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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

論語 《 士は危きを見ては命を致し 》

2025-06-08 | 03-自己・信念・努力
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◆士は危きを見ては命(いのち)を致し


『現代語訳 論語』
( 宮崎市定、岩波書店 (2000/5/16)、p320 )
子張第十九(472~496)

472 子張曰。士見危致命。見得思義。祭思敬。喪思哀。其可已矣。

(訓) 子張(しちょう)曰く、士は危きを見ては命(いのち)を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ可なるのみ。

(新) 子張曰く、学徒たる者は、危険に際しては生命を投げ出すべきや否やを思い、利益ある時は取るべきか否かを思い、祭の際は敬虔の情を捧げんと思い、喪に望んでは哀を尽くさんことを思う。それができれば及第だ。

この章は、思義、思敬、思哀と、思を3回繰返すが、最初の見危致命、には思字がない。翻って考うるに、危険な際には、事の如何にかかわらず命を致すのは、儒教の本義ではない。ただ命を致すの覚悟は出来ているべきであって、それを実行する前にはやはり一度考えて見る必要があろう。そこで訳にはここにも思の字があるつもりで文を成した。
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