電脳筆写『 心超臨界 』

何もかもが逆境に思えるとき思い出すがいい
飛行機は順風ではなく逆風に向かって離陸することを
ヘンリー・フォード

日本という国は操の感覚をまるで失ってしまった――中西輝政さん

2008-12-14 | 04-歴史・文化・社会
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『日本の「死」』
【 中西輝政、文春文庫、p104 】

▼レイプ・オブ・瀋陽

日本はまさしく「レイプ」されたといってよいでしょう。世界が注視する中で、国家として最も重要な「操」=主権があからさまに踏みにじられ、外交的には「全面屈服」を強いられたからです。

今年(2002年)5月、瀋陽の日本総領事館に保護を求めた5名の亡命者の中国出国にも一切の関与を許されず、北京からマニラ、ソウルと彼らを乗せた飛行機は「日本の恥」をあざ笑うかのように飛び続けたのでした。これは将来必ず「レイプ・オブ・瀋陽」として長く記憶されねばならず、我々は今後の日中論争のあるゆる場面で、中国に謝罪を求め続けねばならないでしょう。主権侵害とは、即ち侵略に他ならないからです。同時に、この「レイプ」が我々にとって一層切ないのは「レイプだ!」と叫んだ瞬間に「同意があったんだ」と言い返され、衆人環視の中すっかり取り乱してしまったことです。日本という国は操の感覚をまるで失ってしまったかのようでした。

事件発生から10日ほどすると、福田康夫官房長官をはじめとして日本政府は、当初、国際法の原則に従って北朝鮮亡命者5人の身柄引渡しによる原状回復を求めていたのに、「人道上の解決を最優先させる」として第三国への早期移送をはかるとしました。これは明らかに、中国政府に対して日本政府がこの時点で完全に折れたことを意味します。なぜなら、外交において「最」という言葉を使うことは、他の選択肢を放棄することだからです。一方の中国側は出国について「日本には一切関与させない、中国は国内法に則って行う」と立場を全く変えないまま移送を強行したのですから、これは外交技術的に見ても、日本の全面的な敗北であり、世界もそう見たことでしょう。

まずは事件後の経過を外交技術の側面から分析します。

亡命者が連行された後、外交上のテクニックとして、日本政府はまず第三者の国際機関に関与を求める、あるいはその姿勢を示すべきでした。今回の事件は日本の「主権問題」と亡命者の「人道問題」の両方が絡んでいます。しかも5人の身柄は中国側にある。このようなときに二国間で交渉すれば、主権という国としてのメンツと人道上の配慮を両立させることは極めて困難です。しかし、国際機関に訴え出れば、「日本は国家の面子を優先させて亡命者の人権への配慮をなおざりにしている」という国際的な非難に遭うことなく、主権侵害の問題を公の場で世界にアピールできたのです。まず協力を求めるべき国際機関として、北京にもオフィスのある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が挙げられるます。UNHCRは日本からの要請をずっと待っていたところがあります。そのほかに国連本部の安全保障理事会に訴えることも考えられたはずです(そして中国に拒否権を使わざる得なくさせる)。また中国が一番恐れる国連人権委員会もある。さらに言えば、アムネスティ・インターナショナルのようなNGOに人道上のアピールをしながら、アメリカ議会や政権との非公式協議をちらつかせ、同時並行的に中国側と主権問題を議論する選択肢もあった。

このような手段をとり、紛争の「国際化」を図る姿勢を日本が示していたら、北京オリンピック開催とWTO加盟で「国際イメージ」の改善を当面の優先課題にしている中国は譲歩せざるを得なくなり、難民の人権保護に「日本が関与した」という形式をなるべく薄めつつも、事態を日本に対してもある程度、妥協的に片づけようとしたでしょう。しかしながら、この場合国際社会に対し、はっきりと日本が関与したという実績が残るので、実質的に今回のような日本の「全面屈服」にはならなかったはずです。ただその場合でも、「日本の主権が侵犯された」という核心的な事実は消えません。中国側の謝罪がとうしても不可欠だったのであり、これは今後も求め続けるべきです。

ところが、国際機関の介入という大事なオプションを、最初から日本政府と外務省は度外視し、日中二国間での交渉しか頭になかったのです。これはチャイナ・スクール的な「北京のいやがることはとにかく避けよう」という、従来型の対中姿勢がこの期に及んでもまだ残っていたからです。通常、2月のスペイン大使館への亡命でも、あるいは同じ5月に起きたアメリカ総領事館やカナダ大使館のそれでも、みな身柄はこちら(つまり在中国の外交公館)が握っており、握ったほうが当然イニシアチブを持つわけです。日本政府は、愚かにも中国に身柄を押さえられた後の段階で主権問題を持ち出しましたが、これではあの中国のことですから、難民を人質にして「謝罪を要求して解決を遅らせている日本は人道上の配慮に欠ける」と逆に批判されてしまい、最初から突っ張れないことはわかりきっていました。

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