電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
他人の夢の実現を手助けするのだ
そうすればあなたの夢も実現する
( レス・ブラウン )
Help others achieve their dreams
and you will achieve yours.
( Les Brown )
◆士気を鼓舞した「うみちゃんの手紙」
『自衛隊さん ありがとう』
( 井上和彦、双葉社 (2019/2/20)、p60 )
「すいません!」
4月6日、大川小学校近くの追波川河川運動公園に設けられた宿営地内を歩いていた第14戦車中隊(現・第15即応機動連隊の機動戦闘車隊)の石井宣広3等陸曹は、突如、背後から可愛い声に呼び止められた。
その声の主は小さな少女だった。ワンピースを着た少女は、振り向いた石井3曹にこう言った。
「これ、読んでださい……」
そして、石井3曹に封筒を手渡した少女は、名前も告げずに走り去っていった。
少女は、母親と思しき女性の運転する車でやって来て、偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙を渡したのである。
本部勤務だった石井3曹は、連絡幹部にこの手紙を渡したが、手紙の中身がどうしても気になって、およそ10分後にこの連絡幹部を再び訪ね、かわいらしい封書を手に取った。
そこには、覚えたてのたどたどしい文字でこう綴られていた。
じえいたいさんへ。
げん気ですか。
つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しん
でしまいました。でも、じえいたいさんががんばってくれているので、
わたしもがんばります。
日本をたすけてください。
いつもおうえんしています。
じえいたいさんありがとう。
うみより
石井3曹は感無量となり、込み上げるものを必死で堪えた。
「感動で胸がいっぱいになりました……。あの頃は発災から1カ月が経とうとしており、疲れも溜まっていたのですが、あの手紙で皆が勇気づけられ、『明日からも頑張るぞ!』と勇気が湧いてきました。そして、『自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ!』と改めて認識しました」
その後、この手紙は井上武陸将補の陣取る女川の第14旅団司令部の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わっていったのだった。
井上旅団長は言う。
「この手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。『よし、どんなことがあっても全員を探し出すぞ!』という思いが漲ってきましたよ。……うみちゃんは、どんな思いでこの手紙を書いてくれたんだろうと思うと……そう思うと……」
闘将・井上旅団長は声を詰まらせて、もうこれ以上は言葉にならなかった。
少女が自衛隊に寄せた「日本をたすけてください!」の切実な願いに全員が奮い立った。うみちゃんの手紙は壮絶な被災現場で奮闘する隊員たちを奮起せしめ武人の魂に火をつけたのである。
“待っていてくれよ! 今助け出してやるからな!”
隊員たちは、どんなことがあっても子どもたちをひとり残らず見つけ出す決意を胸に、瓦礫の中に分け入り、あるいはヘドロの中を血眼になって捜索した。ある者は自分の子供を思い浮かべ、またある者は涙を堪えながら、いまだ行方のわからね子供らを探し回ったのである。
中には、うみちゃんの手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。
東日本大震災から49日目にあたる2011年4月28日、飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。祭壇には74のかわいらしい児童の顔写真が並んでいた。
だがその間も、隊員たちは、うみちゃんの手紙を胸に、いまだ行方のわからない児童を探し続けていたのである。このうみちゃんの手紙は、敢然と困難に立ち向かう自衛隊隊員の労をねぎらってくださった天皇陛下のお言葉とともに、自衛官にとって最高の“勲章”だったに違いない。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
他人の夢の実現を手助けするのだ
そうすればあなたの夢も実現する
( レス・ブラウン )
Help others achieve their dreams
and you will achieve yours.
( Les Brown )
◆士気を鼓舞した「うみちゃんの手紙」
『自衛隊さん ありがとう』
( 井上和彦、双葉社 (2019/2/20)、p60 )
「すいません!」
4月6日、大川小学校近くの追波川河川運動公園に設けられた宿営地内を歩いていた第14戦車中隊(現・第15即応機動連隊の機動戦闘車隊)の石井宣広3等陸曹は、突如、背後から可愛い声に呼び止められた。
その声の主は小さな少女だった。ワンピースを着た少女は、振り向いた石井3曹にこう言った。
「これ、読んでださい……」
そして、石井3曹に封筒を手渡した少女は、名前も告げずに走り去っていった。
少女は、母親と思しき女性の運転する車でやって来て、偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙を渡したのである。
本部勤務だった石井3曹は、連絡幹部にこの手紙を渡したが、手紙の中身がどうしても気になって、およそ10分後にこの連絡幹部を再び訪ね、かわいらしい封書を手に取った。
そこには、覚えたてのたどたどしい文字でこう綴られていた。
じえいたいさんへ。
げん気ですか。
つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しん
でしまいました。でも、じえいたいさんががんばってくれているので、
わたしもがんばります。
日本をたすけてください。
いつもおうえんしています。
じえいたいさんありがとう。
うみより
石井3曹は感無量となり、込み上げるものを必死で堪えた。
「感動で胸がいっぱいになりました……。あの頃は発災から1カ月が経とうとしており、疲れも溜まっていたのですが、あの手紙で皆が勇気づけられ、『明日からも頑張るぞ!』と勇気が湧いてきました。そして、『自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ!』と改めて認識しました」
その後、この手紙は井上武陸将補の陣取る女川の第14旅団司令部の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わっていったのだった。
井上旅団長は言う。
「この手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。『よし、どんなことがあっても全員を探し出すぞ!』という思いが漲ってきましたよ。……うみちゃんは、どんな思いでこの手紙を書いてくれたんだろうと思うと……そう思うと……」
闘将・井上旅団長は声を詰まらせて、もうこれ以上は言葉にならなかった。
少女が自衛隊に寄せた「日本をたすけてください!」の切実な願いに全員が奮い立った。うみちゃんの手紙は壮絶な被災現場で奮闘する隊員たちを奮起せしめ武人の魂に火をつけたのである。
“待っていてくれよ! 今助け出してやるからな!”
隊員たちは、どんなことがあっても子どもたちをひとり残らず見つけ出す決意を胸に、瓦礫の中に分け入り、あるいはヘドロの中を血眼になって捜索した。ある者は自分の子供を思い浮かべ、またある者は涙を堪えながら、いまだ行方のわからね子供らを探し回ったのである。
中には、うみちゃんの手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。
東日本大震災から49日目にあたる2011年4月28日、飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。祭壇には74のかわいらしい児童の顔写真が並んでいた。
だがその間も、隊員たちは、うみちゃんの手紙を胸に、いまだ行方のわからない児童を探し続けていたのである。このうみちゃんの手紙は、敢然と困難に立ち向かう自衛隊隊員の労をねぎらってくださった天皇陛下のお言葉とともに、自衛官にとって最高の“勲章”だったに違いない。