ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「こういうことで褒めてほしかったなぁ」

2019-01-09 09:01:23 | 本と雑誌

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  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
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  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
 参加希望の方は、ご連絡ください。
 chakra@aura-soma.name まで。


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オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
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昨年の暮れは「日々是好日」の映画を観たことがきっかけでその原作も読み、原作のみに飽きたらず、森下典子さんの書いたものをいろいろと読みました。
気が付けば、私はけっこう森下典子さんにハマっていたのです。
頭をハンマーで殴られたような衝撃があったとかそういう類の感動ではないので、最初のうちは気付かなかったのです。
森下典子さんのスゴサに。
彼女の文体や筆致はどこまでもまさしく「日々是好日」とばかりに日常的にごくごく普通なんだけれども、じわじわとその背後に潜む教養とか、熱い情熱とかに気付いていく、って感じなんですよね。
この世が終わるときに何が食べたい? と聞かれたら、フォアグラやトリュフやキャビアやフグやステーキなどに一通り想像をめぐらせたあとに、
「やっぱり、パリッとした海苔に包まれたおにぎりと出汁がよぉく効いた御味噌汁かなぁ」
というほうが結局求めていたものだったんだ、ということに気付く、みたいな感じ。



そんな森下典子さんの「こいしいたべもの」という本を読んでいたときのことです。
この本は食べ物の記憶にまつわる人とのかかわりを思い出とともに森下さんがエッセイとして綴る心温まる22の小編から成っています。
そのなかに彼女が中学受験を受けた日のことが載っています。
中学受験というのはさすがに田舎の岐阜では、というか、私の周りでは聞いたことがありませんでしたが、森下さんと私はほぼ同年代。
彼女がこの小編のなかで、
『まだ今ほど受験が盛んな時代ではなかったけれども、「受験戦争」という言葉は生まれていた』
と書いているように、私もそういう言葉だけは知っている、という時代でした。
森下さんは2校の私立中学を受験します。
その1校の受験発表を見にいったときのことです。
友人が息せき切って階段を下りてきて、
「どうだった?」
と聞くと、
「うん、受かってた!」
と聞くまでもなく、彼女の顔は輝いていました。
「おめでとう!」
と、次は私の番だ!とばかりに発表を見に行くと、森下さんは落ちていた・・



その夜、会社から帰ってきたお父さんが、
「典子、残念だったなぁ。悔しかっただろう。でも、おまえ、合格した友だちにおめでとう、って言ったんだってね。パパはそれを聞いて嬉しかったよ」
と言いながら、彼女の肩に大きな手を置きました。
「・・うん」
と頷いたとたん、自分の意に反して森下さんの頬にはとめどもなく涙が伝ったのでした。



このパートを読んだとき、私は、
「あぁ、いいなぁ。私もこういうことで親に褒めて欲しかったなぁ」
と思いました。
単に
「あぁ、良いシーンだなぁ」
という以上に私は狂おしいほどにそう思ったのでした。



私の親が私のことを褒めてくれるときというのは、
「学校の成績がオール5だったとき」
「100点をとったとき」
そんなくらいでしたね。
いくら通知表があがっても、まだ「5」でない学科があれば、そちらの方に目をつけ、褒めるより先に、
「うん、今度はこの『4』を『5』にするように頑張らなくちゃね」
と言う親でした。
同様に、テストの点数がクラスの誰よりも良かった、といってもそれが86点であれば、
「どうして14点は間違ったの? そこをよぉく勉強して次は絶対できるようにならなくちゃね」
と言うだけでした。
まぁ、実際、私の時代というのは、「授業を真剣に聞いて、予習、復習をきちんとやっていく」という当たり前の勉強をしていれば、「5」や「100点」は取れる、という時代でした。
いや、マジで。
だから、今の子たちは大変な勉強をしているなぁ、と思いますよ。
私の時代には小学校の低学年で小数点なんて習った覚えなんてないですもん。
もっと簡単だった。
だから、それが取れないということは何かサボった部分が自分にはあるわけです。
自分でも、自分が完璧に授業を聞き漏らさないようにして、宿題くらいはやったけれども、予習もカンペキにやった、とまでは行っていない、とわかっているから、それをやれば、「5」や「100点」はクリアできることだと思っている。
そこを突かれるわけですから、
「・・うん」
と言うしかなかったですね。
そんな私に「頑張らなくてもいい」とか「完璧を求めるな」という言葉はかけないでね、人には言うけど(笑)



まぁ、このように私が褒められるとき、というのは“私自身が”頑張ったときであって、“人のために自分が何かをしてあげた”とか、“我慢した”とか、”譲った“というような謙譲の精神を褒めてもらったことはいっさいありません。
だから私は小さい頃は、人のことなんかかえりみない子どもでした。
そのことを叱られることはありませんから。
自分が自分のやるべきことをちゃんとやってさえいれば。
しかし、成長するにつれて自分の親があまりにも人を顧みない、自分さえよければいいんだ、というタイプなんだ、ということは子ども心ながらに薄々感じるわけですよ。
そして、一切そういうところには目を向けない親に対して違和感を覚えるようにもなりました。
仮に私が森下さんのように、友だちに
「おめでとう!」
と言ったというシーンがあったとしても、そんなシーンのことは絶対に親は互いの間で話題にさえしなかったでしょう。
「○○ちゃん、ほんとによかったね!」
などとニコニコして親にさらに言おうものなら、
「いいかげんにしなさい。人のことなんていいから、自分が落ちた敗因を分析しなさい。人のことなんか言ってる場合じゃないでしょう」
くらいの返しがあったことでしょうね。



このシーン、お母さんと一緒に合格発表を見に行って、お父さんは一緒に行っていないにもかかわらず、お父さんはそのシーンのことを褒めたわけですから、お母さんがお父さんにこのときのことを伝えたのも、お母さんもそのときの娘の態度が立派だった、と思っていたからでしょう。
そういう伝え方をしたからでしょう。
そこは描かれていませんが、そうに決まっていると思います。
両親ともども、娘が友だちを思いやる人間に育ってくれていて良かった、と言い合えるそんな家庭。
それをとてもうらやましいと思ったのでした。
でも、おかげさまで私も、反面教師とまでは言いませんが、そういう人間になりたい、と自分自身を鼓舞してその後は生きるように心がけてきたつもりなので、結果的には良かったんですけれどね。



あ、ちなみにこの小編のどこに食べものが出てくるんだ? ということが気になった方に結末をお伝えしておきますね。
森下さんは2校めには受かり、その帰り道、横浜の元町で生まれて初めてチョコレートケーキを食べ、その美味しさに驚きます。
そして、今でもチョコレートケーキを食べるたびに、苦い涙の味と羽根のはえたような喜びを知った12の早春を思い出す、というお話でした。





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