電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

悪魔の思想 《 “神のお告げ”となった運動方針書――谷沢永一 》

2024-10-19 | 04-歴史・文化・社会
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そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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この文書は、日本語訳にして1万字あまり、しかし、この文書がいったん日本に伝えられるや否や、わが国におけるすべての共産主義者および同調者はひとり残らず、ただちに平伏し礼拝せんばかりに丸暗記し拳々服膺(けんけんふくよう)しました。もちろん共産主義者ではない人たちは、こんな阿保陀羅経(あほだらきょう)を頭から問題にしませんでしたけれど、一方、たとえかすかにでも共産主義に近寄っていた人びとは、全員がこぞって神から与えられた聖典のように恭しく信仰しました。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p29 )
第1章 こんな国家に誰がした――今も続く、スターリンの呪縛
(3) 反日的日本人の聖典――「32年テーゼ」

◆“神のお告げ”となった運動方針書

「日本における情勢と日本共産党の任務についてのテーゼ」と題する文書をつくって、日本共産党に授けたのは国際共産党組織(コミンテルン)です。

ときに1932年4月でありましたから、以後、「32年テーゼ」と言いならわされるようになりました。テーゼとは、運動方針書、というほどの意味です。

この文書は、日本語訳にして1万字あまり、しかし、この文書がいったん日本に伝えられるや否や、わが国におけるすべての共産主義者および同調者はひとり残らず、ただちに平伏し礼拝せんばかりに丸暗記し拳々服膺(けんけんふくよう)しました。もちろん共産主義者ではない人たちは、こんな阿保陀羅経(あほだらきょう)を頭から問題にしませんでしたけれど、一方、たとえかすかにでも共産主義に近寄っていた人びとは、全員がこぞって神から与えられた聖典のように恭しく信仰しました。

それから数えて60年を超す今日に至るまで、わが国における左翼人であって、なおかつ「32年テーゼ」に多少とも批判の言辞(げんじ)を吐いた人はひとりもありません。たとえ一字一句でも、訂正の必要ありと申し立てた人はいないのです。それどころか、少しおかしいぞと、疑義を抱いた人もありません。

そもそも遠い外国で、日本の実状をよく知らない連中によって作成された文書に、誤りがあっても当然ではないかと、首をひねった人さえないのです。ひとり残らずの左翼が襟を正しておしいただきました。批判精神を発動した人なんか絶対に見あたりません。「32年テーゼ」は日本の左翼にとって神のお告げでありました。

そこではじまったのが、「32年テーゼ」に自分がいかに忠誠を誓っているかを誇る信仰競争です。左翼学者がこれこそ自分の使命であると痛感したのは、「32年テーゼ」を物差しに使って、日本近代史がいかに暗黒社会であるかと暴きたてる立論でした。近代日本は「32年テーゼ」が罵っているとおりに悪逆無道であったと非難し、それによって「32年テーゼ」が完全無欠に正しいと喚きたてる論証ごっこです。

「32年テーゼ」は、日本の左翼人にとって、絶対的な心の拠り所となりました。「32年テーゼ」と食いちがう議論をする者は、すべて邪教に迷う異端の輩(やから)です。「32年テーゼ」にぴったりの理論を組み立てる人こそ、真理に忠実な本当の学者と見なされます。

そのために費やされた精力(エネルギー)は莫大な量に達しました。正統を以ってみずから任じる学者たちが集まって共同執筆した『日本資本主義発達史講座』(昭和7年5月20日~8年8月26日・岩波書店)は、その集大成であり金字塔です。

すでに「27年テーゼ」が与えられていたのを土台とする“研究”を、「32年テーゼ」によって色揚げした苦心の作品なのですが、なんとまあその手廻しのいいこと、いや失礼、勤勉努力の真摯な探求ぶりには、思わず帽子(シャッポ)を脱がざるをえませんね。この『講座』の柱となった論文の集録である山田盛太郎(もりたろう)の『日本資本主義分析』(9年2月21日・岩波書店)は、左翼人の間において最高至上の教科書となりました。

この60数年間、わが国の左翼人、戦後の進歩的文化人、そして現代の反日的日本人、彼らが書きちらした近代日本についての“批判”は、すべて「32年テーゼ」が指示した方向を忠実に守っています。いろいろ手のこんだ理屈を並べてはいても、「32年テーゼ」をはみだした例はありません。彼らはひとり残らず「32年のテーゼ」の“奴隷”だったのです。
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