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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

どうだ! 調身、調息、調心の三拍子そろった立派な気功ではないか――帯津良一さん

2010-04-25 | 03-自己・信念・努力
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文藝春秋SPECIAL 2009 Autumn No.10 季刊秋号
【「賢者は歴史から学ぶ」、p166 】
江戸に学ぶ養生法――帯津良一・帯津三敬病院名誉院長

(その3):その2よりつづく

◆白隠慧鶴(1685―1768)

江戸中期の臨済宗の僧。駿河の松蔭寺(しょういんじ)を復興したほか多くの信者を集め、臨済宗中興の祖と称せられた。著書にも『遠羅天釜(おらてがま)』(1749)、『夜船閑話(やせんかんな)』(1757)、『延命十句観音経霊験記(えんめいじっくかんのんぎょうれいげんき)』などがある。

白隠さんといえば、なんといっても丹田呼吸である。厳しい修行の末の禅病と、当時としては難病中の難病である肺結核を克服するために自ら編み出した「内観(ないかん)の法」と「軟酥(なんそ)の法」こそ丹田呼吸法のルールにして、気功の原点といってもよいだろう。

当時、八光流(はっこうりゅう)柔術に勤(いそ)しんでいた私が、柔術の腕を上げるために調和道(ちょうわどう)丹田呼吸法の門を叩いたのはいつだったか。協会の本部は鶯谷にあり、会長は内科医にして歯科医の村木弘昌先生であった。

本部道場での村木会長の講話もよく聴いたが、臨済宗の名刹、谷中の全生庵(ぜんしょうあん)での清風仏教講座にもよく通ったものである。5月の昼下がり、青葉の忍び寄る静謐この上ない本堂の畳の感触と淡々とした村木会長の口調が鮮やかに蘇って来る。

その村木会長の話のなかにしばしば白隠さんが登場するのである。それもそのはず、明治の時代に真言宗の僧藤田零斎(れいさい)師によって創始された調和道丹田呼吸法は『夜船閑話』から生まれたものであるからだ。否応無く『夜船閑話』を繙(ひもと)くようになるというものである。

修行によって身体を毀(こわ)しがちな若い僧たちに、

  「我に仙人還丹(げんたん)の秘訣あり、你(なんじ)が輩(ともがら)
  試(こころ)みに是を修せよ、奇功を見ること、雲霧を披(ひら)いて
  皎日(こうじつ)を見るが如(ごと)けん」

とまずは内観の法をすすめる。内観の法とは、両脚を伸ばして仰臥位になり、息を吐きながら、臍輪気海(ざいりんきかい)、丹田腰脚(たんでんようきゃく)、足心(そくしん)の間に全身の元気を充たしめるのである。臍輪はへそ、気海は任脈の経穴で、へそ中央の下方1.5寸にある。丹田は生命を生み出す田んぼのことで、下腹部の空間。腰脚足心は腰から足先まで。ひとまとめにすれば「下半身」ということである。さらにその都度次のように観想(かんそう)するのである。

  「我が此の気海丹田、腰脚足心、総(そう)に是我が本来の面目、面
  目何の鼻孔かある。
  我が此の気海丹田、総に是我が本分の家郷(かきょう)、家郷何の消
  息かある。
  我が此の気海丹田、総に是我が唯心(ゆいしん)の浄土、浄土何の荘
  厳(しょうげん)かある。
  我が此の気海丹田、総に是我が己身(こしん)の弥陀(みだ)、弥陀何
  の法をか説く」

こうして繰り返していると、いつしか全身の元気が腰脚足心の間に充足して、下腹部がいまだ篠打(しのう)ちしない新しい鞠(まり)のように充実して来るという。

どうだ! 調身、調息、調心の三拍子そろった立派な気功ではないか。気功の効果といえば、吐く息に専念することによって自律神経のうちの副交感神経が優位になり自律神経のバランスが回復し、さらには血中のリンパ球が増えて免疫のはたらきが高まることだろう。また、吐く息でエントロピーを体外に捨て去ることによって体内の秩序が回復することを付け加えてもよいだろう。

修行の合間を縫って、内観の法に勤しむ若き修行僧たちの姿が目に見えるようではないか。ところがここで白隠さんが水をさすのである。

(その4へつづく)

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