ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「母を亡くしたとき、僕は遺骨を食べたいと思った」を観て

2019-03-22 09:01:00 | 映画
お知らせ NEW!

    オルゴナイト展示即売会開催!

  オルゴナイトセラピーをリリースします。(予告)
  それにあたって先立ち、オルゴナイト展示即売会を実施いたします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  オルゴナイトとは----
   浄化のみならずネガティブエネルギーをポジティブエネルギーに変換する生命エネルギー
    を発するものです。
    水晶を銅線コイルで巻いたものを樹脂で固め、金属(無機物)と天然石(有機物)からの
    「オルゴンパワー」を発生するものです。
    お部屋に置いておけばパワフルなエネルギーとともにインテリアとしてもとてもきれいです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


  日時:  第一弾 4月 3日(水)~ 7日(日)
       第二弾 4月15日(月)~19日(金)

       それぞれ10:30~17:00 お気軽に立ち寄っていただけたらと思いますが、
       いらっしゃる場合はご予約を入れていただけると助かります。(この間、絶対に居るとは確約
       できないので)
       期間中、気まぐれに「エンジェル風水」のミニ講座開催。(それもありまして、
       なおのこと事前にご予約をいれていただけると助かります)
       風水的に見るとこの部屋にこういう色のものを置くとよい、などのお話しをさせていただきます。
      (無料)

  オルゴナイト予定: ピラミッド、鉱石タイプ、ドームタイプ、ペンデュラム、ボールペン、ペンダント
            価格帯は ¥1900~¥10000 ぐらいを予定

              

         ※第一弾と第二弾では若干オルゴナイト商品が変わる可能性があります。
         ※第二弾では作家さん登場予定!(予定が決まり次第、UPします)
           そのときには、おいしいお茶とケーキをふるまってくださる予定! 乞うご期待
         

   <ご予約・お問い合わせ>は、 chakra@aura-soma.name 坪内恵津子 まで

********************************************









私は自分があまり母親と仲睦まじくしてこなかったせいか、他人が母親を恋い慕う、というようなお話は割と好きです。
うんうん、ふつーそう来るわなぁ、そのほうが素直だわなぁ、と思って安心して見ていられます。
この映画も、母親がガンを告知されたとき、その残り少ない人生をいかに大切に過ごしたか、という映画だとばかり思っていました。
特に起伏もドンでん返しもオチもない淡々とした作品・・・。
しかし予想に反して、このお話にはとてつもないオチがあったのです。
そんなものないと信じ切って見ていただけに、ええっ! そういうことなの! そこが1番の母親の愛としてこの映画が伝えたかったことなの!? とびっくりしてしまいました。
ある程度予想して見ていたらそんなでもなかったと思うんですけど、なんていうか、普通のプレゼントだと思って箱をあけたらびっくり箱だった、というようなドッキリを見たような気分なわけです。



今日は完全ネタバレ、えぇ、もう全部書いちゃいます。
そこを書かないと私が書きたいことも書けないので。
ですので、いやいや、オチまでは聞きたくない、という方はこの先は今日はご遠慮くださいね~
いいですか~? いきますよ~



主演は安田顕と倍賞美津子。
もう30代後半になった息子役が安田顕で、母親役が倍賞美津子ね。
いい年こいてんのにお母ちゃんが大好きで、泣き虫で、っていう息子。
それに肝っ玉母さん、っていう組み合わせ。
物語の最初のほうで、息子のサトシが小さい頃に大病してそのときはそんな病気、なぁ~んでもないことのように母ちゃんが振る舞ってくれた、というシーンがあります。
それは単にその後、母ちゃんの方がガンを告知されてからは立場逆転するよ、とうことの伏線なだけかと思っていました。
しかし、このシーンが最後にめっちゃ重要なシーンとして浮上するのでした。
確かサトシが中学にあがったばかりの頃、白血病になります。
お兄さんから骨髄移植を受け、1年間の闘病の末サトシは無事治るのですが・・。
明日が、骨髄移植の手術だという前の晩、母ちゃんはなぜか紙コップをサトシの前に差出し、
「サトシ、お前このごろオナニーしてるだろ」
と突然言いだします。
「え・・?! え・・?!」
と焦るサトシ。
すると母ちゃんは、
「ここに入れろ。ここに出しとけ」
と言います。
やだよ~と言わんばかりにおどおどしているサトシに向かって、
「いいから! それで治るんだから」
と言い捨てます。



そのシーンはそれだけのことで、白血病に関して無知な私は、
(ふぅん。それで治るってことはないだろうけど、なんか大変な手術にのぞむ前にはできるだけ身体のなかをカラッカラにしておいたほうがいいからなのかな)
とか思っていました。
しかし、このシーンが後に重要な意味をもつようになるのです。
サトシには真理ちゃんというきれいなカノジョがいます。
年も年だし、結婚したい気持ちはやまやまなのですが、サトシはどうしても真理ちゃんにそれを言いだせません。
もう母ちゃんの命の灯は燃え尽きようとしかけている・・という、意識があるのかないのかもわからぬような母ちゃんの枕元である日、サトシは母ちゃんに言うとも独り言ともどちらともつかぬような口調でこう言います。
「真理ちゃんと結婚したいんだけどね、どうしても僕、それを言えないんだよ。だってまだ真理ちゃんには秘密なんだ。僕が子どもができない身体だってこと。どうしても言えなくってさ・・」



しかし、母ちゃんが亡くなったあと、無事にサトシと真理ちゃんは結婚します。
そんなある日、サトシにある病院から1本の電話がかかってきます。
「これまでは宮川明子さま(母ちゃんのことね)名義でしたが、これからはどうされますか?」
というわけのわからない電話。
そう、なんと母ちゃんは、サトシのあの中学生のときの精子を冷凍保存してとっておいてくれたのです。
それを使えば、おまえが将来結婚したときでもちゃんと子どもを作ることはできるよ、ってことで。
白血病に限らず何日も高熱が続くと、もう精子がつくられない身体になってしまう、ってことがあるんだそうですね。
サトシは実際そうなっちゃったわけで。
それを見越して母ちゃんはずっとサトシの精子を冷凍保存してくれるというシステムがあるという病院を探し、長年取っておいてくれたのです。
これはすごい親の愛ですね~
泣ける~
こうして母ちゃんが亡くなったあとに、サトシはまた母ちゃんの大きな愛を知ることになり、嬉しさに号泣するのでした。
そして2人の間には子どもが出来て、めでたし、めでたしのハッピーエンド。



このお話は実話だそうで、ほんの5,6年前の出来事のようです。
つまり現代のお話ですね。
現代では必ず子どもができないと結婚できないだろう、という時代ではないので、できなきゃできないでそれなりにおまえはこれから自分の人生を他事で楽しむことを見つけて生きていけ、という選択肢もあったかとは思います。
しかし、子どもがいざそのときになったらどうあろうと選択肢だけは狭めないでおいてやりたい、と思うのが親心でもありましょう。
何十年も冷凍保存して精子をとっておき、いざというときには、
「母さん、それはいらないよ。僕たちは子どもを作らない人生を選ぶから」とか、
「僕は結婚しない人生を選ぶから」ということもあるかもしれない。
それはそれでいい。
でも、今のこの時点で自分に出来ることはないか、子どものためにしておいてやれることはないか、と必死に頭をめぐらせるのが親というものなんでしょうね。



私にはここまで親が選択肢を残しておいてくれた、という経験はありませんが、普通良くあるパターンとして子どもがもうこれ以上
「学校なんて行きたくない」
と言った場合でも、
「高校までくらいは出ておきなさい」
とかいうやつ。
私の場合は、
「いまどき、四大くらいは出ておきなさい」
でしたが。
私は高三になっても、進路がはっきりきまりませんでした。
大学はその後の就職のための専門学校というイメージでしたので、自分が将来何になりたいのかわからないのなら、いっそ大学に行かない、という手も選択肢の1つとしてはあるな、と思ってそう言ったとき、先述の言葉が返ってきたわけです。
この言葉に説得力を感じて、大学に行くことにしたわけではありません。
今になってみてしみじみと
「あぁ、あれはその後が決まっていないなら、今の時点で自分の選択肢を狭めてしまうこともないじゃないか」
という親心だったんだろうなぁ、とようやく思い至った、ということです。
親としては「とにかく行って置け」以上の言葉が見つからなかった、ということでしょうね。
子どもがいざ、人生の岐路に立った時、選択肢が自然と狭いものとなってしまっていた、という状況をつくらないようにするために。



わたし、この後にふと思いました。
いま、国会では「親が子どもに対して暴力をふるうことを禁止」するという法律が通ろうとしています。
世間でもこの法律成立には賛成が6割だそうです。
でもなんだかどうしても私は諸手をあげて「賛成」とは言えないもやもやした感じがしていたんです。
そりゃあどんな理由があったって暴力は禁止、っていうのは正論なんでしょうが・・
ときに親が子どもに対する愛を言葉にしようとするとペラいものになってしまうってときがあるじゃないですか。
この法律が「言葉の暴力」までも含むのかどうかわかりませんが、たとえばこの映画のシーンにせよ、もしサトシが母ちゃんに
「この紙コップのなかにオナニーしろ」
と言われて
「何言ってんだよ! なんでそんなこと母ちゃんに言われなくちゃならないんだよ。放っておいてくれよ」
と言ったらどうなっていたのか?
それでも母ちゃんは、これこれこうでね・・と説明するより
「うるさい! とにかく母ちゃんの言う通りにすりゃいいんだ!」
しか言いようがなかったことでしょう。
そのあとに何なら軽く頬をペチ、だってあったっていいと思うくらい。
そしてその方に愛を感じる、というのは古臭い世代の私だけでしょうか。



親の愛に理詰めで迫ってはいけないと思います。
それは親の愛を踏みにじるだけ。
私は数限りなくそういうことをしてきました。
中学生のころだったか、簡単に決めてしまった進路について父親がなにかぐじゃぐじゃ言ってきたとき、私はこう言い放ちました。
「長く考え込む者がいつも最善の道を選ぶとは限らない」
これは当時ちょうど読んだゲーテの格言でした。
それをさっそく使ったわけですね。
父親はうっと詰まったような顔をして何も言いませんでした。
そしてその日、たまたまいったん寝たけれどトイレに起きた私は、階下でちょうど店の後片付けをしていた両親がこんな会話をしているのを耳にしたのです。
父が母に向かって、
「・・で、俺がこう言ったら、あいつ、長く考えこむものがいつも最善の道を選ぶわけではない、って言いやがってさ」
とその日あったことを話していました。
その口調はなぜか少し寂しげであり、私は私が起きたことを気取られないように、そっと足音を立てないようにして再びベッドにもぐりこんだのでした。
なんだか悪いことしちゃったな、という後味の悪い感覚が身体に残っていました。
中学生くらいになると口も達者になって、親をやりこめたことはこのときだけでなく数限りなくあります。
そして私の親は、
「うるさい! とにかく黙って親のいうことを聞いてりゃいいんだ!」
ということは間違ってもいうような親ではなく、私と同じフィールドでなんとか理屈で闘おうとしたので、それで私を説得するのは大変だったと思います。
この映画を観て私は改めて、では、ととにかく上から怒鳴りつけるような親だったほうがいいのか?と言われたら「う~ん、やっぱりそれはイヤ」と思いますが、親がうまく理屈では説明できない、ってことはたいてい子どもの将来を思ってのことなんだから子どものほうがそれを思いやってやらなくてはいかんな、と改めて思ったことでしたよ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿