電脳筆写『 心超臨界 』

何もかもが逆境に思えるとき思い出すがいい
飛行機は順風ではなく逆風に向かって離陸することを
ヘンリー・フォード

不都合な真実 《 ラッシュ・リンボー 》

2021-11-01 | 05-真相・背景・経緯
東京裁判史観(自虐史観)を払拭して本来の日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah
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《 緊急拡散希望 》
『「白票を取り消し「高市早苗」と記載しましょう◇最高裁判事❌印は「宇賀・三浦・草野」胡散臭い)』
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《 いま注目の論点 》
他国との友好関係を破壊する左翼たち――ケント・ギルバート
自国の防衛すら否定する左翼――ケント・ギルバート
「頑張れ、ブランドン!」の流行――ジェイソン・モーガン
衆院選争点 東京18区に縮図――阿比留瑠比
憲法改正を否定する憲法学者の致命的な誤り――ケント・ギルバート
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トークラジオの開祖にして最大のレジェンドがラッシュ・リンボー(1951-2021)である。長年草の根保守に強い影響力を持ち、草の根保守の感性を言葉にすることにおいて、比類なき才能を発揮した。2020年の大統領一般教書演説の場で、トランプが自由大統領勲章(米市民最高の栄誉とされる)をリンボーに授与すると発表し、メラニア夫人が隣席にいたリンボーの首に勲章を掛けたシーンに感動した保守派は多い。


◆草の根保守に強い影響力を持ったラッシュ・リンボー――島田洋一

『アメリカ解体』
【 島田洋一、ビジネス社 (2021/8/23)、p45 】

1980年代末以降、米保守派の間できわめて重要な意味を持ったメディアがトークラジオである。これはかなりの程度、アメリカ独特の現象と言えよう。明確に主流メディア情報支配に対する意図を持って生まれたものだった。

2020年秋、トランプ対バイデンの第2回大統領候補討論会が、進行方法をめぐる対立で流れた直後、トランプが代わりに発信の場に選んだのが、ラジオのラッシュ・リンボー・ショーおよびマーク・レヴィン・ショーだった(いずれも電話インタビュー形式)。保守派におけるトークラジオの位置づけが窺(うかが)えよう。

トークラジオの開祖にして最大のレジェンドがラッシュ・リンボー(1951-2021)である。長年草の根保守に強い影響力を持ち、草の根保守の感性を言葉にすることにおいて、比類なき才能を発揮した。

2020年の大統領一般教書演説の場で、トランプが自由大統領勲章(米市民最高の栄誉とされる)をリンボーに授与すると発表し、メラニア夫人が隣席にいたリンボーの首に勲章を掛けたシーンに感動した保守派は多い。

このときすでにリンボーは肺がんがステージ4まで進み、間近に迫った死を意識しつつ番組を続けている状態だった(前著『3年後に世界が中国を破滅させる』に、「黒人の命は大事」運動に関するリンボーの発言をかなり引用した。参照頂きたい)。

スポーツキャスターから出発し、トークラジオでブレークしたリンボーの発言は、草の根保守を通じて共和党の政治家に反響し、しばしば実際政治を動かした。

そのため進歩派メディアも、批判的形ではあるものの、リンボーにたびたび触れざるを得なかった。ちなみに、フェミニズム(女権拡張主義)とナチスを掛け合わせた「フェミナチ」もリンボーが広めた造語の一つである。

ラッシュ・ボーン・ショーは、ロナルド・レーガン政権が放送の規制緩和を進めたのを奇貨として、1988年にAMラジオを足場に誕生した。公正やバランスはラジオの世界全体として取ればよく、個々の番組は自由に構成してよいというのが「レーガン保守革命」の発想だった。

リンボーのショーは、基本的にゲストを呼ばず、モノローグ(一人語り)とリスナーのやり取りだけで、週5日、毎回3時間ずつ、30年以上続け、視聴者数ナンバーワンの座を譲らなかった。私もその歯に衣着せぬ弾丸トークを随分愛聴し、また愛読した(番組を文字に起こしたものが番組のウェブサイトに掲載された)。

よく通るバリトンの大きな声で、活舌よく、きわどいブラック・ユーモアを交えて進歩派を叩き、揶揄(やゆ)するリンボーの語りは、女性には眉をひそめる向きもあったものの、男性保守層には圧倒的に支持された。まさに「草の根保守のカリスマ」であった。

リンボーは、進歩派の武器である、真綿で首を締めるような「ポリティカル・コレクトネス」とも正面から闘い続けた(日本での略称はポリコレ。政治的正しさ。言葉狩りはその一面)。

この点トランプも、リンボーに大いに鼓舞され、影響を受けた1人である。この2人が特に「ポリコレ憲兵」すなわち進歩派メディアの標的とされたのも無理はない。

トランプとリンボーは、様々な問題で共鳴し合い、共闘してきた。トランプが2016年大統領選への出馬を表明し、ほとんどのメディアや識者が「冗談候補」ないし売名行為と切って捨てていた時期、リンボーは次のように解説していた。

「彼はアメリカの現状を本当に憂えている。オバマが進める国家解体はもちろん、共和党指導部の妥協体質に対し人々が覚える苛立(いらだ)ち、腹の底からの怒りを鮮やかに表現する能力を持っている。笑わせるのもうまい。彼は移民問題で、どの候補よりも踏み込んだ案を提示した。実にすっきりと分かりやすい内容だ」

トランプは、米国籍を取った移民の在外親族が優先的に合法移民となり得る現行法制を批判し、「われわれの福祉システムにただ乗りする者が、汗水垂らして働くアメリカ市民の負担を増やすことがあってはならない」と改廃を主張して、進歩派メディアから「差別的かつ無神経」と一斉攻撃を受けていた。リンボーはこのトランプ発言を「常識にかなったもの」と全面的に擁護している。

「識者」のほとんどがトランプを一過性の泡沫(ほうまつ)候補扱いする中、私はリンボーのこうした発言を聴くことで、トランプは有力候補として残るとの感触を得ることができた。

トランプ、リンボーの別の共闘の例も挙げておこう。

2018年8月15日、ホワイトハウスは、オバマ政権でCIA長官を務めたジョン・ブレナンの機密情報アクセス権を剥奪(はくだつ)すると発表した。ブレナンは、証拠も提示せずトランプとロシア情報機関との「結託」を断言調で語り、トランプを「国家反逆者」と罵倒(ばとう)するなど、不見識な発言を繰り返していたが、元情報機関の長の肩書があるため、「メディアのお気に入り」(media darling)となっていた。

ホワイトハウスの発表文には、「歴史的に、情報機関と法執行機関の元長官には、礼を尽くすためと当時に、その特別の洞察力を活かして後継者たちに助言できるよう、退任後も機密情報へのアクセスを認めてきた。しかしブレナンの虚言癖とますます錯乱の度を加える言動はこの特権を正当化できないものとした」と厳しい言葉が並んでいる。

このトランプの措置に、進歩派からは、「政敵を辱め、委縮させようという子供じみた行為」との批判が一斉に上がった。

一方、共和党の保守系議員からは、「そもそも元高官というだけで機密情報にアクセスできる状況がおかしい。議会では、長年情報委員会に属した議員でも退任後は何の特権も与えられない」と理解を示す発言が出ている。

リンボーはより露骨に、「正当に選出された大統領を倒そうと動き回るブレナンのような阿保(clown)が秘密情報に接してよいといったい法律のどこに書いてあるのか」とトランプの措置を全面的に支持した。ホワイトハウスにとっては力強い援軍となった。

リンボーを筆頭とするトークラジオ・ホストは新しい保守派の世代を育てる上でも功績があった。先に引いたブライトバート・ニュースの編集主幹のマーロウはこう述懐している。

「成長とともに、私は、両親が車の中で聴くトークラジオ・ホストたちの非常に理知的で明快な話と、普段メディアで読み、学校で教えられる話とのズレを強く感じ始めていた」

リンボーが番組を始めた当時、アメリカでもAMラジオは消えゆくメディアと見られていた。しかしリンボー・ショーの大成功を機に、AM自体、相当息を吹き返す。1人のスターの出現が旧媒体に新しい生命を与えたという点でも歴史的な現象だった。

以後、リンボーの驥尾(きび)に付して、政局を材に採ったトークラジオ番組が次々誕生していく。興味深いことに新聞、テレビとは逆に、この世界は一貫して保守派が優勢だった。進歩派の話は綺麗(きれい)ごとで退屈な上、わざわざラジオを聴きにいかなくても、新聞、テレビや大学、高校の授業で嫌というほど聞かされるからだろう。

いくつか進歩派のトークラジオも生まれたが、リスナーが付かず長続きしなかった。いまだに語り草になっているのがアレック・ボールドウィンのケースである。

ボールドウィンは、トムクランシー原作、ショーン・コネリー主演の名作『レッド・オクトーバーを追え』でCIA分析官ジャック・ライアン役を演じた他(これは良かった)、バラエティ番組におけるトランプの下手な物まねでも知られる有名俳優である。

ハリウッド映画界は、プロデューサーのほとんどが進歩派で占められ、「共和党員と分かると役がもらえない」と言われるほど左偏向が激しい。保守派は、ハリウッドのあるロサンジェルス一帯を指して、西海岸ならぬ左海岸(レフト・コースト)と呼ぶ。

多くの監督、俳優がブッシュ批判、トランプ批判を競う中、ボールドウィンもその目立った1人となった。

さて2006年5月に立ち上げたトークラジオの初回、ボールドウィンはしばらくモノローグを続けたのち、リスナーからの電話を受けて次の展開に入ろうとした。ところが、繰り返し電話番号をアナウンスしても誰も掛けてこない。スタジオ全体が凍り付き始めた頃、ようやく1人の女性から電話が入った。しかしそれは息子の窮状を見かねたボールドウィンの母親で、一層惨めさが増す結果になった――。
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