自分自身に貼るレッテルをつくり出すのは個々人の経歴である。しかし過去とは、カール・サンドバーグが『大草原(プレーリー)』に書いているように、バケツ一杯の灰なのである。 . . . 本文を読む
友人の選択とつきあい方についてはすでにいろいろな書物に書かれているので、私は簡単にふれるだけにしたい。誰にも単なる知人よりはずっと親しい間柄の友人が何人かは必要だし、またそういう友人ができるものだ。友人をつくる場合、特にむずかしいことが2点ある。第1点は、本物の友人を得ることのむずかしさであり、第2点は、その友人と交友を続けることのむずかしさである。そして後者のほうがずっとむずかしい。
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実際、時間を浪費していては精神の中に有害な雑草がはびこるばかりだ。何も考えない頭は悪魔の仕事場となり、怠け者は悪魔が頭を横たえる枕となってしまう。忙しく活動しているのは他人に空き家を貸しているのと同じで、逆にブラブラ怠けているのは空き家をカラッポにしておくようなものだ。 . . . 本文を読む
この大自然は、山あり川あり海ありだが、すべてはチャンと何ものかの力によって設営されている。そして、その中に住む生物は、鳥は鳥、犬は犬、人間は人間と、これまたいわば運命的に設定されてしまっている。これは是非善悪以前の問題で、よいわるいを越えて、そのように運命づけられているのである。 . . . 本文を読む
悲しいことやつらいことがあったとき、すぐ悲しんで、つらがってちゃいけないんだよ。そいうことがあったとき、すぐに心に思わしめねばならないことがあるんだ。それは何だというと、すべての消極的な出来事は、我々の心の状態が積極的になると、もう人間に敵対する力がなくなってくるものだということなんだ。 . . . 本文を読む
その詩を一読して、私はおどろいた。心底からおどろいた。なぜかというと、その詩は“生者”ではなく、“死者”が書いた詩だったからだ。追悼文とはその名の通り、あとに残された人々が死者を偲(しの)んでつづる“天国へ送る手紙”であろう。ところがこの詩は、死者が天国で書いて“天国から送り届けてきた返辞”ともいうべき内容なのである。
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塩梅は読んで字のとおり、塩からさと酸っぱさとのバランス(安配)が取れて、はじめて美味となるのです。砂糖に少し塩味を利かすと、不思議なことに砂糖だけのときよりも甘味が増します。このようにある調味料(この場合は塩)をほんの少々(この場合、砂糖に)加えることによって、全体の味をより美味に引き出す調理法を“隠し味”と呼んでいます。隠し味とは、まことに味のある呼び名ではありませんか。 . . . 本文を読む
花も蝶も、無心の随縁のままに精いっぱい生きている。無心とは、いわゆる心なきことでもなければ、たんなる無邪気でもない。物をねだることでもなければ、いわゆる妄念を去ることでもない。また、言動をつくろわぬということでもない。自然(じねん)のままである。自然とは、因縁の法則のままに生き、生かされ、因縁の出会いを生かす生き方をいう。 . . . 本文を読む
達巷(たっこう)の党人曰く、大なるかな孔子。博学にして名を成すところなし、と。子これを聞き、門弟子に謂いて曰く、吾、何れを執(と)らん。御(ぎょ)を執らんか、射(しゃ)を執らんか。吾は御を執るものなり。 . . . 本文を読む
スタットラーの成功は徹頭徹尾「お客様にどんなふうにサービスすれば満足してもらえるか」という研究をしたことにあったといわれる。彼は年中ホテルの従業員に対して、お客の待遇法を教え、熱心に訓練した。
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人は歳をとったからといって遊ぶことを止めない 人は遊ぶことを止めるから齢をとるのだ ( ジョージ・バーナード・ショー ) We don't stop playing because we grow old; we grow old because we stop playing. ( George Bernard Shaw ) . . . 本文を読む