電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

前の戦争は侵略戦争ではない――渡部昇一教授

2015-07-14 | 04-歴史・文化・社会
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連載第219回「歴史の教訓」渡部昇一・上智大学名誉教授
【『致知』 http://www.chichi.co.jp/2015年8月号、p131 】

米議会の演説で安倍首相は、前の戦争の惨禍(さんか)を述べ、その中で命を落とした人々を哀悼し、苦しみを味わった人々を思いやりました。これについて国会でもマスコミでも盛んに聞かれた批判は、日本が行った侵略戦争について、侵略した相手に対する謝罪の言葉が一言もなかった、ということです。侵略した相手とは、中国を意識しての批判です。

これこそ無知というものです。

そもそも、前の戦争が侵略戦争であると公式に規定されたことがあるのでしょうか。一つだけあります。

東京裁判は日本を侵略を行った極悪の国と規定し、悪の国日本を徹底的に断罪するために開かれたものでした。しかも連合国は全権を連合国軍総司令官のマッカーサーに委任し、裁判は国際法によらずマッカーサー条例によって行われました。だから、東京裁判はマッカーサー裁判と呼ぶのがむしろ正確である、とさえ言えます。

この裁判では、多くの証言や証拠を精査しても、シナ代陸での戦争は日本が始めたとは認定できなかったことを、まず知っておかなければなりません。

そして朝鮮戦争が勃発し、国境を越えてシナ大陸を攻撃することを主張したマッカーサーは、総司令官を解任されます。

帰国した真っマッカーサーは、米議会で最も権威のある上院軍事・外交合同委員会に召喚されました。そこで、マッカーサーははっきりとこう証言したのです。

「日本が戦争に入っていったのは、主として自衛のためであった」

日本を侵略国と決めつけて断罪する裁判を行った当人が、多くの証言や証拠に基づいて、前の戦争は侵略戦争ではなかった、自衛のための戦争だったと認定した、ということです。

自国を防衛するために戦って、なぜ謝罪しなければならないのか。無知に基づく批判は、滑稽でしかありません。

私はこの話をさまざまな機会に述べています。本欄でも繰り返してきました。読者の中には、またか、と思われた方も多いことでしょう。

ところが、政治や外交の専門家の間でさえもこの話は意外に知られていないのです。そして、私が馬鹿の一つ覚えのように繰り返しても、さっぱり広がっていかないのは不思議なことです。この話が広がると困る勢力があって、抑えにかかっているかのようのです。

無知はものごとを誤る元です。事実をきちんと知れば、すべてがすっきりと見え、何をどうすればいいのかも明確になるはずです。

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