電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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人は歳をとったからといって遊ぶことを止めない
人は遊ぶことを止めるから齢をとるのだ
( ジョージ・バーナード・ショー )
We don't stop playing because we grow old;
we grow old because we stop playing.
( George Bernard Shaw )
◆この世で、誰も時間に追いつくことなぞ出来はしない
『老いてこそ人生』
( 石原慎太郎、幻冬舎 (2003/07)、p23 )
この世で、誰も時間に追いつくことなぞ出来はしない。
人間の人生、つまり「存在」を洗って流れる時間を神様といえども堰止(せきと)めることなど出来はしません。
「時間」は「存在」を証す「存在」の落とす影なのだから、人間にとって「存在」の同義語の「人生」を証し出す時間の流れ無しの、時間を意識することなしでの、人生など在りはしません。
昔、越路吹雪(こしじふぶき)のスタンダードナンバーに「人生は過ぎゆく(ラ・ヴィ・サン・ヴァ)」という歌があった。ルフランのフレイズは、
『人生は過ぎゆく 恋も去りゆく
ラ・ヴィ・サン・ヴァ
ラ・ヴィ・サン・ヴァ
( 中略 )
どうしよう 去りゆく 助けて!』
という文句だった。
その最後の最後の「助けて!」、というのがまさに殺し文句だった。
この歌の味わいは年齢を重ねれば重ねるほどよくわかります。
過ぎていく時間がなんで年をとればとるほど速く感じられるのだろうか、本当に不思議なものだ。
子供の頃いろいろなことをして遊びながら過ごした一日のなんと満ち足りて長かったことか。それに比べて今では、その日さしたる仕事もせずほとんど無為に過ごしたのに、そんな一日がなんと速く過ぎてしまうことだろう。一日どころか一年とて同じことだ。子供の頃学んだ、
『少年老い易(やす)く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未(いま)だ醒(さ)めず池塘(ちとう)春草の夢
階前の梧葉(ごよう) 已(すで)に秋声』
という有名な漢詩の実感が年を重ねるごとにひしひしとして在ります。
しかしそれは越路吹雪のシャンソンのように、ただただの焦燥感というよりも、負け惜しみではなしに、もっとしみじみした味わいのいいものでもある。
いつか誰かが、子供の頃と年とってからの時間の経過の速度の時間の差についてこんな解釈をしてみせていました。
時間の流れの速度に違いのありようはずはない。一時間は一時間、一年はあくまでも一年。つまり時はいつも同じ速度で流れてはいる川のようなものだが、その川のほとりを流れに沿って歩いていく人間の歩みの速度は年とともに肉体が老化してだんだん遅くなっていき、遅くなっていく歩みの速度と川の流れの速度の相対的な差からして、同じように歩いているつもりの人間にとっては、川の流れがにわかに速くなったような気がするのだと。
なかなかうがった、うまいたとえようだと思う。
なるほど人間は大人になり、社会的な経験を積めば積むほどさまざまな責任や義理にも駆られてせわしなく生きるようにはなるが、その一方、当人の肉体は老化し衰えていって歩速が落ち、人生を洗って過ぎる時間の流れと同じ速度では歩きにくくなるということか。つまり子供の頃には無意識に、むしろ時間の流れよりも速く歩いていたということです。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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人は歳をとったからといって遊ぶことを止めない
人は遊ぶことを止めるから齢をとるのだ
( ジョージ・バーナード・ショー )
We don't stop playing because we grow old;
we grow old because we stop playing.
( George Bernard Shaw )
◆この世で、誰も時間に追いつくことなぞ出来はしない
『老いてこそ人生』
( 石原慎太郎、幻冬舎 (2003/07)、p23 )
この世で、誰も時間に追いつくことなぞ出来はしない。
人間の人生、つまり「存在」を洗って流れる時間を神様といえども堰止(せきと)めることなど出来はしません。
「時間」は「存在」を証す「存在」の落とす影なのだから、人間にとって「存在」の同義語の「人生」を証し出す時間の流れ無しの、時間を意識することなしでの、人生など在りはしません。
昔、越路吹雪(こしじふぶき)のスタンダードナンバーに「人生は過ぎゆく(ラ・ヴィ・サン・ヴァ)」という歌があった。ルフランのフレイズは、
『人生は過ぎゆく 恋も去りゆく
ラ・ヴィ・サン・ヴァ
ラ・ヴィ・サン・ヴァ
( 中略 )
どうしよう 去りゆく 助けて!』
という文句だった。
その最後の最後の「助けて!」、というのがまさに殺し文句だった。
この歌の味わいは年齢を重ねれば重ねるほどよくわかります。
過ぎていく時間がなんで年をとればとるほど速く感じられるのだろうか、本当に不思議なものだ。
子供の頃いろいろなことをして遊びながら過ごした一日のなんと満ち足りて長かったことか。それに比べて今では、その日さしたる仕事もせずほとんど無為に過ごしたのに、そんな一日がなんと速く過ぎてしまうことだろう。一日どころか一年とて同じことだ。子供の頃学んだ、
『少年老い易(やす)く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未(いま)だ醒(さ)めず池塘(ちとう)春草の夢
階前の梧葉(ごよう) 已(すで)に秋声』
という有名な漢詩の実感が年を重ねるごとにひしひしとして在ります。
しかしそれは越路吹雪のシャンソンのように、ただただの焦燥感というよりも、負け惜しみではなしに、もっとしみじみした味わいのいいものでもある。
いつか誰かが、子供の頃と年とってからの時間の経過の速度の時間の差についてこんな解釈をしてみせていました。
時間の流れの速度に違いのありようはずはない。一時間は一時間、一年はあくまでも一年。つまり時はいつも同じ速度で流れてはいる川のようなものだが、その川のほとりを流れに沿って歩いていく人間の歩みの速度は年とともに肉体が老化してだんだん遅くなっていき、遅くなっていく歩みの速度と川の流れの速度の相対的な差からして、同じように歩いているつもりの人間にとっては、川の流れがにわかに速くなったような気がするのだと。
なかなかうがった、うまいたとえようだと思う。
なるほど人間は大人になり、社会的な経験を積めば積むほどさまざまな責任や義理にも駆られてせわしなく生きるようにはなるが、その一方、当人の肉体は老化し衰えていって歩速が落ち、人生を洗って過ぎる時間の流れと同じ速度では歩きにくくなるということか。つまり子供の頃には無意識に、むしろ時間の流れよりも速く歩いていたということです。