電脳筆写『 心超臨界 』

神はどこにでも存在するというわけにはいかない
そこで母をつくられた
( ユダヤのことわざ )

自分のための人生 《 自分の善意に“土足”で踏み込まれないために――ウエイン・W・ダイアー 》

2024-05-17 | 03-自己・信念・努力
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少しは時間がかかるだろうが、無理に自責の念を起こさせることはできないとわかれば、相手の態度も徐々に変わってくるだろう。こうしていったん自責の念をしりぞければ、あなたの感情が支配されることも、人に操られるおそれも永久になくなるだろう。


◆自分の善意に“土足”で踏み込まれないために

『自分のための人生』〈原題:Your Erroneous Zone(錯信帯)〉
( ウエイン・W・ダイアー/渡部昇一・訳、三笠書房 (2011/7/21)、p152 )

  過去のことを後悔したり、また将来のことに不安を抱いたりするこ
  とに時間をかけさえすれば、過去や未来のできごとを変えることが
  できる……そんなふうに信じる人がいるとしたら、私たちとは違う
  現実体系を持った別の惑星の住人に違いない。

5章 いつも“今”が最高のチャンス
3 自分の善意に“土足”で踏み込まれないために

自責の念を利用してあなたを操ろうとする人たちには、いくら失意をあらわされても、自分はそれに翻弄されたりしないということを思い知らせることだ。

母親が「お前がやらなかったから」とか、「椅子は私が持ってくるから、お前はそこにいていいよ」などと、自責の念を起こさせる態度に出たら、今までとは違う答え方をするのだ。

「いいよ、お母さん。ほんの2、3分待てなくて、たかが椅子のために腰を痛めてもいいって言うんなら、ぼくには、どうしようもないよ」

少しは時間がかかるだろうが、無理に自責の念を起こさせることはできないとわかれば、相手の態度も徐々に変わってくるだろう。こうしていったん自責の念をしりぞければ、あなたの感情が支配されることも、人に操られるおそれも永久になくなるだろう。

次にあげる会話は、私が指導しているカウンセリング・グループで役割を割り当てて演技してもらう場合の代表例である。ここでは、23歳の女性が家を出て独立したいという問題で母親(他のグループのメンバーが演じている)に立ち向かった。母親は思いつくかぎり、あの手この手を尽くして娘に自責の念を覚えさせ、家を出ていかせまいとした。

次の会話は、娘が母親をいかにして言い負かすか、1時間の指導を行なった成果である。

  娘:お母さん、私、家を出ようと思うの。

  母:そんなことになったら、私は心臓発作が起こってしまうよ。私
   の心臓の具合が悪いことぐらい知ってるでしょう。お前をどれだ
   け頼りにしているか、わかってるくせに。

  娘:お母さんは自分の健康が心配で、私がいなければ何もできない
   と思い込んでるのよ。

  母:当たり前よ。何も出来るわけがないですよ。ねえ、お前にはず
   うっとよくしてきてやったじゃないの。なのに今になってお母さ
   んを置いて出て行くって言うの。私にここで死ねって言うのね。
   お母さんのことをそんなふうにしか思っていないなら、さっさと
   出て行きなさい。

  娘:育ててもらったお返しに私はここにいなくちゃいけない。独立
   して生活しちゃいけない。お母さんはそう考えているんでしょう。

  母:(胸元を押さえて)ほらごらん、ひどい動悸がしてきた。この
   まま死ぬかもしれない。お前のせいだよ。お前のせいでお母さん
   は死ぬのよ。

  娘:死ぬなら、その前に言い残しておきたいことはないの。

この会話で、娘は、自責の念を起こさせようとする母親の態度をきっぱりとしりぞけた。この娘はそれまで文字どおりの奴隷であり、独立しようといくら努力しても、いつも自責の念を起こさせるような会話にぶつかっていた。

母親のほうは何としても娘を自分の支配下に置こうとしていたから、娘は新しい対処法を身につけるか、生涯、母親の奴隷となり自責の念にさいなまれて暮らすか、二つに一つだった。

娘の受け答えに注目してみよう。娘の言葉はどれを見ても、まず母親に向けられていて、母親の気持に対して責任があるのは母親自身であると述べている。「私はこう思う」と言う代わりに「お母さんはこう思っている」という言い方をしているので、自責の念を覚える可能性がうまい具合に最小限にくいとめられている。

私たちの文化に見られる自責の念とはこんなようなものである。つまり、他人を操る便利な道具、そして何の益もない時間のむだなのである。

一つの硬貨の表裏のように、不安も精神医学的見地からは自責の念と同じものである。ただ不安のほうはもっぱら、未来を対象とし、起こるかもしれない不幸に向けられているのである。
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