電脳筆写『 心超臨界 』

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( C・S・ルイス )

◆パール判事の日本無罪論 《 裁判という名の狂言 》

2024-06-02 | 心が臨界質量を超える
§4 東京裁判――日本に犯罪国家の烙印を押すために演じられた政治ショー
◆パール判事の日本無罪論 《 裁判という名の狂言 》


重複部分を切り捨てて、一主役一舞台に整理してみると、つぎのようになる。松井――中国、木村――ビルマ、板垣――シンガポール(イギリス)、武藤――バターン(フィリピン)、東条――真珠湾(アメリカ)、土肥原――満洲、広田――ソ連。「なんのことはない。これら7被告の首は、初めから米、英、中、ソ、比などへ割りあてられていたのだ。もし、7人の誰かが、松岡や永野のように、裁判の途中で死亡したりすれば、つまり配給の予定に狂いが生ずれば、彼らはたちまち代替品を充当したであろう。被告の数は多かったし、理屈はどのようにでもこじつけられたのだから……」(植松慶太)


08 裁判という名の狂言

『パール判事の日本無罪論』
( 田中正明、小学館 (2001/10/5)、p201 )

東京裁判の起訴事実は、3類55訴因であることは前述した。これが多数意見の判決によると、「われわれは個々の被害に対する起訴事実は、つぎの訴因だけについて考慮しようとするものである」として、第1、第27、第29、第31、第32、第33、第35、第36、第54、第55の10の訴因のみを取り上げている。つまり、55の訴因は、むやみやたらと、被告たちに多くの罪を押しかぶせるため、あることないことを全部罪状として数えあげたのであるが、つまるところは、ただの10しか生かすことができなくなったのである。

もっとも広範囲に該当させられているのは訴因第1で、これからまぬがれたのは、松井と重光の両被告のみである。その訴因第1というのは、東南アジアや西南太平洋、およびインド洋の島々を日本の支配下に置こうとする共同謀議の立案、および実行ということで、「どの時期にあっても、この犯罪的共同謀議に参加、または加担したものは、すべて訴因第1に含まれた起訴事実について有罪と認める」として、時間的な制限は考慮していない。これで松井、重光を除いて、他の23名を一網打尽にしたのである。

「この時期というのが、昭和3年1月1日から20年9月1日まで、そして参加だけではなく加担した者まで含まれるのだから、この期間中における日本の指導階級なるものは、片端から有罪者とすることができるわけで、ただの25名とは、皮肉をいえば、まことに少なすぎる数であり、松井と重光がこれから外されているのも不思議みたいなものである。
 ともかく、認定はこのようにして、各訴因について制限したり、全く除外したり、またはそのまま採用したりすることであり、第十章の判定は、かくて生かされた10項目の訴因のどれどれに、どのように該当するかを、25名の被告側個々について判定するものである」(植松慶太著『極東国際軍事裁判』271ぺージ)

『東京裁判をさばく』の著者滝川政次郎博士は、東京裁判を“芝居”であったと決めつけ、「その脚本はニュルンベルグ裁判の脚本そのままの引き写しであった」。そして、「脚本の主題は報復」、「脚本の色調は、人種的偏見」であったとし、「花形役者」の項でつぎのように述べている。

「巣鴨拘置所に収容された数百人のいわゆるA級戦犯容疑者のうちには、われわれ日本人の眼から見れば、現に起訴された28名の人たちよりも、極東国際軍事裁判所の条例に照らして、もっと情状の重い者が多数いる。検察官がそれらの人びとを起訴せずして、この20数名のみを起訴したことは、東京裁判が裁判であると考えるから解し難いが、東京裁判が芝居であることがわかれば、いかにも成るほど、とうなずける。舞台にのぼる俳優は、実績のある者よりも、人気のある者を選ばねばならない。巣鴨に拘置した数百名の戦犯の中から、検察官がこの被告たちを選び出した標準は、犯罪の有無軽重にあらずして、東京裁判の舞台にのぼらせたときのスター・バリューである。東京裁判劇のテーマは、前に述べたように、復讐にあるのであるから、舞台に登場する人物は連合国民の復讐心を満足せしめる底(てい)の人物でなければならない。いかに実質的に戦争に協力した男であっても、それが連合国民に名を知られていないような男であっては、これを処刑してみたところで、連合国民の復讐心は満足されない。反対に、戦争や残虐行為に実際になんの関係もなかった男でも、連合国民にその名が知られている有名な日本人は、これを起訴して、舞台にのぼす価値がある」(滝川政次郎著『東京裁判をさばく』47ページ)

いかにも奇抜な発言のようであるが、実はこれは処刑の基準についてもいえそうである。

たとえば、同じ中支に派遣された松井と畑の場合、松井は訴因第55ただ1つだけが有罪と判定されて絞首刑となり、畑は訴因第1、第27、第29、第31、第32、第55の6つが有罪と判定されたが、刑は終身禁固である。広田は10の訴因のうちわずか3つが有罪とされ絞首刑になったが、同じ文官の木戸や賀屋は5つの訴因で終身禁固、東郷は同じく5つの訴因で禁固20年、重光は6つの訴因で禁固7年、大島はただ1つの訴因が有罪と決まっただけで終身禁固……といったように、いったい何の基準をもってその罪量を決めたのか、さっぱりわからない。

およそ、あらゆる刑罰には基準があり、それが明文化されていて、裁判官はそれに準拠して判決を下すのが文明国の裁判というものであるが、東京裁判にはその基準たるべきものが初めから何もない。つまり、刑量をはかる尺度がないため、判事たちは目分量で決めるよりほかなかったのである。感情で裁いたのか、それともあらかじめ刑量を決めておいて、あとからそれに結びつけた、としか思われない。

これに関して、荒木被告を担当した菅原裕弁護人はつぎのように書いている。

「本判決は11人の判事全員の一致した結論ではなくして、いわゆる7人組(それぞれ単独の意見を発表したインド、フランス、オランダ、オーストラリアの各判事を除いた7人の判事)の手によってなされた多数判決にすぎない。……
 判決は英文で堂々1212頁にわたるもので、日子(にっし)を費やすこと3年、5万頁におよぶ裁判記録の結論としては一見まことにふさわしい見事なものである。しかし詳細に検討すれば、実に奇妙な判決文である。広田弘毅は軍事参議官(現役の陸海軍大・中将に限る)になっており、荒木貞夫は国家総動員審議会総裁(総理大臣の兼任職)になっている。……
 国家総動員審議会総裁は総理大臣の当然兼任すべきもので、初代の総裁は東条総理であったことを証拠調べの際とくに注意し、検事もそれは、荒木が文部大臣時代の国民精神総動員委員長の誤りであることを認め、裁判長もこれを了承したところであった。しかるに肝心の判決文には、依然として国家総動員審議会総裁になっているのである。
 多数派判事は、この用意された判決原案を検討したり、修正したりすることもなく、広田軍事参議官や、荒木総理大臣のまま、いい渡したのではあるまいか。もし連合国側において、これを否定するならば、法廷において訂正され、記録にのっている事項が、依然としてそのまま判決文にのっている奇怪な事情を釈明すべき義務があると信じる」(菅原裕著『東京裁判の正体』156~157ページ)

あらかじめつくられている青写真について、刑量を決めたのではないかという疑問を菅原弁護人はさらに具体的ないくつかの例をあげて指摘している。

これに対して前記の植松慶太氏も同感の意を表し、つぎのように推理している。

「なるほど、そういわれてみると、前記したように奇怪にして混沌(こんとん)たる判決の中に、一つだけ一貫しているところがある。それは、これら7被告(絞首刑になった7人)はすべて、訴因第54と55(両方とも残虐行為関係)の双方か、あるいはどちらかの1つで、有罪とされているということだ。
 重複部分を切り捨てて、一主役一舞台に整理してみると、つぎのようになる。
 松井――中国、木村――ビルマ、板垣――シンガポール(イギリス)、武藤――バターン(フィリピン)、東条――真珠湾(アメリカ)、土肥原――満洲、広田――ソ連。
 なんのことはない。これら7被告の首は、初めから米、英、中、ソ、比などへ割りあてられていたのだ。もし、7人の誰かが、松岡や永野のように、裁判の途中で死亡したりすれば、つまり配給の予定に狂いが生ずれば、彼らはたちまち代替品を充当したであろう。被告の数は多かったし、理屈はどのようにでもこじつけられたのだから……」
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