ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「ホモ・デウス」は奇跡を奇跡でなくす新人類ということなのか?

2019-03-21 09:01:34 | 宗教
お知らせ NEW!

    オルゴナイト展示即売会開催!

  オルゴナイトセラピーをリリースします。(予告)
  それにあたって先立ち、オルゴナイト展示即売会を実施いたします。

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  オルゴナイトとは----
   浄化のみならずネガティブエネルギーをポジティブエネルギーに変換する生命エネルギー
    を発するものです。
    水晶を銅線コイルで巻いたものを樹脂で固め、金属(無機物)と天然石(有機物)からの
    「オルゴンパワー」を発生するものです。
    お部屋に置いておけばパワフルなエネルギーとともにインテリアとしてもとてもきれいです。

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  日時:  第一弾 4月 3日(水)~ 7日(日)
       第二弾 4月15日(月)~19日(金)

       それぞれ10:30~17:00 お気軽に立ち寄っていただけたらと思いますが、
       いらっしゃる場合はご予約を入れていただけると助かります。(この間、絶対に居るとは確約
       できないので)
       期間中、気まぐれに「エンジェル風水」のミニ講座開催。(それもありまして、
       なおのこと事前にご予約をいれていただけると助かります)
       風水的に見るとこの部屋にこういう色のものを置くとよい、などのお話しをさせていただきます。
      (無料)

  オルゴナイト予定: ピラミッド、鉱石タイプ、ドームタイプ、ペンデュラム、ボールペン、ペンダント
            価格帯は ¥1900~¥10000 ぐらいを予定

              

         ※第一弾と第二弾では若干オルゴナイト商品が変わる可能性があります。
         ※第二弾では作家さん登場予定!(予定が決まり次第、UPします)
           そのときには、おいしいお茶とケーキをふるまってくださる予定! 乞うご期待
         

   <ご予約・お問い合わせ>は、 chakra@aura-soma.name 坪内恵津子 まで

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昨日はいま、話題になっている本「ホモ・デウス」についてご紹介しました。
そして、最後には「科学と宗教とは500時間カウンセリングを受けても、今朝どちらがゴミだしをするかでもめている夫婦のようなものだ」という著者の言葉も紹介しました。
それでふとそのあと、私の脳裏に浮かんだことを今日は書きたいと思います。



それは、人間がAIや科学の力を駆使して、「これは神の領域ではないのか?」ということまでもが出来るようになることは、“奇跡”なんだろうか? というテーマについて、です。
ようは“奇跡”と呼ばれる領域まで科学の進歩は入り込んだんだろうか? ということをつらつらと考えました。
キリスト教の方はよくご存じだと思いますが、聖書には、
「キリストをもって、もう2度とこの世で神は奇跡をお見せにはならない」
というような文言の箇所があったと思います。
これは、キリストがいったん死んでから短い期間でしたが復活を遂げた(わざわざ人類に奇跡を見せにやってきた)ことを指しています。
皆さま人間が神を信じられないとおっしゃるのなら、一度だけキリストの身体を使ってその奇跡をお見せしましょう、でもそれはこれきりですからね、ショーは以上です、これでも神を信じられない、という人はもうしょうがないです、自己判断でお願いいたします、その代りそういう人は救済されませんけれどね、というわけですね。
そして、この後「おぉ、これは奇跡だ!」ということは“絶・対・に”ありませんので、もしそういうものを見た人がいらしたら、それはサタンの仕業ですから、えぇ、もう間違いありませんとも、だから騙されないようにね、ということです。



さて、ここで
「では、“奇跡”とはどこまでのことを言うのだろう?」
というのが気になりますよね。
例えば、キリストの復活だって、似たようなことは私たち人間社会にも生理現象としてこれまでにも起こっています。
臨終を迎えたと診断されて棺桶に入れられた人が通夜の席で、蓋をこじ開け、
「ん? 誰の葬式だい?」
と生き返った、という話はこれまでに何例も報告されています。
これはもう、今ではほとんど見られない事例かとは思いますが(なぜか、海外ではいまだにこの事例がかなりあるそうです)、どうしてこういうことが起こるのかと言ったら、以前は心肺停止を「死亡の定義」としていたからですね。
なので日本では死亡診断が下りてからも24時間経たないと火葬はしてはならない、という法律がいまだにちゃんと残っているわけです。
でも、昔の人なら、医者が「ご臨終です」と診断してから生き返る人がいたら、これは「奇跡」だと思ったことでしょう。
それがどんどん死亡診断の技術も発達してきて、そういう奇跡は起こらなくなってきた。
誰も一時的に蘇生した人の話を“奇跡”だとは思わず、「あぁ、昔はいいかげんな診断もあったみたいだから、そういうこともあったんだね」と理解するようになった。
これが何を意味するのか?
時代(時間の経過)によって、あるいは科学や医学の進歩によって、とそれは言い換えてもいいのかもしれませんが、“奇跡”の定義は移り変わる、ということではありませんか?



そしてなぜ“奇跡”の定義が移り変わるのか、と言ったら、それは科学の進歩によって不思議なことが次々ときちんとした実験やデータに基づいて解き明かされてきているからですよ、ということなら、この先もどんどんこの「解明」は続いていくわけです。
現代の私たちが
「さすがにこれは不思議な現象と言わざるを得ないだろう。つまり奇跡だ」
と思っていることが、あと2,30年もしたら、
「あの頃の人間ってバカみたいね。あんなことを“奇跡”だ、って言ってたんだから」
と小学生にもくすくすと笑われるようなことなのかもしれないわけです。
としたら、“奇跡”だって、どんどん変遷していくもの、ということになります。
“いまのところ奇跡”が存在するだけで。



聖書にはこんなことが書かれている箇所もあります。
「未来予知、霊感、占いなどを行う者に騙されないように。(そしてあなたもしないように)」
みたいな箇所。(表現は少し違うと思いますが、今、どうしてもその箇所が探せなかったのでいいかげんですみません)
それとて、結局、未来予知や占いで出てくる結果は“奇跡”であり、そういう“奇跡”は神にしか行えないはずのものなのだから、それはサタンの行為、気を付けてね、ということなわけです。
聖書自らが未来予知や占いは“奇跡”って認めちゃってるようなものじゃないですか。
それが“奇跡”だから、“奇跡”はあなたたちに起こせるはずがないから、禁止しているんでしょ?
でも、未来予知にもいろいろあります。
そこにはある程度科学で予測される未来社会というものも含まれるのでしょうか?
それとも科学的なデータをそろえて「予知」ではなく、「推測」とか「推察」であれば良いのでしょうか?
そうなってくるともう詭弁の域の話になってきてしまいますよね。
これを「詭弁」と呼ぶのでなく、「解釈の違いだ」とするから、同じキリスト教世界でもいろんな宗派が生まれることになったわけです。



そしてもちろん、「目には見えないけれども確かにそれは存在する」というエネルギーのことを信じている人にとっては「遠隔ヒーリング」などの行為も何も“奇跡”ではないものですし、弁証はできないにしても理論的になんらおかしいところはない、ということまでは現代ではすでにわかっていることもいっぱいあります。
もし、“奇跡”ではなく、これはこういう理屈で起こっている現象なんですよ、ということが明らかになればそれでいい、ということなのであれば、聖書が書かれた時代には許されていなかった職業が現代では許されているはず、ということになります。
聖書に書かれていることは「時代を問わず絶対的」と思っている人々にとってはこれは許されない発想でしょうが、私は神はある程度「傍観者」にすぎない、と思っているので、つまり、神が「こういう世の中になぁれ」と意図して今の地球や社会をつくっていると思っていないので、ならば聖書に書かれているときの状況と今が違ってきていても当たり前でしょう、と思います。



私はこれまで「科学」というものは神が、人類に対して「それは奇跡じゃないよ。安心して解明していいよ」ということを知らせるために人間に授けた知恵、学問だと思ってきました。
だから逆に言えば、科学で解明されることはどこどこまでもしていいよ、と神のお墨付きを得たものだ、と思って来たんです。(「解明」とその技術を使って何をしてもいいよ、というのはちょっと別ですが)
そういう意味で、なにかしら“怪しい”とか“不思議な”ことをふわふわと取り扱っていると思われているヒーリングやセラピーのジャンルがもっと広く一般的に認知され受け容れられるようになったらいいのに、と思って来たんです。
だから私にとっての科学は、
「なんだか私にはチンプンカンプンだけれども、頭のいいエライ人たちが解明してくれるならそれにこしたことはない」
というものだったんです。
これから先も永遠に解明しきれないものが何か残るのか?
そしてそれこそだけが「神の領域」なのか?
それとも常に時代の変遷によって次々とこれまで奇跡だと思われていたものがこれからも解明しつくされていくのか?
それは誰にもわかりません。
ただ、科学者ならある程度の予測はつくのではないか、という気がします。
そしてそれをグローバルな見地から提示してくれたのが「ホモ・デウス」という本だと思っています。

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