先日の日曜日、またまたダーリンの民商の活動のお手伝いで今度は大垣市に行きました。
大垣市の駅前の商店街を回って、消費税増税反対の署名をもらうためです。
そして、あわよくば“民主商工会”の存在を知ってもらい、関心をもってもらう、と。
大垣市とは、松尾芭蕉の「奥の細道」の終点地点です。
記念の碑がある場所もあります。
ま、そんなことで歴史を感じさせる情緒あふれる街なわけです。
私も数年前に行ったことしかありませんが、あれは夏でした。駅前の商店街をぶらぶらしていると、和菓子屋さんの店頭で、ちょろちょろと水を流しながら、水まんじゅうを売っていました。
その涼しげな風情に惹かれ、ふと1個ほおばりたくなりました。
「あの・・ すみません。ひとつ下さい。今、食べます。」と言うと、「あいよ。手ぇ出しな。」と言って、ひしゃくのようなもので水まんじゅうをすくい、ひょいと私の手にのせてくれました。
私はその、80%以上は水でできているのではないか、というほどの柔らかいお菓子をフルフルと手の上でゆらせて、まるで卵の黄身をすするようにずるっと一口で食べたのでした。
そのとき、頭では(1個下さい、と言ってその人の手のひらに直接載せる、っていう売り方について、衛生面を重んじる人や、若い人のなかには感覚的に許せない、っていう人もいるかもしれないな。)と思いました。
でも、もちろん、そのお店ではお客にそんなことを言われたこともないでしょう。
ニコニコしながら店主は「どうだ。おいしいだろ?」と言いました。
「ええ。」と私もニコニコしながら、その流れる水で手を洗わせてもらいながら答えました。
大垣はそんな古き良き商人の町、という印象だったのです。
しかし、久しぶりに行ってみて、びっくりしました。
それぞれのお店がそれぞれのペースで商売している、という感じで適度に賑わいを見せていた街は、ただひっそりと寂れたようになっていました。
店の扉を開けると一応開くけれど、やっているのかやっていないのか、お店の人がいるのかいないのか、よくわからないような商店を1軒ずつ回ると、どこも年寄りばかり。
「こんにちは~」と大きな声で呼ぶと、奥のほうから「はぁ~い。」という声がして、その家の人があらわれる様子をみていると、とりあえず店は開けているけれど、奥のほうでテレビを見ていたり、自分のことをやっていて、たまたまお客が来たら店に出て行く、というスタイルのようでした。
そうでなくて、店の中にちゃんと店番としていらっしゃる場合は、たいていがお座敷犬をはべらせてらっしゃいました。
ヨークシャーテリアやチワワやマルチーズなどが、可愛い洋服を着せてもらってちんまりと鎮座ましましています。
そして、その犬が、まずよく吠える、吠える。というかキャンキャンと泣き喚く。
私は動物好きだし、動物たちの受けもまぁ、良いほうです。
よそのお宅にお邪魔しても、犬もその人が犬好きかどうかわかるのでしょう。まず、吠えられることはありません。
それがここ大垣の商店の犬には、泣き止まぬときがないほど、吠えられる、吠えられる。
・・ということはですよ。
このワンちゃんたちは、飼い主にべったりで、見知らぬ人を見ると誰にでも吠えているのだと思います。
じゃあ、お客さんには・・?
まず、吠えているでしょうねぇ。よほど毎日毎日顔を見るような人でないかぎり。
毎日来店する、って八百屋さんならともかく、商店の性質上そんなに毎日買いに行く必要がないものの方が多いわけだから、その店のワンちゃんたちは人をみると日がな1日吠えているのか?
というより、それほど客足がないんだ、と推理したほうが自然だと思います。
たま~に見る人だから吠えるんだもんね。
うちの人もそんなワンちゃんを吠えないようにたしなめる、とかしつけようとする気もないみたいだし。
いかに、顔見知りの間だけでの商売を大切にしてきた輪中の郷なのかがうかがい知れる感じです。
これじゃあ、商売もさびれるはずだわ。
終わってから、それぞれが回ってみて感じたことをシェアしあうんですが、そのときに皆さんも同じようなことを言ってらっしゃいました。
「商売も家賃が発生しているなら、家賃の分だけは何としても稼ぎ出さないと、と必死になるけれど、代々自分の土地で商売してきた、っていう人たちばかりみたいだから、何とか固定資産税が払えればいいや、っていう感覚だもんな。全然必死さを感じないからな~。」と。
民商という組織はそもそも、わしら中小の自営業者には大企業にはない苦しさや辛さがあるよね~、それを皆で智恵を出し合って助け合っていきましょう、何とか商売盛りたてましょう!というものなので、中小の自営業者だけれど、儲かっていないけれど、まぁ、こんな程度でもなんとか生きていければワシらかまわんもんね、という人のお店をまわってもこりゃ歯車かみあいませんわな。
でも、時々私は我が町、柳が瀬のことを書きますが、そこでいまだに80歳をこえて現役で頑張っている父親の言い分を聞くと、それはそれでわかるからしょうがないな~、むずかしいな~と思ってしまいます。
彼は、「自分の土地で自分が好きなように商売しているのの、何がいかんわけ?」という考え方です。
行政が街の再開発だといって入ってくることによって、大型のショッピングセンターなどの核施設を入れて、それに合わせて、あんたんとこの店も年間休業日は1日だけにしてね、なんてやられるのはかなわん、というわけです。
私はそばで父親のこれまでの人生を見てきて、30代~50代まではずっと月に1日しか休みをとらずに頑張ってきて、今、生涯現役を通したくて80歳になってようやく日曜祝日は休みにして、さらに、たまに旅行に行きたいときには臨時にも休業する、っていうぐらいになれたのに、その人生を否定するつもりはまったくありません。
きっと、大垣の商店街の人たちも似たようなものでしょう。
青年期から壮年期には人並み以上に頑張ってきたんだから、今、この年になって店をとりあえず開けているだけでも、エライと思って欲しいわ、ほっといてよ、と言いたいんでしょうねえ。
商店というものが、単なる「ビジネス」ではなく、その人の歴史をあらわす、「人生」そのものである以上、急に外野から「商売やってんなら、やってる以上、そんなやり方ではいかん。」なんて球を投げ込むこと自体が違うんじゃないか、という気がしてきてしまったりもするのでした。
ビルが更地から建築すれば、建築するのにかかる月日だけですむけれど、いったん古びたビルを解体して、更地に戻し、新しいビルを建てるのにはその方が時間がかかるのと同じで、街の再開発というものも、時間を要するよなぁ、とつくづく思いました。
そんなとき、朝、こんな話をテレビで見ました。
東京の吉祥寺で、たった1坪ながら、年間3億以上を売り上げている羊羹屋さんがあるというのです。
店主はいまだ職人として現役の78歳の品のいいおばあちゃん。
彼女の父親が屋台から始めた和菓子を一心不乱に守っていらっしゃいます。
一番人気の羊羹は1日150本しかどうしても作ることができないそうで、それを求めて全国から人が行列を作って訪れます。
10時開店の店になんと夜中の3時から並ぶ人もいるそうです。
見たところ、なんの変哲もない羊羹のようでしたが、それはそれはおいしいんでしょうねぇ。
彼女は、こういいました。
「厳しかった父親が死ぬ前日にようやく、私が作った羊羹を一口味見してうん、とうなづき、これからはおまえが好きなようにやればいい、と言ってくれたんです。そのとき私は60歳。これから同じだけの60年を、この味を守っていくことなんてどうってことはない、と思えました。私は120歳まで現役でこの羊羹を作り続けて、売っていくつもりです。」と。
60年、真摯に気を抜かず、羊羹を作り続けていくことなんてわけはない、と言い切れるこのタフな精神力。
すごいな~。
すたれた商店街とたった1坪ながら、朝早くから行列ができる店。
この両極端な事例を目の当たりにしながら、私にもひとつだけわかったことがありました。
それは、「商売を盛りたてるのも細々とやり続けるのもやめるのも、すべて自分が限界をつくるかどうかだけなのだ。」ということに。
「もう年だから、店も細々としか続けられなくても仕方がない。」
「街そのものに人が減ったから、うちの店もはやらなくても仕方がない。」
「体もあまり動かなくなったから、この程度のことしかできなくても仕方がない。」
これらはすべて自分で決めた限界にしかすぎません。
よぉし、私は自分に限界は決めないぞ。
それでも、さすがに「私はあと60年はオーラソーマをやり続けるために生きる。」とあのおばあちゃんのようには言えないなぁ・・・
まだまだ修行が足りまへん。