主権は絶対的であり無謬的であり、何からも制約を受けないとするからです。しかし、我々はもっと謙虚にならないといけないし、もっと敬虔なものがあるはずです。それは祖先が営々と築いてきた文化総体であって、多数決の原理でいけば、死者の数に比べ今の娑婆にいる人間はごく少数なわけで、何十億か何百億か知らないけれど、祖先の意志に反することはできないんじゃないですか。

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