電脳筆写『 心超臨界 』

良い話し手になるゆいつの法則がある
それは聞くことを身につけること
( クリストファー・モーレー )

日本史 古代編 《 仏教入信後も変わらなかった天皇の存在――渡部昇一 》

2024-08-06 | 04-歴史・文化・社会
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天皇が仏教に帰依されたことは、国体が断絶したというふうにも解釈される。「いかにぞ国神(くにつかみ)にそむきて他神(あだしかみ)を敬(うやま)わん」と言った物部守屋や中臣勝海の主張は筋が通っていたし、神代以来の伝統を守ろうとする悲痛なひびきがある。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p152 )
2章 上代――「日本らしさ」現出の時代
――“異質の文化”を排除しない伝統は、この時代に確立した
(3) 用明(ようめい)天皇が果たした歴史的役割

◆仏教入信後も変わらなかった天皇の存在

敏達天皇が疫病で亡くなられると、その異母弟であり、また妃の同母兄である用明天皇が即位なさることになる。この天皇の御母(おんはは)は稲目の娘の堅塩姫(きたしひめ)で仏教信者であり、天皇もまた「仏法ヲ信ジ神道ヲ尊ブ」と『日本書紀』に書いてある。

つまり仏教が正式に日本に渡来したのは第二十九代欽明天皇の御代(みよ)であり、それが後宮に入ったのは第三十代敏達天皇の御代であり、天皇ご自身が信者になられたのは第三十一代用明天皇からである。

この用明天皇は、亡くなられる少し前に、仏教に帰依してもよいかどうかを群臣にはかっておられるが、そのときも物部(守屋(もりや))・中臣(勝海(かつみ))の二人は反対したが、この二人は蘇我馬子(そがのうまこ)のために滅ぼされてしまう。天皇の意志が仏を信ずることにあることが明らかになれば、国粋派の意気も上がらなかったのであろう。

このようにして天皇が仏教に帰依されたことは、国体が断絶したというふうにも解釈される。「いかにぞ国神(くにつかみ)にそむきて他神(あだしかみ)を敬(うやま)わん」と言った物部守屋や中臣勝海の主張は筋が通っていたし、神代以来の伝統を守ろうとする悲痛なひびきがある。

それは三島由紀夫が、「何とて天皇(すめらみこと)は人にならせ給(たま)いしぞ」と叫んだのと一脈通じていると言ってもよいであろう。この前の大戦において戦死した忠勇なる日本の将士は、天皇を神と信じ、その神聖性を守るために、草むす屍、水漬く屍となったのであった。それなのに天皇自らが神であることを否定なされたのでは、戦死者たちは浮かぶ瀬がないではないか、というのが三島の主張だったと思う。

しかし前に述べたように、天皇がカミでないと宣言されたのは、マッカーサーの言うゴッドでないという意味に解釈すれば――マッカーサーは確実にゴッドを意味していたはずである――それほどむきにならなくてもよかったのではないか、と考えられる。

同じように用明天皇の仏教入信は、今日の考え方からすれば、天皇の性格を一変したことであり、国体の断絶に見える。しかし実際は断絶しなかったのである。

たとえば、天皇は皇女酢香手姫(すかでひめ)を伊勢神宮に仕えまつらせた。

その皇女は、推古天皇の御代まで37年も伊勢に奉仕したと言われるが、皇女が伊勢に仕えることは、伊勢神宮の創立当時からそうだったわけである。つまり、天皇は仏教を信じても、日本のカミの祀りは絶やさなかった。

おそらくこのようなことを指して『日本書紀』は「天皇は仏の法を信(う)けたまい、神の道を尊びたもうた」と書き記したのであろう。

この場合の「神の道」の内容はかならずしも明らかでないが、アーネン・クルト(先祖崇拝)と解釈してよいと思う。
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